第三章 9
空。
切り絵みたい。
風が枝を揺らして。
模様が変わる。
その音だけが聞こえる。
心臓が無くて良かった。
あれば、きっと五月蠅かっただろう。
こんなにも興奮しているのに、汗一つかかない。
左腕と右脚がないのに、こんなにも穏やか。
もう、ベイビィ・ブルーは見えないので、土と落ち葉の上で横になっている。
どうして、ベイビィ・ブルーがこんなところにいたのだろう?表舞台には姿を現さなくなった。死亡説も噂されたが、あれは間違いなくベイビィ・ブルーだ。
わからないことは、沢山ある。
疑問なんて、木の葉の数よりも多い。
でも、ベイビィ・ブルーが、私を助けてくれた。
信じられない。
こんな奇跡があるなんて。
この体じゃなかったら、ドキドキして胸が熱くなるのを感じられるのに。
リンゴは、どうなっただろう?
この体じゃ、もうなにも出来ない。早く離脱して、次の手を打たなくては。
でも、アレは、ベイビィ・ブルーが排除してくれるだろう。そもそも、リンゴに手を出す、アレがイレギュラだった。アレさえなければ、こんな危険な目にも合わなかったのだ。
なら、もう、脅威は去ったのだろうか?
もう、戻ろう。
この左手と右脚がないのも、気持ちが悪い。
目を瞑って、離脱した。
……………。
……………。
空中で一回転している様な感覚。
ダイヴから戻ると、いつも感じる。
狸の様に、綺麗な体に化けているだけなんだ。
きっと、煙と共に、化けの皮が剥がれる。
ベッドの上で目が覚める。
左手と右脚を確認した。
大丈夫。ちゃんとある。エンプティの手足が千切れても、生身の体には影響が出ない事は検証済みだが、確かに、あまりいいものではない。ベルさんも、反対派だった。
ベッドから降りると、酔っている様な感覚があった。お酒は好きじゃないので、数回しか飲んだことがない。飲んだ後は、いつも最悪の気分になる。
今も、それだ。
水を飲んで、トイレに行った。
これからどうしようか。
数秒考える。
全然、頭が回っていない事だけがわかった。
リンゴにメールを送るか?
ベルさんは、私よりも、ずっと前に敵にやられていた。もうすでに離脱しているはずだ。なら、ベルさんの、指示を仰ごう。
それに、話したい事も沢山ある。ベルさんの部屋の扉の前に来た時に、予約を取っていないことに気付いた。この扉は、どちらからも鍵を掛ける事が出来る。普段は私が鍵を掛けているだけで、ベルさんは掛けていない。でも、もし、都合が悪ければ、開くことはないだろう。それでも、アポを取る為に戻ろうかと、考えていたら、扉が開いた。
鍵は掛けていなかったようだ。ベルさんの部屋に入った。
ベルさんがいつも座っている椅子のすぐそばに、人がいた。でも、それは、ベルさんではなかった。
「なにしているんですか?」私は言った。
慌てた様子で振り返った人物と目が合った。
「今は、勤務時間のはずだけど」ラムネさんは言った。いつもの冷静で無表情な顔に戻っていた。あの一瞬でコントロールしたのか。
「ベルさんは…ダイヴ中ですか?」なにから話せばいいのか迷った。仕事の報告が優先されるだろうが、でも、ラムネさんの行動が不可解だったからだ。ベルさんは専用端末を装着したまま、椅子のリクライニングを倒して横になっている。ラムネさんは、それに覆いかぶさるような恰好だったのだ。椅子の上から覗き込むような。
「暇なら仕事の報告を」ラムネさんは、いつも食事をしているテーブルに歩きながら言った。そこに、ラムネさんがいつも使っているカップもあった。
部屋が広い為、テーブルに近づいて、ラムネさんに報告をした。敵がリンゴを襲った事やベルさんがやられた事、私も破壊されて離脱した事など。話している内に、状況を客観的に整理出来ていることにも気付いた。
「わかった」
話し終えた時に、ラムネさんは、それだけ言った。
「ベルさんは、どこにいるんですか?」私は質問した。
「そこ」ラムネさんは、椅子で専用端末を付けているベルさんを見た。
「いえ、どこにダイヴしているんですか?」
「さぁ、顔を覗いてもわからなかった」ラムネさんは、無表情のまま言った。




