第二章 4
暖かい紅茶に、砂糖を沢山入れて飲んだ。
甘ったるい紅茶が好きだから。というより、甘くない紅茶は飲まない。
初めて紅茶を飲んだのはいつだろう。香りがとても強かった。なのに、飲んでみると味はお茶なのだ。紅茶やコーヒーが好きな人は多いが、その割には、そういう匂いのアロマなどは、どこにもない。僕は、どちらも、それほど好きではない。どうしてもそれが飲みたい、と思った事は一度もない。今、紅茶を飲んでいる理由は、賞味期限が迫っている事を、イオが教えてくれたからだ。
結局、あの後、敵が来る事はなかった。安全の為に、シェルタの中で眠ってはどうかと、リンゴに提案したが断られた。でも、夜はラムネがいるので安心だ。この安心とは、敵の襲撃があった際に、引きずってでもリンゴはシェルタに収容される事になる、という意味だ。
イオに予定通りにいったかと尋ねたら、「完璧です。褒めてください」と言われた。
「頭があったら撫でてあげるよ」と返しておいた。
今日の収穫は、双方の戦力が大まかに図る事が出来たことだ。明日以降は、敵の武装がより一層強化されるだろう。マツリノ氏に、対応策があるのかは、不明。
敵のエンプティパイロットが、ブラウンだったことを思い出した。
ブラウン・シュガーが、暗殺を行っていたなんて考えられない。どちらかというと、表舞台で人気を集めているからだ。確か、素顔をネットに晒していて、密着取材などにも応えていたはずだ。生身の顔もいい事から、人気のあるパイロットだ。男性で歳はネオンと同じで、二十歳だったはず。世界ランカになったのは、数年前からだ。エンプティパイロットは、若い程、有利だ。特に、歳を取ってからダイヴするよりは、子どもの時からダイヴしていた方が、成長速度が速い。
彼は、アメリカのエンプティを愛用していて、その製品開発にも携わっている。暗殺なんてスキャンダルは、マイナスでしかなく、損失の方が大きいはずだ。そこが、よくわからない。なにか別の目的があったのだろうか?
勿論、エンプティでだが、何度も会ったことがあるし、話したこともある。そんな事をするとは思えないが、他人とはそんなものなのだろう、とも思う。
甘ったるい紅茶を飲んだが、もう、とっくに冷めていて、底の方に砂糖が沈んでいた。
ネオンから、食事の誘いがあった。まぁ、想定内だったので、了承した。どうせなら、明日の予約もしておけばいいのだが、もしかしたら、食事どころではない事態になっているかもしれないので、お互いに遠慮しているのだろう。死体なんて見たら、食欲が無くなってしまうかもしれない。
「システムへの侵入はどう?」僕は、イオに言った。
「不可能です。物理的に接続するしかありませんが、現実的ではありません」
「それじゃ外部のサポートには頼れないか」
「その様です」
「便利だったんだけどね」
「痕跡を残してしまうよりは、安全側です」
「それでも、もしもがあるから、備えておいた方がいいかなって」
「ミルクティはいかがですか?」
「えっ?そんなに、期限が近いの?」
「いいえ。期限はあと三か月後です。ただ、話を逸らしてみました」
僕は笑ってしまった。
「今のは、面白いね」
「タイミングを、十分考慮したつもりです」
「うん。そうだね」
「ネオンさんが来ます」
僕は頷いた。
イオは、僕の体温や心拍数や口調や声や表情などから、分析したのだろう。その結果、僕が思い詰めていると判断した。だから、気を紛らわせたのだ。ホントに優秀なパートナだ。
ドアが静かに開いた。
「こんな夜中にすみません」ネオンは言った。
「昨日と一時間しか変わらないけど」
食事の為にキッチンに二人で入った。パスタにすることにして、二人とも、好みの味を選んで温めた。ネオンは炭酸のドリンクを飲むようだ。僕は、紅茶にした。
テーブルについて、二人で食べ始めた。
「絶対に合わないですよね」食事中にネオンが言った。少し眉を寄せている。
「なにが?」
「ナポリタンと紅茶です」
「そうかな?気にした事がなかった」
「絶対に変です」
「でも、喉の渇きは収まるよ」
「んー。私には考えられないです」
「そんな事を考える人もいないよ。なんでもいいと思うけど」
食事を食べ終え、二人とも新しく熱い紅茶を淹れて席に着いた。
「ちょっと整理してみてもいいですか?」ネオンが言った。
「まだ、してなかったの?」
ネオンは、睨みながら頬を膨らませた。少しだけチャーミングだ。
「今回の暗殺が、ムーンウォーク計画に関わっている確率はどのくらいありますか?」
「八十パーセント以上かな」僕は答えた。
「えっ?そんにですか?」
「それ以外に、マツリノ氏が暗殺される理由がない。今時、私怨で暗殺なんてあるの?」
「まだ、一定数はあります。殆どが、一緒に暮らしている、もしくは親しい間柄から、なにかきっかけがあって、殺しへと至っています」
「そんなに憎いなら、距離を取ればいいのに」
「それが出来ないのでしょう」
「ふーん。よくわからないな」
「同じ職場で、離れられない理由があるんじゃないですか?例えば、私とベルさんみたいに」ネオンはニッコリと笑った。
「……あまり、笑えないね」
「話を戻しますね」ネオン紅茶を飲んだ。「ムーンウォーク計画は日本のエンプティメーカが優勢だったのですよね。それがシンジュさんの件と今回ので、覆るのは本当ですか?」
「まず、間違いないだろうね。日本にしてみれば、大打撃だよ。資金面で優勢に立っていたからね」
「その次に優勢なのはどこの国のメーカですか?」
「ドイツかな。歴史もあるし。あとは、アメリカとか中国も」
「これまでもこんな事があったのですか?」
「さぁ、どうだろう。ここまでのはなかったはずだよ。恐らく、シンジュが健在なら、今回のも無かったかな」
「でも、遺産を相続した人が、同じように投資するかもしれません。それでは意味がないのでは?」
「シンジュの場合は、表向きには、相続人がいなかった。結果的には、シンジュの遺書に従って、宗教団体に全額寄付された。でも、実際は、孫のアミダに相続税無しに渡った。アミダは、立場上投資するわけにもいかないから、なにもしていないね。今回は、リンゴが全額相続するんじゃないかな。ムーンウォーク計画に興味がある様にも見えないけど」
「キンギョさんは、恋人に遺産を相続するとは言っていないのですか?」
「恋人?へぇ、考えてなかった。そんな人、いるの?」
「いえ、知りません。でも、あれだけの財産があれば、遺産目当てと考えるのが妥当です」
「まぁ、そうだろうね。文字通り、桁が違うからね」
「特に、遺産を誰かに渡すという話が無いのなら、リンゴが怪しくなりますが、今回の護衛の依頼人がキンギョさんなので、その線も薄そうですね」
「まぁ、ムーンウォークが関係しているのは、確かだと思うよ」
「そういえば、キンギョさんと対面した時に、ムーンウォーク計画のホワイト・ベルと言っていましたが、あれはなんですか?」
「ああ。それは、メーカが日本に決まれば、僕がその専属のパイロットになっていたということだよ」
「えっ?それは、どういうことですか?」
「ムーンウォーク計画の初期段階は、月に簡易のステーションとジェネレータとエンプティを送り込むんだ。その時に、一番初めにダイヴして、挙動を確かめたり、整備するのが、主な役割だね。そのまま、施設を拡大して、多くのエンプティを送り込んで、その後に、一般の人が月面のエンプティにダイヴ出来る様になる。その開拓を任せるのは、最初は一人のパイロットなんだ。月面のステーションで充電出来ずにスリープしてしまったら、他の誰かがバッテリィを充電する事も出来ないからね。勿論、予備のエンプティもいるけど、それにダイヴするのも、最初にダイヴして、僅かにも経験がある人物となる。だから、ムーンウォーク計画の専属パイロットが、一人だけ選ばれる」
「そんな計画がもう決まっていたのですか?」
「まだ、正式な決定ではないけど。勿論、国内で試験もあった。ただ、僕よりも適任者がいなかったという事になる。そして、パイロットがいるというのも、選考の材料になる。日本は、パイロットが僕で、資金面も問題なく集まろうとしていた。シェアは少ないけど、高性能なエンプティを作るだけの技術もあるから、シンジュの件さえなければ、ほぼ決まっていたんだけどね」
「へぇ、凄いですね。それじゃ、暗殺を依頼したのは、他のメーカの関係者ですか?」
「さぁ、どうだろう。依頼者の身元がわれる事なんてないだろうから、探しても無駄だと思うけど」
「選考って言いましたけど、各メーカが好き勝手に開拓したら駄目なんですか?」
「それは許されていない」
「誰にですか?」
「天才がいるんだ。その天才は、月面で別の計画も考えているらしい。好き勝手に開拓して、汚されると、その計画に支障をきたして、天才の機嫌を損ねる。全てのエンプティメーカは、その天才に逆らう事が出来ない」
「どうしてですか?」
「エンプティの専用端末を作ったのが、彼女だからだ。専用端末は、その天才が独占している。エンプティは作れても、専用端末だけは、どこのメーカも製造出来ない。機嫌を損ねたら、エンプティはただの人形になる」
「それって、この前話していた、眠り姫ですか?ララバイシステムも作った」
「そう」
「凄い話ですね。初代エンプティを創った天才は、確か別の人でしたよね?」
「うん。ミクだね。同年代で、仲がいいらしい。エンプティ関連の事業で成功している人は、この二人のどちらかと関わっている事が多い」
「前回のシンジュさんもそうでしたよね。キンギョさんはどうですか?」
「繋がりはあると思う」
「ホントに天才なんですね」
僕は頷いた。
「今日は敵の襲撃がありましたけど、思ったよりも、普通の敵なんですね」ネオンは、紅茶を飲んでから言った。話題が一瞬で変わったようだ。
「なにを想像していたの?」
「もっと、異形のロボとかが、攻めて来るのかと思いました。あとは、光学迷彩とか」
僕は思わず笑ってしまった。
「兵器は専門じゃないの?」僕はきいた。
「違います」
「異形のロボがいないわけじゃない。昔から、工場なんかでは、当たり前だよ。でも、兵器としては活用されないね。僕も専門じゃないから、詳しくはわからないけど、装甲や関節の可動域、あとは重量や地形など、色々考えると、シンプルな恰好の方が、応用が利くんだと思う。人を排除するだけなら、銃を装備したドローンで十分だから、ロボが排除する対象は、エンプティかロボのどちらかになる。無人でいいならコンパクトになるし、人を移動させるなら戦車みたいな形になる。どちらも、昔からそんなに変わっていないね」
「そうですよね。大昔の世界大戦から、兵器は進歩していませんよね」
「一番の違いは、武器の中にコンピュータが入って賢くなった。でも、大きくは変わっていない。あとは、広範囲に殺傷能力の高い兵器は開発されているだろうけど、今回の様な暗殺には向かないし」
「でも、ベルさんがやってた、石を投げるのって原始的過ぎませんか?」
「相手によるけど、有効だよ。武器を運ぶ必要もないし」
「なんというか、もっとすごい兵器が来るのかと思いました」
「あるにはあるだろうけど、金銭面とかも考慮すると、儲け分が減ってしまうからね。出来るだけお金をかけずに済ませたいんだと思う」
「世知辛いですね」
「世知辛い?」
「それじゃ、エンプティってもっと奇抜な体のは、ないんですか?」
「奇抜って例えば?」
「翼が生えているとか、腕が四本あるとか、指が二本多いとかです」
「それは…奇抜だね。翼はそんな衣装があるはずだけど」
「いえ。羽ばたく事が出来るやつです」
「技術的には羽ばたくことは出来る。でも、空は飛べないかな。グライダみたいに、ゆっくりと滑空する位なら出来るだろうけど。でも、ボードに乗るとか、そういう滑空する服で代用出来るから、わざわざ体から生やす必要がない。なにより、重くて邪魔になる」
「カッコいいですけどね」
「そうかな?」
「指はどうですか?」ネオンは自分の指を握ったり開いたりした。
「指が増えたってどうするの?邪魔だと思うけど」
「そうですか?あればある程いいと思いますけど」
「ホントになにをするの?」
「楽器を弾く時に有利なんじゃないですか?ピアノの鍵盤の数だけ指があって、全て同時に指が届けば、天才ピアニストになれるかもしれません」
「そんな、ニッチな才能はいらないだろうけど。まぁ、幼少の頃から、ずっとその体で演奏を続ければ、出来なくはないかな。でも、二人で弾けば足りるだろうし、一人でもコンピュータでどうとでもなる。なにより、日常生活に支障をきたすし、音が多ければいい音楽になるわけでもないし」
「それじゃ、腕はどうですか?絶対便利だと思います」
「腕を増やす構想は実はあったんだよ」
「えっ?本当ですか?」
「まぁ、メーカの企画もそれ位思いつくからね」
「やっぱり、便利ですよね。それで、なんで実用化されなかったんですか?」
「理由は幾つかあるけど、まず、人間がその新しく増えた腕を、上手く使いこなせない、というのが一番の理由かな。人って器用な様に見えて、複数の事を同時には出来ないから。例えば、コップを二つ両手に持っている時に、残りの二本でテーブルを拭いたり、椅子を四脚同時に運んだりは出来るけど、それ位の実用性しかないんだ」
「そんな事ないと思います。なんですか?その宝の持ち腐れみたいな使用方法は」
「いや、実際にやってみると、そうなるもんだよ。腕じゃなくても、人間は、マルチタスクにあまり向いていない。頭のいい人なら、思考を分散させる事が出来るけど、普通の人は、一つの事しか集中出来ない。視点だって、ピントが合うのは一点だけだし、話を聴くのも一人としか出来ない。腕が増えても、文字通り絡まるだけだろう。だから、二本の手で、なにかを持ち上げて、残りの二本で、いつもと同じように作業をする、それ位しか使えなかったんだ。でも、そんな事をしなくても、道具を使えばいい。小さなものなら、ベルトやポケットに収納しておけばいいし。人間の腕は、ずっと二本だったから、二本でも足りる様に、家や道具もデザインされている。殆どの物が、両手で届く範囲に収納されている。もし、人間の手が五メートルもあったら、家の天井は、もっと高くなったはずだよ」
「うーん。まぁ、そうかもしれないですね。でも、日常生活でも、あと腕が一本欲しいって時ありますよね。食器を下げる時も、お盆がなければ、二往復しなければならないとか」
「確かに、そういう時に、あれば便利かもしれないけど、マイナスの方が大きいんだ。例えば、残りの二本の腕が、脇の下から生えているとする。食器を下げる時は、便利だろうけど、その後の時間が不要となる。だから、その生えた腕の基本姿勢は、体に巻き付く様に、なっているだろうね。そうじゃないと、人や物にぶつかってしまうから。でも、基本的に使っていない時間の方が多くなる。それに、本来人間は、二本の腕だって、使っていない時が殆どだ。腕を組んだり、ただ、ぶら下げていたりと、手持ち無沙汰になっている」
「バランスはどうですか?歩く時は、腕を前後に振りますよね。細い道を通る時に、両手を広げたりします。腕が増えたら、更に、バランスが取りやすくなるんじゃないですか?」
「それは、そうかもしれない。綱渡りをする人が、長い棒を持っているのと同じだね。でも、普通の人でも、地面に書かれた白線の上を歩く事が出来る。白線の長さが、何百メートルだろうが、簡単に出来るだろう。でも、これが、同じ幅でも十メートルの高さにある鉄骨を渡るとなると、途端に出来なくなる。恐怖心があるから、本来のパフォーマンスが出来ないんだ。でも、エンプティなら、恐怖心はあるだろうけど、自分が死ぬわけじゃない。痛みも一切感じないし、アシストで受け身も取ってくれる。なにより、自分の体じゃない。仮想現実やゲームなら、車で危険な運転が出来る人もいるだろう。エンプティに備わっているこの機能が、恐怖心を緩和しているから、腕がなくても、バランスを取る事が出来る。それに、細いロープを渡るには、腕の本数じゃなくて、試行回数とセンスが重要になる。元々、人類は、進化の過程で尻尾を不要と判断したんだ。今更、腕を増やしても、邪魔になるだけだよ。それよりも、質量が重くなるので、その分、俊敏性が劣る。なによりも、美しくない。その異形を、人が美と判断出来ないだろう。その二つのマイナスが決定的となり、実用化はされなかった」
「それじゃ、ロボならどうですか?」
「それなら、昔からあるよ。アームが沢山あるロボットは、普及している。コンピュータが管理すれば、効率的に動く事が出来るからね。でも、それは、工場での決まった動きしかしない場合に限る。予めパターンを決めて、その通りにしか動かないんだ。だから、兵器として作り出しても、パターンを分析してしまえば、簡単に排除出来る。エンプティの場合だと、アシストなんかも、それにあたる。転んだ時に、コンピュータが判断して腕や足を使って、受け身を取ってくれている。だから、腕を増やして、その腕のコントロールをAIに任せるというのは、可能だろう。でも、どの程度、便利になるのかは、わからないし、兵器として、有効なのかも、疑問かな」
「んー。それじゃ、異形の兵器なんて、夢のまた夢ですか」
「どんな夢を見てるの?」




