第三章 2
リンゴの部屋の乱れようが、妙に落ち着く。僕の部屋も同じように散らかしてもいいくらいだ。でも、物が少ないから、全てを床に広げても、床面積の十分の一も満たさないだろう。それに、僕の部屋は、ラムネやネオンも利用するから、少しは綺麗にしておいた方がいいと、たまに、ふっと思う事もあるかもしれない。仕事中に街中で困っている顔の人を見かけて、わざわざ、声を掛けて助けるくらいの割合だ。勿論、そんな制限がなくても、手元に置きたい物など、殆どない。
でも、ヴァーチャルの僕の部屋は、リンゴの部屋よりも乱れている。気に入った商品を買って、部屋に飾っているのだ。壁や床、天井まで、好きな絵で埋め尽くされているし、キャビネットにはコレクションが、グラス一杯の氷みたいにガラスケースの中に並んでいる。それでも、部屋に飾られているのは、ほんの一部で、入りきらない分は、倉庫にしまってある。ヴァーチャルのいいところは、大きさを自由に変えられるし、なにより、重くない。重力に従う必要もないし、三百六十度どの角度からでも眺める事が出来る。リアルの街も小さくして部屋の中に入っている。昔、流行った観光という娯楽が、どれだけ不自由だったか、思い知らされる。リアルで実際に目で見たって、なんの意味があるだろう。もう、リアルに拘る人は、少数となった。そういう人間は、淘汰されたからだ。
でも、リアルでも、リンゴの様な趣味は悪くはない。あれは、研究や実験に近いものだろう。だから、とても純粋で綺麗だ。
「ボードが友達ってなんでしょうか?」ネオンが直接話しかけてきた。僕の隣に立っていて、リンゴの部屋の中には、リンゴとナツさんを含めた四人がいる。
「ボードがわからない?それとも、友達がわからない?」僕も直接答えた。ネオンは、吹き出す様に笑った。笑い声を殺したまま僕を睨んでいる。
「どうして、ボードを友達なんて表現したんでしょうか?」ネオンは言い直した。
「自分で調整したから、愛着が湧いたんじゃない?」
「友達って言いますか?でも?」
「友達の定義にもよると思う。例えば、自分の思い通りになる人は、友達じゃない。ケンゾウさんが友達じゃないのは、主従関係にあるからだ。ボードは、重心をいじったとしても、思い通りの動きをしてくれるわけじゃない。何度も調整して、何度も修正して、時には、自分の体の動かし方を変える必要もあったかもしれない。その関係性は、友達と呼べなくはない。それに、ボードは一人で動く事も出来るから、それが生きているみたいに思えるのかもね」
「それで、友達ですか?」
「僕もイオが友達みたいだと思うよ。イオは体も表情も無いけど、生きているみたいに見えるし」
「でも、それは会話が出来るじゃないですか」
「人でも喋る事が出来ない人もいる。会話が意志の疎通の全てじゃない。言葉は話さなくても、友情や愛情はある。リンゴのボードへの愛情は、普通の人が友達に向ける以上の熱量だと思う。そうじゃなきゃ、あんな調整は出来ないし、あの動きは不可能だ」
「………そうですね。その通りです。私が浅はかでした。後悔しています」
ネオンを見ると、そんな風な表情を浮かべていた。素直な人格だ。彼女の魅力の一つだろう。
リンゴのボードの調整は、簡単な事では無いだろう。速度を上げる為にパーツを変えると、ボードの全体の形や重心が変わってしまう。そうなれば、姿勢制御やループやロールの調整も変わってくるだろう。一つを変えれば、全てが変わってしまう。それを確かめる為には、エンプティに乗って、何十時間という試験飛行が必要だ。そして、ようやく自分が乗って、更に、調整を加えるのだと思う。計算通りに進む方が、少ないのではないだろうか。ゲームを創るのだって、思い通りには動かない。リアルだと、部品の劣化やパーツ交換の為に別の個所をいじる必要だってある。正しく測定するのにも、苦労するだろう。
それを、繰り返してきた。
ずっと、一人で。
だから、あの信頼関係が生まれたのだろう。
リンゴは、背もたれに深く体重を預けて、深い溜息をした。両手を上に上げて伸びもしている。なにかの作業が終わったのだろうか。
「思ったんだけど」リンゴは、ヘッドフォンを外し、椅子を回転させて、こっちを見た。「エンプティドールって、もっと大きいとか小さい方が、戦いに有利だったりするんじゃないの?」
「あっ。それは、私たちも話しました」ネオンが言った。「昨日、普通の敵しか攻めて来なかったからです」
「そうそう、もっと、悪って感じのやつが来てもいいのに」リンゴが言った。
「なんで、悪人が悪人の姿をしてるの?」僕は言った。「普通、悪人は、一般人に紛れるんだ。そうじゃないと、悪事を働く前に、悪目立ちしてしまうからね」
「大きいエンプティはどう?」リンゴは僕を見た。
「どの位の大きさを想像しているのかわからないけど、大きくなるにつれて、重くなるから、動きが遅くなる。急に動いたり、止まったりが、加速度的に不利になるからね。バッテリィも普通のサイズじゃ足りないから、大きな物が必要になる。結果、のろまな巨人が出来上がるだけだよ」僕は答えた。
「でも、悪って感じがするけど」リンゴが言った。
「そんなの感じたって、誰も得をしない」
「面白いとは思うけど」
「なにが?」
「例えば、十メートル位のエンプティの肩に乗って、遠くを眺めたら、楽しいと思う」
「屋敷の屋根から見ればいい」
「移動式なのが、魅力なのに」
「言っている本人が、その矛盾に気づいている」
「あっ、バレた?」リンゴは笑った。
「なにがですか?」ネオンはきいた。
「十メートルのエンプティを想像してみて。誰がメンテナンスをするの?どこに保管するの?足も大きくなるから、普通の道は歩けない。地面にめり込むかもしれないし。それなら、ボードで十分だよ。重さで直立出来るかも怪しいしね」僕は答えた。
「ああ、そうですね」ネオンは頷いた。
「じゃ、小さいのは?」リンゴがきいた。
「一メートル位のエンプティは、既に存在している。それ以下になると、手足が短くて、性能が大幅に落ちる。それに、小型化は、既存のパーツが使えなくなる限界が来る。限界以下のサイズだと、細かい部品も相対的に小さくなるから、外部から強い衝撃を受けると、壊れてしまう可能性がある。戦力にはならないね」僕は答える。
「隠密行動には、いいんじゃない?」
「エンプティである必要性がない。昆虫型のロボットは、もう既に製品化されているし、その場合は、操作方法も端末で行った方が、やりやすい。そうすれば、空も飛べるし、形も、自由に変えられる。ダイヴする必要性が無い」
「ふーん。それじゃ、エンプティドールってやっぱり、おままごとみたいな存在になってない?」
「いや、そうでもない。普通の人間の姿で十分凄いんだ。現に、人類は全ての動物を支配している。ゴリラや熊にも勝てるんだ。それだけの応用力が、人の形にはある。更に、エンプティはその人間よりも性能が桁違いに良くなっている。それだけでも、十分脅威だよ」
「手を挟みやチェーンソみたいにすれば、悪って感じがするけど」
「拘るね。でも、武器を持てばいいだけだから不要だ」
「ふーん。悪は滅びたってわけだね」
「滅んではいない。普通に見える人の中に紛れているだけだよ」




