お泊まり
リビングに私が入るなり、葉月は遅いと文句を言った。
軽く謝り、私たちは夕飯の支度を開始する。夕飯と言っても、もうすでに8時を過ぎている。いつもの夕飯の時間よりも遅い。
私たちはすぐに出来るオムライスを作った。葉月にも手伝ってもらったから、30分もかからなかった。
作り終わった頃、山辺君が顔を出した。
「水野、風呂掃除終わった」
「風呂掃除に何分かかってるのよ。こっちはもう夕飯出来たって言うのに」
私が喋る前に、葉月が先に口を開いた。
「別にいいだろ」
私は山辺君を見た瞬間、さっきのことを思い出してしまった。
顔大丈夫かな? バレてないよね?
「何ボーッと突っ立ってるのよ」
「いや、何でもない。とりあえず、食べよう」
風呂のスイッチを入れ、私たちは椅子に座った。
「お、美味そうだな。水野が作ったのか?」
「残念でしたー。山辺君のオムライスは私が作りましたー」
ベーッと舌を出して、意地悪な笑みを浮かべる。出たよ、葉月の小悪魔が。
「これお前が作ったのかよ。何か入れてんじゃねぇの?」
「失礼ね。私が変な物でも入れてると思ってるの?」
「お前ならありえる」
言い合いながらも、山辺君は美味しそうにオムライスを食べる。
こんな賑やかな夕食は久しぶりだな。昔はこうやって、楽しく喋りながら食べてたんだよね。
「あーあ。なんで私が山辺君なんかに手料理を振る舞ってるのかしらねー」
「そうだよなー。お前作る相手間違えてるぞ? 空輝に作ってやれよ」
「何でそうなるのよ」
「そう怒るなって。俺が恋のキューピッドになってやるぞ?」
「気持ち悪いこと言わないでよね」
私は2人の会話を楽しみつつ、オムライスを頬張った。葉月が作ったオムライスなのだが、とても美味しい。葉月は本当に才色兼備である。
――ブー、ブー・・・・・・
楽しく食事をしていたら、ポケットに入れていたスマホが震えた。取り出して画面を見ると、お母さんからの電話だった。
「ちょっと出てくる」
「葵。もしおばさんなら今日のこと話しておいたほうがいいわ。今の状況のことも」
「心配かけたくない」
「そう言わないの。あと、山辺君のことに関しては私がいるって言えば何とかなると思うから」
葉月の言うことも分かる。でも、今回は何もなかったとはいえ、やはり報告するのはどこか気が引ける。ただでさえ、私は今こんな感じなのだ。これ以上心配をかけたくない。
「・・・・・・まぁそれとなく伝える」
私はスマホを手に持って、そのまま廊下に出て電話に出た。
「もしもし?」
『あ、葵。今休憩だから電話したの。そっちはどう? 大丈夫?』
「別に。それとね、今日さ……」
私はお母さんに今日夕方にあったこと、クラスの山辺君に助けてもらったこと、葉月に話したら泊まりに来ていること、山辺君も事情があって私の家にいることも全て話した。
私が話している間、お母さんはずっと黙っていた。私も上手く伝わっているのか不安になったが、話すことに必死になっていた。
『……』
「お母さん?」
全て話し終わっても、お母さんは何も言わなかった。何も音がしないため、電話が切れているのではないかと錯覚するほどの静寂さだった。
『あなたが無事でよかったわ。今度改めてその山辺君にお礼をしないとね……』
気のせいだろうか。お母さんの声が少し震えている気がするのは・・・・・・。
『まぁ男の子を家に泊めるのは少し心配だけど、葵を助けてくれたから大丈夫よね。葉月ちゃんもいるし、安心よね。じゃあ戸締りにはしっかりと気を付けるのよ。おやすみ』
そう言うと電話は切れた。
「おばさん、何だって?」
リビングに戻ると、葉月が心配そうに声を掛けてきた。山辺君も自分について何か言われたのではないかと、不安そうな顔をして私を見ていた。
「私が無事でよかったって。それと、山辺君については葉月がいるから大丈夫だねって言ってくれた」
「そりゃそうよ。山辺君、葵に手を出したらどうなるか分かってる?」
「言われなくとも分かってるし、変なことなんてしねぇよ」
私は残りのオムライスを食べた。電話をしている間にすっかり冷えてしまったが、どこかほんのりと温かさを感じた。
ちょうど食べ終わった頃、お風呂が沸いたとのアナウンスが流れた。
「あ、お風呂入ったみたいね。葉月、先入る?」
「いや、何か悪いよ」
「今さら遠慮する間柄じゃないでしょ」
「正直に言うとね、あんたと山辺君を一緒にしたくないのが本音」
真顔でそういうこと言われると、変にドキッとするからやめてほしい。美人だけどたまにイケメンにもなる葉月。ズルい・・・・・・。
「だから何もしねぇって言ってんだろ」
「何か不安なのよねー」
「あのな」
「ストップ。仲が良いのは分かったから、とりあえず葉月先に入ってきて。私、皿洗いしなきゃいけないから」
私は葉月の背中を押し、リビングから出した。
「おいおい、強引だな」
「いいのよ。長い付き合いだし。でも、何かあったらすぐに飛んでくるわ」
「それは今日よく分かった」
電話した本人が言っているのだから間違いないか。電話だけで飛んできてくれる。本当に私は素敵な親友を持って幸せだ。
「山辺君、悪いけど片付けるの手伝ってくれる? これを流しに運んでくれればいいから」
「いや、俺がやるから、水野は座ってろよ。俺たちが来て、ほとんど休んでねぇだろ?」
「でも……」
「いいから。お前はここにいろ」
山辺君は私を椅子に座らすと、さっさとお皿をシンクに運んで行った。
手伝おうとしたのだが、その度に山辺君に阻止されたので、私は大人しく座っていることにした。山辺君の皿洗いをしている姿を見ていると、ふとさっきの出来事が頭をよぎる。
恥ずかしさはもちろん、別の想いが込み上げてくる。確かに山辺君は、私を受け止めたとき、私を見ていた。でも、私を見ていなかった。私を見ていたはずなのに、私ではない別の誰かを見ていた。
「水野?」
「え?」
「どうしたんだよ。ボーッとして。しんどいのか?」
今の今までさっきのことを考えていたから、山辺君が目の前に来ても気付かなかった。
「いや、何でもないわ。ありがとう、洗ってくれて。山辺君も休んだほうがいいわ」
「いや、休もうにも、同級生の女子しかいないと思うと、何か落ち着かないというか……」
相当落ち着かないのか、ずっと手だけが忙しなく動いている。本人は動かしているという自覚はあるのだろうか。
山辺君がこうなるのも無理はないか。最近知り合ったばかりなのだから。
「山辺君も休めばいいよ。ここに来てから、まともに座ってすらいないじゃない」
座ったといえば、夕食のときだけだが、それ以外はほとんど立っている。
「部屋で休んでもいいのよ。課題もあるんだから」
進学校なだけあって、毎日の課題の量は半端ない。夜だけでも終わるだろうかと思えるほど。
「俺は学校である程度終わらせているから心配ない」
「意外と真面目なのね」
「意外ってなんだよ。ってか、進学校なんだから、それくらいの覚悟はないと無理だろ」
まぁ確かに。県内随一の学校であるから、それくらいは当たり前だし、こなせられなければ、あの学校ではやっていけないであろう。
「にしても、立花は意外と長風呂なんだな」
「昔からそうよ。あ、そうだ。部屋、大丈夫だった? 定期的に掃除はしているんだけど、やっぱり匂いとかホコリとかが気になるのよ」
定期的に掃除はしていても、やはり使わない部屋なので、住んでいる私が入っても、匂いには気付かないから少し心配なのだ。
「別に特に嫌な臭いはしなかった。泊まらせてもらってる身としては、こんな贅沢なことはないけどな」
「まぁ今回は特別よ」
「そういえばお前、もう大丈夫なのか?」
聞かなくとも、山辺君が何を言いたいのか分かった。
「あなたたちの会話を聞いていたら、落ち着いたわ。葉月と仲良いんだから」
いつの間にか足元に来ていた雪を抱き上げ、膝の上に乗せた。おすわりしたまま、私を見ていたので、のどをさするとゴロゴロと甘えた声を出した。
「別にそんなつもりじゃないんだけどな・・・・・・」
「端から見れば私より葉月とのほうがお似合いよ」
口ではそう言ったのだが、どうしてか胸がチクチクする。
「あのさ、山辺君」
私は左腕を差し出した。
「ゆっくり私の腕に触れてもらえないかな?」
先ほどのこともあってか、山辺君は少し戸惑いの表情を見せた。それでも、意を決したように、ゆっくりと私の腕に手を伸ばした。
ゆっくりと山辺君の手が私の手首を掴む。でも、今度は恐怖どころか安心してしまう。
「山辺君の手は、とても温かいのね」
「平気なのか?」
「うん、大丈夫。むしろ、何か安心するの。さっき山辺君が受け止めてくれたように、温かくて、大きくて。生きてるって、実感する」
山辺君は手首から手を離すと、今度は優しく私の手を包み込んだ。
「どうしたの?」
「いや、このほうがもっと安心するかなーと」
「意外とキザなことするのね」
「別に。泊めてもらう礼だ」
「他にも何かしてほしいわ」
「してやるよ。今度ケーキでもおごるよ」
ケーキか。それは悪くないかもしれない。
「ありがとう。楽しみにしてるわ」
「ついでにあいつらも誘うか」
「あいつら?」
「空輝と立花。あの2人、上手くいけばくっつくかもしれないからな」
「そういうことはそっとしておくものよ。全く、鳥谷君に嫌われても知らないわよ」
「きっかけくらいはいいじゃねぇか。あいつは俺の親友だ。あれほど良いやつなんていやしねぇ」
仲が良いんだな。まるで私と葉月のようだ。鳥谷君のことを話す山辺君は、どこか生き生きしている。
「あのさ、そろそろ手を離してくれる?」
「あ、悪い……」
山辺君はゆっくりと手を離すと、その手をそのまま後ろに回した。照れているのだろうか。
「お前、身長だけじゃなくて手も小さいんだな」
「それ、嫌味?」
「事実を言っただけだ。でもお前、もう少し肉とか食えよ。お前、軽すぎ」
「小食なのよ。太るのだって、私からしたら大変なんだから」
少し食べたらすぐにお腹が満たされてしまうため、体重はなかなか増えない。減ることはしばしばある。
「それ、他の女子が聞いたら嫌味だぞ」
「そう?」
私たちはそんな他愛もない会話をしていた。こんな会話だけど、どこか安心している自分がいる。こんなにも人の声が落ち着くものだっただろうか。
そんな会話をしていると、雪が私の膝から飛び降り、山辺君の足元へと移動した。
「ん? どうした?」
雪はそのまま体を山辺君の足にこすりつけた。
「気に入ったのかしらね。珍しいわ。雪、あまり人に懐かないのよ。私とお母さんと葉月くらいにしかね。でも、あなたは特別みたいね」
「そうか? ただ俺に匂いをこすりつけているようにしか見えないし、それに、俺じゃなくてこのジャージに反応したのかもしれないぜ?」
それは否定できないな。お父さんに会ったことのない雪でも、やっぱりお父さんの匂いは家族の匂いだって分かるのかな。
「まぁいいじゃない。雪が懐いているんだから」
「あーおーいー。お風呂ありがとう」
そんな会話をしていると、お風呂から上がった葉月が声を掛けてきた。
振り返るとそこには、普段着から花柄のパジャマ姿に変わった葉月が立っていた。まだ乾かしていないのか、葉月の綺麗な黒髪から水がしたたり落ちている。
「湯加減どうだった?」
「私はちょうどよかったわ」
少し高めの温度設定にしておいてよかった。冷えたら温め直せばいいか。
「葵、先に部屋に行っててもいい?」
「どうぞ。あ、布団敷いてない」
「大丈夫。自分でやるから」
そう言うと、リビングを出て行った。
「山辺君、先入る?」
「いや、俺は後でいい」
「どうしたの?」
「いや、さすがに、男が入った後は抵抗あるだろ」
「そこまで気を遣わなくてもいいのに」
どこか照れているように見えるのは気のせいだろうか。
「じゃあ入ってくるよ」
「俺は部屋にいるから、上がったら教えてくれ」
私は1人リビングを出て、着替えを取りに部屋に向かった。




