昔のこと
私と先輩は歩き、葉月と山辺君は自転車だ。方向は私だけみんなと逆方向だ。なんか悲しいな……。
「……って、なんでみんなこっち来るのよ」
「なんでって、あんたが心配だからよ。葵だけ方向逆だし」
さっきそれ思ったけど、葉月に言われるとなんか悲しい。
「大丈夫だって。例え変な人に襲われようが返り討ちにするわ。葉月には劣るけど、多少は力あるもの」
「それは俺が保証する」
「しなくていい」
途中から山辺君が口を挟んだので、私は思わず突っ込んだ。
「あんたたち、数時間の間に仲良くなったわね」
「葉月、それは冷やかしなの?」
「あ、バレた? 恋してるあんたをからかうのが一番好きだけど」
いたずらぽい笑顔を浮かべる。そういや昔よくからかわれたな。懐かしい。
「しょうもないこと言わないで。恋する気なんて、私ないから」
私の場合、初恋は苦い思い出ではない。悲しい記憶にしかならなかった。
「あ、ちょっと公園寄っていいか?」
「どうしたの?」
「ちょっとな。先輩、これ持っていてください」
山辺君は先輩に自転車を預けた。いや、押し付けたが正しいかな。
「ちょ、何よ」
「いいから、お前も来いって」
山辺君は私の手を思い切り引っ張った。
「ちょ! 山辺! あんた葉月に何しようと……」
「何もしねぇよ。俺がトイレ行ってる間、荷物持っててもらうだけだし。2人はゆっくり来いよ」
「ちょっと」
私の言い分には耳を貸さず、強引に手を引っ張って行った。
「ちょっと。いきなり何なの」
「いいから」
山辺君は自分の荷物、そして私の荷物をベンチに置いた。
「あれ? トイレなんじゃ……」
「トイレは嘘だよ。とりあえず、こっち来い」
今度は手首を掴むのではなく、私の左手を握るようにして引っ張った。
着いた場所は手洗い場だった。
「なんでここに……」
「お前、無理するのは得意なんだな」
山辺君はポケットからハンカチを取り出し、水に濡らした。
「ほら、右手貸せ」
「な、なんでよ」
「手、痛いんだろ?」
早くしろと山辺君は急かした。それで仕方なく、私は右手を差し出した。
「あんだけの威力、頬じゃなくとも相当なものだ。よく真顔で平気な顔していられるな。よし、出来た」
右手には、ピンクで花の刺繍がしてある、可愛らしいハンカチが巻かれてあった。
「……案外可愛らしいハンカチ使っていたのね」
「そこに触れんな。とりあえず、公園の出入り口まで行こうか。ここ、自転車は侵入禁止だからな」
「まさか、それを知ってて先輩に自転車を?」
「立花も自転車持ってたから、ちょうどよかったよ」
意外と頭の回転は速そうだ。使えるものは何でも使うタイプか。敵に回したくない一人かもしれない。
「それに、俺をかばったせいでそうなったしな。お前も親友の立花には見せたくなかっただろ?」
そこまで読んだうえで、わざわざ私をここに連れて来たようだ。
「またあなたに借りが出来たわね」
「いつか返してもらわねぇとな。倍で返せよ」
「返せたらね」
そう言いながら、私はチラッと右手を見た。山辺君に似つかわしくないハンカチ。それが私の手に巻かれ、熱を持った右手を冷やしていく。
右手だけでなく、体の熱さえも奪ってほしい。胸のドキドキさえも。
隣で陽気に喋る彼の顔を、私はまともに見ることが出来なかったから。
顔も口調もまるで違うのに、どうしてか山辺君がユウ君に見えて仕方ない。
私はふと、昔の出来事を思い出していた。
あれは確か、私が小学校に上がりたての頃。学校からの帰り道、私は野良犬に襲われた。しかも大型犬三匹に。
「ウーッ!」
3匹の犬に睨まれ、唸られている。あとずさった場所は家の塀。もう逃げ場がない。
まるで私が獲物だと言わんばかりに、3匹が私を囲んでいる。例え上手く逃げたとしても、すぐに追いつかれるだろう。このままでも襲われる。
いずれにせよ、噛まれるしか方法はないのだ。
「葵!」
覚悟を決めた直後、誰かが私の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「キャイン!」
すると、どこから拾ってきたのか、ユウ君が木の棒を持って、1匹の犬の頭を思い切り叩いた。
それからも私と大差ない体で、必死に棒切れ1本で戦っている。それも3匹相手に。
「キャッ!」
「葵!」
呆然としている私に、1匹の犬が私の手に噛みついた。
すぐにユウ君が追い払ったため、軽いケガで済んだ。
しかし、ユウ君の方がもっとひどかった。さすがに1人で3匹の相手をするのは容易ではない。しかし、振り回していた棒が目に入ったのか、痛がりながら逃げ出して行った。
戦っていた時間は数十分かもしれないが、私たちにとっては数時間のように感じられた。
「ユウ君、大丈夫?」
私は泣きながらユウ君を心配した。
「どうした?痛いのか?」
しかし、ユウ君には私が泣いている理由はケガをしたからだろうと思ったみたいで、私を近くの公園につれて行った。
公園にある水道で、私の傷口を洗い流し、持っていたハンカチで私の手を縛った。これまた可愛いハンカチだった。
「ハンカチは気にしないでね。本当は入学祝いに、葵にあげようかと思ったんだけど、血で汚れたから、また新しいのをあげるね」
この可愛らしいハンカチは私のために……。
「じゃあ、帰ろうか」
「ユウ君も、ケガしてるのに……」
「これくらい平気だよ」
口ではそう言っても、腕からも足からも血が出ていて、私よりもひどいようだ。見ているだけで痛々しい。
「平気だから、心配しなくていいよ」
そして、私はふと手に巻かれたハンカチを見た。ピンク色のハンカチは、少し血が滲み、赤くはなっているが、ほとんど血は止まっているようだ。
「ほら、帰ろう」
優しい笑顔で、私の手を握り、帰り道を一緒に歩いた。今思えば、あれは無理して笑ってたんだろうな。私に心配かけないようにするために。
今でも鮮明にあの日の温もりを思い出せる。
「おーい、水野」
「へ?」
「ボーッとして、どうしたんだよ」
「何でもない」
昔のこと思い出していると、ついボーッとしてしまった。
「変な奴だな」
「あんただけには言われたくはない」
「可愛くねぇな」
「はいはい」
相手にするだけ無駄だと分かった。なんでこんな奴にときめいたのか分からない。
「ハンカチ、なるべく早く返すから」
「別にいつでもいいよ。気に入ったのならやるし」
「いらないわよ」
「冗談だよ」
そう言って笑う顔にまた胸が高鳴る。
「どうした?」
「なんでもない」
慌てて私は顔を背ける。
「あ、さっき可愛くないって言ったの、訂正するわ。やっぱお前、可愛いよ。ガキみたいでな」
「どうせそういう意味だと思ったわよ」
デリカシーのない人だから、どうせこういうことだと思った。
「あ、でも、顔は普通に可愛いぞ」
え……? 今、なんて……。
「笑えばもっと可愛くなるんだろうな」
ふと山辺君のほうを見たが、別に照れているわけではなさそうだ。こんな恥ずかしいセリフもサラッと言えるんだな……。
「素直すぎるでしょ……」
「それが俺の良いところ。お世辞じゃねぇからな」
ということは、本音ってこと……?
ドキドキが止まらない。さっきよりも加速している。
「あ、立花だ」
その言葉に、体がビクッとなった。
「早く葵! こっち来て!」
「ほら、あいつが呼んでるぞ」
「そんな人のそばいたら、危ないって!」
「大声であいつ……」
葉月の声が大きく、周りの人もギョッとしている。山辺君を見る目はみんな冷たい。
「葉月、大声でそんなこと言わないの」
「だって、山辺君があんたを引っ張っていったんだよ?心配にもなるって」
「何もないから。誤解を招くようなことを大声で言わないの。葉月、人は第一印象じゃないわよ」
「あんたが人をかばうなんて、珍しいわね。しかも2回も」
「別に。早く帰ろう」
「そうだな」
「おい。俺にいつまで自転車持たせているつもりだ?」
少しご立腹のよう。そりゃそうだろう。自転車を押しつけられたのだから。
「すんません」
先輩から自転車を受け取ると、私の右隣に来た。
「これなら2人からは見えないから安心しろ」
私にだけ聞こえるように囁いた。
「どれだけ私に借りを作らせたいのよ」
「そんなつもりはねぇよ。優しさとして受け止められねぇのか、お前は」
優しさね…。確かに右手に巻かれたハンカチは、ただ恩を売っただけだとは思えない。
「ありがとう、山辺君」
「それでいいんだよ」
小声で言ったはずなのに、どうやら聞こえたようだ。
「これからも、よろしくね」
「こちらこそ」
軽く挨拶を交わした後、私たちはみんなとの会話を楽しんだ。葉月と先輩の痴話げんかのようなものが繰り広げられていたから、私は山辺君との会話を楽しんだ。




