1サハラ湿原
紀元前5600年前
黒海は、完全に湖になっていた。内陸湖は海面よりはるかに低い場所にあった。
小アララト山は富士山みたいで美しい。
この時代にボスポラス海峡が地中海とつながり、地中海より海水が流れ込んだ。
このとき洪水が起こった。確かに大きな被害があったと予想されるが、標高5165mあるアララト山にノアの箱舟が乗り上げるほどの洪水が起こったとも思えない。
大洪水の記述は有史では、シュメル神話にて初めて登場する。
ある神が
「人間破滅から助けてやるべきで、そうすれば彼らは都市を建て、神殿で祭儀などを行って神々に誓えるであろう」
人間創造から始まり、はじめの5都市が創造される。
アン神とエンリル神が人間を滅ぼすことを決め、イナンナ女神は決定を嘆き、エンキ神は人間を救おうとした。
第五の都市シュルッパクの王、ジウスドゥラにエンキが、
「洪水によって都市を一掃し、人間の種を滅ぼすことは神々の会議の決定である」
と、お告げをした。
ジウスドゥラは巨大な船を作った。そして嵐がやってきて大洪水がやってきた。
七日と七晩、大洪水でさまよいウトゥ神(太陽神)が昇ってきて、天と地に光を放った。
ジウスドゥラは船の窓を開いた。
大洪水のあとジウスドゥラは船を出て、神々に犠牲の牡牛と羊を捧げた。
アン神とエンリル神はジウスドゥラに「永遠の生命」を与え、なおかつ人間と動物の種を救済したゆえに、海のかなた、東方にあるディルムンの地に彼を住まわせた。
同様の洪水伝説は、ギルガメシュ(ビルガメシュ)叙事詩、アッガド版洪水伝説、旧約聖書、ギリシャ神話に記述があり、どれもシュメル版を踏襲した形となっている。
【シュメル神話の世界 岡田明子、小林登志子著 中公新書より】
旧約聖書には、この有名なノアの箱舟以外にもシュメル神話を基にした題材が散見する。
たとえば悪魔パズズは元は、シュメルの魔よけ粘土板に付けられる悪霊であった。
さまざまな元ネタに使われるシュメール人だが、彼らは、唐突に歴史に現れた。
泥と葦しかない南メソポタミアに灌漑農業を行い、その収穫物の麦で、石、木、金属、その他のものと交換してきた。
農業をするにしても、農機具や農耕のための牛などの家畜を必要とするが、いったい彼らはどうやってそれらを手に入れたのだろうか?まったく謎である。
洪水といえば、私の中では外せないことがある。
濃尾平野は輪中地域であった。
この地域に住む子供は、皆このことを学校で習う。
実際に庄屋の家は、子供の背丈ほどの石垣の上に建っている。
今でこそ、脅威は無いが、数十年前まで洪水の被害が頻発していた。
灌漑用水が流れ、運河のようになった沼があり、川がそこらじゅうにあり、
川の大きさの標準が長良川や揖斐川や木曽川であって、他の川はただの用水路か排水路という認識でしかない。
この木曽三川は暴れ川で、しょっちゅう氾濫し、川の流れも変わっていた。
江戸時代に、薩摩藩がこの地域の治水工事を江戸幕府より命令され、千本松原の堤を作った。現在自動車でその道を通ると松の並木が見られる。
同時に、濃尾平野は穀倉地であり、ほとんどまっ平で、盆地ではないが、山に囲まれた平野部が広がり、夏は蒸し暑い。
京都より蒸し暑い。京都出身や京都大学出の人が言うので間違いない。
南濃、桑名、知立までは、麦秋の頃には麦が、麦のあとには米の黄金が一面に広がる。
織田信長が力を持った理由が現代の風景からもよくわかる。
シュメルもチグリス川、ユーフラテス川の氾濫があってこその穀倉地帯であり、他に何も無いが食料生産を以て、文明を誇っていた。
エジプト文明も、黄河文明も洪水あっての文明で、洪水は龍や蛇に例えられる悩ましい災害であるが、同時に恵みでもあった。
だいたいの文明は大河とその氾濫あっての存在であり、かつてそこに大河があったなら文明があったとしても、おかしくは無い。
この物語は、西アフリカで鍛冶を営む少女の物語である。
ここはアフリカ大陸西部、現在はサハラ砂漠であるが、紀元前8000年から5000年前までは、大河が流れていた。気候は地中海気候ですごしやすい。現在とは違い森林もあった。
サハラ平原はほとんどまったいらで、大河は緩やかに流れ、九州ほどの面積がある広大な中州が、現代の輪中のように存在していた。
大河による恵みにより、アフリカ麦やアフリカ米の栽培が盛んで、人口増加を支えていた。
その反面、現代アフリカのように鉱山が開発されておらず、石油は地中海、石炭は南アフリカと地域が限られ、エネルギーは、森林伐採により支えられている。
鉄や銅がないと、金属の農機具、武器、道具が生まれないので文明化の速度が上がらない。
しかしながら、紀元前6000年前には青銅に先立って。鉄が生産されていたと予想されている。コレはヒッタイトによるバビロニア征服に、鉄の武器を用いるはるか前である。




