第二章 2ー1
昨日と同じ体にダイヴした。
カプセルから出て、体を確かめる。充電は満タンみたいだ。
部屋の外に出ると、黒のワンピースを着たエンプティが、すぐ近くに立っていた。今は、ラムネがダイヴしているエンプティだ。
部屋を出て左側、この広い廊下みたいな空間の南側には、コの字型のソファが、三面の壁に沿う様に置いてある。その右の角にリンゴとナツさんが座って、チェスをしていた。端末ではなく、物体としてチェス盤と駒がある。ガラス製で高級そうだ。
「なにかあった?」僕はラムネに直接きいた。
「ない。起きるのが思ったよりも早かった。朝食を食べて、シャワーを浴びた。そのどちらかで薬でも打ったのか、元気に話しかけてくる」ラムネも直接答えた。
「そう。良かったじゃん」僕は、笑顔を見せてあげた。
「そっちは?」
「当初の予定通り」
「そう。後悔する事になるだろうけど、気に病む事はない」
「なに?それ」
「アドバイス」
「ふーん」
「どうしようも無くなった時は、『ルビィ家の勅令』とケンゾウに言えば、手伝ってくれる」
「えっ?それはなに?」
「でも、使わない方がいい。それが君の為になる。最後の手段だし、その前に諦める事を勧める」
「どうしてケンゾウさんなの?」
「最後に、ここの警備システムのカメラ映像が、見える様になった」ラムネは話題を変えた。
「えっ?ホント?」
「うん」
「もっと早く言うべきだと思う」
「一分八秒遅れた。取り返しがつかない?」ラムネはこっちを見て、悪戯っぽい笑みを浮かべた。「それじゃ」
ラムネは目を閉じて動かなくなった。離脱したのだろう。
ルビィ家とは、ルビィ一族の事だろう。ドイツのエンプティメーカの代表であるルビィ・スカーレットが有名だ。ドイツのエンプティメーカは、ボードでも人気で、ボードのシェアを殆ど独占状態だ。ムーンウォーク計画では、日本の次に有力候補となっている。
ラムネもルビィ一族だと、シンジュと会った時に発覚した。
ルビィ一族には、ドイツの家系と日本の家系がある。昔、二つの国の貴族同士が結婚して子どもが出来たらしい。その子どもたちが、日本とドイツに別れて生活した。長い年月を掛けて、その子どもたちは、それぞれの国で血を濃くしたらしい。これは、噂程度だから、正しいのかは知らない。スカーレットはドイツの家系で、ラムネは日本の家系なのだろう。
それと、ケンゾウさんになんの関係があるのか?
僕は、リンゴとナツさんのチェスを眺めていた。二人がいる部屋の南側の壁には、窓があるから、護衛には向かない場所だ。窓側の壁にナツさんがいて、リンゴは、西側のソファに座っている。チェスがしやすい様に、テーブルを角に移動させている。チェスは、まだ序盤のようだ。
リンゴは、こっちを向いて、僕と空っぽのエンプティを見比べた。
「ベル?」リンゴは、駒を動かしてから言った。
「うん」僕は頷く。
「そっちの人はいなくなった?」リンゴは、黒のワンピースのエンプティを見ている。
「もう離脱したよ」
「その人って、いつもああなの?」リンゴは駒を動かしながら言う。
「どうだったのかは知らないけど、たぶん、いつもああだよ」僕は、少し笑ってしまった。
「怒ってなかった?」
「いつも、寝不足なのかも」
「まっ、いっか」リンゴの手が止まった。
僕も、不思議に思った。ナツさんが奇妙な手を打ったのだ。二人ともテンポ良く打っていたが、リンゴが顔を顰めた。僕には、ナツさんの手の意味がわからなかった。一手無駄にしただけだろうか?
隣のエンプティが動き出した。周りを見渡している。
「ベルさん?」こっちを見て、エンプティが言った。
「うん」イントネーションでネオンだとわかった。
「おはようございます。ネオンです」ネオンは、リンゴとナツさんに挨拶した。
「おはよ」リンゴは、駒を動かして挨拶した。
「おはようございます」ナツさんは、わざわざ立ち上がってお辞儀をした。
「私たちがいなかった間に、なにかありましたか?」ネオンは、小声できいた。
「メモの中に、ラムネが記録してくれている。あと、警備システムのカメラ映像も見えるようになったらしい」僕は直接言った。
「へぇ、そうなんですね」ネオンも直接答えた。
ネオンは、指を空中で動かしている。初心者のエンプティらしい行動だ。
「昨日のというか、今日ですけど夜中に侵入者がいたみたいですね。でも、見つかってそのまま逃げてます。午前三時だから、時間外のはずですけど」ネオンは直接言う。
「そうみたいだね」
「ポパイさんからの連絡も無いですね」
「うん」
「チェスですね」ネオンは、声に出した。「私、ネット対戦でやった事があります。一番上のランクまで行きましたよ」
リンゴがネオンのセリフに反応した。でも、そのまま手を進める。
「二人とも、かなり上手みたい。僕より全然上だ」僕は、二人のチェスを見ながら答える。
「ベルさんもチェスやるんですか?」
「動かし方を知っている程度かな」
リンゴとナツさんのチェスも終盤戦になった。二人とも頭の回転が速く、数秒の思考の後駒を動かしている。その選択が秀逸で、動かした後にしばらく考えると、なる程、と思える手だ。どちらが勝つかわからない。
ナツさんが仕掛けた。リンゴは、最適解と思える手で防ぐ。それが数手続いた。そして、リンゴの手が止まった。盤上とナツさんを見比べている。まだ、詰んではいないと思う。
「いつから?」リンゴは、ナツさんに言った。
「初めからです」ナツさんは、平然と答える。
「もー。えっと、それじゃ、十二手前で、クイーンがこっちに動いたら?」リンゴは、盤上に指さした。
「それなら、その九手後に、お嬢様は詰みます。私は、こう動くだけですので」
「ああ。そっか。んー。負けました」リンゴは、ぐちゃぐちゃに混ぜたカレーライスを見た様な顔をした。
「はい」ナツさんは、座ったまま、悠然と頭を下げた。
僕は、盤上をジッと眺める。しばらく考えて、数手先で、リンゴが負けるとわかった。その敗因が、序盤の辺りで、ナツさんの動かした、無意味と思われた手が絡んでいる。十二手前の、クイーンやその後のナツさんの対処法についても考えた。やはり、リンゴが負けるようだ。
「あー。また、負けた」リンゴは、眩しそうに目を細めて窓の外を眺めた後、こっちを見た。「ベル、チェス出来る?」
「今のを見てたけど、僕が下手過ぎて、相手にもならないよ」
「それでもいいよ」リンゴは獲物を見つけた悪い目をしている。
僕は、首を横に振った。
「ネオンは?」
「私は出来ます」ネオンは答えた。
「じゃ、やろう。やろう」リンゴは手招きをした。
ナツさんは、立ち上がり、ソファを回って僕の近くに来た。ネオンは、ナツさんが来るのを待ってから、ソファの角に移動した。ソファとテーブルがあるので、すれ違う事が出来ないからだ。
ネオンとリンゴの対局は、リンゴが勝って終わった。ネオンも十分に上手い打ち手だったが、リンゴの方が上手だった。
「あー。スッキリ」リンゴは、上機嫌に笑っていた。素直な性格だ。微笑ましい。
全員で一階に下りて、リンゴの部屋に入った。ナツさんだけは、部屋の中には入らなかった。リンゴはヘッドフォンを付けて、作業を開始した。
しばらく経った後、突然、モニタに緊急事態の文字が表れた




