第一話 『あなたにあずけます。』 その一
第一話 『あなたにあずけます。』
―――むかしむかし、夜空から『月』が消えてしまいました。
でも、それはおとぎ話に出来るほど古い物語ではありません。わずか50年前、西暦で言えば1999年のこと。
その日、前触れ一つなく、私たちの衛星、『月』は消えたそうです。
有史以前、文明さえなかった時代から人類が見上げつづけてきた夜空の圧倒的な支配者。
無数の神を夢想させ、楽園や聖地をその場所に連想させた、私たちの幻想の根源の一つ。私たちが、最も多くを送り込んだ地球外の土地。
その『月』は、唐突に消えた。
……地表から観測された各種の物理学的データから検証されるに、地球のおよそ81分の1という巨大質量が、わずか数分間のうちに分解されました。正確には、120秒から278秒の間に……。
分解された『月』の質量は、二つの存在に分かれていきます。
月の欠片が形作ったのは『白い巨人』たちと『黒い巨人』たち。彼らはお互いをはげしく攻撃しあいました。
まるで、お互いが運命に定められた敵であるみたいに……。
衛星軌道上で繰り広げられる百億の巨人たちの殺しあい。生態系の頂点にあったはずの人類には、この戦いに介入することも許されなかった。
私たちは、それをただ呆然としながら見守ることしかできませんでした。
その事象を完全に理解する術は、当時の科学者はおろか現代を生きる私たちでさえ持っていないのです。
天空よりも高い場所で戦いつづける、白と黒の巨人たち。
そんな彼らのことを50年前の人々は畏怖を込めて『天使』と『悪魔』と呼びました。
そして、『天使』と『悪魔』が争いつづけたその日に、聖書のイベントに因んだ特別な名前をあたえます。
善と悪の最後の戦い。終末の日の記述。
『最後の審判/ラスト・ジャッジメント』。
……『月』が消えてしまった日のことを、私たちはそう呼んでいます。
……。
……でも。
私たちの『おじいちゃん』は、そうでもないみたいです。
―――この国も、ろくでもねえことになっちまっているぜ。
ヴィンセントは、シャトルから降り立った国際空港の閑散とした有り様を見て、実に端的な感想を抱いていた。誰もいない。いや職員はいるが、サボりまくっている。
まあ、悲しいかなヒトなどいない方が仕事ははかどる。
合理化された、人口減少に泣く滅びの国か。世界中、どこも一緒だ。特徴が消えている。最先端、合理的、その言葉の意味は『一つしかない』。
日本についての知識は、ヴィンセントには少ない。彼が子供の頃には、サッカーのアニメとかをヨーロッパに流行らせていたというのに。この国では、野球とやらが盛んらしい。
まあ、アジアのスポーツになんて興味はない。野球とやらを見に行くことも、ヴィンセントにはないだろう。
娯楽など、どうでもよい。
ワシは、ビジネスに来たのだから。
そうだ、『宙から降る百億の獣ども』に喰われてしまうヤツも多いし、50年前に起きた、あの15%の人口消失現象は、人類という種の保存に大きな淘汰圧となってのし掛かっている。
人手不足なのだ。世界の全ての場所で。あまりにもヒトが急激に少なくなった。
だからこそ、ヴィンセントも、働かなければならないし、労働にありつけもする。機械仕掛けの体は、維持費がかかるのだ。
定期的に専門的な病院に行き、工具と薬物に戯れ、各種の検査をこなして、医者の苦笑いと出遭う。
酒はダメ。
タバコはダメ。
夜更かしして昔の映画を見るのもダメ。
死ねと言わんばかりの罵詈雑言を、浴びせられることとなるのだ。そのあげく、12万ユーロは請求されることになる―――『撃破数59998』という、人類史上、最もバケモノどもを殺した男に対して……もっと割引してくれてもいいものだろうに。
……昔は、どこの国もヴィンセント並みの傭兵を歓迎してくれた。だが、いかんせん、ヴィンセントは年を取り過ぎている。
サイボーグだから、まだ『肉体』は動く。しかし、繰り返された手術と、戦闘の後遺症で、生身の部分にはガタが来ていた。
いや。
ヴィンセントは使うことを避けている言葉だが。
あえて言うのならば、『老化』である。
当たり前だ。
63才。しかも、50年近く、巨大だったり、あるいは小さかったりするバケモノどもと戦い抜いて来た。生きている方が不思議なのだ。
『撃破数』とかいう、恥ずかしい響きのカウントが、100超えても生きている兵士は、稀だった。
ヴィンセントという『旧式サイボーグ』の傭兵が、どれだけ脅威的な戦力であったのか……彼は、自分のことを教科書に載せてもいい人物だろう。と、考えている。一部の国でやらかした、色々なトラブルのせいで―――現実的には難しい。
北アメリカには、ヴィンセントは入国出来ない。ああ、カナダには行ける。メキシコとアメリカでは正規の手段で入ろうとすれば、入国を拒否されるはずだ。
色々と武勇伝を持つ人物なのである。
『ヨーロッパの殺戮神父』、名字無しのヴィンセントという男は、トラブルメーカーでもある。
世界が『天使』と『悪魔』、『最後の審判』という言葉を使おうとしても、頑なに拒み、その言葉を用いて復権を試みる宗教界とケンカしたことも多い。
それらの言葉は、政治的な力を持っている。とくにキリスト教圏では。アメリカもそんな国の一つであり、ヴィンセントに言わせればカルトの連中が、権力の大半を握っているらしい……。
公式の場所で、そんな発言をしたり、彼の仕事に文句をつけて来た上院議員を金属製の腕で殴ったりしたせいで、アメリカは彼の上陸を拒んでいる。
……ヴィンセントの政治信条や過去がどうあれ、入れる国には入れるし、仕事をくれるのならば強いサッカー・チームの無い国でも問題はない。
嫌いなモノの多い、この老人にも好きなものが、ちょっとはある。
バケモノが宙から降ってくるのに、ヨーロッパ人はまだサッカーを愛していた。ヴィンセントも好きだった。
ガキのころか。そもそも、あの忌まわしい交通事故で下半身の感覚が消え去るまでは、実際にプレーもしていたレベルだ。
今、ボールを蹴ると、ボールの方が破裂する。昔のアニメみたいなムチャなシュートを放つためには―――金属か丸太を削り出した球体が必要だ。威力に耐えられるボールがいる。
ああ、ここには。
サッカーがないのか。
サッカーが。
機械仕掛けの目玉に頼れば、1950年代の粗い映像だって見れるが、どうせなら生で見ながら酒を呑みたい……。
ヴィンセントは、さっそくホームシック気味だ。強いサッカーチームのいない土地に来てしまうと、いつもそうだ。心が萎える。
だが。
考えようだ。
フーリガンどもがいない。ホーム・チームが負けたぐらいで、そこら中に放火するフーリガンのことを、ヴィンセントはあまり許容し切れていない。
ヤツらはもはやテロリストだ。負けた日だけでなく、勝った日にも暴れやがる。混沌の使者どもだ。
ヤツらのいない国なんて、ある意味素晴らしい。
そうだ。
いいことを探そう。
「……ミスター・ヴィンセント?」
「ああ。そうだ。何か用かな、キレイなお嬢さん」
いいこと探しをしていたヴィンセントに、背後から声がかけられる。若い女。日本人女性は小柄で、どれもこれもガキに見える。
「あら。色男で知られるミスター・ヴィンセントに、褒められましたわ」
黒髪の日本人女性は、ニコニコと笑う。馴れ馴れしいほどだが、可愛いから許そう。
「ワシのファンか何かの、軍事企業の新入社員か?」
「いいえ。28才。新入社員って年じゃないです」
「そうか。若く見える」
「ちょっと、バカにしています?」
「していない。若い女性の方が好きなのは、人類の半分が考えている本音だ。君だって年寄り扱いされるよりはいいだろ?35に見えたとか言われるより」
「まあ、そうですけどね」
「……君が、依頼人のアレか」
「ええ、依頼人のアレです」
「……物忘れが酷いんだよ。意地悪せずに、教えてくれ」
「無敵のヴィンセントも、あちこちの機能が弱体化しているんですね」
「60を超えると、あちこち錆びてくる。生身の部分もな……ああ、でも、思い出した。五条……五条、ナントカくん。そいつが依頼人だった」
「五条あやめです。それが、五条カンパニーの代表取締役」
「東洋の女社長が、ワシに35万ユーロをくれるっていうから、やって来たんだが。どんな仕事だ。バケモノなら、好んで狩るぞ。報酬とは別に、武器弾薬を用意してくれたら、最高なんだが―――」
「―――まあ、詳しいことは、後ほど。とりあえず、本社まで移動します。ついて来て下さい」
「……ああ。謎のアジア人の女のケツについて行くか……騙されそうだなあ!」
「日本人は、貴方に親切ですよ?外貨と人材が欲しいんです」
「……なるほど。どこも一緒だな。世界は、同じになっちまっている」
「リメイクされた京都とか行きますか?」
「リメイクされたモノには、興味がわかない。すまないね、28才。おじいちゃんたちが君らにホンモノを残してやれずによ」
世界を守れなかった。宙から降る獣どもに、地表を食い荒らさせた。罪深い敗北者の世代だ。ヴィンセントはその自覚を持っている。
「……いいんですよ。ヴィンセント。貴方は、まだまだ、これから戦って下さるんですから」
「……引退寸前のポンコツを雇ってくれるなんて嬉しいなあ」
「あら。最新式の装備に変えたんですよね?……マニング社の、義手と、人口骨格に変えたと聞いています」
「五条ってのは、耳が早い。下調べもしっかりかよ?」
「ええ。載ってましたから」
「載ってた?」
「はい。SNSに。貴方の友人でもあるお医者さまが、貴方を手術したことを載せて、自慢してましたけど?」
「アントニオは、バカなんだよ。ワシはサイボーグだから人権も無いと考えていやがる」
「あはは。でも、そのおかげで、私たちは貴方がまだ『やる気』なんだって知れた」
「……ワシにしか務まらない仕事か?」
「ええ。貴方にしか、おそらく出来ない。人類で一番『強かった』、『殺戮神父・名字無しのヴィンセント』にしかね」
挑発的なセリフだな。ヴィンセントはそう思った。『強かった』―――過去形で表現されてしまった。まあ、そうだろう。かつてほどではない。だが、まだまだワシは行けるぜ、お嬢ちゃん。
若造なんかに、舐められてたまるか。
「どんなバケモノでも、皮剥いでぶっ殺してやる」
「あら。もっと複雑な任務になると思いますけどね」
「……勿体つけて、ワシを誘うか。ワシが、断らないように?」
「いえ。あなたは手術で借金を抱えている。私たちの依頼を、拒まないことは、承知しています」
「貧乏人の懐具合を調べたか」
「はい。断られては、時間の無駄ですから」
「……危険な仕事みたいだ」
「危険ですが、やり甲斐と報酬はありますよ。上手くすれば―――この世界を、救えるかもしれないんですから」
……カルト女からの依頼なのかもしれない。ヴィンセントは、そんな不安を覚えたが、露骨に怪しむ表情を浮かべるだけで、罵詈雑言は吐かなかった。