2人が家に
「じゃあ、私こっちだから」
「待って、葵」
「どうしたの?」
「今日は私も葵の家まで行く」
「何言ってるのよ。葉月は私と反対方向じゃない」
夏も近づき、辺りは明るいとはいえ、さすがにこんな時間に女の子1人を帰すわけにはいかない。例え強いとしても……。
「じゃあ、みんなでこいつを家まで送るか?まぁ、水野がいいって言うならだけど」
急に私に問いかけられても困る。
「私は別にかまわないけど、こんな遅い時間に、山辺君はともかく、葉月を帰らすわけにはいかないわ」
「立花のことなら心配するな。俺がこいつを送るから」
「葉月はそれでいいの?」
「送ってもらうのは癪だけど、この際仕方ない。私よりも葵が心配だし」
これは何を言っても家について来るつもりだろう。
「はぁ……。分かった」
やれやれ。この先私たちの関係はどう変化するのだろうか。その辺が心配でならない。
「ってか、なんで急に私の家まで送るって言い出したのよ」
「ここまで来たら送るわよ。まだ誰かみたいに連れて行かれたら今度こそ心臓が持たないしね。でも、風間はついてくるなよ?」
「徐々に口調が荒っぽくなってきたわね……。先輩、葉月は完全にあなたに対して心を開く気はなさそうですよ」
滅多に出ない男口調が出ているから、溝が深まることはあっても、埋まることはないだろう。
「俺、そんなに舐められた存在なのか?」
「ええ。あなたが初めてです。こんなにも早く葉月を敵に回した人物は」
そのほうが私としても助かるが。もしかして、葉月は……。
「ちょっと、葵どうしたのよ」
「何が?」
「何がじゃないわよ。やっぱり、まだ気分が優れないとか?」
「平気よ。ほんと葉月は心配性ね」
無表情でも心配されるとは。ダメダメね。
「じゃあ俺は諦めるよ。これ以上立花さんにも水野さんにも嫌われたくもないしね」
そう言うと先輩は途中で引き返した。
「じゃあね」
そう言うと、素直に元来た道を歩いて帰った。
「……案外素直なのね」
「私もびっくりだわ」
私は先輩から目を逸らし、数十メートル先にある自分の家を見つめた。いつ私の家が分かってもおかしくはなさそう。
「お前の家ってあの家か?」
山辺君はそっと私の家を指さした。
「よく分かったわね。ただ見つめていただけなのに」
「まぁ勘だっていうのもあるんだが」
野生の勘というやつか。まぁ当たっているから当てにはなるんだろうな。
「ここまで来たらもう大丈夫だから、2人はもう帰って」
「いやいや、ここまで来たら家まで送るよ。それに、久しぶりに雪ちゃんも見たいし。あ、今日おばさんはいるの?」
「お母さんはまだ帰って来ていないわ」
「おばさんにも挨拶したかったんだけどな」
そういえばお母さんと葉月、しばらく会っていない気がするな。
「なぁ、ゆきちゃんって誰だ?」
「雪ちゃんは葵の家で飼っている猫のことよ。真っ白で綺麗な猫なのよ」
「へー。だから雪か。俺も見てみたいな」
「人見知りなのよ。私も最近見ないのよね。同じ家にいるのに。あ……」
家に帰る途中、ふとある家を見上げた。
「葵…」
「今日は明かりが点いているわね」
「なぁ、水野、この家って…」
「山辺君」
葉月に制止され、山辺君は何も言わなくなった。でも、山辺君はここが誰の家かは察しがついただろう。
「あ、自転車は駐車場のとこにでも置いておけばいいわ。さあ、雪に会ってあげて」
玄関の扉を開け、電気を点けたが、雪が出迎えてくることはなかった。
「少し待ってて。すぐ連れてくる……って、自分から出てきた」
家に上がろうと靴を脱ごうとしたら、自分から出て来た。
「本当に真っ白だな。結構美人……いや、美猫か?」
「これでもオスなのよ」
見た目は綺麗だが、オスだからここはイケメン猫とでも言うべきだ。細い体に黄金に輝く目が私たちを見つめていた。
「珍しいわね。自分から玄関に寄って来るなんて」
お母さんが帰って来たときはたまにあるが、私が帰って来たときは全くと言っていいほどないのだ。
「にしても、大きくなったわね。少し前まで子猫だったのに」
「この猫、子猫の頃から飼い始めたのか?」
「元野良猫だったのを拾ってきたの。何かの縁かもしれないから」
一時は雪を恨んだこともあったが、ユウ君が見捨てないでと言ったから飼うことにしたのだ。
「なぁ、水野」
「何?」
「ちょっとトイレ借りてもいいか?」
「あんた、さっきも行ったばかりなのに」
葉月は知らないだろうが、本当はトイレなんかには行ってないのだ。
もしかして、本当はトイレ行きたいのに私の手当てをしてくれたのだろうか。
「あ、もしかしてトイレを口実に葵の家に上がりこもうとしてるんじゃないでしょうね?」
「んなわけねぇだろ。先輩と一緒にするな」
「とにかく、早く行って来たら? 漏れちゃうわよ」
「漏らすか、バカ」
「廊下を真っ直ぐ行って、右に行けばそこがトイレよ」
靴を脱ぐと、急ぎ足でトイレに向かった。どれほど我慢していたのだろうか。
「あ、葉月、電話借りてもいい? 今日スマホ忘れちゃって。遅くなるって、家に電話したいから」
「いいよ。電話の場所、分かるわよね?」
「リビングにあるんでしょ」
葉月も靴を脱ぐと、リビングのほうへ向かって行った。
「さてと。雪、ご飯にしようか」
「ニャー」
雪が出て来たのは、ご飯の催促をしに出て来たのだろう。
2人……いや、1人と1匹でキッチンに向かった。
エサ入れにキャットフードを入れ、私は食べている様子を見ていた。
リビングではまだ葉月が電話をしている。
「今のうちに右手のハンカチを何とかしないとね」
冷たかったハンカチは、私の体温でぬるくなってしまった。ハンカチを取ると、ほとんど赤みは引いていたが、少しヒリヒリした。
「水洗いしようかな」
私は葉月の方をチラッと見て、洗面所に向かった。
――ジャー……
水でゆすぎ、ある程度こすった。別に汚れているわけではないが、汗が染み込んでいそうだから。
「あとは洗濯機に入れたら終わりね」
ハンカチを洗濯機に入れ、私は洗面所を出た。
「そういえば、山辺君遅いわね」
どれくらい経ったか分からないが、体感的に長く感じたので私は様子を見てくることにした。
「中にはいるみたいね」
トイレのドアには、小さな曇りガラスの窓があり、そこからトイレの明かりが漏れていた。
――コンコン
「山辺君、大丈夫?」
「水野か? トイレ覗きに来たのか?」
「出てきたら覚えておいてね。そんなことより、大丈夫?」
「平気。もう出るから」
水の流れる音が聞こえ、ドアの開く音がした。
「なっ!」
「ん? どうした?」
「最低」
私はすぐさま後ろを向いた。
「出てくるなら、ちゃんとズボン穿いてから出て来てよ」
「いつもの癖で……。悪い……」
「あやうく手が出るところだった」
「手はしばらく出すな。お前、まだ手、治ってねぇんだから」
「今心配されても嬉しくない」
後ろでカチャカチャベルトの音がしなければ完璧だったのだが……。
「もういいぞ」
「二度とそんなヘマするな」
「へいへい。もういいぞ。いつまで後ろ向いてんだ」
「だって、その……」
ヤバい、心臓が口から飛び出そうだ。
「お前、見かけどおりの初心なんだな。さっきの威勢はどこいったんだか」
「う、うるさい!」
思わず山辺君のほうを見てしまった。
「顔真っ赤」
しまった……。
「クールを装っていても、こういう想定外のことが起こると、女子高生になるんだな」
この人、分かっててやってる?
分析を開始すると、徐々に冷静さを取り戻していった。
「もういつものお前に戻ったか。お前は不測の事態には弱いようだな。そのときだけ感情が表れるみたいだ」
「わざとね」
「最初はわざとじゃないが……。まぁ確認したいことは確認できたからよしとするか」
「何が目的?」
「無理にとは言わないが、少しくらいは感情出してもいいんじゃねぇか?」
「あなたに何が分かるの」
「やっぱり、お前、過去に囚われてるんじゃねぇか?」
真剣な表情だが、どうしても過去を探り出そうとしているようにしか思えない。
「どうしてそんなに私の過去を知りたいかは知らないけど、あなたには関係ないわ。だから、私のことは探らないで。過去を他人に知られるのは嫌なのよ」
赤の他人に、私の過去を悟られでもしたら……。
「お願いだから、私の過去には触れないで。私の過去を知れば、あなたは私から離れるわ……」
変だ。いつもならもっと冷静に話せるのに、今は声が震えている。
「なんでそう言い切れるんだ?先輩のことだって言い切ってたし……」
「せっかく、出会えた友達を、私は失いたくないのよ……」
ずっと避けられ、陰口を叩かれ、精神的には参っていた。やっと、初めて幽霊の見えない人に出会えたのに。
「俺はそう簡単には離れないぞ。何があっても」
「じゃあ、例えば、私が人を殺したと言っても?」
「え…?」
「冗談よ。本気にしないでよ。さっきのお返しよ、ばーか」
「2人で密会かしら?」
背後からものすごい怒りのオーラが伝わってくる。
「立花……」
「葵に何した? ただごとじゃねぇのは確かだよな?」
「葉月、少し待って。何もしてないわ。ただ、トイレからちゃんとズボン穿かずに出て来ただけよ」
「あ、お前!」
「ほほー」
少しくらいは痛い目見てほしい。やられたら倍で返すのみ。
「覚悟しろ!」
――バチンッ!
ものすごい音が響いた。
「え?」
葉月の驚いた顔。
「どうしたの?」
振り向いた瞬間、そこには驚きの光景が広がっていた。
「山辺君、あなた……」
「反射神経は悪くはない。これくらいなら受け止められる。顔でも多少は大丈夫だが、こいつの威力強いから、手で受け止めさせてもらったけど」
この人、侮れないわ……。
「受け止めるのは勝手だけど、いつまで私の手を握っているつもり?恋人以外の男に、手を握られる覚えなんてないわ」
「あ、悪い」
お互い何ともないのか、ただ手を離しただけだった。この2人に神経は存在しているのだろうか。疑いたくもなる。
「水野も余計なこと言うなよな」
「本当のことでしょ。にしても、そんなこと出来るならかばう必要なんてなかったかしらね」
痛い思いをして損をした気分だ。これは借りではなく貸しのような気もする。
「葵、単刀直入に聞くが、山辺の見たか?」
「見たって何を?」
「こいつの下着」
「なな、な……」
よく恥ずかしげもなく言えるものだ。しかも山辺君の前で。
「わ、私は、何も見てない……」
体中が熱い。心臓も口から飛び出しそう。
「見ての通り、葵は男慣れしていない。むやみに手を出したら、この私が黙ってない」
「見りゃ分かるよ。こいつには指1本触れてないから安心しろ」
「汚らわしいもの見せてないなら私はそれでいい」
「汚らわしいとはひどいな」
この2人も相性悪いのだろうか。
「って、こんなくだらないことを言っている場合じゃないわ。そろそろ帰りましょう。あまり長居すると葵に迷惑がかかるから」
「そうだな。じゃあな、あお……じゃなかった。水野」
「おいコラ。気安く葵って呼ぶな」
「仕方ねぇだろ。お前の呼び方がうつったんだ」
この2人、案外いいかもしれない。この人なら、もしかしたら任せられるかもしれない。
「あ、そうだ。山辺君、ケータイ持ってる?」
「持ってるけど」
「連絡先交換しとこ」
「あら、珍しいわね。あなたが交換するなんて」
「いいじゃない。ほら、早くして」
お母さんと葉月ともう1人、山辺君が加わった。これで3人目だな。いや、4人目か。今は使われていないが、名前だけは残してある。
葉月は忘れているので交換はできなかった。だから私が山辺君のほうへ葉月の連絡先を送ることにした。
「これでいいか。じゃあ山辺君、葉月を頼んだわよ。明日は休みだし、2人で出かけてきたら?」
「「誰がこんな奴と!」」
「息ピッタリなのに」
お互い言い合いながら、2人は家を出て行った。
「葉月の運命の人って、山辺君なのかな?」
もしそうなら、任せてもいいだろう。私なんかに構っていないで、恋人作ればいいのに。
私なんかといるから、恋人はおろか友達すら怪しいものだ。
「せめて、先輩と山辺君とは、仲良くしてほしいな……」
これが、私のせめてもの願いだ。




