表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/41

父と娘

玄関の扉を開けると一人娘が駆け寄ってきた。両手を背中へ回しモジモジする娘の前にしゃがみ込み、目線を合わせた男は優しく話しかける。


「授業参観、出られなくてごめんな?」

「ううん。お仕事だもん、しかたないよ。おつかれさまお父さん」

「お前は本当にいい子だね」


聞き分けのよい返事に満足した男は笑みを深くする。頭を撫でてやると娘は頬を赤くしてうつむいた。

あぁ、なんていじらしい。本当にかわいい子――男の笑みはよりいっそう深くなる。最早嫌悪を感じるほどに歪んだ表情だが、幼い娘には醜い本心を見抜くことなどできない。


「家政婦さんは帰ったのかい?」

「うん。……ごめんなさい。ご飯は先に食べちゃったの」

「いいんだよ。ひもじいのは辛いからね」

「ひもじい?」

「お腹がすごく減って、グーグー鳴り止まないってことだよ」

「そうなんだ」


おもむろに立ちあがり家の奥へと歩き出した男の後ろを、娘は雛鳥のように追いかける。


「お父さん、お腹すいてるよね。ごはんをチンするから、その間に着がえてきてよ」

「お前は本当にいい子だね」


足を止めた男は背後を振り返り、娘の頭をまた撫でる。娘はしばらくされるがままにしていたが、急に男の手を掴んで行動を制止した。

男は一瞬眉をひそめたが、娘が自分に向かって突き出してきた物を見て機嫌を直した。それは一枚の作文用紙だった。おそらくは、今日の授業参観で発表した作文だろう。


「あのね、お父さんにこれを読んでほしいの」


娘ははじめのようにモジモジしながら頼みこんできた。


「あぁ、もちろんだよ」


男は快く作文用紙を受け取る。


「楽しみだな」

「あんまり、うまく書けなかったの」


だから期待しないでね……と、うつむく娘の頭に男は再三手を伸ばした。

期待するなだって? そんなこと不可能に決まっている。


娘と別れて自室へ戻った男は、後ろ手に鍵を掛け直し、早速作文を読み始める。

年齢のわりには整った文字で【大好きなお父さん】とタイトルが書かれている。自然に口角が上がった。



【大好きなお父さん / 二年A組 渡瀬椿】

わたしのお父さんは、とってもとってもりっぱな人です。いつもおそくまでお仕事をがんばっています。スーツを着たお父さんはすごくかっこういいんです。

それにお父さんは、むずかしいことをたくさん知っています。宿題がむずかしくて困っているとき、お父さんはいつも、わたしが答えを出せるまで勉強を教えてくれます。むずかしい漢字で自分の名前を書けるようになったのも、お父さんが教えてくれたからです。

わたしにはお母さんがいません。わたしを生んだときに、なくなってしまったそうです。だけどお父さんがいるからさみしくありません。

男手ひとつでわたしを育ててくれたお父さん。わたしはつよくてやさしいお父さんが大好きです。もっともっとがんばって、お父さんにたくさんほめてもらえるようないい子になりたいです。



「お前は本当にいい子だなぁ椿」


作文を読み終えた男はクツクツと喉を鳴らす。


「なぁ、お前らもそう思うだろう?」


男は作文用紙をディスクの上の写真立てに向かって広げて見せた。写真には仲睦まじい様子の男女が写っている。


「今どんな気分だ? 天国とやらで見てるんだろ? お前らが踏みにじった男の手で、大事な娘がかわいいかわいい木偶の坊に育てられている様をさぁ!」


どす黒い感情が歪んだ唇から吐き出される。醜く歪んだ笑顔を勝ち誇ったように写真の男女に向けながら。


「あの子はかわいい子だよ。自分の両親を殺した男を本当の父親だと信じ込まされて。いじらしくも俺に気に入られようと必死になっている。愚かでかわいい俺の娘!」


男はディスクの上に乱暴に手をついた。握られていた作文用紙に、無数の深い皺が無惨に刻まれる。

友人夫婦を手にかけた日のことを、忘れた日など一日もない。いや、友人だと思っていたのは、男の方だけだっあのかもしれない。

男を見下しせせら笑った夫婦の顔も、自分が死んだことに気付かず目を見開いたまま事切れた旦那も、それを見て妻が上げた悲鳴も、妻の首を締めている最中家の中に響き渡っていた赤子の泣き声も、瞳を閉じればなにもかもが鮮明に瞼の裏に浮かび上がってくる。


「こんなに愉快な思いをさせてくれて、ありがとうな。お前らは最高の友人だよ」


目を開けた男は、爽やかな表情で友人達に礼を述べた。

その時丁度、キッチンの方から娘の声が聞こえてくる。


「お父さーん! ごはんあったまったよ!」


自分を呼ぶ愛らしい声に、


「今行くよ!」


大声でこたえた男は「父親」の顔に戻っていた。

地獄のような親子の日常は、まだまだ続くのだろう。正常の皮を被って。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ