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古事新記(ふるごとあらたにしるす)  作者: 五十鈴飛鳥
1章 地上の楽園の太陽
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1話 不便な毎日

 僕は生まれ変わった。




 現代ではスンダランドと名づけられたこの土地は、大陸特有の大河の沖積平野中央にある。

 ヒラニピラを首都にもち、僕の家はそこにある。


 広大な沖積平野を穀倉地帯とした豊かな国で、インドネシア、ブルネイあたりから石油が出ることは、第二次世界大戦で日本軍が占領したことからも明白で、資源も豊かである。



 電気、ガス、水道、公共交通機関など現代世界と遜色ないが、日本人として不便だと思うのはワガママだろうか?



 一応、食事は不味くない。素手で食べるわけでなく、フォークとスプーンはある。



 ただ日本人としては不便と感じるのは箸が無い事。また箸を使って食べた、旨いものが無い。

 醤油が無い、味噌が無い、漬物が無い、出汁がない、刺身も寿司もない。

 いや、不味くないんだよ、それなりに味があるんだよ。でもやっぱり物足りない。


 調味料が欲しい。特に醤油と出汁。


 みそと醤油は、大豆を煮て、つぶして、麹を入れて発酵すれば出来るのだが、肝心の麹がない。


 出汁は、魚の出汁とか、海老の出汁とかは煮ればでる。これは簡単。

 かつおだしと昆布だしは、鰹節をつくるのと、昆布採ってこないといけない。

 鰹節は煮て干せばいいのか?昆布は日本海じゃないと採れないのか?



 物心ついたときには、不満だらけで、フォークとスプーンで外国料理を食べている感覚。

 たまには和食も食べたい。埋められないホームシックになっていた。



 先ず、僕は”過去”の風習に従って、食べるのに慣れている箸を作ることにした。

 3歳の時である。


 たがか、二本の棒だが、木を加工するため、刃物がいる。

 小さい子に刃物を持たしてくれないので、木や竹を削ることが出来ない。

 仕方ないので、5mm角位で20cmくらいの棒を二本、父親にねだった。コレは軽く了承してくれた。


 さて、棒を2本手に入れた訳だが、とりあえず握ってみた。

 あれ?あんまりうまくつかめない。

 考えてみれば当然で、運動能力が発達していないので、頭でわかっていても思う通りに動かない。脳卒中のリハビリみたいなもんである。


 そこで毎日特訓に入った。小豆つかんだり、玩具をつかんだり、つかめそうなものはすべてつかんだ。

 ちなみにペンと同じ持ち方なので、文字も覚えれば一石二鳥と思い、書き取りもやることにした。

 前世では勉強嫌いだった。今世の親は勉強熱心で、末は博士か大臣かと喜んでいたが、食がかかれば努力のうちに入らなくなっていた。




 そうして、ついに食事に使うときが来た。親に見つかると叱られるのでこっそりとだ。



 一口大のホットケーキのようなパンに蜂蜜をかけるというものがある、まあ小型パンケーキである。

 手で食べるのが一般的だが、手が汚れてしまうのが難点であった。

 この日のために、きれいに洗い磨いた2本の棒をやはりきれいな紙にはさんでおやつの場に持ち込んだ。

 先ず、普通に手で口に運び、母親の警戒心をそらせ、隙を見て箸を使った。

 「つかんだぁ!!」

 思わず口に出てしまい、親に振り向かれてしまった。でもすでに口の傍まで運んでおり、

 ソレを僕は口に放り込んだ。満足だった。


 次の瞬間、母親から後ろ頭を叩かれた。


 「ヤゴロヲ!なにしてんの!?、そんな棒使って!!」


 初出だが僕の名前はヤゴロヲという。まあ当然だろう。見慣れないもので、不衛生な(きれいに洗浄済みだが)食べ方を子供がしているのだから、親としては当然の反応だろう。


 すぐに箸は没収された。


 その夜、僕は夕食のテーブルの前で、母親は父親に箸の件について報告し説教を受けることとなった。


 しかし父親はチョット疑っていた。

 「うーん。この棒でそんな器用なことをこの子がやったのかい?普通は信じられないよ。


 実際やっているところをみたのかい?」

と母親に尋ねていた。

 母親は「ええ、確かに、パンケーキをはさんで、その棒ごと口に入れていました」

 とさも呆れ顔で答えた。

 「たまたま口に入れる前にそうなったんじゃないの?」

 「たしかに口にいれる所しか見てませんけど・・・」

 「うーん、じゃあためしにコレを使って何かはさんでみなさい」

 父親は僕にそう言った。3歳の子供に言う言い方じゃないが、前世の記憶を持つ物分りがいい子だったので、こういう言い分になるのだろう。


 ぼくは、「はい、その前にその棒を洗わせてください。」といった。

 そこで母親は、しぶしぶ台所洗剤で、棒を洗い僕に手渡した。

 食卓には、ハーブで味付けした芋、野菜の煮物、肉の炒め物とご飯(ファミレスみたいな皿で)が並んでいた。

 「じゃあいきますよ」

 僕は迷わず米に行った。若干パサパサでバラけるが、やはり米が一番食べたい。

パサパサなので、バラけてしまうが、ある程度まとめて口に入れた。でも口の前でかなりの量が落ちてしまった。


 「ほら、やっぱりうまくいかない」母親がそう言ったときに、生前の習慣なのか僕は、米を一粒つまんで口に入れていた。


 「そんなことができるのか!?」父親は驚いた。

 「こんな器用なことが出来るのか。どうやって思いついた!?」

 思いつくもなにも知っていた事なんだが、箸の持ち方について親に逆レクチャーする事になり、

 「まず一本をペンを持つようにつかみます。次に薬指で一本を支え、親指のまたに引っ掛けます。上に持ったほうを動かすと物がつかめます。」と動かしながら説明した。

 子供に言うようなことだが、そんな所作がない人には驚きであろう。


 「まず一本もって、もう一本はさんで、つまむ!」

 父親の手に箸がつかまれている。だがうまくつかむ事が出来ない。果てには子供がする様に突き刺していた。


 「コレをお父さんに少しだけ貸してくれないか?」

 僕は首を縦に振った。単に練習するだけだろうと思っていたが、この時は後にどうなるかわかっていなかった。







 箸を預けて1ヶ月、その間にさまざまな箸が出来上がった。

子供用、大人用、さいばし、丸、四角、六角、溝付、とげ付・・・材質は木、プラスチック、ステンレス。父親はサラリーマンだったが、エンジニアでもあったので条件を設定して試作品を作っていた。


 こんなことを休日がくるたびシコシコやっていた。試作品テスターを僕は受け持っていて、使い勝手は向上していったのだが、表面の劣化が問題になった。


 現代日本なら、漆塗りが一般的だが、都合のいい種類の木がない。他に、ニス、ウレタンコート、天然油などが使える。


 現代日本でも結構手に入るコーキング材なので、探せばあるかネットで探せるが、いかんせんネットが普及していないので”密林”で注文ともいかない。

 雑貨屋やホームセンターを当たることになる。




 そんな過程で、箸のことは知れ渡ってしまい。僕は天才なのか変態なのかという扱いになっていた。近所の人から遠方の人まで、新興住宅街のわが家までチラ見に来る。


 わが家はサラリーマン家庭なので、迷惑だと思ってしまうのだが、この状況はおいしいと感じる人もいる訳で、箸の権利や生産の契約を結ぼうとする人たちが集まってきた。


 自営業の方から、とある企業の営業、発明家までやってきたが、とりあえず見学を断っていた。が、前世のことを思い出していた。前世はしがない零細工場の娘で、両親は経営者兼労働者だった。

 資産家というわけでなく、設備費が資産の大半でうまくやりくりすれば、小金もちくらいで、貧乏ではなかったが、あるとき商社と商品開発して特許申請できるものが出来上がった。


 そのときの親父は特許を出願しなかった。その工夫は今では広く浸透しており、だいたいの家庭に溶け込んでいるものだ。


 特許の申請は他の企業が行っていた。開発もしていないのに。


 そのとき親父は怒ったのだが、特許法の手続き上違法性がなく、先願が優先になるので、権利をかすり取られてしまった。


 そんなことがあって、子供には教養を身につかせるため法学を学ばせようとした。

前世の兄は法学部へ行ったが、わたしは工学部だった。

 ここで法律がまったく関係なくなったわけでなく、特許法というのは理系の範疇で、弁理士という資格があり、これがまた難しい試験を突破してなれる職業の選択肢がある。(元総理経験者も弁理士)



 べつに弁理士だったのではないが、出願方法とかは前世の会社の特許出願資料もあったので、こんな手続きあるんだという認識はあった。


 やることはきまったわけで、早速父親にたのんだ。

 「おとーさん特許出願しませんか?」

 

 どうやっても子供が言うようなことではない。ハッキリ行って寝耳に水、青天の霹靂

空から隕石な発言に、父は驚いていた。


 「どうして、次から次へ大人でも知らないような事を!? まあでもその通りだ。」

 早速電話帳を引き、特許事務所に連絡をとり、後日打ち合わせすることになった。

 とりあえず論述形式で文書を書き、図面を書き起こした。コレもやっぱり驚きに代わりが無く、周囲からは天才というよりは、神からの啓示か悪魔のささやきを受けている様に感じられるのか、不気味がられていた。


 特許出願の手続きはほとんど父親の説明となったが、出願者の氏名は僕のものとなった。


 このことはニュースになり”なぞの天才少年、特許出願最少年齢を大幅に更新”と報道され、一躍時ノ人になってしまった。


 それからは色んなところに引っ張りだこで、テレビの出演が相次いだ。


 しかし、こどもの体力などたかが知れているので、すぐに体調を崩し入院することになったが、入院先で箸を使って食べていたので、これまた報道の的になった。


 そんなこんなで、生産を申し出る企業が相次ぎ、流行り物として普及していったが、実用的なものなので、この国とその他地域に瞬く間にひろがっていった。



 この時代、国レベルの規模を持つ集団は、われらが住む「ム? 」

 (発音が難しい文字を書く。邑や群、転じて村ではないかとおもわれる)といい、他の部族ごとの集落もム?という。そんなこんなでム?の範囲はアバウトで北はチベット付近の氷河まで、東は沖縄付近、西はバングラディッシュのデルタ付近、南はオーストラリア北部まで同じ言語、だいたい同じ人種で構成されていた。そして大きな争いも無かったのである。


 国とその他地域の箸が広まったので、一気に数万個の箸が売れ、その特許料が舞い込んだ。


 あっという間に億万長者で、そして両親は仕事をやめた!すごい悪い予感しかしない。宝くじ長者の行く末しか見えない。


 案の定お金は無くなり借金取りがやってくる生活が続き、箸の特許を手放すことで借金は帳消しとなったが、両親は蒸発してしまった。


 これまで、周りに振り回され、本来の食への探求が出来ないまま、ちがう商品の開発を促され、アイデア商品をいくつか出したがあまりヒットが無かった。




 両親が蒸発したとき、僕は15歳になっていた。この時代15歳は成人で、基礎教育課程の終了時期であり、ここから就職か専門学校、大学への進学へ進路が分かれる。

 前世の知識を持っていれば、飛び級も出来たはずだが、そんな余裕がなく何の手も打てなかったことが悔やまれる。


 僕は、箸以外にも100円shopで売るようなアイデア商品も出していたので、小金はあった。

 不労収入があるので自立でき、就職する必要も無かったので、大学へ進学した。逃げる様に首都から遠く離れた学園都市へ



 これまでの就学で、社会の教科書から読み取れる内容から、この世界は1万2000年前の氷河期の終わりらしい。


 氷河期の終了により、温暖化しており、植生が変わって食料生産に影響が出ていた。

 また徐々に海面が上昇し海岸線には大きな堤防が築かれていた。




 この地は海に沈む。それば、現代知識からすれば当然、そこは海だと判っているから。


 しかし、どのように、沈むかまでは解らない。

 堤防があり、オランダの様に国が存在している。いつか沈むがそれは神のみぞ知るところであった。



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