頼み 陽人side
水野を廊下に連れ出したものの、どう話を切り出せばいいのか分からない。
「何か言いづらいこと?」
「まぁ、確かに……。さっき電話で、夕飯のことは了承をもらったんだ。もらえたんだが、別の問題が発生してな。俺の両親、今日仕事が休みなんだ。休みの日はよくドライブに出かけるんだ。今日もドライブには行ったはいいけど、帰りに事故に巻き込まれたらしくて、今日は帰れないらしいんだ」
「事故? 大丈夫なの?」
心配しているのは分かるが、どこか素っ気ないというか、事務的に心配しているように思えた。顔に出さないとこんなにも冷たく感じるものなのか。
「信号待ちしてたら、後ろから車が突っ込んできたらしくて、それで故障したらしい。今日はもう遅いからって、近くのホテルに泊まるらしいんだ。帰るのは、まぁ明日の朝だろうって。それで、家には今誰もいないんだ。それに、今日家の鍵忘れてて、まぁどうせ家に帰れば誰かはいると思ってたから、その……」
「まさか、家に帰っても家に入れないわけ?」
「そういうことで……。親に聞いたら、「じゃあ、その友達の家に泊めてもらえば?」って言われたんだ……」
しばし俺たちの間に沈黙が流れる。
「それ、本当?」
「ま、まぁ……」
なんだ、この気まずい空気は……。
「私は別にいいわ。家に入れないのに、追い出すわけにはいかないから。問題は葉月ね。葉月が何と言うか」
「え?」
「どうかした?」
「い、いや、案外あっさり承諾してくれたなと思って……」
男が女だけの家に泊まるなんて、普通はありえない。もう少し警戒してくれてもいいはずだ。
ひょっとして、俺は男として見られてないのか? それはそれで悲しいが……。
「さっきも言ったけど、追い出すわけにはいかないじゃない。それに、山辺君は女の子を襲うなんてことしないでしょ?それに葉月もいるし、女だけの家に男はありがたいものよ」
夕方のこともあるから、こいつは不安なんだろうな。
顔はいつも通り無表情に近いが、どこか不安気な声だった。
「分かった。俺もどうせ行く当てはない」
空輝のところにでも泊まろうかと思ったのだが、ここからはあいつの家は遠い。自転車があるとはいえ1時間以上はかかる。時間も遅くなってしまうし、今からだと迷惑もかかるだろう。どうしようか悩んでいたから助かった。
断られたらネットカフェかファミレスにでも行こうかと考えていたが、その必要はなくなったのは本当にありがたい。お金がないというのが本音だが……。
「そう。よかった」
言い方は素っ気ないが、どこか安心している。よほど不安なのだろう。
「さてと。じゃあ、葉月に知らせないと。あ、それなりの覚悟はしておいたほうがいいわよ」
覚悟、か……。確かに立花のことだ。ビンタの1発や2発だけでは済まないかもしれない…。
「まぁ私が説得するから、心配しないで」
ここは水野の家だし、立花が決めることではないか。
俺は水野に続いて、リビングに向かった。
「お話は終わったかしら?」
口調は穏やかでも、顔は全く穏やかじゃない立花が、俺を睨みつけていた。
もう少し、水野みたいに感情を抑え込むことはできないのだろうか。その点は水野を見習ってほしい。水野はよく笑う立花を見習ってほしいところだが。
「葉月、今日山辺君も泊まることになったから」
おい! 単刀直入すぎるだろ!
火に油を注いだみたいだ。立花の顔は次第に般若の顔になる。その顔に一瞬で鳥肌が立ち、あのビンタの痛みを思い出す。
「まぁまぁ。事情ぐらい聞いてよ」
水野の話を聞くうちに、徐々に落ち着きを取り戻したようだ。
「それなら仕方ないか。でも、何かしたらただじゃおかないから」
お、意外とすんなり許してくれた。猛反対するかと思ったのに。
「何よ」
「いや、お前って意外に素直なんだなと思って」
「あっそ」
なんでそんな素っ気ないんだろうか。俺は嫌われているのだろうか。まぁ水野が大好きみたいだし仕方ないか。
「とりあえず、2人とも荷物置いてきて。葉月は私の部屋に泊まってもらうわ。葉月、荷物置いたら夕飯手伝って」
「分かった」
荷物を持つと、葉月は先に部屋に上がって行った。
「じゃあ、私たちも行きましょうか」
「行くって、どこへ?」
「山辺君にはゲストルームに泊まってもらうわ」
ゲストルームか。そういえば、お守り探しに来たとき、そんなこと言っていたな。
「じゃあ、行こうか」
俺はどこか寂しげな水野の後ろをついて行った。
案内されたのは、水野の部屋の隣だった。てっきり水野の母さんの寝室だと思っていたが、どうやらここがゲストルームだったようだ。
「どうぞ」
中に入ると、そこは水野の部屋同様白で統一された部屋だった。
しかし、水野の部屋と違うのは、広い割に家具はほとんど置いていなかった。あるのはベッドと、タンスと、ローテーブル、それに勉強机とイスだけだった。
「なあ、ここって、ゲストルームだよな?」
「私はそう聞いてるけど、本当は違うと思う。ここは、本来なら私の妹か弟の部屋になるはずだったのよ。でも、必要なくなった。物置は元々あるから、新しく作る必要もない。だから、泊まりに来る人なんていないのに、お母さんはゲストルームにしたの。だから、ここにあるのは必要最低限の家具だけ。だから、山辺君はお客さん第1号よ」
だから広い部屋の割に、家具は少ないんだな。簡易的なゲストルームだ。まぁ泊まる分には申し分ないが。
「なんかごめん。暗い話をするつもりはなかったんだけど。私の部屋は隣。何かあれば来ればいい。あ、少し待ってて」
何かを思い出したように、水野は部屋を出て行った。
俺は改めて部屋を見渡す。広めの部屋に取ってつけたような家具。窓もあるから、1人部屋としては申し分なさそうだ。というか、俺の部屋より広い気がする。
とりあえず、俺はベッドの傍らにカバンを降ろした。
「あいつの妹か弟か。確かに、どちらかの部屋になるはずだったんだろうな」
水野の予想もあながち外れではないだろう。ただのゲストルームに、勉強机など普通は置かないからな。
「お待たせ」
振り返ると手に何かを持っている。
「それは?」
「さすがにずっと制服でいるわけにはいかないでしょ? これ、お父さんが高校のときに使っていたジャージよ。体育のときしか使っていないから、新品も同然だけどね」
受け取った青いジャージは、確かに新品のように思えた。
「あ、サイズ、大丈夫かな?Lサイズなんだけど……。とりあえず、着てみてくれる?もし無理なら別の物を持ってくるわ」
水野はそう言うと、外に出て行った。
俺は制服を脱ぎ、タンスの中にあったハンガーに掛ける。
水野の父さんは、高校のときはもう体はしっかりしていたのかもしれない。野球部だったというだけある。
「少しデカいか」
よほど筋肉質だったのだろう。Lサイズで俺はぴったりなのだが、これは少し大きい。裾を少し引きずる形になるので、俺は少し裾を折った。
「それにしてもびっくりしたわ。こんなことになるんて」
扉越しに水野が独り言のようにつぶやいた。
「何か、色々とごめんな……」
「気にしないで。それより、私たちはこれから夕飯作るわ。オムライスだけどいい?」
「俺は何でも……。それより、俺も何か手伝う」
「いいわよ。課題でもやっていればいいわ」
「いや、でも……」
泊めてもらう側としては何かを手伝っていないと落ち着かない。
「って言っても、何かしないと落ち着かないわよね。とりあえず、出て来てくれる?」
俺はドアの前にいる水野にぶつけないよう、ゆっくりと開けた。
「サイズは大丈夫そうね。少し大きいみたいだけど」
「さすが野球部だったっていうだけあるな」
「まぁね。とりあえず、私について来てくれる?」
俺は言われるままに、水野の後をついて行った。
「とりあえず、お風呂を掃除してほしいんだけど、いいかしら?」
俺が案内されたのは風呂場だった。脱衣所は意外とゆとりがある。洗濯機も置いてあるが、意外と広い。清潔感溢れる白がまたいい。
「何を見ているの? ここに私の下着はないわよ」
「ななな、何言って……」
「冗談よ。変に取り乱さないでくれる?」
冷静な反応に、体中が熱くなるのが分かる。
何やってんだ、俺……。
「とりあえず、スポンジと洗剤。ここにタオル置いておくから」
水野は風呂場のドアを開けた。風呂場も脱衣所のように広く、道具も綺麗に並んでいた。俺が普段使わないシャンプーやコンディショナー、それにいくつかのスキンケア用品まで並んでいる。女性しかこの家にはいないから当たり前か。
見慣れない物に興味を惹かれたが、あまりジロジロ見るのも失礼だろうな。それに見たところで男の俺には何が何だか分からない。ただ、水野は女子力が高いということは分かった。
「結構広いんだな」
「山辺君でも十分に足を伸ばせる広さよ。えっと、シャワーのスイッチはここ。まぁ見れば分かるから、説明はしなくていいか。掃除し終わったら、私に言って」
「あ、あぁ……」
「じゃあ、私はこれで。何かあったら、また……キャッ!」
「水野!」
俺はとっさに、足を滑らせた水野を受け止めた。
「大丈夫か?」
水野は俺の腕の中で、驚きつつも俺を見つめていた。意識したつもりはないが、どこかお姫様抱っこのように思える。
身長のせいなのか、それとも体型のせいだろうか。俺の腕に水野の全体重かかっているはずなのに、ものすごく軽い。そういえば、水野が倒れたときも抱き上げたが、そのときも本当に食べているのかと疑うくらい軽かった。
「あのさ、そろそろ離してもらえる? 受け止めてくれたことには感謝するけど、長いこと男の子の腕の中にいるのはちょっと……」
「あ、悪い……」
俺は水野の体を支えつつ、ゆっくり立たせたあと、静かに手を離した。その間ずっと心臓は激しく動いていた。
一方水野は、全く表情に出さなかった。こういったアクシデントには弱いはずなのに、俺のほうが慌てている気がする。
「ねぇ、大丈夫?」
「あ、あぁ…」
本当は大丈夫じゃない。今も水野に顔を覗き込まれて、冷静に保つのに必死なのに……。
「とにかく、ありがとう。おかげで痛い思いをしないで済んだわ。まさか、受け止めてくれるとは思わなかったけど」
「反射的に体が動いただけだ」
「それじゃあ、改めてお願いね。これ以上葉月を待たせると、山辺君が怒られてしまうから」
なんで俺がと言いたいところだが、立花のことだからその可能性はありえる。例え俺に非がなくてもあいつなら怒る。そしてビンタされる。……今さらだが理不尽すぎないか?
「あ、そうそう」
風呂場から出て行く足を止め、水野が振り返った。
「さっきのことは内緒ね。いくら受け止めてくれたと言っても、葉月は殴りにかかりそうだから」
「言われなくても言わねぇよ」
言ったら俺がやられるのは目に見えている。それに、さっきのことを思い出すと、体中が熱くなる。
「それじゃあよろしくね」
水野は今度こそ1人風呂場を出て行った。
「あー、くそ……」
水野が風呂場から出たのを見送ると、俺はその場にしゃがみこみ、立てた膝に顔をうずめた。
体中が熱いのは気のせいなんかじゃない。暑いからでもない。
ふと顔を上げると、鏡には顔を真っ赤にした自分が写っていた。
「なんなんだよ、これ……」
口ではそう言っても、本当はこの正体を知っている。小学生の頃に体験したこの気持ち。
俺はそんな訳ないと自分に言い聞かせ、風呂掃除を始めた。




