宇宙人
俺の名前は来井壮也。ごく普通の男子高校生だ。おもしろくもない授業を受けるために、毎日毎日イヤイヤ学校に通っている。自慢ではないが、この二年間無遅刻無欠席で、成績も学年順位百位以内をキープし続けている。自分で言うのもなんだが、なんだかんだでめちゃくちゃ真面目君なのである。
内心不服ながらも、真面目に学校に登校しているのにはもちろん俺なりの理由がある。良い大学に行きたいとか、部活でいい成績を残したいとか、そんな大それた理由じゃない。俺が休まず学校に通う理由は、一重に、同じクラスの星野姫子に会いたいからだ。
星野姫子を一言で言い表すならば「比類なき美少女」である。
眉目秀麗、文武両道、聖人君子――彼女にはありとあらゆる美辞麗句が当てはまる。当然、そんな完璧超人である星野姫子は、学内の誰もが憧れるマドンナだ。席に座れば美術部が彼女をモデルにデッサンをはじめ、廊下を歩けば人波が二つに割れ、言葉を発すれば誰もが麗しい声に聞き惚れる。彼女の前では、金星の女神すら全裸で逃げだすことだろう。
それまでつまらない人生を送っていた俺は、入学式で星野姫子を見た瞬間、脳天に隕石が直撃したかのような衝撃を受けた。しがない一学生である俺にとって、星野姫子は高校生活のすべてだった。彼女のことを想うだけで、胸が掻きむしられるように苦しくなり、ふとした瞬間に涙が出たり、柱にガンガン頭をぶつけてしまったり、周りがドン引きするくらい情緒不安定になる。でもそんな苦悩すらも幸福に感じるのだから、恋ってやつは不思議だ。星野姫子に翻弄されている生徒は、俺の他にもきっと沢山いるんだろう。
しかーし! 指を咥えて遠くから星野姫子をただ見ているだけの連中と俺とには、天の河ほどに長大な違いがある。
何故ならば、俺・来井壮也は、星野姫子と交際しているからだ。つまり恋人同士ってわけ。
悔しそうにハンカチを噛む連中を横目に、俺は星野姫子とのいちゃこらを、それはもう毎日毎日堪能させていただいている。
ま、全部妄想だけど。
*
月曜日の朝が来た。
クラスの誰よりも早く教室に入った俺は、自分の席にお行儀よく座って、ウッキウキで恋人である星野姫子を待つ。その間考えるのは、もちろん、彼女のことだ。きっと今日の彼女もかわいいんだろうなとか、昨日は取り巻き数人とショッピングを楽しんでいてその後ろについていっているだけで俺も楽しかったなとか、彼女に色目を使ってたB組のアイツは俺がしかけた罠にかかって破滅したかなとか、大体そんな感じのことだ。なんなら授業中だって、ずっと星野姫子のことを考えている。「星野姫子と付き合っている」という妄想にひたることが、現在、俺の生きる唯一の楽しみだからだ。むしろ、これがなけれがもう生きていけない。
人に迷惑さえかけなければ、頭の中で何を考えたって問題ないよな? そうだよな? みんなも二次元のイケメンや美少女と結婚してたりするだろ? ゲレンデがとけるほどのハッピーライフ送ってるだろ? それと同じさ!
誰もいない教室で、ひとりで幸福にひたっていると、扉が開く音がガラガラ響いた。
「おはよう、来井くん。いつも早いね」
星野姫子のおでましである。俺はゆるんだ顔を瞬時に引きしめる。
「おはよう星野」
真面目な顔で挨拶を返す。ほがらかな笑顔でこちらに歩み寄ってくる星野姫子。あぁ、今日もかわいいね。「そんな……来井くんだって、いつも素敵だよ」。ほめたって、愛情以外になにも出ないぞ星野姫子。そんな妄想がまたたく間に頭の中に浮かんでは消えていく。
だが今は目の前に本物の星野姫子がいるのだ。幻なんて見てる場合じゃあない。
「今日はいつもより早く家を出てきたんだよ。ホームルームで、来月の文化祭のことを話し合わないといけないだろ?」
「いけない! そうだったね! 最近、忙しくって忘れちゃってた……。私ったら、学級委員なのにごめんね」
「気にするなよ。そのために俺がいるんだろ」
しゅんとする星野姫子に、俺は俺にできる限りの爽やかな笑顔でもって返した。
学級委員はクラスの投票で男女一人ずつ選出される。民意により選出された我がクラスの委員は、俺・来井壮也と星野姫子の二人だった。星野姫子が委員に選ばれることはわかりきっていたので、あの手この手で票を稼ぎ、見事パートナーの座についたってわけだ。志望動機は下心とはいえ、仕事はきちんとこなしているので、今のところ文句を言われたことはない。むしろクラスメート達は俺にやたらと敬意を払う。払われすぎて、最近怖がられてるんじゃないかと思いはじめたくらいだ。
まぁ、そんなことはどうでもいい。星野姫子以外どうでもいい。
「会議の段取りはちゃんと考えてきたし、他のクラスの予定や過去の出し物のリサーチもすんでる。だから、星野はいつもみたいに、みんなの意見を引き出してまとめてくれればいいよ」
「さすが来井くん! やっぱり頼りになるなぁ」
当然だろ! お前の恋人だぞ! 口から飛び出しかかった言葉をすんでで呑みこむ。星野姫子。俺はお前のためだったらなんだってやる男だぞ?
*
ホームルームは滞りなり進み、うちのクラスの出し物は「おばけ屋敷」に決定した。準備に手間がかかるわりに、学生レベルじゃ大したこともできないだろう。クラスメート達はこの案に消極的だったが、「おばけ屋敷かぁ……楽しそうだね!」との星野姫子の一声で、満場一致の可決となった。動いているのは天の方だと彼女が言えば、宇宙の中心は地球になるのだ。この星の摂理だよ。
しかしおばけ屋敷か……。色々と妄想のたぎるシチュエーションじゃねぇか!
おどかされて怯えた星野姫子が俺に抱き付いてきて、俺は余裕の笑みでこう返す。「大丈夫。お前のことは俺が守る」。そしたら星野姫子は頬を染め、潤んだ瞳で上目遣いしながら「来井くん、大好き……」なんて言ってくれるわけね。はいはいはい。…………最高かよ。
めくりめく夢の世界に酔いしれながら、誰もいない渡り廊下をスキップで進む。放課後の校舎は夕日に淡く染められていて、遠くから部活に励む生徒達の声が聞こえてくる。クラスメート達は部活や習い事なんかに勤しんでいるんだろうが、学級委員の俺はそんな奴らのために働かなければならない。吹奏楽部の演奏する「木星」をBGMに、俺が目指すは半分倉庫と化した旧校舎。「おばけ屋敷」に使えそうな材料を探しにいくのだ。
なにか特別な事情がない限り、旧校舎の入り口には鍵がかかっている。しかし、今日は開いていた。俺と同じような事情を抱えた奴が先に来たんだろうか。もしくは不良が入り込んだのか。どちらにせよ、俺は俺の仕事をさっさと済ませて、はやいとこ家に帰りたい。スマホにおさめた星野姫子の写真やら動画やらを編集しなければ。
廊下を歩けば、ギシギシと大げさな音が鳴る。そういえば、解体を検討しているとかなんとか、教師が立ち話していたなぁ。そう思うと、まるで悲鳴みたいに聞こえてくるじゃないか。自分にしてはいやに叙情的なことを考えながら、使用されなくなって久しい教室の扉を開ける。その瞬間、青い液体がとんできた。勢いよく飛来した流体は、顔や制服に新しい模様をつくってくれる。顔を手の甲で擦ると、粘性を持つソレがまとわりついていた。どことなくペンキに似ているが、匂いがまるで違う。もっとイヤな感じの匂いだ。美術部が熱中しすぎて、芸術を爆発させたとかそんな感じじゃあないな。じゃあ科学部か? 犯人を予想する俺の思考を、美しい声が遮った。
「……来井くん?」
名前を呼ばれて教室の中に目を向ける。机や椅子が端に寄せられガランとした部屋の中央。そこに、後光のように夕日を背負う星野姫子が立っていた。そして、彼女の足下には、青い液体を流すなにかが転がっている。多分死んでるんだろうな。ピクリとも動かない。ワニと食虫植物をたして人間で割ったようなソイツの姿形は、俺の愛する星野姫子にそっくりだった。だが、なんの感慨もわかない。
「星野。なにがあったんだ?」
俺は教室の中に踏み入る。星野姫子は唖然とした顔で俺を見ていた。後ろ手に扉をしめる。邪魔者が来たら困るだろ。安心させるための微笑みも忘れずに、星野姫子のそばへ歩み寄る。
「く、来井くん……? あれ、おかしいなぁ……あれれぇ? これまでの人達なら、もう催眠がとけてたのになぁ……」
「これまでもこんな状況になったことがあるんだな? それで、催眠がとけた奴らはどうしたんだ? 足下のソイツはなんだ?」
「今までの人たちは、あの、その……」
「言いたくないなら言わなくていい。それよりも、そこで死んでるヤツはなんだ?」
「あ、あの……あの、あのね? 私、地球から何億光年も離れた星の王族でね…………でも、クーデターが起きて……だ、だから、地球まで逃げてきて……」
「つまりソイツはお前を追いかけてきた刺客ってわけか」
「そ、……そうだよ?」
星野姫子は動揺しているらしい。青く輝く瞳が上下左右に泳ぎまくっている。当然だ。一人の女の子が背負うには、あまりに大きな事情じゃないか。彼女は今まで、笑顔の裏にそれを隠して、一人っきりで戦っていたのだ。そうだっていうのに、星野姫子の事情も知らずに、俺は今まで一人で浮かれあがってバカ騒ぎしてたのだ! なんて情けない……。
星野姫子の顔を下から覗き込む。彼女はビクリと体を揺らした。かわいそうに。
「今まで、気付かなくてごめんな?」
「……は? いや、えと……隠してたんだもん。当たり前じゃない?」
「それじゃあ、どうして今まで話してくれなかったんだ?」
「ど、どうしてって……どうして? 言えるわけないよね? こんなこと……」
「そんなことない! 俺達恋人だろ!」
「え…………」
星野姫子の震えが止まった。大きく見開かれた瞳が俺を捉えて制止した。よかった。俺は彼女に微笑みかける。そして、足下に転がる刺客を指差した。
「とりあえず、事情は後で聞く。その時今後のことも考えような。でもまずはコイツをどうにかしないと」
「え、えっと……?」
「いっそ、剥製にでもして文化祭で使うか?」
場を和ませるジョークを言うと、星野姫子はひきつった顔をする。俺のユーモアもまだまだらしい。こんな辛いときこそ、愛する人を笑わせられる男にならなけらばならないのに。家に帰ったら漫才の勉強をしなければ。しかしその前に、目の前の仕事を片付けなければ。
床に片膝をつけてしゃがみ込み、事切れた刺客に手をかける。そんな俺の頭上から、星野姫子の声が降ってくる。
「あの……来井くん?」
「どうした星野?」
「こ、怖くないの?」
「どうしてそんなこと聞くんだ? 怖くなんてないさ」
「そう…………あの、でも、……私は、怖い、です」
震えた声で、たどたどしく言葉を紡ぐ星野姫子。俺は彼女を仰ぎ見る。まるで姫と騎士みたいな体勢だなと思った。おめでたい頭は相変わらずだ。だが、あながち間違ってもいないと思わないか?
「大丈夫。お前のことは俺が絶対に守るから」
怯える星野姫子を見すえ、俺は真剣な表情で誓いを立てた。




