第二章 1
目が覚めたけど、頭は働いていなかった。
私は基本的に夜型だし、朝は起きていない事も多い。脳を覚醒させる為にシャワーを浴びた。そういえば、リンゴも夜はお風呂に入っていなかった。タオルである程度拭いた後に、Tシャツだけ羽織って、キッチンへ向かい、グラスにジュースを注いで半分程飲んだ。体はまだ濡れているが、部屋の中はラムネさんに監視されているので、裸で動き回るわけにもいかない。室温は常に、薄着でも快適な温度に保たれている。
体が完全に乾いてから服をちゃんと着て朝食を食べた。昨日は、結局午前四時頃まで起きていた。あとちょっとで、仕事の時間だ。
少しだけ憂鬱だ。
その理由も、昨日考えていた。
私には、リンゴを護衛するだけの能力がない。それなのに、信じられない程のお金が、私の手元に入る。私には、受け取る資格が無いだろう。ベルさんなら、これくらいの額でも、妥当なのだと思う。世界ランカを何十時間も拘束して、また、その能力が必要な依頼だからだ。ラムネさんも、パイロットとして相当な腕前らしい。ベルさんは、自分より上だと言っていたが、たぶん、それはない。でも、プロのパイロットくらいの腕はあるのかもしれない。
だとしたら、やっぱり、私だけが役立たずだ。だから、私の報酬を減らして欲しい。そうラムネさんに提案したが、受け入れられなかった。
達成感もなく、強制的に莫大なお金が貰える。罪悪感があるし、気持ち悪い。ベルさんは、気にする事はない、と言っていたが、気にしない人なんていないだろう。
この組織に来る前、とある男性から、ブランド物のバッグをプレゼントされた事がある。私は、貰う資格がないと断ったが、自分の気持ちだと聞き入れて貰えなかった。その後、彼と会う時は仕方がなく、そのバッグを使う事にしていた。でも、そのバッグは、持っていても、好きにはなれなかった。上品で私の好きなタイプのバッグだったのに、普段から使おうとは思えなかった。申し訳なくて、気持ちが悪いのだ。好意を素直に受け取れない。
でも後で、その男性は、私の裸を見て、触りたいのだとわかった。その為に、バッグをプレゼントしたのだとわかった。彼なりの筋道がわかり、多少はスッキリとした。そんな為にバッグをプレゼントするなんて、随分と遠回りな気がした。勿論、断ったし、バッグもその場に捨ててきた。私の手元からバッグが無くなって、詰まっていたものが解消されたのを覚えている。
今回の報酬も、あの時のバッグだろうか?
だとしたら、私に、なんの要求があるのだろう?
バッグを身に付けて欲しいのか?
役に立たない護衛が欲しいのか?
きっと、私が、期待に応えてくれる人だと誤解しているのだろう。
だから、騙している事になる。
その罪悪感があるのだ。
溜息をついて、思考を切り替えた。
眠る前に調べた事を思い出した。主に、マツリノ・キンギョについてだ。
彼は、裕福な家庭に生まれたが、親の仕事を引き継ぐ事はせずに、自ら事業を立ち上げた。彼が世界的な大富豪と呼ばれる事になったのは、バッテリィを開発したからだ。既存のバッテリィとは性能が桁違いで、小型化に成功し熱も抑えられている。まさに革新的な躍進だ。
彼が生み出したバッテリィは、エンプティにも使われているし、車やドローンやボードや家電に至るまで、世界中に浸透した。その規格がスタンダードとなった。エンプティに至っては、彼のメーカのバッテリィが八十パーセント以上のシェアを誇る。残りは、彼が公開している規格を、少し安い価格で作ったメーカのバッテリィが使われているが、それは安価なモデルのエンプティにのみ、使用されている。
車もエンプティのバッテリィとは規格が違うが、彼の会社が作ったバッテリィだ。これも、約四十パーセントのシェアを誇っている。ドローンやボードは、九十パーセント以上が彼の開発したバッテリィを利用している。
圧倒的な性能の良さと、彼のプロモーション能力の高さが、それを可能にした。エンプティの世界ランク第一位を使ったプロモーションは、今でも広告の最高傑作だとされている。
キンギョさんを、何度か動画で見た事はあるが、実際に会ったのは、昨日が初めてだ。印象としては、凄みがある。言葉に重さがあり、落ち着いている。流石の貫禄だろう。でも、あまりいい印象ではない。どちらかというと、マイナスだ。
ベルさんは、スキャンダルが多い人だと言っていた。彼について調べる内に、それらしい記事もいくつか見つかった。
彼は、一度も結婚をした事がなく、また、パートナもいない。ただ、女性関係には噂が絶えない人とあった。何十人もの若い女性との間に関係があり、とっかえひっかえに、次々と屋敷に招いて、手を出したようだ。
確かに年齢の割には、若くて見えて、元気のある人物だった。顔も悪くないだろう。でも、それ以上に、使いきれない程のお金を持っている。推定総資産の桁が、数え間違いじゃないかと、何度も確認する程だ。何千億から兆という資産だ。どうして、これだけの資産が、個人に集まるのだろうか。それだけの資産を持っているだけで、確かに魅力に感じる人は多いだろう。
マツリノ・キンギョが手を出したとされる女性の年齢は皆若く、二十代前半が殆どで、たまに十代後半の人もいたようだ。彼の所有している屋敷に出入りする女性の動画が、いくつもあった。年齢を重ねて、一般的には老人と呼ばれる六十代や七十代を超えても、それは変わらなかった。
そんな大富豪が、突然、養子を引き取った。それと同時期に、表舞台に現れることは殆どなくなり、幾つもある別荘で隠居生活を送っているとあった。元気な老人も子育てには手を焼いたのだろう。その養子が、リンゴだ。
大富豪が突然養子を引き取ったので、当時は、スキャンダルとなった。死期が近づいたので後継者を選んだ、というのが一番妥当な推察だとされていた。普通に考えればそうなるだろうが、下品な噂も面白おかしく書かれていた。
つまり、リンゴの性別が女性なのが重要だと、書かれていた。外に情報が漏れない様に、敷地内に閉じ込めたのだと。小さい程、洗脳がしやすいのは、宗教が示している。
あくまで、噂だ。
昨日、見た感じでは、そんな関係性がある様には見えなかった。でも、リンゴの様子が、いつもと違っていたのも事実だ。リンゴは可愛くて魅力的だ。でも、自分の子どもに手を出すだろうか?
血は繋がっていない。
それが、関係あるのか?
キンギョさんの暗殺の噂については、それらしいのはなかった。大富豪で、城と警備を備えているので、そんな記事も見つかったが、それは、今回の件とは関係ない、昔の記事だった。
でも、彼を恨んでいる人はいるだろう。彼が稼いだ分、競争に敗れた人は、苦労する事になる。逆恨みだ。でも、そういう人がいるのを、知っているから、彼は自分の城を築いて、警備システムを作り上げたのではないか?
ベルさんの話では、今日から暗殺が始まるらしい。暗殺の依頼が、どうやって決められているのかは知らない。でも、人の命を奪うのが、あんなゲームみたいなものだとは思いもしなかった。
被害者がマツリノ・キンギョ、ただ一人であって欲しいのだろう。
それを望んでいるのは、どこの誰なのだろうか?




