開戦
1隻の原子力潜水艦が海面近くまで浮上していた。
これは最後の作戦行動確認のための浮上である。
海面に近づくほど敵の電探<レーダー>に感知される危険があるため、原潜は必要な時以外は浮上を試みないのだが、深海では電波が届かないため、通信時は可能深度まで浮上しなければならなかった。
暗闇の中、100メートルを優に超える巨体を海面近くまで浮上させ、司令部からの通信を受信すると直ぐにダウントリムを取って潜航して行く。
なるべく敵に位置がバレないよう、通信は受信だけで送信は行わない。通信内容もシンプルで、当初の作戦を継続するか否かのみだ。
逆に言えば、これ以外の現場で発生しうる事案については、全て艦長に一任されていると言っても過言ではなく、原潜の艦長とは、駆逐艦の艦長と比べ物にならないほどに行動の自由と責任を背負っているのだ。
ターゲットとなる資源プラントの周辺海域は、日本の艦船が一匹の鼠も入り込ませないように厳重に警戒している。これからそこに飛び込むというのだから、普通で考えれば自殺行為の何者でもないだろう。
だが、そこは攻撃型原潜乗りの腕の見せどころである。
専守防衛などと言って、自国の安全保障を米国に丸投げしていた日本に後れを取る訳にはいかないのだ。
──まだ時間はある。慌てる必要は全くない。ゆっくり近づいてその時を待てばいい。位置情報は先ほどの浮上で把握済だ。
海底を這うようにゆっくり、だが確実にターゲットに向かって進んで行った。
◆
志郎は教室の自分の席で弁当を食べていた。楓はその机に自分の椅子を持ってきて、お揃いの弁当を広げて志郎と一緒に食べている。
今日は楓の母が弁当を作ってくれたので、こうして二人で食べているのだが、仕方ないとはいえ、楓と全く同じ弁当というのがクラスメイトに見つかると怪しまれないかと、一人冷や冷やしていた志郎だったが、本人が思っているほどクラスメイトは志郎に関心が無いようだった。
志郎は何気なく楓に話しかけた。
「さゆり<あいつ>がいないと静かだな」
「なによりね」
「あいつ、もうどれくらい休んでるんだ?」
「さあ。でももう来なくてもいい」
「お前なぁ……」
志郎は呆れ顔で箸で楓を指す。
「……そんな返しだと会話が全然続かないだろ?」
「この場にいない山本さゆりの話を続けようとは思わない」
表情を変えず、いつもの抑揚が無い話し方で返す楓。
「………」
次の言葉も出ない志郎。
楓は超能力戦争を契機に感情を取り戻したはずなのだが、正直、普段の生活の中では全くそうは見えなかった。いや、むしろ酷くなっている気さえする。
志郎は箸を持ったまま少し考え込むと、楓を見つめながらおもむろ口を開いた。
「楓……今日も可愛いな」
「!?」
楓はハッとした表情で志郎を見ると、頬を赤らめて視線を外す。
こ、こいつ……恥ずかしがっているのか!?
なかなか目にすることが出来ない楓の表情を、志郎はニヤニヤしながら見つめていた。
すると、楓は頬を赤らめたまま志郎の袖を掴むと、見上げるように覗き込む。
「シロ……」
「か、楓?」
志郎はドキドキしながら楓を見つめる。
「気を付けて……」
楓の言葉が言い終わるや否や、志郎は急に現れた男どもに囲まれるとボコボコにされる。
「ちょ……ま、待て!……一体何事だ!?どうして親衛隊が突然襲ってくる!?」
椅子から転げ落ちて床に座りこみながら右手を振って抗議する。
『いや、なに、同じ弁当を食べながら、楓ちゃんに不埒な言動をした上に、楓ちゃんの顔を赤らめた罰だ!』
『その通り。そんな輩に天罰を与えて何が悪い!?』
『それじゃ、そう言う事で』
『楓ちゃん、またね~』
ドヤドヤと教室を出て行く楓の親衛隊。あいつら、どこからこの状況を見ていたんだ!?
「シロ、大丈夫?」
床に座り込む志郎を見ながら、いつものトーンで心配する楓。
「お前なぁ、俺の警護をしているはずなのに、どうして親衛隊からは守ってくれないんだ!?」
片膝を着いて立ち上がると、自分の席に戻る志郎。
「実害は無いと判断」
楓はそう言いながら卵焼きを食べる。
これをどう見れば実害が無いと判断したのかを問い詰めたいところだが、とりあえず感情らしきものが戻っている事を確認できたのでよしとして、志郎も残りの弁当を食べ始める。
すると、思い出したように志郎が口を開いた。
「そうそう、さゆりの話が続かなかったから本題を忘れてた……特殊部隊って今どうなっているんだ?第4部隊が出撃して、まださゆりも戻らないって事は、何か大規模な作戦行動中って事なんじゃないか?」
「興味ない。シロは気にせず普通にしていればいい」
「いや、それはそうかもだが、現状を把握しておくのは自分の身を守る上でも必要な事だと思うんだ。楓だって情報が多い方が予測しやすいだろ?」
楓は弁当を食べ終え、箸をケースに入れながら答える。
「それはそうかも知れない。けど、私には必要ない」
「俺が必要なんだ」
そう言うと一気に弁当を口に掻きこむとゴクリと飲み下す志郎。
「何故?」
「何故って、自分の身は自分で守りたいと思うのは普通だろ?」
「私が勝手に対処する。シロは気にしないで普段通りの生活をしていればいい」
「小さい頃から楓は人知れず俺を守ってきた。でも今は違う。俺だってただ守られるだけの人間にはなりたくないけど、俺には何の力もない……でも俺の周りで起こっている出来事くらいは知っておきたいんだ」
「………」
しばらく沈黙が続いたが、楓がおもむろに口を開いた。
「シロがそこまで言うのなら情報は収集する。おそらく特殊部隊の通信網にアクセスしたら、ある程度の情報は得ることが出来るはずだから」
「サンキュー!楓」
志郎はそう言いながら楓の手を握った。
楓は再び顔を赤くすると志郎を見つめる。潤んだ大きな瞳が志郎の心臓の鼓動を早める。
その時、楓は小さく呟いた。
「シロ………」
バッ!
志郎は先ほどのこともあり、慌てて楓の手を離して身構える。
「………」
どうやら親衛隊は来ないようだ。
うーむ。このままでは敵にやられる前に、親衛隊にやられる気がするのは俺だけだろうか?
志郎はそそくさと弁当箱を片付けると「俺は昼寝する」と宣言して机に突っ伏した。
楓は「うん」とだけ言うと、そのまま志郎を見守っていた。
その表情はどこか微笑んでいるように見えた。
◆
『敵はフィリピンとグアムの両方面から南海トラフの資源プラントへ侵攻する可能性高し。警戒を厳とせよ。敵原潜を発見時は即攻撃、これを殲滅せよ』
「……と、統合幕僚長から全軍に通達があったようです……」
月光院尊人は南海トラフ資源回収プラントの護衛任務中である、ミサイル護衛艦のブリーフィングルームに第3特殊部隊を呼んで話を切り出した。
統合幕僚長が『敵』と呼称しているのは、言うまでも無くアメリカだ。一昔前の日本人であれば、自衛隊のトップの発言としては異例であり、驚くべき事なのかもしれないが、第3特殊部隊のメンバーは特に何事も無いようにスルーしていた。
護衛艦のブリーフィングルームはそれほど広くは無く、第3特殊部隊5名がフル装備で入室しただけでも圧迫感があるくらいだった。
尊人以外の4名は折りたたみ椅子に座り、尊人は一人立って話を続けた。
「日本としては敵原潜からの攻撃を一番に警戒しています。これは、島国である日本は四方を海に囲まれており、原潜からの攻撃にはうってつけのためです。ただし、今回に限っては、敵原潜の狙いは資源プラントと予想できているため、防衛側としては比較的対処しやすいと言えます。ただし、深海の敵を攻撃する手段は我々超能力者にはほとんどありません」
「それはランクAのお兄様でも難しいのでしょうか?」
乳白色のボディスーツを着て、ヘルメットを膝の上に乗せた麗子(仮)が軽く右手を上げて質問した。
「試したことが無いので何とも言えません……おそらく、衝撃波や光学兵器は深海まで届かないでしょうから、もっと単純に深海でも圧潰しない物体をぶつけるとかであれば可能かもしれません。ですが、一番の問題は深海に潜む原潜を超能力で感知できるかどうかです……」
今までの超能力研究においても、海中の敵を想定したシミュレーションは行った事が無いのだ。
集まった第3特殊部隊に何とも言えない空気が流れ始める。
「しかし、私には勝算があります」
微妙な空気を切り裂くように尊人が断言した。
「!?」
その場にいる4名の視線が熱を帯びて尊人を見つめる。
「海自は先ほども話した通り、南からの敵の侵攻に備えている訳ですが、私の読みは少し違います」
尊人は第3部隊の面々をゆっくり見渡すと、自分の考えをはっきり言った。
「おそらく敵は背後から来るでしょう」
「!?」
4人のメンバーは『背後』の意味にピンと来なかったようで、思ったよりも反応が薄かった。
尊人は「ふむ」と頷くと、ちょうど壁に貼ってあったメルカトル図法で表された世界地図の前に移動する。
「先ほども言ったように、海自はフィリピン方面かグアム方面から敵はやって来ると考えている……」
そう言いながら尊人は指で地図をなぞる。
「だが正直、これほど日本が警戒している中、いくら深海を無音航行すると言っても、全く発見されずに目標に接近して魚雷を発射し離脱出来るとは思えません」
「つまり、敵は潜水艦ではない、という事でしょうか?」
「いや、そうではない」
隊員の質問をやんわりと否定する尊人。
「アメリカとしては、宣戦布告も無しに大々的に日本に対して攻撃を仕掛ける事はしないでしょう。あくまでも、人目に付かない深海での事故として処理したいはずです。従って潜水艦を使うのは必須と考えるべきです。では、どうやって日本の警戒網を突破するか……それこそが『背後』ということになります」
「……まさか!!!」
麗子が突然声を上げる。
「麗子は気付いたようだね。そう、日本の領海内から……もっと言うのであれば、瀬戸内海方面からターゲットに向かって侵入してくる可能性があるのです」
尊人はそう言いながら淡路島の南、紀伊水道付近を指さした。
「すでに敵潜水艦は紀伊水道付近で待機し、魚雷発射の機会を伺っている可能性があります」
「でも、お兄様!どこからその原潜はやって来たと言うのですか?水深が浅い瀬戸内海を通ってきたとは思えません」
「私が潜水艦の艦長であれば、黒潮と親潮がぶつかる海域から日本領海に侵入し、そのまま西に進むでしょう」
尊人は房総半島の南西付近から東京湾を通過し、太平洋沿岸を通って紀伊水道に至るルートを地図上で示した。
「お兄様、東京湾には小野寺可憐率いる第1特殊部隊がいるはずですが……?」
「その通りです。本来であれば、第1特殊部隊が原潜を発見しているはずですが、榊原氏の命令により、原潜を見て見ぬフリをした可能性があります」
「!!!?」
麗子は、あまりにも意外な尊人の発言に言葉を失った。
「現在、榊原氏は我々月光院家を繋ぎ止める事に必死です。そんな折、もし私たちが警戒している資源プラントが敵に攻撃されたらどうなると思いますか?恐らく榊原氏は、私に責任を押し付けてくるでしょう。そうなると第3特殊部隊は彼には逆らえなくなりますし、父も榊原氏に口出し出来なくなります」
「榊原という男は、お兄様を罠にはめるために、そこまでするのですか!?」
「彼は権力を得るためには何でもする男です……そこで我々は独断で後方の警戒に向かいます。水深が浅い紀伊水道であれば、私たちの超能力も通用するでしょう。すでに2機のオスプレイを呼んであります。到着次第、領海内の哨戒任務に入ります。全員出撃準備!」
『了解!』
4名は立ち上がって敬礼する。
数分後、2機のオスプレイはヘリコプター護衛艦にゆっくりと着艦すると、尊人と麗子のチームに分かれて乗り込み、すぐに発艦した。
時刻は15時45分。潜水艦が動き出すとしたら日没後だろう。浅い紀伊水道では下手に動かない方が発見されにくいはずであり、都合が良い事に、現在はこの周辺を含め、日本の太平洋沿岸は民間船の航行が禁止となっていたので、海自が探索しようとしない限り、アメリカの原潜が見つかる可能性は低いはずであった。
2機のオスプレイはソナーを投下し原潜を索敵すると共に、第3特殊部隊の超能力者も精神を集中して原潜の捜索を行っていた。
尊人としては早く発見しこれを攻撃したいところだったが、問題はその後の処理であった。
恐らく推進力を生むスクリューを破壊するだけで原潜を航行不能にすることは可能だが、それだけでは脅威を取り除いたことにはならない。
原潜は航行不能になったとしても、バラストタンクの海水を排出することで、海面に浮上する事が可能なのだ。
そうなると、トマホークやハープーン等のミサイルが発射可能となるので、下手をすると日本本土の都市を攻撃するのも容易となってしまう。
では、原潜を完全に破壊すべきか?
そうすると今度は原潜の心臓である原子炉からの放射能漏れが問題となる。紀伊水道は水深が40メールとほどしかないため、放射能の影響は避けられないだろう。
つまり、敵原潜を発見した際は、浮上できない程度に破壊し、その上で水深が深い海域まで原潜を移動したのち、数百メートル以上の深海へ沈める必要があるのだ。
もしも深海の水圧で原子炉が破損されたとしても、海水によって永久冷却され、さらに放射能が漏れた場合でも、深海であれば海流によって拡散するため、人間への影響はほとんどないはずだ。
その時、麗子(仮)から通信が入った。
『お兄様!原潜を発見しました!』
「敵の座標を転送して下さい。こちらもすぐに向かいます。それまでにプロペラスクリューと艦首魚雷発射口へのピンポイント攻撃を試みて下さい」
『お任せください。お兄様』
「私たちもすぐに向かいましょう。麗子たち3人だけでも大丈夫だとは思いますがね」
尊人のオスプレイはソナーを回収すると直ぐに連絡があった現場に向かった。
一方、花子改め麗子ら3名は、オスプレイ後部の貨物扉を開け放ち、低空で海面近くをホバーリングしながら精神を集中していた。
3名のシールドには、海面下の地形マップが表示されており、その海底に横たわる巨大な潜水艦が3次元立体映像で映し出されていた。狙うは後部プロペラスクリューである。
『原潜がこちらに気付き、急速発進を始めました!』
オスプレイの副操縦士<コ・パイ>から通信が入る。
「こちらの方が早いですわ!カウントダウン開始!」
麗子の掛け声と共に3人のシールドに、赤字で『5秒前』の表示が点灯し、4秒前、3秒前とカウントダウンされ、1秒前の次に『発射』の文字が点灯した。
3名はほぼ同時に海面に向かって衝撃波を発射すると、巨大な水柱が立ち昇った。
凄まじい気泡により、原潜の立体映像が乱れて状況が確認できない。
「すぐに艦首に回り込んで下さい!」
麗子の指示でオスプレイは原潜の艦首に近づく。
「第二次攻撃用意!」
3人は再び精神集中に入った。
『映像回復します!』
通信の声と同時にシールドに原潜の姿が表示される。
原潜は艦尾から激しく気泡を吐き出しながら、艦首を20度ほど持ち上げた状態で少しずつ浮上を開始していた。
「艦首魚雷発射口を破壊します!カウントダウン開始!」
再びシールド上に赤字でカウントダウンが始まった。
原潜は尚も後部から激しく気泡を吐き出しながらゆっくり浮上しており、上空からでも巨大な黒い影が浮かび上がっているのが見える。
その瞬間、3人の超能力者から放たれた衝撃波が黒い影を襲った。凄まじい水飛沫と共に、原潜の艦首が気泡に覆われる。
艦首を大破した原潜は、ダウントリムで気泡に巻かれながら沈降を始めた。
そこに尊人のオスプレイが到着する。
「恐らく心配ないとは思いますが、ハッチからのミサイル打ち上げに気を付けて下さい」
『了解!』
尊人の指示に4人全員が同時に答えたが、原潜はそのまま沈降して行き着底した。
それを見て尊人は言葉を続けた。
「私は敵潜水艦を逆さまにして海中で捕獲し、そのまま南海トラフまで移送します。麗子達は潜水艦捜索を続行、もしかすると他にも敵原潜がいるかもしれません」
『承知いたしました、お兄様』
麗子はそう言うと、すぐに原潜捜索の任に移行する。
尊人は原潜を超能力で確保すると、そのまま水深10メートルほどをキープしたまま南海トラフに向かった。念のため、ハッチからのミサイル打ち上げが出来ないように逆さまにして原潜を運ぶ。
南海トラフは水深4000メートルもあるため、たとえ原潜が水圧で圧潰したとしても、これほどの深海であれば、放射能の影響は無いだろう。
尊人は同時に、榊原へ原潜を発見・攻撃した事を報告させ、どうして当該海域に敵原潜がいるのかを問い合わせた。
榊原からの返答は「調査中」だったが、全軍に領海内の捜索を指示するとともに、第3特殊部隊の臨機応変な対応を称賛した。
通信を切った榊原は、執務室で椅子の背もたれに体を預けながら呟いた。
「月光院尊人め、原潜を発見したか………さすがだと言わざるを得ないだろう………だが、これで月光院家をこちらへ引き込むのが難しくなった……」
さて、どうしようか……という言葉は発する事無く、榊原は一人、無精髭を撫でながら次の手を考えるのであった。
青が目に眩しいタイトなスーツに豊満な体をねじ込んだ金髪の女性が、タブレットを片手に大きな木製のドアをノックするのと同時に開くと、躊躇する事無く室内に足を踏み入れた。
「どうぞ……って言う前にもう入っているのはどういう事かね?補佐官?」
大きな机の向こう側で、椅子に座った合衆国大統領が苦笑しながら、吸っていた葉巻をガラス製の大きな灰皿に押し付けた。
「植物を乾燥・圧縮した物に火をつけて、酷い悪臭を放つ煙を吸い込んでは吐き出すという、謎の儀式を性懲りもなくまた行っていたのですか?」
女性補佐官は持っていたタブレットで部屋に充満した煙をあおぐ。
「君に葉巻の良さを語るのはもう止めておこう……で?急いでいるようだったが、何かあったか?」
大統領はそう言いながら机に右肘を乗せると頬杖を突いた。
「コホン……」
軽く咳払いをすると、補佐官はまだ煙たい室内を一瞬見上げてから自らのタブレットに視線を落とし、素早く操作を始めた。
壁にスクリーンが降りてきて、同時に壁側の照明が暗くなる。更には空調が『強』運転となり、モーター音と共に葉巻の煙が流れて行く。
「約3時間前、南海トラフの資源プラントに対して、ジャパンの領海内から接近を試みた攻撃型原潜が、作戦行動前に発見され撃沈されたと連絡がありました。更にフィリピン方面から北上していた原潜もオキナワの北東で発見され撃沈、それ以外の原潜も発見される危険があったため、転進したとのことです」
スクリーンには日本を中心とした地図が表示され、アメリカの攻撃型原潜の位置が表示されていた。
「何と……さすがに『神の鉄槌』で被害が無かっただけの事はある……ジャパンは全てにおいて技術力が衰えておらぬか……」
「大統領、感心している場合ではありません。作戦は失敗したのですよ?」
「わかっている。で、ジャパンの動きは?」
「まだ特にありません。おそらく原潜を撃沈した事は公にするつもりは無いと思われます」
「ふん……」
大統領は鼻を鳴らしながら腕組みをすると更に続けた。
「……ジャパンもまだ我々と戦争をする準備が出来ていないのだろう………ジャパンに潜らせている特Aは動かせるか?」
大統領の質問に、補佐官は「お待ち下さい」と短く答えるとタブレットを操作すると、スクリーンに日本で潜入活動を行っている特殊工作員5名の個人データが一覧表示される。
「特Aは例の調査任務に就いており動かせません。特Eであれば可能ですが?」
「うーむ……心許ないが今は時間が無い。サポート役として特F、G、Hもつけてやれ」
「特A以外の特殊工作員を全て投入するのですか?」
「特Aが動かせないのであれば、仕方あるまい。こちらとしてもジャパンの準備が整う前にやらねばならんのだ。すぐに差し向けて生きたまま捕えて来るのだ」
「逃走ルートはこちらで選定し準備します」
「任せる」
補佐官は一礼するとヒールの音を立てながらドアに向かった。
「補佐官……」
突然大統領に呼び止められて歩みを止めると、補佐官は優雅にゆっくりと振り返る。
「何でしょう?」
大統領はそれには答えずにゆっくりと立ち上がると、背後の星条旗に近づき軽く摘まんで広げてみる。
補佐官は何も言わずにそれを見つめ、次の言葉をじっと待った。
「この星条旗に描かれている星の数は何個あるか、君は知っているか?」
大統領からの予想もしない質問に、補佐官は一瞬驚いたが、すぐに立ち直って答えた。
「50個です」
「その通りだ……」
大統領は補佐官に背を向け、星条旗を見つめながら言葉を続けた。
「……星条旗はこれまで26回も変更されてきた。これは連邦に新たな州が加わる都度、星を加えてきたためだ……つまり、合衆国の繁栄の歴史がこの星条旗であると言っても良いだろう。そして現在は50もの州が存在している………では、もしも今後、連邦から州が減った場合、この星条旗の星の数も減らす必要があると思うかね?」
「………」
補佐官は答えることが出来なかったが、合衆国が独立して以来、初となる国難に対して、大統領が苦しんでいる事は容易に想像できた。
「……私は何としても守らねばならない。偉大なる合衆国を。栄光あるアメリカを!」
大統領はきつく星条旗を握りしめると、ふと力を抜き、その手を降ろしながらゆっくりと振り返った。
補佐官はその大統領の形相を見て、背筋が凍るほど恐怖した。このような顔をする大統領を今まで一度たりとも見たことが無かった。
「太平洋に展開中の戦略型原潜に連絡………いつでも潜水艦発射弾道ミサイル<SLBM>を撃てるようにしておけ!目標は勿論、ジャパンだ!」
大統領は決死の覚悟で命令を出した。これは国の存亡を賭けた戦いなのだ。
この大統領の姿を見た補佐官は、初めて『生と死』のやり取りをしている事を実感し、冷静を保つのに必死だった。
返答しようにも、声が出ない。
何とかゆっくりと一礼すると、ガクガク震える足を抑えつつ退室した。
これから自分たちに降りかかる未来は歓喜か?……それとも………。
補佐官は廊下の壁に左手をついて体を支えると、眼を閉じて深く深呼吸する。
しばらくそのままの状態で気持ちを落ち着けると、キッと前を向いてメガネを掛け直し、確かな足取りで歩き始めた。まだ見ぬ未来に向かって……。
ミントグリーンのフィアット500。車内の広さだけで見れば、一般的な軽自動車よりも狭い。
その運転席には筋骨隆々の大男が座り、助手席にはヤンキー風の茶髪の女が座っていた。この二人だけでも狭いと思える車内の後部座席には、セーラー服の少女と小太りの男が座っており、路肩に停車しているこの車を、道行く人は好奇な目や哀れな目で見て行くのであった。
だが、そんな視線にはもう慣れた。
太陽が高い位置にある時からこの場にいて、現在はすでに太陽が沈んでかなりの時間が経つのだ。
ここは新内閣府庁舎のすぐそば──スクラップとなったワゴン車が撤去された場所から、さらに庁舎に近い路肩に車を止めていた。
「ちょっと月面!もっと向こうに詰めてくれない!?アンタと肩がくっつきたくないのよ!」
さゆりは月面こと田中天馬に向かって遠慮なく罵声を浴びせる。
一般的な社会生活の経験があまりないさゆりは、当たりがキツイ発言をするにあたり、躊躇する事はほとんどないのだが、このような傾向は超能力者全般に言える事であり、自分の意見をストレートに言う事は、超能力者であれば普通のことであった。
「仕方ないじゃないか。こうも狭い車内なんだから」
月面も負けじと言い返す。
「ねぇ千佳さん!また再招集を掛けられたと思ったら、どうしてこんな狭い車に詰め込まれなきゃならないんですかっ!?」
助手席のヘッドレストを両手で持ち、前席を覗き込むさゆり。
千佳は大事な車を潰された後、単独で情報収集を行っていたのだが、その時にアメリカの原潜を撃沈したという連絡を聞きつけ、これから内調で何かあるはずだと睨んで召集をかけたのだった。
「おいおい、山本妹。こっちに当たるんじゃないよ。あたしは愛車を売って手に入れたばかりのワゴン車をペチャンコにされたんだぞ?むしろ、この車の持ち主であるあんたの兄貴に文句を言いなよ」
「はい?俺はこんなに人を乗せる事を想定してなかったんだよ。むしろ、少し狭い方が千佳さんとお近づきに………ごにょごにょ……」
千佳に話を振られて焦りながら答える真一。後半はほとんど聞き取れなかった。
「ちっ!」
さゆりは舌打ちをしながら運転席のシートを激しく叩くと更に続けた。
「何で正式に第4特殊部隊の編制許可が下りないの?許可されれば内調で管理している公用車なりヘリコプターなりを使い放題のはずじゃない!?」
「こっちは内調の動きを探ってるのに、その内調が許可してくれるわけが無いだろ!?私服っていう時点で察しろ!……ったく、ホントお前の妹はやかましいな!?」
そう言いながら真一の頬を肘でぐりぐりする千佳。
「お、俺に言われても……」
真一はそう言いつつも、ぐりぐりされること自体はまんざらでも無い様子だった。
それを見て、さゆりは再び舌打ちと共に運転席のシートを叩いた。
さゆりとしては、こんな所でのんびりしている場合ではなく、一刻も早く志郎の警護に戻りたかった。この間にも、楓との仲が親密になるのではないかと、気が気ではないのだ。
公私混同しているのはさゆりも自覚していたが、今回の任務は完全に千佳の独断専行だ。こんなものは任務でも何でもなく、単なる千佳の好奇心に付き合わされているだけであり、公的任務ではないのであれば公私混同でも無い、とさゆりは考えていた。
いずれにしても、さゆりだけではなく、他の3名もこのまま狭い車内でいつまでもじっとしている事は出来なかった。このままストレス状態が長く続けば、いざと言う時に精神集中が出来ずに、超能力が使えないと言う事態まで考えられる。
千佳はスティックタイプのお菓子をボリボリ食べながら後部座席を振り返ると、月面に声を掛けた。
「あれから内調に動きは無い?」
「表立った動きはありません」
月面は狭い車内でノートPCを膝に乗せ、何やらキーボードをカチャカチャ叩いている。
千佳の『あれから』とは、超能力者がアメリカの原潜2隻を沈めた後の事を指している。1隻は第2特殊部隊、もう1隻は第3特殊部隊が戦果をあげていたが、千佳は第1特殊部隊の小野寺可憐が何も活躍していない事が引っ掛かっていた。
彼女の能力であれば、一番戦果をあげるべきなのだが………。
「よし、近くのビジネスホテルに部屋を借りて、一人ずつ6時間交代で休むことにしよう。請求書は内調に回す」
千佳が長期戦を見越して提案する。
するとさゆりがまた身を乗り出してくる。
「まさか一つの部屋を全員で使い回すの?」
「ああ、そうだ」
うんざりしながら千佳が軽くあしらう。
だが、さゆりは全く退かずに騒ぎ出した。
「えー!他人が寝たベッドに入るなんて無理!特に月面の後は絶対に嫌!……だからと言ってあたしが先だと、その後の月面があたしが寝たベッドに……!ああ!考えただけでもサブイボが出るっ!」
「う る さ い ! !」
遂に千佳が我慢できずに大声で怒鳴った。
「だったらお前は無理に休む必要はない!ずっとここにいろ!」
「えー!!……そんなぁ……」
さゆりはシュンとして後部座席で丸くなった。
千佳は「……ったく」と言いながら頭を掻くと、後部座席を振り返って言った。
「あたしがホテルの部屋をとってそのまま最初に休息を取る。その次は山本妹、山本兄、月面の順で休息を取る。異論はあるか?」
完全にさゆりに向かって言っているようだった。
「………ありません」
順番的にはこれがベストだとさゆりも理解していたので、か細い声ながら了解の返答をした。
「よろしい!では、行ってくる。前方の庁舎の動きと通信には注意を怠るなよ?」
『了解』
千佳は返事を聞くと勢いよく助手席のドアを開けると外に出た。
するとすぐに後部座席からさゆりも外に出ると、そのまま助手席に座り直し、シートを目一杯後ろまで下げた。
「ああ、こうすると意外に広いじゃない!?極楽極楽」
千佳は苦笑しながらふと後部座席を見ると、月面も靴を脱いで後部座席で横向きに足を延ばしていた。
これを見て真一も運転席のシートを下げることが出来、狭いながらもそれぞれのスペースを確保する事が出来るようになった。
「のんびりするのは構わんが、ちゃんと監視してくれよ?」
千佳はそう言うと車の後方に向かって歩いて行った。
「あれ?あっちにホテルなんてあったっけ?」
さゆりが首を傾げると、真一がすぐに答えた。
「違うよ、先ずはコンビニで食料を調達するんだろ」
「ああ、なるほど……」
さゆりは納得すると横の真一の姿を眺めると、右腕の義手が気になった。
「あれ?兄貴、今日は義手、ごついの選んできたんだね?」
「おうよ。こいつはちょっとやそっとじゃ壊れない強度で、しかも鏡面加工を施してある。最新式のレーザー照射でも、15秒くらいなら無傷で耐えられるだろう」
「あそ」
それほど本気、という事ね……いろんな意味で。
さゆりはもう一度納得すると、前方に目を向ける。
──まぁ、現状においては、どんなにやる気を出したところで、狭い車内でぼーっとしている以外、やることはないんだけどね。
さゆりは心の中でそう呟くと、半分あきらめたように庁舎を監視するのだった。