序章 『聖別の日』
序章 『聖別の日』
……あの日を思い出す度に、ヴィンセントは屈辱のあまりに表情を歪める。
1999年の、7月15日ドイツ時間で、夕方6時12分―――もう、50年も昔に訪れたその時間を、彼は忘れることが出来ないでいる。
時間は残酷だ。
人類初のサイボーグ処理を施された世代であり、ヴィンセント体は、その身に組み込まれた機械によく適応してくれてはいるのだが……いかんせ、63才。体はボロボロだ。
長年の『戦い』にも、よく耐えてくれてはいるが……。
……世界は。
ずいぶんと変わった。タバコを口に咥えながら、ヴィンセントは空港の一角で視界の中にビジョンを映す。
彼の左眼は10年も前から特別製の義眼と変わっているため、ネットへのアクセスも気安いものだ。
ハンズフリー。流行の先駆けだったはずだ。今は、護衛用ロボットなんかに空中投影させるのが流行りらしいが。男は、やはり一匹狼だぜ、バカ野郎。
己の哲学を頭に浮かべると……勝手に、検索エンジンが気を利かすことが悲しい。
ヴァインセンとの目玉のなかには、検索された『一匹狼』たちの写真が並ぶ。ほとんど、大昔の映像ばかり。そうだ、狼なんて、ずいぶん昔に滅びかけている。
今、地上を走っているのは、特殊繊維の毛皮をかぶった、機械のかたまりたちだ。つまりは、ヴィンセントの同類ということだ。
悲しい雰囲気を放ちながら、写真家を見つめる、かつての一匹狼たち……。
自分もそのうち、この滅びた存在の列に加わるのだろうな。そう考えると、タバコを根元から噛み千切りたくなる。
死ぬのは、イヤか?
滅びるのが、イヤか?
……死ねば。
……死ねば、あの子にも会えるんだがなあ。
紫煙を口から吹き出しながら、ヴィンセントは……『目玉』に告げるのだ。検索する。自分の過去を。自分の原点を。世界が、滅びたその日のことを。
『ジャッジメント・デイ』。
検索エンジンが、その名前で人類史を探る。
すぐに、ヤツの顔が見えた。
50年前から、いいや、ヤツに妹ともども引き取られた55年前から、その顔は見飽きているのだがな―――今日、機械仕掛けの目玉に見せられても、怒りで血圧が上がり、どこかの血管が引き裂けてしまいそうになる。
それでも。
儀式だ。
毎日やる。
痛みと、怒りと、戦いへの意志の―――『鮮度』を保たなければならない。
それらはサラダと一緒で、フレッシュでなければならない。常に新鮮なものに取り替えなければ、負けるのだ。
かつては懐に入れていた写真。
今は、デジタル処理されて、かつてより何故か鮮明に見える画像。
機械仕掛けの目玉に頼り、ヤツの顔を見る。それがヴィンセントの日課なのだ。それをしなければ?……怒りよりも、敗北を選ぶ。
絶望するのは簡単だ。ちょっと、気を抜けばすぐに死ねる。
21世紀は、そういう時代だった。
人類の期待とは、かなり違っていたがな。
……ヤツを見る。ヤツを見る。ヤツを見る。
司祭枢機卿、リード・ベイルトロン。教皇サマに次いで、クリスチャンどもの中で二番目に偉いヤツ。慈善家、宗教家、政治家、そして、クズ野郎である。
『これは試練ではありません!!聖なる裁きなのです!!我々は、ついに神の御心のままに裁かれる日が来た!!月が二つに割れ!!天使と悪魔の勢力に分かれて、今、衛星軌道上で戦っている!!これこそが、『最後の審判』!!祈りましょう、祈りましょう、祈りましょう!!神に召され、復活の日が訪れることを――――――』
そう叫びながら、ベイルトロンが消えて行く。
『ああ!!神は、私を、選ばれた―――――――』
光りに包まれながら、彼はこの世界から消失する。永遠かは知らない。だが、ヴィンセントはこの50年、ヤツを見ていない。
ヤツの、この世迷い言と、コレが世界に生中継されていたせいで。
世界は……大きく誤ったメッセージを受け止めてしまった。月が、二つの勢力に分解されて、殺し合っている。白いヤツらと、黒いヤツらだ。
たかが、たかが、そんな謎の現象を!!
『最後の審判』などとほざきおって!!
あんな現象は、どうせエイリアンか何かの策謀に違いない。証明されてはいない。だが、分かる。ヴィンセントには、50年前から分かっていた。
月が二つの種類のバケモノに分かれて戦おうとも、人類の15%が、ヤツらの戦いの日に、何故か分からないが光りに包まれて消滅しようとも。
そんなものは。
神の思し召しなどではないのだ。
……ヴィンセントがタバコを食い千切る。悪い癖だ。スーツに燃える先端を当てたら台無しなのに。
大丈夫。ヴィンセントの機械化された右腕が、素早くそれをキャッチして、鋼が宿る指たちが、グシャリと燃える先端ごと握りつぶす。
握力2450キロ。それだけあれば、タバコを圧縮して、一瞬で火を消すことも難しくない。
そして、鋼で作られているから、熱さも感じることもなかった。そうだ。そんなことはどうでもいいことだった。
日課をしている。
機械仕掛けの目玉に映る、リード・ベイルトロンを見て、この誤った演説を聴き、ヤツが許されただとか、主に選ばれただとか、そんな戯言をほざくのをガマンしながら視聴する。
怒りが、上書きされる。
新鮮なる怒り。
13才のフレッシュな感覚のまま、彼は怒りのままに奥歯を噛みしめる。見える。機械に頼らなくても。見える。鮮明に、見える。
妹だ。
妹がいる。
愛しの少女、シャーロットが。
泣きながら、叫んでいる。自分の記憶細胞だけに住んでいる、生きた彼女。あの墓地の下で、復活の日と、神の救済の日を待ちながら、12才のまま朽ちていったあの子……。
シャーロットが、泣きながら……飛び降りていく。
『かみさまに、きらわれた……』。
その絶望の言葉と共に、彼女は飛んだ。
そして、硬い場所に叩きつけられた。
即死だったはず。
そうであって欲しい。
それぐらいしか、だって、あんなことに救いなんてないじゃないか。
……シャーロットは、あのクソ野郎の言葉を、信じていた。誰もが不安な超常現象の最中だ、義父の言葉だって、信じるのだろう。
そして、義父が選ばれて―――自分が選ばれなかったことを、神に自分が嫌われたからだと嘆いていた。嘆いて、失望し、恐怖に呑まれて―――12才なのに、自殺したのだ。
車イスから飛び降りて、必死に彼女のために這い寄っていく、半身不随の兄から逃げた……あの何も出来ない、置物以下の兄から……初めて、シャーロットは逃げたのだ。
50年間。
彼女に、会えていない。
……シャーロットは、奇跡の子だったのに。
家族四人が交通事故に巻き込まれたときも、シャーロットは無傷だった。主が守って下さったのだ。両親は即死。ヴィンセントは、脊髄を損傷して、ろくに動けもしなくなった。
路頭に迷った哀れな兄妹を、リード・ベイルトロン様は『養子にしてくださった』。
序列一位の司祭枢機卿サマらしく、おやさしい恵みを、この兄妹にくれたのだ。あのサディストで、あのロリコン野郎がな。
シャーロットは毎日のように陵辱されていたが、黙っていた。その沈黙の意味が、よく分かる。自分だった。ヴィンセントは知っている。自分の手厚い介護、医療、そして当時最先端だった、サイボーグ技術。
そんなもののために、彼女は性的虐待に耐えていた。
その結果は、悲惨なものだ。
彼女は自分が汚れて、『神サマに嫌われた』と叫び、絶望し、死んだ。自分に価値など無いのだと、間違った判断を下してしまったのだ。
間違いに来まっている。
あの子は聖女になることがあったとしても、主が嫌うような子ではない。
ましてや、主が、あのクソ坊主の、リード・ベイルトロンなどを天国に招かれるはずがないのだ!!
新鮮な怒りは、殺意は呼ぶ!!
肩書きだけだが、『神父』となった自分でも、御せぬほどの怒りだ!!構わない。これは、いい怒りだ!!これがなければ、自分は鈍る―――そうなれば、あの現象を『最後の審判』ではないことを、証明するための戦いに参列できなくなる!!
古びた戦車のように、放置されてたまるかよ!!
……死ぬなら、あのバケモノどもと戦いながら、死んでやる!!50年、戦った!!あとどれぐらい生きていられるか分からんが……とにかく、ワシは、死ぬまで現役で!!あのバケモノどもを、狩り殺してやる!!
……ヴィンセントが、新鮮な怒りを獲得した直後、シャトルの搭乗開始のアナウンスが流れる……そうだ。彼は、また狩りに出かける。
今度の土地は……かつて日本と呼ばれた土地だ。バケモノが国境を壊した今となっては、あまり国の名前にも意味はないのだが……。
とにかく。
どこだっていいのだ。死ぬまで、この鋼が、戦場で壊れて散るまで。戦い続ければ、きっと……主も、自分と妹のことを、お許しになるだろう。
罪深く自死を選んだあの子、キリスト教徒は自死を選んではならないというのに。
そして、それを見ながら叫ぶことしか出来なかったクソ役立たずのことも、許してくれるに違いない。
「……我ら兄妹を、許して下さるならば。私は……百億の敵をも、砕いてみせますぞ」