☆(連載の)感想の本質は独り言
短編への感想の本質、っていうのは「作者との対話」だと感じています。良い点悪い点を指摘したり、思っている事感じた事を伝えたり。それは、それこそファンレターの様なもの。作者に伝える事を目的としたもの。返事がもらえると、なおうれしい。
でも、普通は感想って作者には届かないものなのです。学校の宿題で、夏目漱石のこころの感想文を書いたとして、それが作者に届くわけがない。先生はあるいは目を通すかもしれないけれど、結局のところ感想って独白に近いものだと思います。あるいは日記のようなもの。本来人目には触れる事がないもの。
ではなんで、ここで感想欄に感想を書くか。人目につく所に曝すか、というと、それは連載に対する感想の目的で書いたように、読者の存在を作者に示すため、なのです。それでも、その本質は変わる事無く、独白である、と考えています。
独白であるから、作者への語りかけではないから、例えば作者からのレスは期待しない。作者には読み飛ばしてもらってかまわない。そういうものだと思っています。
例えばですが、「こんなになっちゃって、この先どうなるんだろう」という独白。あるいは「こんなになっちゃって、一体この先どうなるんですしょうか」という作者への語りかけ。前者はある意味自己完結しているので、作者からのレスが無くても問題がないし、「さてどうなるんでしょう」というレスも容易にできる。しかし、後者だとレスが無いと無視、どうなるんでしょうというレスをしたらはぐらかし、に見えてしまうかもしれない。
背後に筆者を意識するのは当然なのだとしても、独白として書くのか、筆者に語りかけるのか、で感想の扱いは変わってくるのではと思います。
だから、これは個人的なこだわりですが、独白である感想には丁寧語は基本的に使いません。日記を書くのに全部丁寧語を使う人はまあいないでしょう。それはささやかで自分勝手な思い込みかもしれないけれど、自分なりの作者への気遣いであったりもするのです。