動向
「ジャパンは大陸からの撤退を開始しております。航空機と船で順次ジャパンへ帰国しており、およそ3日ほどで全ての邦人が本土へ戻ると思われます」
深みのある青色のスーツを着た大統領補佐官がタブレットを見ながら報告する。
「ほう。大陸を捨てたか?まぁ、現状において大陸の支配を続けるメリットはあまり無いからな」
大統領は吸おうとして取り出していた葉巻を、いかにも残念そうな表情でシガーケースに戻すとそっと蓋をした。
『神の鉄槌』によって大陸の国々は壊滅状態となっていた。だが、被害を受けたのは人間のみで、あらゆる機械や電子機器にはほとんど異常が無かった。
しかし、それが生き残った人類を苦しませることになる。人間だけが突然死んだたため、あらゆる機械は自動運転を継続していたのだ。
例えば、原子力発電所の運転停止作業や、各種研究施設、オートメーション化された工場、様々なインフラ系の対応など、生き残った人類は、他国で放置されたままとなっているシステムを把握・停止するだけでも膨大な時間を必要とした。その結果、16年経過した現在も各国の調査団が危険な施設が無いか全力をあげて調査をしているのだ。
だが、その調査には莫大な時間と費用と人材が必要であり、自国の早期復興の障害にも繋がっていたのだが、隣国の脅威を取り除かなければ自国の安全が確保されないため、渋々、世界中の国々が調査団を派遣しているのだった。
そのような中、日本は中国大陸の調査を担当していたのだが、中国の軍事施設は新型の物から骨董品と呼ばれる古い物まであり、更に広い大陸に無数に施設が点在しているため調査は難航していた。
特に軍事施設のセキュリティは簡単には破れないため、一つの拠点を無効化するのに何ヶ月もかかる場合もあった。
日本にして見れば、このボランティアから早く撤退したかったため、アメリカを中心とした一連の動きは、調査放棄の口実としてはうってつけだった。
大統領はそれを見越したうえで口を開いた。
「おそらくジャパンは喜んで引き揚げた上で、我々の行動を非難する声明を発表するだろう。だが、そんなものにはもう意味は無いのだ。何故なら、大陸から撤退した時点で、東南アジアの国々はジャパンを見限って我々の側につくからだ!」
スクリーンに映し出されている世界地図の色が、全て反日国の色に変わるのも時間の問題だ。ジャパンは中国を捨てて逃げ出したと世界中の人々の目には映るだろう………強国と思われていたジャパンが逃げ出した……これほど反日陣営にとって都合のいいことは無い。
大統領は薄笑いを浮かべていた。
「大陸へのミサイル攻撃は中止だ。あとは他国の陸上部隊に任せれば良い。我々合衆国は日本のエネルギー施設への攻撃に集中するぞ!」
大統領は椅子から立ち上って、スクリーンを指さして高らかに指示を出した。顔は高揚したせいか紅潮している。
……が、女性補佐官は表情一つ変えずに大統領を見ていた。
「な、なんだ?」
冷めた補佐官の視線に耐えきれず、気まずそうに椅子に座る大統領。
補佐官は赤いフレームのメガネをかけ直す。
「いえ、突然立ち上がって恥ずかしいポーズを決めるので驚いただけです………それでは本題に入りますが、当該作戦海域にジャパンの巡視艇ならびにイージス艦が多数展開しているとの情報がありました」
そう言いながら淡々とタブレットを操作すると、艦船の発見情報があった場所に赤い光点が点く。
「こ、これは………まさか………」
大統領は訝しそうにスクリーンを睨む。
それを見て補佐官は少し感心したような表情で口を開く。
「大統領でもお気付きになられましたか?」
「おい。その言い方……」
「そうです。この光点はジャパンのエネルギー施設の場所とリンクしています」
補佐官は大統領の言葉を無視して続けると、スクリーンに日本のエネルギー施設が黄色の光点として点灯した。
明らかに黄色の光点を守るように赤色の光点が点在している。
「間違いない……ジャパンはこちらの動きに気付いている!」
大統領は先ほどとは打って変って真っ青な表情でスクリーンを凝視していた。
「作戦開始までまだ5日以上猶予がある………この先、更にジャパンの哨戒活動が強化される事を考えると、中止の判断をするにはこのタイミングか……」
「大統領、何を恐れておいでですか?施設への攻撃は深海での出来事であり、我が国が攻撃したという確固たる証拠も残りませんし、敵に我が国の原潜に匹敵する性能を有する潜水艦も無いと思われますが……?」
「そうかも知れぬが、施設への攻撃はあくまでも魚雷だ。つまりターゲットとなる施設には接近する必要がある。その途中で見つかってしまっては作戦行動そのものに影響する」
大統領が悩んでいると、補佐官が別の案を提示した。
「では、魚雷ではなく巡航ミサイル<トマホーク>で攻撃するのはどうでしょう?」
だが、大統領は首を振る。
「それこそジャパンの思う壺だ。自衛隊はあくまでも専守防衛が基本……こちらが攻撃を仕掛ければ攻撃の大義名分が整うわけだ。だが、それでは駄目だ。自衛隊や超能力者らとまともに戦っても勝てる可能性は低い。ジャパンに戦争の口実を与えるのは好ましくない。我々の目的は、あくまでも有利な条件で交渉することなのだ」
「目に見えない深海だからこそ意味があるのですね………そうなりますと、やはりジャパンの対潜能力の高さがネックになります」
「そうだ。今、闇雲に作戦を決行して原潜を失った挙句、ジャパンと全面戦争に突入したら我が国には対抗する手段はない………」
そう言うと大統領は頭を抱え込む。
補佐官はヒールの音を立てて一歩前に出ると、静かに口を開いた。
「最後のカードを切る準備は出来ております、大統領」
大統領はピクっと肩を震わした。
「まだ始まってもいない戦いに、もう最後のカードを切れと言うのかね?」
「以前にも申し上げましたが、切り札はタイミングが重要です。敵の準備が整った後ではその効果は失われるでしょう………もしも最後のカードを切るのであれば、その攻撃で全ての決着をつけなければなりません」
補佐官はそう言うと、スクリーンに日本列島の地図を映し、100以上の主要都市に赤い印がつけれらた。
「ご覧の都市を一斉攻撃する事でジャパンは殲滅可能であり、生き残った人間も、核爆発時の電磁パルス<EMP>の影響で電子機器は全て使用不能となり、ライフラインは全て遮断されるはずです。更に放射能はジャパン全土に及ぶため、正にジャパンは死の島となる訳です」
補佐官は話しながらタブレットを操作して、放射能の影響範囲を表示する。
「ジャパンは完全なる島国であり、偏西風の影響により大陸への放射能の影響はありません。つまり、核攻撃によるリスクはほとんど無いと言えます」
「……君はどうしても私に核ミサイルを撃たせたいようだね?」
大統領は背もたれに体を預けながら補佐官に目を向ける。
「ジャパンには並々ならぬ恨みでもあるように見えるが?」
いつもクールで表情を変えない補佐官だったが、この問いには表情を少し歪めた。
「……その通りです、大統領。私はジャパンという国を滅ぼしたいと切に願っています。交渉など、ジャップには不要です!すぐにでも地球上から消し去るべきです!………そう……あの太平洋艦隊のように……!」
「まさか……君の知り合いは、超能力戦争の時にジャパンの裏切りによって全滅させられた太平洋艦隊にいたのかね?」
「はい……フィアンセが……」
「そうだったのか………」
そう言うと、大統領は目を伏せて同情するような表情を浮かべたが、内心ではこんなロボットみたいな女性にもフィアンセがいたのかと驚いていた。いつもは表情一つ変えずに淡々と仕事をしている姿からは、恋愛とは無縁の人間だと勝手に思い込んでいたのだ。
しかし、だからと言って簡単に核ミサイルを撃つ事は出来ない。世界的な流れは一昔前から『虐殺』では無く、あくまでも『無効化』だ。だからこそターゲットのみをピンポイントで攻撃する方法が考案され、ナパーム等の殲滅兵器は無くなって行ったのだ。そのような世界情勢の中で核を使用し、果たして世論を味方につけることは出来るのだろうか?
大統領は、歴代の合衆国大統領でさえ押すことが出来なかった、核ミサイルの『スイッチの重み』を痛感していた。今までどんなに緊迫した世界情勢の中でも、核ミサイルのスイッチが押されることは無かった。
……それを自分の判断で本当に押す事が出来るのか……!?何千万人という人命が一瞬で失われる悪魔のスイッチを、押すことが出来るのか!?
しかし───……改めて大統領は考える。
日本には超能力者がいる。外見は普通の人間と変わらず、日本のどこにいるのかもわからない………そんな現状において『主要施設の無効化』だけでは、日本の脅威を取り除いた事にはならないのだ。
だからこその核……!!
合衆国大統領はしばらくの間苦悩していたが、おもむろに口を開いた。
「予定通り原潜部隊はジャパンの排他的経済水域<EEZ>へ侵入せよ。同時に、他国にも協力してもらい艦船をジャパンのEEZ内を航行させろ。敵の出方を見る」
「EEZとは、あくまでも経済活動の独占的範囲を示したものに過ぎず、単に航行するだけであればEEZ内であってもジャパンは手出しが出来ない……」
「そうだ。そしてもしも日本のエネルギー施設周辺で何らかの爆発事故が発生し、近くの海上を航行していた艦船に被害があったとしたら?」
そういうと大統領は得意顔でニヤリと笑う。
しかし、補佐官は全く顔色を変えずに口を開く。
「爆発事故の原因がはっきり解明し安全が確認されるまでは、全てのエネルギー施設の即時運転中止を求める………つまり、全ての施設を攻撃する必要がない……?」
「その通りだ。もしもジャパンがこちらの求めに応じなければ、世界から孤立するのは必死。そうなれば核を使用したところで、世間は何も言わないだろう」
この大統領の言葉に、補佐官はタブレットの画面から視線を大統領へ移す。
「核を使えば超能力という強大な力も失う事になりますが、本当によろしいのですか?」
「手に入らない力など、ただの脅威にしかならん。だったら無くしてしまった方が良い。戦略型原潜は予定通り2500キロの地点に展開、指示を待て」
「承知しました」
補佐官はタブレットのプロジェクター連携機能を解除すると「すぐに作戦指示を出して参ります」と言って、ヒールの音と共に退室して行った。
大統領は補佐官の姿が消えた事を確認すると、「ふぅ」と短く息を吐き、シガーケースに手を伸ばしたのだった。
例によって志郎の右側には楓、左側にはさゆりが並んで歩いていた。
本日も晴天で、すがすがしい朝だ。まぁ、朝から一悶着あって、志郎は何気なく朝の出来事を思い出していた。
目覚めると、さゆりが俺に馬乗りになっていて体温を感じた。その後、さゆりは俺の足元に転がると、フレアスカートが捲れて白のパン───!!
志郎はそこで顔が真っ赤になり、無意識にさゆりの横顔を眺めた。
ショートカットの黒髪は艶やかで、大きな瞳に形のいい鼻、桜色の唇は柔らかそうだ。ホント、黙っていればめちゃくちゃ可愛い。
すると、さゆりは志郎の方に顔を向けるので、志郎はドキっとして視線を外すと、何とか平静を装う。
「……そういえばそろそろ学園祭じゃない?」
さゆりが唐突に切り出してきた。
「あたし学園祭て初めてだからめっちゃ楽しみ!」
「あー、そういえばもうそんな時季か。俺は早く帰りたいのに面倒な役を無理矢理与えられて、遅くまで学校に残らないといけないから嫌いだなー」
するとさゆりが怒り気味で左腕を引っ張る。
「あんたねー!あたしが楽しみだって言ってるのに、どうして台無しになるような事を言うのよ!?そんなだから人付き合いがうまく行かないのよ!コミュ障が!」
日々、しょーもない日本語を覚えていくさゆり。
「何でも噛みついて来るなよ。お前は楽しめばいいだろ!?俺はまっぴらご免だ……っ!?」
志郎の言葉が終わる前に楓が電光石火の如く志郎の目の前に飛び出すと、右手を前方に突き出す。
「こ、これは!?」
志郎はすぐに察した。
楓は他の超能力者を感知し警戒しているのだ。
超能力者は、その力を行使するには精神を集中する必要がある。
高ランカーであれば、ちょっとした力くらいならすぐに発動可能だが、例えば、強力な衝撃波を発生させる場合は、やはり精神集中が必要で、難易度と威力に比例して集中する時間は長くなる。
この時、超能力者からは特殊な波動が出ているため、それを逆探知することで力を行使しようとする者の位置を特定する事が可能であり、超能力者同士であれば意識的に警戒する事で探知可能であった。この、意識的に超能力者を警戒する行為を『警戒網を張る』と表現していた。
楓は志郎を守るために、常に警戒網を張っており超能力者の存在にすぐに気が付いたのだ。
「………」
楓は無言で右手を前方に出している。これは肉眼では見えないが、超能力による防御壁を展開している状態で、楓くらいになると物理攻撃と精神攻撃のどちらも防ぐことができるだろう。
この防御壁の強度は、超能力者の力量と、精神力の強さが顕著に現れるため、相手の力を見極めるには丁度良い能力であった。
だが、今回は相手がすぐに精神集中を解除すると言葉を発してきた。
「わりぃ、わりぃ。驚かすつもりは無かったんだ」
そう言いながら、電柱の陰から一人の茶髪でロックミュージシャン風の女性が姿を現した。
「千佳さん!どうしたんですか!?」
志郎はそう言うと、楓の隣まで進みポンと肩を叩く。
楓はそれを合図にスッと右手を降ろすと、志郎を先頭に3人は千佳のもとまで歩いて行く。
佐藤千佳はそれを見てホッと一息つくと続けて口を開いた。
「いやぁ、ちょっと試しに精神集中して、あんた達の反応を見てみようと思ったのよ。そうしたら花橘がすぐに反応して戦闘態勢に入ったから、あたしも慌てちゃったじゃないのよー」
そう言うと「わははは」と笑う千佳。
「これでもあたしはランクAなんだけどね、それでも花橘には勝てる気がしないわー………で、山本妹!」
「な、何よ……!?」
突然話を振られて焦るさゆり。
それを見て千佳がニヤニヤしながら口を開く。
「あんた、あたしの存在に気付いていなかっただろ?どうも気持ちが散漫で集中力が落ちているように見えるが……」
千佳はさゆりに近づくと顔を覗きこむ。
さゆりも負けじと睨み返す。
「ふぅーん………」
千佳は意味深な素振りで視線を外すとチラっと志郎を見てから、再びさゆりに視線を戻す。
「……山本妹。色恋沙汰が影響して後れを取ることが無いように気を付けろよ?」
「なななななにを、なにを言ってるのよっっ!?」
さゆりは顔を赤くしながら怒鳴る。
千佳はそんなさゆりを無視して楓に話しかける。
「本当は姫……あんたを連れて行きたいんだけど、主賓の事もあるし無理そうだな………」
そう言いながらさゆりに視線を戻して続けた。
「仕方ないから山本妹で我慢するかぁ」
「ちょ!ちょっと!さっきから何なんです!?」
さゆりは顔を真っ赤にして千佳に食って掛かる。
「ああ、悪かったよ。お前を迎えにきた───仕事だ」
この一言で場の空気が一気に張り詰める。
真剣な表情となったさゆりが落ち着いた口調で尋ねる。
「第4特殊部隊が編制されるんですか?」
「まあ、そんなところだが───正確にはそうじゃない」
「???」
さゆりはきょとんとした顔で千佳を見る。
勿論、志郎や楓も意味がわからず首を傾げる。
「ははは、ちょっと言葉が足りなかったな。内調からは正式に辞令は出ていないんだけど、あたしが自主的にメンバーを集めている」
千佳の言葉に、さゆりは腕を組んで顔を背けると、横目で千佳を見る。
「何か胡散臭いですね……つまり、千佳さんの独断専行って事じゃないですか?」
「だからそうだって言ってるじゃん?」
千佳はあっさりと認める。
「第1、第2特殊部隊、それに月光院の第3特殊部隊までが秘密裡に出撃して行った………あたしは思うんだ。榊原さんがトップになって超能力者の人権は回復し、一見するとあたしたちには自由が与えられた。でも、榊原さんに全ての実権が集中するようになって、あたしたちは彼の命令一つで操り人形のように駆り出される。そして、それを止める者は事実上存在しない。これは彼が当初から描いていた筋書だったのかもしれないんだ」
「先の超能力戦争を踏み台にして権力を得たと?」
さゆりが聞き返す。
「そう。今では総理大臣でさえ彼の言いなりじゃん?」
千佳が首をすぼめる。
するとさゆりはそれがどうしたという顔で答える。
「でも、誰にだって出世欲はあるものじゃないの?特に男たちにそれが無ければただの腑抜けじゃないですか?」
「そりゃあそうだが、超能力者の力を私物化されないか不安なのさ。現に先の超能力戦争だって事の発端はそこなんだから」
「確かに超能力戦争の教訓から、管理組織を別機関で立ち上げる話はあったけど………そう言えばアレってどうなったんだろう?」
「どうもなってないっていうか、榊原さん率いる内調が真っ向から反対して、話は立ち消えになったはずさ」
「なるほど、そうですか………それで?」
「?」
お互いに顔を見合わせる。
一瞬の間があり、さゆりが「いや、だから……」と前置きしてから続ける。
「それで、どうして千佳さんは独断で動くんですか?」
「ああ、本当であれば月光院家が中立の立場として内調を監視してくれればと思っていたんだけど、月光院家の態度がはっきりする前に出撃命令が出てしまい、第3特殊部隊もどこかに派遣された───ってことで、あたし達が内調の抑止力になる必要があるってこと」
「はいぃっ!?」
さゆりは思わず間の抜けた声を上げる。
「つ、つまり、内調に敵対しようって事?」
「いやいや、さすがに敵対したところで勝てる見込みは無いって。あくまでも『何かあったら黙っちゃいないよ!?』という姿勢を見せるだけさ」
「あたしはパス」
さゆりはそう言うと、志郎の左腕を掴んで歩き始める。
「お、おい、さゆり!?」
「いいの、いいの」
慌てる志郎を半ば引き摺るように引っ張るさゆり。
すると千佳はニヤっとしながら口を開く。
「ホントにいいのかなぁ?あんたの兄貴は妹が来るのを心待ちにしているんだけどねぇ」
「!!」
千佳の言葉にバッと振り返るさゆり。
「あ、兄貴が……?」
足を止め、志郎の腕を掴む力が緩む。
「そうさ。あんたの兄貴は何故かやる気満々なんだよね───で、どうする?あんたは行かないのかい?」
「くっ!……あのバカ兄貴……!」
さゆりは奥歯を噛みしめながら毒づくと、志郎に向き直る。
「……聞いての通り、あたしはしばらくの間学校を休む。志郎、あんたはこのまま普通の生活を続けて。いい?決してこっちの世界に首を突っ込んじゃダメだからね!?あと、刺客には十分注意して頂戴。あんたが人質に取られると、花橘の自由が利かなくなるし、下手をすると世界が危機にさらされるわ!」
「ああ、分かってる」
志郎は神妙な面持ちで答えた。それはそうだろう。先の超能力戦争の時も、自分のせいで楓やさゆりを始め、多くの人に迷惑を掛けたのだ。特に楓は、志郎の命を助けるためであれば、地球上の全人類を敵に回す事も厭わないだろう───さゆりはそれを危惧しているのだ。
「あと……」
そう言いながらさゆりは志郎の首に両手を回して抱きつくと、耳元でくすぐるように囁いた。
「あたしの為に、無茶な事は考えないでね?」
途端にカーッと顔を赤らめて硬直している志郎を尻目に体を離すと、今度は楓に向かって口を開く。
「花橘……志郎を頼んだわよ?」
「お前に言われるまでもない」
楓は表情を変えずに、ぶっきらぼうに答えた。
さゆりは苦笑しながらサラサラのショートカットの髪をかき上げると、決心したような引き締まった表情で二人を見る。
「しょうがないから、ちょっと行ってくるわ。すぐ戻ってくるから待ってなさい!」
そう言いながら親指を立てて前に突出し、びしっと決めポーズを作る。
その瞬間、突如強風が吹き、さゆりのスカートが豪快にめくれ上がった。
「ぎゃあああ!」
悲鳴というよりも、絶叫を上げながら慌ててスカートを押さえるさゆり。
「折角の決めセリフだったのに全て台無しじゃないのよ~っ!」
顔を赤らめ走り去るさゆり。千佳はガハハと笑いながら「そんじゃまたな!お二人さん」と言ってさゆりの後を追う。
何とも、さゆりらしい別れとなった。
◆
『先日、日本から発せられた「諸外国の大陸における軍事的圧力」に対する非難声明に対して、本日米国はこれを完全に否定し、あくまでもアメリカ、ロシア、インドを中心とした合同軍事演習であったと発表しました。更に、中国大陸の調査作業を独自判断で放棄した日本を非難すると共に、中国の安全を確保するためにも、各国から日本に代わって中国への調査団を派遣する事を決定したとの事です。尚、日本に対しては、これまでの中国の調査内容の開示と、今後の調査費用の負担および技術者の派遣を改めて要望するとしており、今後の日本の対応が問われる状況となっております………続きまして、次のニュースです───』
「さすがはアメリカ。これだけを聞くと、完全に日本が悪者のように聞こえますね」
「実際、これからどうなるのでしょうか?お兄様の考えをお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「そうですね……」
月光院尊人<げっこういんたかひと>は実の妹である花子の質問に対して少し考え込んだ。
尊人率いる第3特殊部隊は内調からの出撃命令に応じ、現在は四国沖の南海トラフにある、資源回収プラントを警備するヘリコプター護衛艦内の食堂に設置されたテレビを見ていた。
「アメリカの狙いは超能力に関する情報の入手、ただその一点だけです。おそらく、日本を窮地に追い込んだ上で情報の開示を要求してくるつもりでしょう。その手段として米国が他国よりも有利な兵器……原潜を使ってくるのは必然でしょう。さすがに深海に潜られていては、超能力でも対処は困難でしょうね」
尊人はそう言いながら優雅な動作で紅茶で喉を潤し、ティーカップをそっとテーブルに置くと金色の前髪を軽くサイドに払った。
妹の花子は対面の尊人に対して前のめりになって口を開いた。
「アメリカはどうしてそこまでして超能力の情報が欲しいのでしょうか?」
花子が首を捻ると金髪で巻き毛の髪が大きく揺れる。
「日本にしかない強大な力だからね。今ではアメリカを含めた世界中の国が一番欲しいと思っている力でしょうね」
「そこがわからないのです……」
花子は前傾姿勢を元に戻すと続けた。
「他国だって日本にはない圧倒的な軍事力があるではないですか。例えば核ミサイルもそうです。それなのにどうして超能力者まで手に入れたいのでしょう?」
「それは今の日本に力を与えるのは危険だと感じているからでしょう………『神の鉄槌』で世界的に科学者が不足しており、近代文明は衰退の一途を辿り、当時の知識はどんどん失われている。つまり大陸の国々は、今はまだ強大な軍事力があったとしても、それは現在進行形で失われつつあるのです。しかし、日本は『神の鉄槌』の影響を受けなかったことで、現在も最新のテクノロジーを使いこなすことが出来る数少ない国であり、しかも、近代兵器とは別ベクトルの超能力という力を保有している。他国としもロストテクノロジーに代わる兵器として、超能力者を手に入れたいのかもしれませんね」
「超能力者もまた最新のテクノロジーの結晶だと思いますが……?」
花子はなおも尊人に質問する。
それを尊人は穏やかな表情で受け止めると、ゆっくり口を開く。
「確かに超能力研究には最新のテクノロジーが必要です。ですが、超能力研究にとって一番の問題は『倫理観』なのです。人体に対して様々な非人道的な実験を行う必要があるため、『倫理観』に縛られない研究こそが最も必要なことなのです。これが出来る環境があれば、実は何十年も前からある知識だけで十分対応できるでしょう」
「そ、そうなのですか?」
「私もそれほど詳しくはありませんが、デザインベビーやクローン技術は一昔前から可能だった技術です。ですが、人の生命にかかわる根幹部分を人間が操作するという『倫理観』がその分野の発展を邪魔してきたにすぎません。後は実際に『やってみる』ことが出来るかどうかだけです」
「なるほど……他国は実際にやってみるにあたり、そのアプローチ方法やノウハウといったものを入手できれば、短期間で超能力者を造りだすことも可能と考えているわけですね?」
「まあ、そんなところだと思いますよ?」
「ああ!さすがはお兄様!」
花子は両手を合わせて羨望の眼差しで兄を見つめるため、尊人は苦笑しながら口を開く。
「……ですが、今は敵の艦船を監視するのが私たちの仕事ですよ?花子」
尊人のこの言葉を聞き、途端に顔を紅潮させるとキッと兄を睨む花子。
「お兄様!私の名前は『麗子』だと何回言えばわかってもらえるのですか!?」
「え!?………あ、ああ、そうだった。すまなかったね、麗子」
尊人は申し訳なさそうに頭を下げた。
花子は自分の名前が心底嫌いであり、周囲には『麗子』であると言っていた。
そのため、本名である『花子』と呼ばれると、大好きな兄であってもつい怒りが爆発してしまうのだった。
「これからは気を付けて下さいね、お兄様?」
「ああ、わかっているとも、はn……ゴホン!れ、麗子」
尊人の言葉にギロリと睨むと、席を立つ花子こと麗子。
「ちょっと甲板に出て偵察の仕事をしてきますわ」
「そ、そうですか。よろしくお願いしますね。麗子」
「はい、お兄様!」
第3特殊部隊専用の白乳色をベースに金色で縁取りされたボディスーツに身を包み、同色のヘルメットを被って甲板に出る花子。
眼下には一面青い海が広がるが、花子はベトベトする潮風が苦手であり、蒸せるような潮の香りも嫌いだった。
要するに『海が嫌い』なのである。
だが、任務である以上、そのような理由で仕事を放りだすほど子供ではない。機密性の高いボディスーツをしっかり着ていれば何の問題も無いのだ。
花子は艦橋の前方に出ると、意識を集中する。
兄の尊人は、アメリカが原子力潜水艦を出して来ると予想していたのだが、超能力者にとってはこれがかなり厄介だと言っていた。
潜水艦が航行する深海は電波の類は届かないため、察知も難しければ攻撃手段もほとんど無いという事だった。
そのため、海中は海自に任せるとして、第3特殊部隊は自ずと海上および対空の敵に備えるのが任務であった。
護衛艦の背後には、南海トラフ最大級の巨大な資源回収プラントが24時間体制で稼働しており、あちこちから白い煙が立ち昇っていた。
ここの他にもプラントは日本周辺に数か所存在していたが、敵が狙うとしたらやはりここだろうとの算段だ。
「そう言えば……」
花子は独り言のように呟く。
「小野寺可憐率いる第1部隊と、黒田信介率いる第2部隊はどこに出撃したのでしょうか……?」
そう言いつつも、心の中ではどうせ他の施設を守っているんだろうと考えていた。