第三章 10
リンゴにはすぐに追いついた。
予想通りマツリノ氏の所に向かっているようだ。
リンゴは山を越えた車道を、ボードで飛んでいる。
リンゴに接近する時に、振り返ったリンゴと目が合った。
足音は殆ど消しているはずなのに、気配でわかったのだろうか?
僕の事をどう説明するか迷った。つまり、どこまで正直に話すかを、考えなければならない。この体の事も。
「君に危害を加えるつもりはない」僕は言った。「とりあえず話をきいてほしい」
「目的はなに?」リンゴは言った。ゴーグルをつけている点が、最後に見た時と違っていた。
「安全なところまで君を保護する」
「……そう」リンゴは道を逸れて、樹林帯の中に入って行った。
イエスではない様だ。
すぐに方向を変えて、リンゴの後を走る。ボードに追いつくのは、容易に出来る。樹や枝を避けるのは簡単なことだ。
「マツリノ氏の屋敷の近くで銃撃戦が行われている。流れ弾に当たる可能性もある」僕は走りながら言った。
「知ってる」リンゴは前を向いたまま答えた。
ゴーグルで情報を得ているのだろう。
「そうまでして、どうして行く理由があるの?」
「……あなたは誰?」リンゴは一瞬だけ振り返った。
「マツリノ氏に、君の保護を雇われたものだよ」
「私は、お父様に会いに行くだけ」
「それは今じゃない」
「……じゃあ、死んでから会えばいいの?」リンゴは、小さな声で呟くように言った。そして、ボードが急停止した。僕も、止まった。ゆっくりとリンゴに近づく。
「通話なら出来ると思う。相手の顔も見える。君に危険が及ばないから、マツリノ氏も応えてくれるだろう」
「本気で言ってるの?」
「うん。早くシェルタに戻ろう」
「ねぇ、ベル」リンゴの声は大きくなった。「これが最後になるかもしれない。会いたいと思うのはそんなに理解出来ないこと?」
会話から、僕の正体に気付いているみたいだ。ここまでして会いたいのは、もしかしたら、マツリノ氏から、打ち明けられていない機密情報でもあるのだろうか?
「……。安全性は多少落ちるけど、通話の時に、重要な機密情報は、暗号にして伝えればいい。直接会わなくても情報の伝達は可能だし、恐らく、マツリノ氏も予めそういった伝達は、滞りなく…」
「そんなことを言ってるんじゃない」リンゴの怒る顔を初めて見た。
「直接会ったって、なにもわからない。なにも変わらない。僕はずっと、そう考えているけど、違う?」
「さぁ、わからない。でも、伝えたい事があるの。確認しなくちゃいけない事がある。……。お願い。手伝って欲しい」
リンゴは僕の目をジッと見た。
今からリンゴがする事に、なんの意味があるのか、全くわからない。自分を危険に晒すだけだ。敵の攻撃で僕がやられる事はないが、リンゴの安全は保障出来ない。
「敵がすぐ近くにいる。あの距離では駄目だ。最低でも十キロは離れていないと危険だ。流れ弾だって…」
「わかりました。では、敷地内の敵を全て排除します」
突然、声がした。
リンゴの方からだが、リンゴの声ではない。ゴーグルからだ。
「誰?」僕は言った。
「お久しぶりです。ベルさん。アミダです」リンゴのゴーグルから音声が聞こえる。
「……アミダ。どうしてここに?……もしかして」
「はい。恐らく、その想像の通りです。血を見ましたか?」
「……いや、わかった。因みに、この体を乗っ取ることは出来る?」
「いいえ、出来ません。強力なプロテクトですね。先ほどの戦闘用のエンプティも出来ませんでした」
「今、攻めてきている敵は?」
「敵はドローンとエンプティとロボットの編成で攻めてきています。そのエンプティを乗っ取ることは可能です」
「……わかった。リンゴを護衛するよ。でも、会う時間は、一分だけだ。それ以上は待てない」このまま、リンゴを連れ去るのは簡単だ。でも、それだとリンゴから反感を買う事となり、今後の事を考えると得策ではない。でも、戦火の中にリンゴを連れ出すのは、もっと悪手だ。なので、リンゴには、さっさと話しを済ませて貰い、シェルタの中に避難させる。アミダがいる今、それがベストな選択だろう。本当は、リンゴをシェルタに避難させてから、マツリノ氏と会いたかったが、会えないよりはずっといい。
リンゴは頷いた。
「ありがと」リンゴは下を向いて言った。いつもより、幼い声だ。髪で隠れて顔が見えなかった。
「安全なルートを案内します」イオが言った。勿論、リンゴにもアミダにも聞こえていない。リンゴがさっきまで進んでいた道沿いのルートだ。
「アミダ、警備システムの映像を共有出来る?」僕はリンゴに言った。ゴーグル越しにアミダが聴いているからだ。
「送りました。ただ、五秒程のタイムラグがありますので、ご注意下さい」
一番迫っている敵の部隊は、マツリノ氏の屋敷から七キロ程の位置にいた。イオにも、警備システムに目を通させた。
ルートに沿って走った。リンゴのボードの速度に合わせたが、百八十キロも出ていた。転んだら大怪我間違いなしだ。
屋敷まではもうすぐだ。
「十キロ以内の敵の排除が完了しました」アミダが言った。
「わかった」思ったよりも早かった。それが可能なのは、アミダが特殊な能力を持っているからだ。特別な鍵を持っている。それを使って、彼女は、エンプティを乗っ取る事が出来る。
今回の件は全世界が注目する事になる。一般大衆には、ニュースでしか伝わらないが、一部の人間は、徹底的に調べ上げられるだろう。つまり、アミダの存在が、その力が、世界に知られることとなる。
でも、それは遅い。
百年位。
今更、どうしようもない。アミダの優位は変わらず、協力関係を築こうとする国や組織が出てくるはずだ。アミダの要求は身の安全で、その見返りは不明。でも、アミダは個人でも自身の安全を確保するだけのお金を相続している。もう、とっくに動いているだろう。
なら、次にアミダが要求するものは、なんだろうか?
それがわからない。
アミダがこんなところにいるのは、なんの気まぐれだろうか。
「因みに、どうやったの?」僕はアミダにきいた。
「襲撃してきた敵は同じグループではありません。お互いに邪魔をしないという暗黙のルールがあったようですが、それを、私が破りました。つまり、敵グループ同士で潰し合った事になります。私は、最後の生き残りを排除しました」リンゴのゴーグルから声が聞こえる。エンプティだから、風で消えそうな音を拾って、補正をかけて聴き取れている。
「なる程。いい作戦だね。いつ思いついたの?」僕はきいた。
「初めからです」
マツリノ氏の屋敷が見えてきた。リンゴが屋敷に向かうことは、連絡済みのようだ。武装した防衛部隊を素通り出来た。当たれば、致命傷になる火力の武器もあったが、そんな武器に当たるほど、のんびりともしていない。
この体なら、一人でも簡単にマツリノ氏を排除できる。その程度の警備システムだ。ただ、シェルタに籠られた時に、打つ手がなくなる。それも込みの配置だろうか?
屋敷の門も軽々と越えて、玄関まで来た。リンゴはボードから降りる。スーツを着た女性が扉を開けて、リンゴと僕を中にいれた。僕の事も話してくれているのだろうか?恐らくアミダがやってくれたのだろう。
「お父様はどこ?」リンゴは、スーツの女性にきいた。
「シェルタにいます。すぐに向かって下さい」彼女は答えた。
その仕草から、カイだとわかった。
リンゴは、ボードに乗って、長い廊下を進んだ。走るよりかは速い。
「嘘だろうね」僕は、リンゴの隣で言った。
「わかってる」リンゴは、小さな声で言った。
恐らく、シェルタに入ったら、扉が閉められて出入りが出来なくなる。リンゴを止める事が出来ないと考えたマツリノ氏が出した妥協案がそれだろう。勿論、マツリノ氏がシェルタの中にいる事はない。
リンゴは、ゴーグルを首に掛けた。
彼女は、マツリノ氏の部屋のドアの前でボードを降りて、扉をノックした。
二秒。
なにも起きない。
リンゴは扉を開けた。
前と同じ椅子にマツリノ氏は座っていた。皺のないスーツを着ている。手に持っている煙草からは、煙が上がっている。リンゴを見て、煙草を灰皿で消した。
部屋にはマツリノ氏以外にいなかった。生身の人間だったら、久しぶりに煙草の匂いが嗅げたのに。
「扉を閉めなさい」マツリノ氏は言った。僕は、リンゴに続いて部屋に入り、扉を閉めた。
「体調はいかがですか?」リンゴが言った。今まで一度も聞いたことのない声だった。
「悪くない。これから死ぬのが勿体ないくらいだ」マツリノ氏は、上機嫌に笑った。
「では、もう少し生きてみてはいかがですか?」
「神は、それを望んでいない」マツリノ氏はそこで目を細めた。「いや、初めからなにも望んでいなかった。私でなくとも、誰でも良かったんだ。たまたま、神の目に留まり、役割を与えられた。私は、それを演じた。それだけだ。もう、台本は無くなった」
「沢山のお金が残っております。遊んで暮らすには、それだけで十分ではありませんか?」
「もう、私のお金ではない。お前のものだ。好きに使えばいい」
「どうして、自分で使おうとしないのですか?私は、自分の力で生きていけます」
「だったら、もう、思い残すことはない」
沈黙。
「私を祭りに連れて行ってくれた日を、覚えていますか?」リンゴは言った。
「……祭り?…ああ、あのことか。覚えているよ」
「本当に楽しかったです。私にとっては、一生忘れる事のない宝物です」
「………そうか。……論文を読ませて貰った。見事なものだ。よく頑張った。お金は研究に使ってもいい。そのボードに使ってもいい。思うようにしなさい。もう、ここも危ない。早くシェルタに戻りなさい」
マツリノ氏は、リンゴを見つめた。
少しだけ、微笑んでいる様にも見えた。
「私を育てたのも、神様の命令ですか?」リンゴはきいた。
マツリノ氏は、僅かに目を大きくした。
「……そうだ」彼は、ゆっくりと頷いた。「ただ、命令であったとしても、血は繋がっていなくても、お前は私の娘だ。それが、私の自慢だ」
「わかりました」リンゴは、ゆっくりと発音した。「お父様。今まで育てて頂きありがとうございました」リンゴは深く頭を下げた。
「それが私の仕事だ。もう、行きなさい」
「大好きです」
マツリノ・キンギョは、父親の様に優しく微笑んだ。




