大事なお守り 陽人side
「陽人君、私がいなくなっても頑張るんだよ。陽人君には、もっといい人が現れるはずだから。だから、私の分まで…」
暗闇に包まれ、その人の姿は消えて行った。
――ガバッ!
「なんだ、夢か……」
何度目か見るこの夢。あの日から何年も経った今でも、この夢はよく見る。
「あれ? そういや、ここ、どこだ?」
夢にうなされ、今まで気付かなかったが、見慣れない部屋にいた。
「確か俺は、水野の家に、大事なお守りを探しに来て、それから、水野に1階は何もないって報告しに来たんだ。で、階段から……。そうだ。俺、階段から落ちたんだ」
でも、俺は1階で気絶してたはずだ。なのに、なんでこんな部屋に……。
そして、俺はふと壁に掛けられている制服に気が付いた。
「あれって、もしかして、水野の……」
しばらく停止した後、俺はすぐさまベッドを飛び降りた。
「ここ、まさか、水野の部屋……?」
気付くまでずいぶん遅かったが、気付かなかったほうがよかったのかもしれない。
息を切らし、心臓の鼓動も最高速。汗までも出て来た。
「ってことは、俺は、今までずっと、水野の部屋で……」
考えただけで体中が熱くなる。
「って、変態か俺は……」
冷静さを取り戻すため、深呼吸を何度か行った。
「にしても、女子高生の部屋って、こんな質素なものなのか?」
ある程度落ち着きを取り戻した俺は、改めて水野の部屋を見渡した。
「女子高生の部屋って、ピンクが中心じゃないんだな」
ピンクのカーテン、ピンクのラグ、そういったものを想像していたが、水野の部屋は白で統一されていた。
タンスや机、イスなどの家具は薄茶色だが、それ以外はほとんど白だ。
にしても、女の部屋ってこんなに散らかっているものか?
写真立ては床に落ち、課題のプリントは床にばら撒いてあった。タンスの引き出しは開けたままになり、中に入っていただろう服までもグチャグチャだ。
「あ、これ……」
驚きの連続で、枕元に置いてあったお守りに気付かなかった。
そっと手に取ると、不思議と安心する。
「あいつが、見つけてくれたのか…?」
見たところ、開けた形跡はなく、しっかりと袋は閉じられていた
中に何が入っているか気になったはずなのに、どうやら見てないようだ。
「ニャー」
「うおっ! って、お前いたのかよ」
白いベッドの上にいたため、真っ白な雪に気が付かなかった。
雪はベッドから降りると、伸びをし、俺の足にすり寄ってきた。
「お前が俺のそばにずっといてくれたのか」
ありがとうの意味を込め、雪の頭を軽く撫でた。
「雪はそばにいたのに、水野の奴はいないんだな」
そこはちょっとガッカリだが、ずっと彼氏でもない俺のそばにいるのも不自然だろう。
「ん? 雪、どこ行くんだ?」
今まで俺の足にすり寄っていた雪は、タンスの方へ向かって行った。
すると、中に入っている服を、器用に爪を引っかけて外に出している。
「お、おい。雪、ダメだろ。ん? まさか、お前がこの部屋を散らかした犯人か?」
そうは言っても、雪は何も反応せず、ただただ服を散らかしているだけだ。
「返事するわけないよな。とりあえず、水野のところに行くか」
部屋を出る前に、雪もつれて行こうかと思い直し、振り返ると思いもよらない光景が俺の目に映った。
「……」
俺は言葉を失った。
なんと雪は、どこから引っ張り出したのか、水野の下着にじゃれついていた。
「お、お前、何にじゃれついてるんだよ」
それでもお構いなしに、雪はじゃれついている。
しかし、さすがにその様子をじっと見ているわけにもいかない。爪が引っかかって破れてしまう可能性もある。
「お、おい、雪。そ、それで、遊ぶな」
手を伸ばし、下着を取ろうと手を伸ばすと、よほどお気に入りの物なのか、威嚇してきた。
「いって!」
俺は思い切り手を引っかかれた。
でもその隙に、反対の手で下着を奪い取った。
「ふー……。疲れた。ったく、とんだ変態猫だな。……って、これ、どうしようか…」
奪い取ったのはいいものの、どうすればいいか迷ってしまう。
部屋はシンプルなのに、下着はこんなに派手なのか。女の下着は分からんな。
――ガチャ
そんなことを思っていると、後ろで嫌な音がした。
「山辺君、気が付いたの?……って、何しているのかしら?」
明るい声から一変、怒りに満ちた低い声が聞こえた。
「み、水野……」
「その手に持っているのは何かしら?」
「あ、いや、これは、違うんだ! ゆ、雪がこれで遊んでたから……だから、その……」
本当のことなのに、慌てていると言い訳をしているように聞こえる。
「こんなに私の下着、散らかしておいて?」
「え…?」
ふと辺りを見渡すと、いつの間にか何枚かの下着が散らばっていた。
もちろん散らかしたのは雪だ。しかし、当の本人は下着で遊ぶのに飽きたのか、それともこの部屋の主人が帰って来たからなのか、知らん顔して座っていた。
「だ、だから、これは全部こいつが………」
「いつまで私の下着を握っているつもり?」
俺は慌てて下着を床に置いた。
「さっさと部屋から出てって」
「は、はい……」
相当お怒りの様子だ。
片付けるつもりなのだろう。
「あとこれ、邪魔だから連れてって」
水野は俺に雪を押し付けた。
「1時間ほど、私の部屋には近づかないで。1時間経ったら、リビングに行くから。それまで1人にさせて」
俺は雪を抱きかかえ、急いで部屋を出た。
「……相当、怒ってたな」
いくら雪が悪いとはいえ、俺もしみじみと見ていたから、同罪には変わりない。
「許してくれなさそうだ……」
知り合って間もない人、しかもクラスメイトの男に下着を見られたのだ。そう簡単には許さないだろう。
「ん?いい匂いだな……」
部屋の外にいるわけにもいかず、俺はリビングに向かっていたのだが、途中とてもいい匂いがしてきた。
リビングに入ると、匂いの正体が分かった。
「あいつ、カレー作っていたのか」
ダイニングテーブルの上にカレーが2つ用意されてあった。
「俺の分まで用意してくれたのか……」
休日にアポなしで来た俺を、家に上がらせ、お守りまで探してくれ、階段から落ちた俺をベッドまで運び、カレーまで作ってくれた。
「貸しが消えるどころか、あいつに借りができてしまったな」
何というか、恩を仇で返した気分だ。
「1時間は部屋から出ないんだよな。なら、今のうちに少し出てくるか」
俺は雪をリビングにあったケージに入れ、水野の家を飛び出した。
「いらっしゃいませ。何に致しましょうか?」
「いちごのショートケーキとチョコレートケーキを1つずつください」
俺が急いで向かった場所はケーキ屋だった。あいつが甘いもの好きかは分からないが、お詫びの印としては受け取ってもらいたい。
「お待たせしました。お会計はあちらでお願いします」
会計を済ませ、俺は店を出た。
ケーキが崩れないよう、俺は慎重に水野の家まで行った。
自転車だとケーキ屋まで片道20分なのだが、帰りは気を付けていたため30分もかかってしまった。
リビングに行き、水野が下りてくるのを待った。
――ガチャ
リビングのドアが開き、水野がリビングに入ってきた。
「あ、あの、水野、さっきは本当にごめん。お詫びとして、これ受け取ってくれないか?」
俺はさっき買ってきたケーキを差し出した。
「これは?」
「ケーキ買ってきたんだ。ケーキ、嫌いだったか?」
「いや、嫌いじゃないわ。わざわざ買ってきてくれるなんて思わなかったわ。ありがとう」
「いや、礼を言われるほどじゃないけど……」
さっきの後のことで、どこか気まずいが、水野は特に気にしていないのか、平然としている。どちらかと言えば、水野のほうが俺と顔を合わせたくないはずだよな?
「カレー、すっかり冷めたみたいね。温め直してくる。ケーキは食後にでも食べようか」
「あ、あぁ……」
拍子抜けするほど自然で、さっきの出来事は夢だったのではないかと思ってしまう。
「そうだ。山辺君」
「な、なんだ?」
「さっきのこと、別にわざとじゃないでしょ? 本当にそういう気があるなら、もう少し上手くすると思うし、散らかした犯人はどうせ雪でしょ。右手にひっかき傷があるし、前にも部屋中の物を散らかされたことがあるから。今回が一番ひどかったけど」
冷静に状況を判断できる水野がすごい。怒りは伝わってきたが、もう少し声を荒げたり、叩きのめされたりしてもおかしくないのに。
「まぁ、今回ばかりは大目に見るわ。もちろん、葉月にも言わないから。階段から落ちて気絶する面白い瞬間も見れたし。さ、味には自信ないけど、これ食べて」
水野は電子レンジで温めたカレーをテーブルの上に置いた。
俺たちはイスに座り、水野が作ったカレーを食べた。
「今回は、水野にお世話になりっぱなしだな。よく俺を2階まで運べたな。重くなかったのか?」
「おんぶしたら多少は大丈夫だったわ。しんどかったけど。あのままにしておくのもどうかと思ったしね」
話しながらも、水野は黙々とカレーを食べる。その間、俺と目を合わすことはない。
「それと、お守り見つけてくれて、ありがとう」
「雪が私の部屋に持って来ていたみたい。あ、そうだ。話したくなければいいんだけど、そのお守りについて少し話してくれない?」
さっきまでカレーばかり見ていた水野は顔を上げ、俺の目を見た。
このお守りについてか。
俺はポケットに入れていたお守りを取り出した。
「水野には色々世話になったしな。このお守りについて、話してやるよ。俺の、初恋の人についてだけどな」
「初恋の人?」
「あぁ」
「その人は今どこに?」
「俺の初恋の人は、死んだんだ……」
「え……?」
お互いの間に沈黙が流れる。
「急にこんな話してもあれだよな。その子とは、病院で会ったんだ。俺は学校で友達とヤンチャして、階段から落ちて腕や足とか骨折したんだ。全治1ヶ月だった。入院したときに隣のベッドにいたのが、その子だった。相手は女の子で、話しかけづらかったんだよな。骨折したのは、小学校の3年生だったな」
小学校の3年生だから、少しだけ思春期が入っていたのかもしれないが、とにかくその頃は話せなかった。
「でも、あるとき向こうから話かけてきた。よほど緊張していたのか、すごくモジモジしていたのを覚えてる」
顔を真っ赤にして、必死に話しかけてきたのを今でも覚えている。
「それから、よく話すようになった。相手は女の子だけど、どうしてか話しやすかった。入院中は夏休みで、結局どこにも行けなかったけど、楽しかったのは覚えてる。俺が退院したのは、もう夏休みも終わった頃。退院するときに、その子がこれを渡してくれたんだ。こっそり作ってたみたいで、俺も渡されるまで気が付かなかった」
夜な夜なこっそり何かをしているのは見たが、カーテン閉めていたし、聞いてもはぐらかされていたけど、これを見た瞬間、行動すべてに納得した。
「退院してからも、俺は通ったんだ。家からもさほど遠くなかったから、毎日のように通ってた。でも、別れは突然だった。1年が経ち、俺が入院していた時期になった。いつものように病室に行くと、そこには何もなかった。入院前の綺麗な状態になってた。顔見知りになってた看護師さんが教えてくれたんだ。前日の夜に亡くなったと」
言うのをためらっていたけど、俺が何度もせがんだ。そして、亡くなったのだと初めて知った。
「だから、これは遺品、になるのかな? 俺はそうは言いたくないから、これは思い出として、大事に持っているんだ。未練がましいよな」
「1つ、聞いていい?」
今まで黙っていた水野が、重い口を開いた。
「その子の名前、なんて言うの?」
俺は少しためらった。言うべきか、言わないべきか。
「どうしたの?」
「いや、その……」
「言いたくないなら、無理に話さなくてもいいよ。そこまで話したんだから」
いつもの冷たい言い方ではなく、今回ばかりは優しさや温かみを含んでいた。
「いや、そうじゃないよ。えっと、その子の名前は、あおいって言うんだ」
「え?」
あおい…じゃなくて、水野は心底驚いた顔をした。
「私と同じ名前なんだ。漢字も?」
「病室の名前見たけど、ひらがなだった。名字は漢字でその頃の俺には読めなかった。ずっと名前で呼んでたからどんな名字かも忘れたけど」
「そっか。じゃあ、山辺君もあおいちゃんの年齢超えてたのね。なんか、自分と同じ名前に「ちゃん」付けするの、変な気分だ」
悲しそうに、水野は少し微笑んだ。一瞬だったが、確かに俺にはそう見えた。少しだけ、水野の感情が表情に表れた。
「水野……?」
「カレー、美味しかった?」
「あ、あぁ…」
俺の呼びかけに答えることなく、水野は空いた2つのカレー皿を下げていく。
不思議と俺は水野から目が離せなかった。
水野の行動1つ1つが悲しげに見える。俺の話を聞いたからかもしれないが、何か、もっと別に原因があるような気がしてならなかった。キッチンでは水野が皿洗いをしている。皿同士が当たる音、水が流れる音、スポンジで皿をこする音…。
様々な音が聞こえてくるが、どれもこれも泣いているような、そんな気さえしてきた。
「でも、よかったわ。大事なお守りが見つかって」
ふと話し始めた。その声は、いつもの水野だった。
「今日は何かこの後予定あるの?」
「いや、お守りのことしか頭になくて……」
正直こんな長い時間水野の家に転がり込むとは思っていなかったが……。
「全く、女子の家に上がり込むことしか考えてなかったのね」
「べ、別に、そんなつもりじゃ……」
「とりあえず、ちょっと来て。せめて、この家の大黒柱の人には、挨拶してもらわないと」
大黒柱と聞いて、俺は気絶する前のことを思い出した。
「お前の、父さんか……」
「それと、写真だけだけど、ユウ君の写真もあるの」
「えっと、色河優月さんだよな?」
「フルネームなのね」
「俺よりも先輩、いや、同い年…。なんて言えばいいのか、会ったことないから、呼び方に困るんだよな…」
俺は写真しか見たことがなく、会ったことすらない。
「そっか。会ったことがあるのは、先輩と葉月だけだもんね」
「立花も会ったことがあるのか?」
「葉月はよく家に遊びに来ていたから。それで、ユウ君とも会ったの。葉月は名前にさん付けで、先輩は名前を呼び捨てにしてたな。山辺君も好きに呼んでいいと思う。私は本人ではないから、説得力はないけど」
生きていれば、俺よりも1つ年上だ。しかも会ったこともないから、やっぱりここは…。
「じゃあ、色河さんで……」
「それがあなたらしいわ。それじゃあ、行きましょうか」
俺たちはリビングを出て、和室へと向かった。なぜか雪までもついてきた。
探し物をしたとき、場所だけは知っていたが、いざ入ることを目的にこの部屋の前にいると思うと、どこか緊張してしまう。
襖を開けた途端、この部屋に染みついた線香のにおいが鼻をかすめた。目に入ったのは小さいけれども、立派な仏壇が目に入った。
そして、2つの小さな写真立て。
「一応、客間でもある。まぁお客さんは、最近はようやく落ち着いたわ」
「落ち着いた?」
「お父さんが死んで、そのお友達がお悔やみを言いに。死んですごく経った今でも、時々来る人がいるの。どれだけ友達がいたのかは知らない。野球部だったから、それ関係が多いのかもしれない。小、中、高の同級生がたくさん。信頼も人望も厚い。だからこそ、たくさん友達がいたんだと思う」
父親のことを話す水野は、表情は真顔に近いものだが、それでも分かる。
そんな父親が、誇らしげであると。そう語っている。顔だけでなく、感情でそう語っていると分かる。
「私の小さい頃に亡くなったと聞いた。だから、どんな人かなんて、正直全く覚えてない。でも、たくさんの人から必要とされるくらいだから、ものすごくすごい人なんだろうなって思う。私はそんなお父さんの娘であることに、誇りを持てる」
「会ってみたかったな。色河さんにも、水野の父さんにも」
仏壇に並ぶ2つの写真は、どちらも笑っていた。仏壇に飾る写真にしては、少し場違いなんじゃないかと思うほど。それくらい、2つの写真は俺には輝いて見えた。
水野の父親は、大好きだった野球の帽子を被っている。色河さんは前に水野に見せてもらったのと同じものだった。
「ここはお父さんの仏壇で、ユウ君の仏壇はユウ君の家にある。でも、毎日手を合わせたいから、お父さんの横に、申し訳程度に写真を飾らせてもらったの」
色河さんのことを話す水野は、やはり辛そうだ。家族であり、初恋の人を亡くしたのだ。そうなっても不思議ではない。
「ここに座って」
俺は水野に言われるまま、仏壇の前の座布団に正座した。
水野はロウソクに火を点け、俺に線香を渡した。
「挨拶の仕方は知っているかしら?」
「バカにするなよ。それくらい知ってる」
俺は線香に火を点け、鈴を鳴らした。その後、ゆっくりと目を閉じながら、手を合わせた。
先ほど鳴らした鈴が、未だに響いている。そんな中で、俺は何と言えばいいか考えていた。
俺は声に出さず、挨拶と自己紹介をした。それに加え、今日家にお邪魔した経緯も述べた。女子の家に上り込んでいるわけだから、この家の大黒柱である人に報告はしておくのが礼儀だと思ったからだ。
ゆっくりと目を開け、手も下ろした。
「へぇ。意外とちゃんと出来るのね」
「バカにしすぎだろ。さてと。俺はそろそろ帰らせてもらうな」
「もうお帰り?」
「さすがにこれ以上女子1人の家にお邪魔するのも、なんだか気が引けるからな」
それに、さっきあんなことをした後だ。正直まだまともに水野を見られない。
「ケーキのこと、忘れてない?」
「俺はいいから、お前の母さんと食べろよ」
俺は正直早くこの空間から逃げ出したい。体がうずうずして仕方がない。
「まぁあんなことがあった後だから仕方ないか。それじゃあ、あと数分待って。すぐ戻るから、ここで少し待ってて」
そう言うと、水野は足早に部屋を出て行った。
和室に1人取り残され、先程のことが頭にチラついてしまっているせいか、水野のお父さんと色河さんの写真の視線が痛い。忘れたいものほど、記憶に残りやすい。今でも鮮明に頭の中に残っている。
「平常心。平常心と……」
ここで動揺を見せれば、水野も気を遣うだろう。俺は深呼吸を何度か行った。
「お待たせ」
水野が戻って来た。なぜか箱らしきものを抱えていた。
「それなんだ?」
「救急箱。気付いてないの?ひっかき傷から、血が滲んでるけど」
ふと自分の手を見ると、確かに血がほんの少しだが滲んでいた。痛みはほとんどなかったため、全く気にしていなかった。
「手、貸して」
「いや、これくらいどうってことない」
「いいから。ほら、早く手を出す」
俺は渋々と水野に手を差し出した。
テキパキと俺の手の手当てをする水野は、初めて会った頃よりも行動や表情が柔らかくなっているような気がする。ずっと無表情だが、ほんの一瞬見せる表情がある。あれが、本当の水野なのではないかと思わせる。
「これでよし。山辺君?」
俺はずっと水野の顔を見ていたので、ふと顔を上げた水野と思い切り目が合ってしまった。
「へ?」
「どうしたの?ぼーっとして」
「何でもない。あ、ありがとな」
普通の絆創膏では傷が隠しきれなかったのだろう。大きな絆創膏が、俺の手の甲を覆っていた。大した傷でもないのに、これは少し大げさだな。
「ほんと、何から何まで、お前には世話になりっぱなしだな」
「お守り見つけて、部屋まで運んで、下着見られても手を出さず、カレー作って、傷の手当てをして。倍で返してもらうから」
ジロッと俺を睨む。睨む理由はただ1つ。今日一番の事件のことだろう。
「申し訳ない……」
「山辺君も無表情が多いけど、今は面白い顔してるわね」
「はぁ?」
「気付いてないの?顔、真っ赤よ」
どこから取り出したのか、小さな手鏡を俺に向けた。そこには顔を真っ赤にしている俺の顔が写っていた。
「こ、これは! その……」
「言い訳無用。長い時間下着を見ていたわけじゃなさそうだけど、記憶にはしっかり残っていそうね。やっぱり、1発ぶん殴ったほうがいいかしら?」
右手の指を曲げたり伸ばしたりしている。殴る準備体操でもしているのか?
「待て! あれは雪だって! それに、一瞬しか見てないけど、あんなに派手だったら記憶にだって……。うおっ?!」
水野に対して誤解を解いている最中、ふと頭の上に、顔中血まみれの男が見えた。瞬きした瞬間消えてしまった。
「どうしたの……って、聞くまでもないわね。山辺君も見たんでしょ? 血まみれの幽霊を」
「あ、あぁ……。一瞬だったけど、割とはっきり分かった。血まみれで男だっていうのは分かったんだが、どんな顔だったのかは、どうしてか思い出せない」
血まみれの男だというのはしっかりと分かる。でも、どんな顔だったかは分からない。一瞬だったし、顔中血まみれだったから分からなかったのかもしれない。
「殴るのはやめておくわ。幽霊見ただけでいい罰になったし。とにかく、さっさと忘れて。思い出しただけでも恥ずかしいし、腹が立ってくるわ。ちなみに、何があっても葉月には漏らさないことね。私のようにただじゃ済まないだろうから」
「だ、誰が話すかよ。間違ってもそんなヘマはしたくない」
もし誤ってそんなことを漏らしたら……。考えただけでも恐ろしい。
「と、とにかく、俺は帰る。これ以上ここにいたら迷惑だろうし」
「ケーキくらい食べればいいのに。もう少し山辺君のこと、知りたいのに」
「弱みでも握りたいつもりか?」
「バレたか」
「お前な……」
「冗談よ。本気にしないで。でも、山辺君のことを知りたいのは本当よ。私たちって、友達なんでしょ?」
最後の質問は、先程とは打って変わって弱々しい。どこか俺の様子を伺っているような、そんな感じだ。
「友達だ。俺もお前のこと知りたい」
「1つだけ、聞いてもいい?」
「ん? どうした?」
「何があっても、友達でいてくれる? 私の過去を全て知っても、受け入れてくれるって約束してくれる?」
さっきの質問よりももっと弱々しく、声も微かに震えていた。
そんな水野に、俺は右手の小指を差し出した。
水野もそんな俺に答えるように、自分の右手の小指を俺の小指に絡ませた。
「約束する。何があっても、お前の友達だ」
「ありがとう」
俺はそっと小指を離した。
「なんか、ガキっぽかったかな。指切りなんて」
「別にいいじゃない。まだまだ私たちはガキなんだから」
高校生とはいえ、社会から見ればまだまだ子供だろう。大人の階段を上っている最中に過ぎないのだから。
「無理に背伸びして大人に見せようとするよりはマシだよな。それじゃあ、俺は帰るわ。同級生の女子の家にこれ以上いると、心臓持ちそうにないから」
「案外ピュアなのかしら?」
「うるせぇよ」
俺は和室から出るとき、チラッと仏壇のほうを見た。さっきのこともあるせいか、写真の中の2人が俺を睨みつけているような気さえした。
そして、モヤモヤしたまま、俺は水野の家を後にした。昼過ぎのせいもあるのか、ジリジリと太陽が俺を照りつけている。




