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永久塚たり

作者: 戸雨 のる

 本当に、このまま週末に式を挙げても良いのだろうか。自問する。それが『私』の望みなのだろうか、と。

 心のどこかで、もうお終いにしたいと願っているのかもしれない。無意味だとは言わないけれど、無価値だと感じているのかもしれない。判らない。私の本心は遠くに置いてきてしまった。だから、もう。

 目をつむる。もうすぐお別れする、使い慣れたはずの寝具。柔らかな布団を頭まで被り、恐怖に似た感覚をやり過ごす。罪悪感なのだろう。私は、私を許せないのだ。きっと。

 四十九日までは待って欲しい。私はそう願ったのだけれど『祖母の言葉』は覆せなかった。病室で交わした、私が死んでも日程の変更はしない、という約束。何故あんな話をしたのだろう。まだ元気だったから、自分の死を予感していなかったから。冗談半分だったのだ。こんなことになるとも知らずに。

 溜息を吐く。相手の方は良い人で、私を気遣ってくれている。結婚相手としては最良の類だろう。だから余計に、私なんかと結婚してしまっても良いのか悩むのだ。私は、相手が思うような人間ではない。私は、本当は。

 相手が善良であればあるほど、罪悪感が募る。私は自分のことしか考えていなかった。身内を不幸にしてまで、幸福を追求しようとしていた。罰を受けるのは当然の。けれど。

 ふと思い立ち、布団から出る。確か日記をつけていたはずだ。今一度、目を通しておきたいと思う。償いにはならなくても、きちんと向き合いたい。自己満足でしかないけれど、私の綻びを繕えるはずの。

 子供の頃から使っている机の、最上段の引き出しの最奥。飾り気のないシンプルなノートに、読みやすく整った字が並ぶ。小学生の頃に習字を習っていたおかげか、文字が綺麗だった。

 ページをめくる。このノートには、三カ月ほど前からの日記が付けられていた。婚約者と見た映画の感想や一緒に出掛けた旅行の記録、祖母の様態を案ずる言葉、仕事の愚痴。誰かに見せる気などない、普通の日記。だからこそ。

 空白のページに文章を書き込んだ。『私』の字。手が慣れているおかげか、感情を表さずやけに綺麗な字が綴られる。他愛のない内容。私の抱える不安は書かない。罪の根拠は語らない。

 私は、私が許せない。

 この期に及んでなお、幸せに縋ろうとしていることが。断ち切るべきだと判っているのに、流されてしまう浅ましさが。幸福とは、誰かの犠牲の上にしか成り立たないものなのだろうか。否。しかし『私』の幸福は。

 いつからだったか、私は、自覚していた。呪われているのだろう。誰かに。私自身に。

 私はきっと、ただ幸せになりたかっただけなのに。

 願いが分不相応だったから、私は呪われたのだろうか。幸福を望むのは罪だったのだろうか。誰かを妬んだわけでなく、世を憂いたわけでなく。ただ、満ち足りた人生を全うしたかっただけだというのに。

 鏡を見た。若く美しく、精気溢れる『私』の姿が写っている。結婚式を間近に控えた、幸福の絶頂であろう女性が写っている。本来の、醜い自分の姿ではない。余りにも遠く、忘れてしまった姿では。

 ああ、肉体は牢獄だ。私を閉じ込め、離さない。元いた場所に戻ることさえ、きっと永劫適わない。私の罪は余りに重く、しかし罰は余りに軽く。生きる程に罪深く、心からの幸福は望めず。価値のない時間。繰り返す、無意味な選択。始まり、終わり、また始まる。

 私は終わらせたい。けれど同時に、生きたいとも願ってしまうのだ。だからこそ。

 細くしなやかな腕で『私』の体を抱き締めた。張りのある、滑らかな肌。この体は私のものだけれど、同時に私のものではない。本来ならば、この体は。

 四十九日は来週に執り行われる。式は行うが、新婚旅行はさすがにキャンセルさせて貰った。婚約者には申し訳ないと思う。優しく私を諭すように、落ち着いたらまた改めて計画しようと言ってくれたけれど。

 失ったことに気付かぬまま、気付かせぬままいられるだろうか。

 結婚は人生の墓場だと言う。死に至るまでの伴侶を決め、共に歩み始める儀式。長ければ数十年、短ければ数日の永遠。たとえ私が相手であっても。

 私の人生はきっと無価値で、或いは無意味かもしれない。求める幸福はついぞ手に入らず、けれど永劫求め続け。

 そうとは知らず、最初に望んだのは私だった。だから罪を背負っているのだ。償いきれないほどの罪を、償わせるべく罰を受けて。幸福を目指すことが罪であり、罰であり。

 償うために、罪を重ねる。今までも身内を贄に捧げてきたのだ。私のために。そんなつもりではなかったと、誰に聞かせるでもない言い訳を口にしながら。

「ごめんなさい」

 悔恨を口にする。私の望みは、ささやかな人生の幸福だった。年の離れた許嫁との婚姻や、出産時の失血死。それらをなかったことにしたかった。私は生きたかった。生きて、幸せになりたかった。ただ、それだけだったのに。

「ごめんなさい」

 最初は、娘だった。生まれたての小さな赤子。私から生まれた、小さな命。けれど死に際の願いが叶ったと、私は喜んでしまった。私だった遺体の傍で。言葉を紡ぐことも出来ず、ただ呼吸を繰り返しながら。赤子には自我がないのだと、そう思うことで罪悪感を見逃して。

 二度目の人生は順調だった。父親は気弱で善良で、親類はみな良い人だった。お人好しの幼なじみと結婚し、三男三女に恵まれて。幸福だった。高望みをしてしまうほど、私は幸福だった。

 天寿を全うし、気付けば三女の娘になっていた。年端もいかぬ幼女に。生前の私に懐いていた。

「ごめんなさい」

 最初から、私の生は罪だった。運命に抗ったせいで、私は孫を殺めてしまった。誰にも気付かれず、罪に問われることもなく。

 生きてしまった。自分ではどうすることも出来ず、ただ、生きてしまったのだ。

 鏡を見た。週末に結婚式を控えた、幸せの絶頂であろう私。消えてしまった本物の姿。きっと私は、奪いたくはなかっただろうに。

「ごめんなさい」

 私の罪は消えない。もう戻すことも出来ない。ならば、せめて。

「ごめんなさい」

 幸福にならなければと、思う。重ねた罪を償うほどの幸福を、得なければならないと思う。恐怖心はある。許し難く、息苦しく。けれど、ああ、本当は。

「ごめんなさい」

 私は罰を、謳歌したいのだ。今までも、これからも。きっと。ずっと。

 ――永久とわに。

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