第一章 14
リンゴの屋敷まで戻って来た。
大人しくなったリンゴは、自分の部屋に戻って、ヘッドフォンを付けて端末を操作した。ナツさんは部屋には入らなかった。僕とネオンがリンゴの様子を眺めていた。途中で僕とネオンはトイレ休憩を挟んだ。
時間が過ぎてリンゴは夕食を食べた。ケンゾウさんやナツさんと一緒に食べる事はないようだ。部屋に戻った彼女は、ずっと端末をいじっていた。モニタを覗いた限りでは、なにかを作っているか、データを移しているみたいだ。ずっと見ていたわけではないので、詳しくはわからない。夕食後の彼女は元気が戻ったのか、ネオンと話をしていた。内容は日常的なものから、プログラミングやヴァーチャルに関する事まであった。ネオンもネット関係には強いらしいので、話し相手には丁度いいのだろう。
午前一時を過ぎた時に、リンゴは、部屋の奥へ行き、洋服の上にダイヴした。服の下には、ベッドが隠れていた。
ネオンが離脱して、黒のワンピースを着たエンプティは空っぽになった。
直立のまま目を閉じている。しばらくしたら、そのエンプティが僅かに動いて目を開けた。周りの様子を観察して、僕と目が合う。握手をして識別コードを確認した。ラムネがダイヴしたようだ。
僕はこれまでの状況をラムネに説明した。勿論、寝息をたてているリンゴを起こさない様に、空気を振動させずに喋った。
マツリノ氏がこちらの提案に乗らなかったことや、ポパイの身に起きたこと。僕とネオンの見聞きしたことを、共有した。
一応、これで僕の一日の仕事は終わりだ。ポパイがダイヴしていたエンプティは、地下シェルタの中に保管してある。そうすることで、電波からもネットからも遮断されるので、壊されたエンプティにアクセス出来なくなるからだ。
全ての説明を頷く事もなく聴いていたラムネは、最後に僕を見た。
「悪い人」ラムネはそう言って、僅かに微笑んだ。
僕は二階のカプセルに入った。垂直型カプセルは鑑賞用と充電とメンテナンスを兼ねている。生身の人が入るカプセルと違って垂直なのは、直立したままでも疲れる事のないエンプティのお陰だ。横になる必要がある人間が脆すぎるのだろう。人用のカプセルは、床面積を沢山使うので、邪魔になる。このカプセルの側面には、交換用のバッテリィも備わっているが、内臓のバッテリィを充電する方が楽だ。
僕はカプセルの扉を閉じた。
僕も目を閉じる。
悪い人?
僕が?
今日、僕がやった事だろうか?
これから、僕がやる事だろうか?
その両方かもしれない。
いい人ではないだろう。
それだけは確かだ。
僕は離脱した。
………。
一瞬の浮遊感。
自分の体がどこにも存在しない錯覚。
宇宙のように広がって、体の形に閉じ込められる。
鈍くて、重い体に。
でも、それも錯覚だ。
初めから、この体から抜け出してはいない。
この体のままなのだ。
抜け出せたと、自由になれたと幻想を抱いただけ。
拳を強く握り、爪が皮膚に食い込む感触を確かめる。
この痛みが、人の証拠だ。
専用端末を外して、溜息をつく。
椅子のリクライニングを起こして、グラスを持った。でも、中身は入っていなかった。昔の自分はなにをしているんだ。バカなやつだ。
グラスにジュースを注いでそれを飲み干した。
立ち上がろうとしたけど、貧血の様な症状が出たので諦めた。これが僕の体だ。立ち上がるのも、自由にならない。
「イオ。今はどうなってる?」僕は言った。
「いい感じに、順調です」イオはすぐに答えた。
「誰が教えたの?そんなこと」僕は少し笑った。
イオが部屋の照明を少し明るくした。少しだけ元気が出たかもしれない。
モニタに記事が表示されている。僕がダイヴしていた間の情報で、イオが優先順位の高いと判断したものを見せてくれているのだ。どれも、興味のある内容だった。
「全部後で見せて」僕は言った。
「ネオンさんから、連絡がありました」イオが教えてくれた。
「十分後に」
一息ついてトイレから戻ってきたら、ネオンが入ってきた。
僕の部屋の壁にドアが二枚あり、左側にネオンが右側にラムネが住んでいる。ネオンとラムネの部屋は接しているはずだが、行き来する扉はなく、僕の部屋を経由するしかないらしい。僕は二人の部屋には一度も入った事がないから、本当のところはわからない。ネオンたちの部屋のドアがある対面の壁には、キッチンやトイレや浴室がある。これは僕のプライベートなものだが、普段は夕食をラムネと食べるので、ラムネは夕食の時だけ僕のキッチンを使っている。ネオンがこの組織に入ってからは、三人で夕食を食べている。ブラックボックスがあるのは、このキッチン側の壁の角だ。
ラムネの部屋が左手、キッチンを右手に見た時、正面の壁の左端にこの部屋で一番大きなドアがある。そこが、外へと繋がる通路へのドアになるのだが、内側からは開く事はない。パスワードが必要になるが、僕もネオンもそのパスワードを知らない。つまり、組織によって軟禁されている状態だ。ラムネは、組織の上層部と繋がっていると思われるが、彼女から組織についてききだすのは、不可能に近い。
「結構疲れましたね」ネオンは言った。「夕食を一緒に食べませんか?」
言われて、空腹だと気付いた。午前十一時からダイヴして、今は、午前二時前だ。朝食も食べていなかったかもしれない。
「そうだね」僕は頷いた。
「こんなに働いたのに、ラムネさんのご飯が食べられないなんて、最悪です」ネオンは眉をしかめた。
ラムネは、料理を趣味としているらしく、かなり凝ったものを作る。それがとても美味しいのだ。
「もっと悪い事はあるよ。世の中には」僕は呟く。
「言葉の綾です」
「なにか手伝う事はある?」
「いえ。温めて器に入れるだけですから」ネオンは僕のキッチンに入って行った。
温めて器に盛られた料理を、ネオンとテーブルに運んだ。和食料理だった。でも、僕は和食の定義を知らない。肉じゃがか、焼き魚か、味噌汁があると和食と呼んでいる。テーブルには、そのうち二つが並んでいた。白米もあったので、より和食感があったのだろう。離脱した後に飲んだリンゴジュースが残っていたので、食事中に喉が渇くとそれを飲んだ。とっくに温くなっているが、飲めない事は無い。
僕たちは大きなテーブルを向かい合って食べた。どの料理もとても美味しいと思った。二人ともあっと言う間に平らげた。元々、量が少ないのもある。食事中は特に会話もなかった。食器をキッチンに下げに行くと、コーヒーと紅茶が丁度出来上がっていた。イオが料理の減り具合を見て、勝手に作ってくれたのだ。
「イオちゃんは賢いですね」ネオンはカップの中身を見て言った。「指示、出してないですよね?」
「うん」
「私のAIは指示を出さないと作ってくれません。初期性能の差ですか?」
「まぁ、それもあるかな。後は、僕はここが長いし、同じような事しか繰り返していないから、学習しやすいんだと思う。僕の行動は簡単に予測がつくって事だね」
テーブルに戻り、また、向かい合って座った。お菓子がいくつもテーブルの上にあった。コーヒーの香りを楽しんで、一口だけ飲んだ。
「ポパイさんの件をどう思いますか?」ネオンはお菓子を飲み込んでから言った。
「どうも思わないよ」
「屋敷に侵入してから排除したのか、排除してから屋敷に運んだのか、どっちだと思いますか?」
「カメラには誰も映っていなかったらしい。だから、犯人は、警備システムに関する情報を知っているか、カメラに映らない様に、位置を気にしながら慎重に動いた事にはなる」
「情報が漏れている可能性もありますよね」
「そうだね」
「エンプティを切断していましたけど、あんなこと簡単に出来るものですか?」
「プロのパイロットや世界ランカなら出来るよ。普通の人には難しいかも」
「どう難しいんですか?」
「切断するには関節を狙う必要があるんだけど、狙ったポイントに狙った角度で正確に攻撃する必要がある。少しでもズレると切断は出来ないからね。相手だって好き勝手動くから、その予測も必要になるし」
「わざわざ切断した理由はなんですか?」
「戦闘能力を排除するのが目的だと思う。あの現場からわかるのは、それくらいかな。両足を切断しても、両手で逆立ちして歩く事が出来るから、四肢を切断した。目を貫いたのは、瞳の奥にあるレンズとセンサを破壊する為だね。四肢を切断されたエンプティにダイヴされて、映像を記録されるのを防いだ。首の下の記憶媒体を壊したのは、その記録を見られたくなかったから。犯人には、その理由があった。だから、あの形で排除された」
「なんか、プロの仕業ですね」
「手慣れてはいるね」
「でも、それなら、外で排除して、屋敷の中に運ぶ理由は無いと思います。犯人にとってメリットがありません。エンプティを隠した方が、警戒されずに動き回れて有利ですし、発見されるのが目的なら、屋敷の中に侵入しなくても、庭のどこかに置いておくだけで、誰かは気付きます」
「うん」僕は頷いた。ネオンは、ジンノという凄腕の探偵の助手をしていた。こうやって考えるのは、その癖が抜けないのだろうか。彼女がここに来たのは、一カ月半前で、とある人探しの為に、その捜査能力を買われてここに呼ばれた。その結果、軟禁状態となったが、あまり悔やんでいる様には見えない。諦めたのだろう。
「だから、ポパイさんは、あそこで排除されたんです」ネオンは紅茶を飲んだ。彼女はコーヒーより紅茶派らしい。イオは、ネオンの分は、紅茶を淹れた。ネオンが賢いと言ったのは、彼女が一度だけ言ったそのセリフを、イオが覚えて用意していたからだ。
僕は相槌を打ちながらお菓子を食べる。
「もし、犯人がポパイさんの排除が目的の場合は、屋敷の中で行う必要はありません。彼は単独行動をしてましたから、その時にいくらでも出来たはずです。だから、犯人は、目的があり屋敷に侵入した。その結果、ポパイさんに見つかり、その場で排除したのです。自分の姿や行動を隠す為に記録媒体を壊して、ついでに、敵勢力の戦力を削いだんです。どうですか?」
「かなり面白いね」僕は素直に関心した。「犯人が屋敷に侵入した理由は?」
「キンギョさんの居場所の手掛かりを探していたんじゃないでしょうか?」
「見つかったのが、エンプティだから良かったけど、あの屋敷にはケンゾウさんやナツさんもいたから、リスクが大きいと思うけど」
「その場合は、プロってどうするんですか?逃げるんですか?それとも、関係ない人も…その…殺してしまうんでしょうか?」
「その人の性格とか目的とか契約とか行動理念によるんじゃない」
「怖いですね。そんなに不確定だと」
「そうだね」僕はコーヒーを飲んだ。「あんまり、ポパイさんの事を気にする必要はないと思う。それよりも、明日からは、リンゴの安全を守ればいい」
「そうですけど、もし、こっちの戦力を削ぐのが目的なら、私やベルさんもやられるかもしれません」
「僕はやられないよ」
「ああ。失礼しました」ネオンは笑った。「ホントに」
「いいよ」
「んー。出入りした経路も、キッチンの窓くらいしか無さそうですけど、それって、ケンゾウさんの習慣を知っている人じゃないと出来ないと思いますし…」ネオンは殆ど独り言のように呟いた。口に出す事で整理しているのだろう。
「それに、ポパイさんがあの部屋に行った理由もわかりません」
「それなら、わかるよ」僕は言った。
「ホントですか?」
「うん」
「なんですか?」
「言ってもいいけど、ポパイさんの件は、今日はもうお終いだ。それ以外の事に専念した方がいい。特に明日からは」
「…わかりました」ネオンは、真剣そうな表情を作って頷いた。
「エンプティは、バッテリィで動いている。そのバッテリィの性能は、三日三晩、エンプティが動き続ける程だ。ポパイさんがあのエンプティにダイヴしたのは、三日前。そして、あの部屋の、垂直型カプセルの側面には、交換用のバッテリィが置いてある。彼の勤務時間は、日の出ている時間帯だから、あの時間帯にバッテリィを交換しに行ったのだと思う」
「えっ。それじゃ、ポパイさんは、かなり無防備な状態だったんじゃないですか?」
「そうだね」
「だから、犯人は、あの部屋で待っていたんだ」
「この話はお終いだよ」
ネオンは、目を見開いて見つめてくる。少しだけにやけてもいる。興味深い表情だ。
「エンプティの事でききたいんですけど、自分でバッテリィ交換って出来るものですか?」
明らかに話しは終わっていないけど、仕方がない。
「そう設計してあるからね。体を動かすだけに専念したなら、一分くらいは走れるかな。それ以上は、完全に停止する。バッテリィを交換するだけなら、腕と脚を少し動かす程度だから、もたついても余裕で出来る様になっている」
「ふーん」ネオンは、頷いている。リンゴの口癖が影響されているが、気付いていないみたいだ。
「キンギョさんと話していた、東側エリアとか、明日から始まるとかって、なんですか?たぶん、エンプティで話さない方がいいんだと思って、ききませんでしたけど」ネオンは恍けた表情をしているが、瞳の奥は鋭かった。しっかりと標的を狙っている目だ。これも探偵の助手時代に手に入れたスキルなのだろう。
「今回の暗殺にはいくつかルールがあるんだ。まず、暗殺の開始時間が決まっている。日付だと今はもう午前だから、今日の午前六時から。それ以前の暗殺は、許されていない。あとは、マツリノ氏の敷地外での、武装や目立つ行為、武器の使用に一般人への危害を加える事と聞き込みなども禁止されている。あの三つの山の頂上を結んで、東西に分けた時、東側エリアでの一切の立ち入り、武器の仕様も禁止されている。武器の種類も、爆弾など火災に繋がるものは、禁止されているし、山の麓の街に気付かれるような大きな音や光の出る火器も禁止されている。それに、暗殺者側は、四つのグループがあり、暗殺に掛かる費用は、自己負担となっている。マツリノ・キンギョの暗殺に成功したグループにのみ、莫大な成功報酬が支払われる。だから、残りの三つのグループは、どれだけ追いつめたとしても、ターゲットを暗殺出来なければ、それまでに掛かった費用は赤字となる。最後に、ターゲット以外の人間に危害を加えた場合は、暗殺に成功したとしても、報酬が支払われなくなる」
ネオンは、持っていたカップを口に運ばずに、テーブルに置いた。
「ホントですか?」彼女は言った。
「うん」
「ゲームみたいですね」彼女は眉を顰める。
「そうだね」
「なんで知ってるんですか?」
「まぁ、色々とね」
「なんで、教えてくれないんですか?」
「その方が慎重になるし、練習になると思って」
ネオンは、眉を寄せて唇を尖らせている。
「おかしいと思わなかった?ポパイさんが配属されたのは三日前で、日の出ている時間しか勤務していない。それは、明るい時間に周辺の地理を頭に叩き込む為だろうし、僕たちが配属されたのは、昨日だ。本気でリンゴを守るなら、三日前から僕たちも雇っていたよ」
「じゃ、リンゴは、あまり危険ではないという事ですか?」
「油断はしない方がいいかな」
「だから、ポパイさんがやられたのが、異常事態なんですね」
「まぁ。そう」
「って、早速破られているじゃないですか?」
「だから、油断しない方がいいって」
「キンギョさんが殺される理由はなんですか?」
「わからない」僕はコーヒーを飲んだ。
「ムーンウォーク計画って、たしか、シンジュさんの時も言っていましたよね?」
「うん」僕は頷く。やっぱり、ネオンは鋭い。話を引き出す為に、恍ける事もあるし、こういう時の、着眼点は流石だ。
シンジュ・アカダケは、一ヵ月半前に、ネオンがここに呼ばれる原因となった人物だ。シンジュの捜索の為に、彼女はこの組織に半強制的に入れられて、半永続的に出られなくなった。
「それが関係あるんですか?」
「その計画に、シンジュもマツリノ氏も関わっていた。主に出資の面で。一人が抜けたので、残るはもう一人だけだ。マツリノ氏がいなくなれば、計画は大きく変わる事になる。たぶん、今現在、最有力とされている候補は、白紙に戻る。その結果、莫大なお金が動く事になるし、その利益を受け取る人も多いのは事実だろう」
「そんな事で、人を暗殺するんですか?」
「だから、なんとしても、阻止したい」
「…そうですね。ムーンウォーク計画って、たしか……」
「エンプティによる月面歩行計画だよ」




