フェアレディ
ゴミ捨て場に人形が転がっている。片目がなかったり、あちこちから綿が飛び出したりしたボロボロの人形だった。
ゴミ捨て場の前を老婦人が通りかかった。あまり裕福そうな身なりではなかったが、背筋はピンと伸びていて、どことなく気品を感じられる女性だった。彼女は人形を拾いあげると、持っていたバスケットの中にしまった。そしてすぐにゴミ捨て場から去っていった。
家に帰った老婦人は、さっそく人形を取りだした。注意深く様子を確認したあと、テーブルの上に人形を寝かせる。それから台所に向かい、火を起こして湯をわかす準備をした。
部屋に戻ってきた老婦人は裁縫箱を持ってきて、テーブルの上に道具を広げる。人形の補修をするためだ。布地に空いた穴を塞ぎ、取れた目の代わりにボタンをつけて、髪をもした毛糸も全部取りかえた。
作業に集中している内に、火にかけた鍋の中では、煮えたぎったお湯がグラグラと踊りだしていた。老婦人は新しく水をついでくると、用意した桶にお湯と半分ずつ入れてぬるま湯を作る。その中に補修の終わった人形をつけた。良い香りのする石けんを使って、人形についた汚れを優しく落としていく。何度か作業を繰り返すと、人形はすっかりきれいになった。綿が吸い込んだ余分な水分を乾いた布巾で取り去り、暖炉のそばに吊して干す。ゆぅらゆうらと揺れる様子は、ブランコをしているように見えた。
仕事が一段落して息をついた老婦人は、次に部屋の中を見回した。あちらこちらに古いガラクタが転がっている。見ようによってはゴミ捨て場と大差ない有様だったが、老婦人にとってはそのどれもが宝物だった。
ガラクタをかき分けて、端切れを何枚か見つけ出す。老婦人はそれらをテーブルの上に広げて「うーん」と考えこんだ。しかしすぐに明るい表情を浮かべる。端切れの一枚一枚は小さくて、ガラもそれぞれ異なっている。だが、老婦人はそれらをうまく組み合わせて、小さなドレスを縫い上げた。せっかくきれいになったのに、服がないままでは人形が可哀想だ。ドレスを着た人形の姿を思い浮かべて、老婦人は「うふふ」と楽しげに笑った。
数日後。バスケットを抱えた老婦人は、たくさんの人であふれる市場に来ていた。週に一度のノミの市だ。
広場のあちらこちらにたくさんの露店が並んでいる。隅の方に空いていたスペースを陣取り、老婦人はバスケットの中身をその場に広げた。
細かい彫刻の施された木製の絵画フレーム。かわいらしい小花や動物が描かれた陶器の皿。ピカピカに磨き上げられた馬のブロンズ像。その他にもたくさんの物を並べると、老婦人の周りは一気に賑やかになった。
「やぁ、マダム。今日も素敵な物がたくさんだね」
「そのお皿とっても気に入ったわ。おいくらかしら?」
「この小瓶はなにに使うものなんだい?」
たくさんの客に囲まれて老婦人は大忙しだ。けれども、とても楽しそうな笑顔を浮かべていた。
「ありがとう」
そう言い残して客が去っていくと、入れ替わりに別の客がやって来た。仕立ての良い三つ揃えのスーツを着た中年の紳士と、フリルがたっぷりとあしらわれたワンピースを着た十歳くらいの令嬢だった。どこかの金持ち親子が、物見遊山にやって来たらしい。
「お父様! わたくし、あのお人形がほしいわ!」
令嬢が指差した先には、ドレスを着た人形が腰かけている。すっかり見違えたあの人形だ。元はゴミ捨て場に落ちていた物だと聞いて、信じる人間はどれくらいいるだろう。少なくともこの令嬢は、そんな風にはちっとも考えていないようだ。人形に向けられた大きな目はキラキラ輝いている。
「うーむ……本当にあれがいいのかい?」
紳士は目を細くして人形を見つめる。どうやらこちらはしっかりと値踏みをしているらしい。
「あのお人形じゃないとダメ! お願いよ、お父様!」
上等なスーツの裾を小さな手で引っぱり、令嬢は頼み込んだ。すると、紳士は観念して、上着の内ポケットから銀貨を一枚取りだした。人形一つの代価にしては十分すぎる金額だ。
「これで足りるかね?」
「もちろんですとも!」
老婦人は銀貨を受けとると、快く人形を手渡した。人形を受けとった令嬢は、柔らかい布地にさっそく頬ずりする。ふんわりと漂う良い香りに丸い頬が自然とゆるんだ。
「ありがとう、マダム! わたくしこの子を大切にするわ!」
令嬢は美しいカーテシーを残して、紳士と連れだって去っていた。親子を見送った老婦人は、先ほど受け取った銀貨を、バスケットの中にしまい込む。チャリンと控え目な音が聞こえてきた。
「マダム。今いいかな? この額縁が気に入ったんだけど」
また、新たな客がやって来た。
「えぇ、もちろんですとも!」
皺だらけの口元に笑みをのせて、老婦人ははずんだ声で応えた。市はまだまだはじまったばかりだ。