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河童

近所の河原に河童が出るのだと弟が言った。どうやら俺が帰宅するのを玄関で待ち構えていたらしい弟は、キラキラと純粋無垢な瞳で「河童だよ! 河童がいたんだよ!」と興奮気味に何度も繰り返した。部活動でビッショリ汗を流し、五キロの道のりを自転車でかっ飛ばしてきたばかりの俺は、弟のテンションの高さについていけない。そもそも河童ってなんだよ。そんなもん現実にいるはずないだろ。アニメの見過ぎかゲームのしすぎかわからないが、小学生ってのは、なにからもすぐに影響を受けてしまっていけない。

弟のトンチンカンな言動はいつものことだったので、俺は靴を脱ぎながら「はいはい」と気のない返事でテキトーに弟をあしらった。不服そうな顔で睨まれたものの、疲れてるんだからしかたないだろ。その日はそれ以上弟の話に取りあわず、俺はとっととシャワーを浴びて、夕飯をたらふく食べた後すぐに寝た。


次に弟が河童の話をしたのは、前回から一週間がすぎた日だ。家族だんらんの夕飯の席で「また河童を見たんだよ!」と切り出した弟は、相変わらずのハイテンションだった。しかし、テレビのクイズ番組に集中していた俺は前回同様「はいはい」とテキトーに聞き流す。興味がないのを隠しもしない態度に弟は当然腹を立てて、二つの握り拳を力いっぱいテーブルに叩きつけた。ヘソを曲げた小学生男子を震源地とする大地震の直撃を受けたテーブルの上の食器達は「びっくらこいた!」と言わんばかりに仲良く跳びあがる。割れなかったのが不思議なくらい大きな音がした。

さすがの俺も今回ばかりは食器達と同じ気持ちで、ほっぺたをふくらませる弟に顔を向けた。どうしてコイツはこんなに短気なんだ。目を皿のように丸くする俺。そんな俺の隣の席に座る母さんは、お椀からこぼれたすまし汁を布巾で拭きとりながら「物にあたるのはやめなさいって、いつも言ってるでしょ」と弟へ苦言をていした。口で言って聞くならもうとっくに直っているだろうが、その言葉で気を取り直した俺は「そうだそうだ!」と母さんに乗っかって弟を責める。だけど調子に乗った俺のことも、母さんは決して見逃さなかった。「あんたもテレビばっか見てないで、ごはんのときくらい家族と話をしなさいよ」とお叱りの言葉をちょうだいしてしまう。虎の威をかりるつもりが、まんまと尻尾を踏んでしまったらしい。この家で母さんに勝てる人間はいない。

俺と弟は揃って借りてきた猫みたいに縮こまって、母さんの監視と父さんの憐憫の眼差しを浴びながら、無言で夕飯の残りを食べた。もちろん、河童の話はそれで流れてしまった。


弟は母さんに怒られてこりたのか、それとも俺がまともに相手をしないことを理解したのか、あの夕飯のとき以来、河童の話をしなくなった。もしかしたら、単純に興味がなくなったのかもしれない。小学生の興味は子猫並みにうつろいやすい。

弟が話をしなくなったもんだから、俺もすっかり河童のことを忘れてしまっていた。だから仲間内から「バカ」って言われるんだ。何にでも当てはまることだが、事件ってのは忘れた頃に起こるもんなんだ。


その日は土曜日だった。早朝に家を出て部活動に勤しんだ俺は、昼の一時過ぎに帰宅した。家の奥に「ただいま」と呼びかけるが、おかしなことに、いつもは迎えに出てくる弟がやってこない。不審に思った俺はなるだけ音をたてずに靴を脱ぎ、忍び足でリビング兼キッチンへと向かった。ドアが開きっぱなしの入り口から中を覗いた俺が見たのは、床に正座させられ情けなく涙を流す弟と、そんな弟を仁王立ちで見下ろす母さんの姿だった。理由はさっぱりわからないが、どうやら弟がなにかをやらかしたらしい。

俺の存在に気付いていない様子の母さんは、呆れたようにも見える雰囲気で説教を垂れる。「知らない人に近付いちゃダメだって言ったでしょ?」と、親としては至極まっとうな内容だった。だが弟は「だって困ってたんだもん。困ってる人には親切にしなさいって、お母さんいつも言ってるじゃん」と、しゃくりあげながらもとぎれとぎれに反論した。流石の母さんもこれには困った顔になる。追い詰められた弟の反撃に、しかし、母さんは一瞬の間を置いてなんとか言葉を返した。「だからって、ナスビをあげるってどういうことよ。今日は麻婆ナスがいいって、あんたが言ったんじゃないの」と。

なるほど、俺はようやく事態を理解した。どうやらおつかいを頼まれた弟は、その帰りにナスを必要とする人に出会い、請われるままにナスを渡したということらしい。しかし、理解したら理解したで、俺の頭の中には新たな謎が生まれる。どうして弟の出会ったその人は、ナスを欲しがっていたんだろうか。

鈍い頭を回転させ俺が答えを求めていると、弟は更に混乱することを口にした。「だって、だって、河童が言ったんだ。『黄泉の国へと渡るのに、牛が必要なのだ。故に童よ、その茄子を拙者へ譲ってくれぬか』って!」……ちょっと意味がわからない。

久しぶりに出てきた「河童」という単語。弟が以前話をしていた近所の河原にいたという妖怪だ。てっきり俺は弟の想像の産物だと思っていたが、ひょっとしたら、もっと奇怪で恐ろしい存在だったんじゃないかと思った。河童のくせにキュウリじゃなくてナスを要求するなんておかしいだろ。

今まで黙って成り行きを見守っていた俺はたまらなくなって「その後、河童はどうなったんだ?」と弟へ問いかけた。俺の存在に気付いていなかった弟と母さんは、そろってこちらへ顔を向ける。母さんは「帰ってきてるならいいなさいよ」と小言を言ってきたが、弟はそれをさえぎり、いやに具体的な話を口にした。「どうしてもって頼んでくるから、ナスビに棒切れをさして牛さんを作ってあげたの。そしたら『かたじけない』って河童は言って、ナスビに乗って消えちゃった」ってさ。それで俺はようやく理解したね。やっぱりそいつは河童じゃなかったんだって。


色々あったが、問題の「河童」がいなくなったことで、それ以来弟は、その件で家族の手をわずらわせることはなくなった。

ちなみにその日の夕飯は予定通り麻婆ナスになったよ。弟と二人で改めておつかいに行き、きっちりナスを買い直してきたからだ。行きも帰りも例の河原の横を通ったが、もちろん河童らしき奴なんていなかった。もしも俺にもそいつが見えていたら、どうなっていたんだろう。少なくとも「河童」の方は弟に会えて良かったんじゃないかな。

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