第八魔「異物」
なんとか一コマの授業が終わった直後、ある女生徒が俺の席にまでやって来た。
「あ、あの、識神君……。良かったら椅子持ってこようか?」
「あ? なんじゃお主は、ご主人にイチャモンでもつけに来おったか? シバキ回すぞ」
「こら、気を遣ってくれたんだから迷惑かけるな」
誰にでも噛み付こうとする辺り、狐というより狂犬に近いな。迷惑な。
リードを引っ張る俺のことも考えろよ。
「ごめんな。えっと……誰だっけ」
「あ、綿津見です……。それより、椅子いる?」
「ありがとう、ぜひとも――」
「いや、いらんぞ。ご主人には儂という最高級の椅子があるのじゃからな。余計な気遣いは無用じゃ」
は? 何を勝手に……。
「それに、お主――綿津見と言ったか? なんか嫌な匂いがするしのう。臭い」
「おい、臭いって酷いな」
「実際臭い。綿津見。お主、ご主人へ気遣いと言っておきながら、悪いことをするつもりだったのじゃろ。
お主の匂いは決まって、悪事を企んでいる奴の匂いじゃ、消え失せろ」
そこまで言うのかよ。
いや、まぁ今まで関わってきたことない人だから、注意していた俺も俺だが。それ以上に九尾の言い分は酷かった。
泣いても知らんぞ。
「なんだ、バレてたのね。ざーんねん」
しかし、看破された綿津見は今までの怯えた姿から一変。憎悪のこもった悪役の表情へと変化した。
いや、変わりすぎだろ。
なんだ顔色だって違うぞ、どうなってるんだよ。
「ちょっと気になってることがあったのよ。別に、識神君に用があったわけじゃないの」
「どうせ、儂じゃろ。はた迷惑な殺気まで撒き散らして、初心な奴め。もう少し隠し事の練習でもしておくといいのう。例えば、ほら、お主の契約している悪霊の隠し方とかな」
そう発した言葉に反応するように、綿津見の後ろにうっすらとモヤのかかった、現世に顕現できる曖昧な存在が見える。
うわ、きもちわる。
顔半分ないけど。
頭の中見えてますけど。
「あら、そこまでお見通しだったのね。こりゃとんでもない相手だこと。識神君もよくこんな強い悪魔と契約できたものね。今まで、何も契約できなかったくせに」
「別にコイツは悪魔じゃないんだが」
「そうじゃ、儂は儂じゃ。有象無象と一緒にするな」
どんな目的をもって接触してきたのかは分からないが、少なくとも九尾の言っていることが本当ならば俺へ嫌がらせしに来たのだろう。
悪霊を引き連れているから、恐らく弱体化か呪うことでも考えていたのだろう。
「それに、ご主人。ご主人は何も契約できなかったのか?」
「えぇ、識神君はこの学校に来てからも、来るまでもどんな低級な悪魔とも、悪霊とも契約できなかった雑魚の祓魔師なのよ。あなたは知らないでしょうけど、識神君は『最弱の祓魔師』として有名なの。
そんな人がいきなり悪魔を連れて歩いているんだもん。生意気じゃない? だから身の程知らずに礼儀を教えようと思ってね」
「なんじゃ、ご主人はやっぱり弱いんじゃな。雑魚じゃざーこ」
「なんでお前まで加勢するんだよ。こういう時は庇えよ」
せめて契約しているんだから、そういう姿勢は見せるべきだろ。
なに、意気揚々と俺を虐めているんだよ。
「まぁ、ご主人が最弱なのは知っておる。いつも見ていたからのう。いつも聞こえていたからのう。
だが、だがのう。喧嘩を売るべき相手は本当にご主人かどうか考えておくべきじゃと、儂は忠告しておこう」
「喧嘩じゃないわよ。礼儀よ礼儀」
そう綿津見は悪霊の依代でもある藁人形を取り出す。
まぁ古典的な依代だこと。
「ここで一戦交えるなんてどっちが礼儀知らずなのか、ていうツッコミはした方がいいのか?」
「別に戦うわけじゃないのよ。ただ、ちょろっと私の悪霊を見てもらうだけ。ただそれだけよ。自己紹介も含めてね」
なんで悪霊使いはこんなに陰湿なのだろうか。
やることが狡い。
「じゃ、素直に呪われなさ――」
そう言い切る前に、藁人形へ釘を刺す直前に。
綿津見はその場に膝から崩れ落ちた。
電気が消えるように。意識がブチ切れたように。
「すまんが、儂を呪うなら陰陽師でも連れてくるんじゃな小童」
いつの間にか、綿津見に金色の尻尾が触れていた。
え、あの尻尾触れただけで意識失うのやば。