兆し
内閣情報調査室、通称『内調』は内閣総理大臣直属の組織で、日本国内外の全ての情報を取り仕切っている、まさに日本の頭脳とも言える組織である。
そこに『超能力管理センター』が正式に設けられたのはほんの一年前だが、秘密裏に活動していた時期を合わせると、30年以上も前から内調として活動していたことになる。
内調は超能力という圧倒的な力を武器にして、内閣総理大臣を思い通りに操るほどの影響力を持っており、国の安全保障を司る情報や、内部不正情報も掌握していることから、各省庁を始めとして内調には誰も口出しが出来ない状態なのだ。
そんな内調の全てを統括しているのが榊原内閣情報官だ。
榊原はランクDの超能力者で、先の超能力戦争の時は超能力者のために戦い、日本をクーデターの手から救い出した英雄でもあった。従って、志郎や楓の事も良く知っており、二人の扱い方は心得ていた。
そんな榊原の目の前には、第一特殊部隊隊長、小野寺可憐<おのでらかれん>と第二特殊部隊隊長、黒田信介<くろだしんすけ>の姿があった。
小野寺可憐の見た目は12、3歳ほどの少女に見えるが、実は超能力研究の初期からいる別名『シングルナンバー』と呼ばれるアラフォー女性である。可憐は人類初のランクAという事もあり、まるでモルモットのように研究素材として扱われた結果、後天性のアルビノとなり、しかも少女のまま成長が止まってしまっただけでなく、見た目も当時のまま歳をとらなくなってしまったのだ。
アルビノである可憐は日光に弱いため、基本的には昼夜が逆転した生活を送っている。そして、かなりの虚弱体質であったが、彼女にはユニークスキル『浮遊』があるため、空中に浮いた状態で移動することで体力不足をカバーすることが出来た。ちなみに、可憐は動きやすいという理由で、いつも小豆色のジャージを着ている。
一方の黒田は、20代後半の熱血漢で、榊原がまだ特殊部隊の隊長だった頃の直属の部下であり、もう10年近くも苦楽を共にした間柄であった。榊原が内調の人間となると、そのまま隊長の任を引き継いで、よく部隊をまとめて先の超能力戦争を乗り切った。超能力ランクはBだ。
恐らく、この二人が率いる総勢9名の特殊部隊だけで、一国と渡り合えるほどの戦力がある。
榊原はそんな二人を、自分の執務室に呼んでいたのだ。
部屋に入ってすぐ左側にある応接セット……四角いローテーブルを挟んで、入口側には二人掛けのソファーが置かれ、対面する奥側には一人掛けのソファーが2脚並んで置かれており、その片側に榊原が腰かけ、二人掛けソファーに可憐と黒田が並んで座っていた。
木製のローテーブルには人数分のコーヒーと榊原のタブレットが無造作に置かれていた。
いつものジャージ姿でソファーにちょこんと座る可憐が口を開く。
「それでは榊原さん。隣に黒田さんもいらっしゃるので、早速本題に入っていただけませんか?」
幼い姿とは全くマッチしない艶っぽい声で榊原を促す。
「わかりました。では、早速ですが米国の動きについて新たな情報が入りました。つい3日前になりますが、米国から特殊工作員が日本へ送り込まれたと情報がありました」
「へぇ~。現在我が国は入国規制を行っているはずなのに、よく引っ掛かりませんでしたね」
黒田が感心したように相槌を打つ。
「ああ、しかも、3名とも腕利きの工作員らしいぞ?」
黒田対してはフランクな話し方になる榊原。
「目的は超能力者の情報収集でしょうか?」
「いえ、それはどうでしょう。内調の『超能力開発センター』にいませんが、その他の部署や自衛隊、政府関係部門にはスパイが紛れ込んでいてもおかしくはありません。そういった意味では、政府内で共有している情報くらいはすでに掴んでいると考えるべきです……」
可憐の問いに答えながら自らの無精髭を撫でる榊原。
「……その上で腕利きの工作員を送りこんで来た………つまり、実行部隊って事ですよね?」
黒田が榊原に尋ねる。
「おそらくそうだろう。だが、正直、何を狙っているのかまではわからん。これから行おうとしている我々の計画までは知らないはずだ。であれば、選択肢は多岐にわたる」
黒田の表情には触れず普通に答える榊原。
「結局、相手が尻尾を出すまで待つしかない、という事ですわね?」
「仰る通りです、可憐さん。ただし、場合によっては特殊部隊の出動要請をするかもしれませんのでご了承ください」
「承知しました」
「了解」
二人は別々の言葉で同時に答えた。
「……で、あっちの方はどうなりました?」
黒田が好奇心丸出しの表情で榊原を見る。
「あっち……? あっちとはどっちだ?」
榊原は首を傾げる。
「隊長……じゃなかった、榊原さん。もちろん、あっちと言ったらそっちに決まってるじゃないですか?」
「そっち?そっちとはこっちの事か?」
黒田と榊原は掛け合いにエンジンがかかってきたようだったが、可憐が割って入った。
「二人とも。早く本題に入っていただけませんか?」
まだ幼い表情であるはずの可憐の目がスッと細くなるのを見て、二人は背筋が凍るような冷たさを感じ弾かれるように姿勢を正す。
「も、申し訳ありません。えーと、アレです……あの事です……えー……」
黒田がしどろもどろになりながら言葉を絞り出す。
ギロ……
「いやいや、睨まないで下さい!可憐さん!焦って余計に言葉が出なくなりますっ!」
黒田がおろおろしながら可憐に言う。
それを見て榊原が助け舟を出す。
「月光院のことだろ?」
「そそそそそうです、それです!全く……月光院なんて名前、覚えにくいんですよ……」
服の袖で額の汗を拭きながら黒田が愚痴る。
そんな黒田を見て榊原はため息をつくと、気を取り直して話始めた。
「月光院家は今の状況に不満があるようだ。本来であれば、先の超能力戦争を機にビジネスを拡大させる事を期待していたようだが、終わってみると日本は鎖国のような状態だからな。約束が違うと息巻いていたよ。『このまま君に援助をし続けても、月光院家にはメリットが無い!』……だとさ」
おどけながらコーヒーを啜る榊原。
黒田はそんな榊原を不思議な感覚で見つめていた。
榊原は本来であればもう直接話なんて出来ないくらいの、雲の上の存在となったはずなのだが、今でもこうして普通に会って話をしている。どんなに偉くなっても飾らずに、威張らないその姿勢は、昔から変わる事が無かった。
そう、だからこそ、ここまで榊原を信じてついてきたのだ。そして、それは今後も変わることは無いだろう。
「まぁ、たとえ資金援助を打ち切られたとしても、今では国の予算を使いたい放題だからな。今後の計画には影響は無いはずだ………だが………」
「問題は第3特殊部隊ですわね?」
可憐がすかさず答える。
「さすがは可憐さん……」
苦笑しながらコーヒーカップをテーブルに置くと榊原は続けて話す。
「……月光院尊人が率いる第3特殊部隊まで離反されると、若干、今の計画を見直す必要が出て来ます。従って、月光院家の資金援助はもう不要としても、もう少しの間、第3特殊部隊は内調の指揮下に居てもらわなくては困ります」
「もしも月光院家から圧力があり、月光院尊人率いる第3特殊部隊が野良に降ったら?」
「その時は………手を下す時だろうな………だが、その前に一働きしてもらわねばならないだろう」
黒田の問いに、榊原はそう言いながら遠くを見つめ、無精髭をゆっくり擦っていた。
この時、可憐は嫌な予感を感じていた。
ランクAの超能力者が感じる予感だ。一般人のそれとは比べ物にならないほど的中することだろう。
可憐は超能力戦争の時から榊原には何かを感じていた。
言葉では上手く表現できないが、恐らく、大きな野望のようなもの………。そして、自分はその中心的な役割を担うと確信しており、そうなりたいと切望していた。危険であり正義とも違う事かも知れない。だが、それでも榊原のためであれば、喜んで手伝おうと決心して今、こうしているのだ。
その時、何気なく隣に座る黒田に視線を移す。すると、黒田もこちらを見た為、自然と目と目が合う。そんな黒田の黒い瞳には確固たる決意を感じた。
そうだ、この男も私と同じく榊原を信じてついて行く一人だ。
二人は見つめあったまま軽く頷くと、その心から迷いは消え去っていた。
◆
佐藤志郎は幼い時に記憶と力を失い、内調から超能力研究の対象外と見なされ一般人となったが、それを引き取ったのが一人のお婆さんだった。名を佐藤キヨ<さとうきよ>と言った。
5歳にして完全記憶消失に陥った志郎は、また一から全ての事柄を覚え直す必要があった。同じ歳の子供たちは幼稚園に通っているというのに、志郎はまだ片言の言葉しか発せず、知能的には1歳児ほどしかなかったのだ。それを佐藤キヨは、たった一人で教育し、小学校入学までには他の子供と遜色ないレベルにまで育て上げたのだった。
だが、どんなに偉大なお婆さんであっても寿命には勝てず、志郎が6年生の時に亡くなってしまう。それ以来、志郎は施設への入居を拒否し、国から生活保護を受けながら一人で生きてきた。
そんな志郎を影ながら支えてきたのが花橘楓だ。
幼い頃、二人は内調の超能力研究所で顔見知りの間柄だったが、立場は今と全く異なっていた。
志郎は将来を有望される超能力者で、他の子供たちからも非常に人気があった。一方、楓はランクDでも下の方の能力しかなく、研究所内では楓の研究を打ち切る方向で話が進んでいた。
そんな楓はいつも他の子供たちから苛められていたのだが、いつも決まって志郎が助けてくれた。
志郎は容姿や能力で分け隔てすることなく、誰とでも仲良く話をする男の子だった。
楓がそんな志郎の事を好きになるのは当然だったのかもしれない。
しかし───。
まだ幼い子供というものは、時に本人の意志とは関係なく突拍子もない事をやってしまうものである。それが、志郎の研究中に発生した事故だ。
その原因は楓にあった。
またいつものように楓をイジメから助けてくれた志郎───そして笑顔のまま研究用のカプセルに消えていく。
楓にとって志郎は憧れであり、大好きな存在だった。志郎がいなければ、自分はとっくの昔に心が壊れていただろう。
何でも出来る志郎………。
そんな羨ましいという気持ちが、楓に突発的な行動を誘発する。
楓は無意識の内に志郎が入っているカプセルに近づくと、一つのレバーを引いてしまったのだった。
これによりカプセルは緊急停止モードへ移行し、ちょうど志郎は脳内メモリーのアクセス中だった事もあり、脳へ深刻なダメージを負ってしまったのだ。
その時、ランクSの超能力者だった志郎の母は、同じサーバーに接続していた事で瞬時に異変を察知し、意識レベルで楓に接触すると、自らの命と引き換えにランクSの能力を楓に譲渡すると言った。
ただし、それには条件があり、一つは脳にダメージを受けた志郎を守り続ける事、そしてもう一つは、今回の事故を起こしたのは楓の未発達な感情が原因であるため、今後は一切の感情を捨てる事、であった。
楓は志郎のため喜んで二つの条件を約束しランクSの能力を手に入れると、これ以降、常に志郎の傍に寄り添うようになったのだった。楓が今でも無感情で抑揚が無いしゃべり方をするのは、幼い頃に感情を捨てたからである。
その後、一切の記憶と共に超能力をも失った志郎は、一般人として研究所から追い出されると、楓も後を追って研究所を出た。
楓はランクSの能力を志郎の母から引き継いだ事は秘密にしていたため、元々研究の打ち切りを考えていた内調は、楓が出所する事をすんなり許可した。
こうして楓は、志郎を引き取ったお婆さんの家の近くを、一人でうろつく事になるのだが、ある日、大雨が降ってきた時に、身寄りのない楓は志郎の家の近くにある大きな門の下で雨宿りをしていた。楓はその屋敷の住人である資産家の花橘家の夫人の目に留まり、花橘家の養子としてもらわれる事になった。
花橘楓とは、夫人がつけてくれた名前だ。
これ以降、研究所の記憶が無い志郎とは、近所の幼馴染として遊ぶようになった。
だが、内調は記憶と超能力の関係を詳しく研究するために、そしてもしかすると志郎が過去の記憶を取り戻したら、再び強大な超能力も蘇る可能性があると考えたため、志郎を拉致するために何度も刺客を差し向けるようになった。
楓は気付かれないようにそれらの脅威から志郎を守り、たった一人で戦っていたのだった。
そして超能力戦争をきっかけに全てを知った志郎は、楓に感謝つつ今では花橘家でお世話になっていた。
志郎は夕食の後、風呂に入り、今は上下グレーの地味なスウェットを着てベッドで寝ていた。
花橘家の屋敷は一見すると昔ながらの日本家屋だが、つい最近、改修工事を終えたばかりで、セキュリティ対策は万全のはずだった。
「こちらチャーリー。ターゲットが住む屋敷の裏手に到着した。それにしてもかなり広い屋敷だ」
「チャーリー、気をつけろよ。そこらじゅうにセキュリティセンサーが仕掛けられているぞ!?」
「わかっている。ブラヴォー、俺に指示するな」
「こちらアルファ。ターゲットは2Fの南側、向かって一番左の部屋だ。作戦開始は2時50分。いいか!?」
「「了解」」
男たちは迷彩服に防弾ベスト、ヘルメットには暗視ゴーグルがセットされガスマスクを装着しアサルトライフルを持っていた。腰には拳銃とフラッシュバン、スモークグレネードを装備し、バックパックを背負っていた。
アルファとブラヴォーは、正面の門から少し離れた場所に停めてある白色のバンで待機し、チャーリーは裏手の塀の手前に2tの箱トラックを横付けしてその時を待っていた。
「作戦開始30秒前、行動準備」
アルファの声でチャーリーはトラックの運転席のドアを開け放つと、ドアの窓枠を足場にしてトラックの荷台の屋根まで上がる。
ブラヴォーはバンのエンジンを掛けて正面の門へ目を向けると、そこにはアルファの姿があった。
「10秒前」
チャーリーとアルファはフラッシュバンを握るとピンを外す。
「GO!」
アルファの声と同時にチャーリーは塀の内側に向かってフラッシュバンを投げ込んだ。
フラッシュバンは、爆発すると凄まじい閃光と共に強力な超音波が発せられ、人間の視覚、聴覚を奪うのと同時に電子機器を沈黙させることができる。
チャーリーは爆発を確認してから暗視ゴーグルを掛けて、トラックから塀に飛び移って裏庭に侵入した。
その10秒後、今度はアルファがフラッシュバンを正面の門の内側に投げ込むと、ブラヴォーがバンを急発進させる。
空を眩い閃光が覆うと、正面の門にバンを突入させる。
大きな激突音とともに門は破壊され、バンはフロントの原型が無くなるほど破損したが、その目的は達成したようだった。
変形したドアを蹴破ってブラヴォーがバンの運転席から降りると、そこにアルファがやって来てお互いに頷く。
二人はすぐに南側の庭に回ると、庭に面した1階の大きな窓をアサルトライフルの銃床で叩き割り屋敷内に侵入した。
すぐに階段まで進むと、アルファの指示に従って2階へ駆け上がるブラヴォー。
廊下に出るとすぐ手前のドアをゆっくり開ける。
部屋は12畳ほどの広さで、手前は畳にちゃぶ台が置いてあり和の雰囲気が強いが、部屋の奥はフローリングとなっていて、そこにシングルベッドとサイドボードが置いてあり、更にその奥にはカーテンが閉められ確認は出来ないが、ベランダがあって南側の庭がみえるはずだった。
ブラヴォーはアサルトライフルを構えながらゆっくりとベッドに近寄る。だが、ベッドはもぬけの殻だった。だが、外で大きな物音がしたのだから、ベランダに出ている可能性がある。
ブラヴォーは窓に近づきゆっくりとカーテンを開ける。
すると、そこにはスウェット姿の男が手すりから身を乗り出して門の方を眺めているのを発見した。
ブラヴォーは気配も無く銃口をスウェットの男の背中に押し付ける。
驚いた男は勢いよく振り向く。
ブラヴォーはアサルトライフルの銃床で男の側頭部を軽く殴りつける。だが、金属の塊で殴られるのだから『軽く』であってもただでは済まない。
男は手すりに体を打ち付け、頭から血を流しながら尻もちをついた。
ブラヴォーは男の襟首を掴むと、無理矢理立ち上がらせ、そのまま部屋の中へ引き入れた。
「ターゲットを確保。これより脱出する」
スウェットの男は頭から出血し、殴られた影響なのか、意識がはっきりとしないようだ。
ブラヴォーは男を肩に担ぐとすぐに階段を下りてアルファと合流する。
そのままアルファに先導されて裏手に回ると、そこにはチャーリーが手を振って待っていた。
どうやら塀を乗り越えて、外に停めてある2tトラックで逃走する計画のようだ。
日本の塀は庭で草木を育てる事もあり、かなりの量の土が盛られているため、外からは高く感じる塀であっても、内からは簡単によじ登る事ができるのだ。
二人がこちらに向かって走って来るのを確認したチャーリーは、一足先に塀に登ろうと振り返ると、その場で凍りついたように動かなくなった。
塀の上には黒ずくめの人の姿があった。
フルフェイスのヘルメットと特殊ボディスーツを身に纏ったその姿は、作戦前に見た極秘資料の中にあった物と同じだ。
チャーリーはガクガク震えながら一歩だけ後退した。
アルファとブラヴォーはそんなチャーリーに駆け寄ると、すぐに異変に気付いた。
チャーリーは震える手でゆっくりと暗視ゴーグルを取ると、自分の肉眼で塀の上を見つめる。
それにつられて残る二人も塀の上に視線を移す。
特殊ボディスーツは体にフィットしているため、ボディラインが出てしまう作りになっている。
月に照らし出されたそのシルエットは、まるで女神の彫刻をみているような錯覚を与えるほど芸術的な美しさだった。
だが、この三人にしてみれば、女神ではなく悪魔と出くわしたと言っても良いだろう。
漆黒の悪魔はレーザーガンを構えると口を開いた。
「シロに危害を加える者は死してその罪を償え」
これが三人が聞いた現世での最後の言葉だった。
「昨夜、佐藤志郎が何者かに襲われ頭部に怪我を負ったと聞きましたが?」
「はい……花橘より連絡があり、現場の状況から警察ではなく内調に届け出たようですわ」
「なるほど。その辺はさすがは花橘楓、冷静な判断です」
榊原内閣情報官は、実際に状況を確認に行った小野寺可憐から話を聞きながら、研究所内にある病棟に向かって廊下を歩いていた。
「連絡があり、部下の斎藤を連れて急いで花橘家に行ったのですが、賊はすでに花橘楓のレーザーガンに撃たれて死んでいました」
「まあ、そうだろうな。主賓に手を出すなど、我々の間では絶っっっ対にやってはならない事の一つだからな」
榊原が肩を竦めながら言う。
「……だとしても、殺す必要は無かったと思います。制圧モードの自動照準<オートエイム>で撃てば、目標の右大腿部を確実に撃ち抜く事が出来たはずです。生かしておけば何かしらの情報を得る事が出来たかもしれませんわ」
両手両足をプラプラした状態で空中浮遊する可憐が強い口調で楓を非難する。
「そうとも言い切れませんよ。可憐さん」
「それはどういう……?」
「すぐにわかりますよ」
そう言うと、榊原は一つのドアの前に立ち、首から下げたカードキーを壁に埋め込まれた四角いプレートにかざす。
電子音と共にドアが開錠されると、榊原はすぐにドアを開き部屋の中に入って行く。
可憐も慌ててその後に続くと、タイヤがついたパイプベッドが3つ置いてあり、その上には男の死体が確認できた。
真ん中と向かって右側の死体には様々なコードが取り付けられており、ベッドの脇においてある機械と繋がっていた。
左側のベッドは解剖された後だろうか………遺体には無数の縫合された跡が、無造作に被せられた白いシーツの間から見て取れた。
部屋の奥にはもう一つガラス張りの部屋があり、二人の位置からでも中に白衣を着た男の姿が確認できた。
榊原は迷うことなく部屋の奥に進むと、ガラス張りの部屋のドアを開ける。
「豊富博士、解剖の結果はどうです?」
そう言いながら部屋に入ると、手前にあった椅子に腰かける。
「榊原君かね?どうもこうもないよ………全く手がかり無しじゃ」
豊富博士は金色に輝くメガネを右手でかけ直すと、頭頂部だけ禿げあがった自らの頭をペチペチと叩きながら榊原の元にやってくる。
「わかった事は?」
「恐らく3人ともアラブ系の男で、一人の男の右目にだけコンタクトレンズ型のカメラとマイクロチップが埋め込まれておった」
豊富博士の言葉に榊原は頷くと、振り返って可憐に視線を向ける。
「つまり、下手に生かして研究所に連れて来ていたら、リアルタイムでその映像はどこかに送信され、極秘事項が漏えいしていた可能性もあるって事」
「………」
可憐は何も言わずに目を背けた。
───結果的には花橘の判断が正しかった?
可憐たちが身を置くこの世界は、一般的な倫理観は捨て去らなければならない………いまさら人道的な配慮なんて全く意味をなさない───これは、戦争なのだ。
「マイクロチップの解析は?」
「今、別の部署が進めておる……」
榊原の問いに対して、すぐに答える博士。
「……だが、おそらく映像の送信先の特定は無理だろうて」
「まぁ、そうでしょうね……」
榊原も同意する。
「……でも、どうして主賓……佐藤志郎を狙ったのか……?」
「その佐藤志郎は今どこに?」
可憐が質問する。
「もちろん病室におるわい。B-3号室だ」
博士がすぐに答える。
「わかりました、博士。調査を続けて下さい。私は主賓の様子を見てきます」
「ああ、わかったよ」
榊原を見送った博士は再び自分のデスクに戻る。
そして、独り言のように呟いた。
「また戦争が始まる………か」
榊原と可憐は廊下に出ると、今度は佐藤志郎の病室B-3号室に向かった。
志郎の病室があるB区画はそれほどセキュリティレベルは高くなく、受付で身元照会の上、許可されれば一般人でも面会することが出来た。
榊原はB-3号室のドアをノックすると、中から「どうぞ」の声が聞こえてきた。
「失礼するよ」
と言いながら榊原は部屋に入ると、そこは完全個室の病室で窓側には制服姿の花橘楓が丸椅子に座っており、反対側には佐藤千佳がベッドに浅く腰掛けて、ホットパンツから伸びた美しく長い脚を組んでいた。そして病人である志郎は頭に包帯を巻いた状態でベッドの上で上半身を起こして座っていた。
志郎は先の『超能力戦争』の時に、佐藤千佳とも顔見知りとなっており、久しぶりの対面で話が弾んでいたのだが、榊原の登場で場の空気が一変していた。
「久しぶりだな、佐藤志郎君。元気そうで何よりだ」
「ええ、お陰様で」
志郎は軽く笑いながら答えた。
すると、榊原の背後から現れた可憐が口を開いた。
「花橘がここにいるのはまぁ良いとして、どうして貴女までここにいるのですか?佐藤千佳さん?」
「はあ!?」
突然可憐に名指しされて少しカチンとくる千佳。
「あたしがいちゃぁ困るってのかい!?小野寺可憐!?」
「別に困りはしませんが、不自然だと言っているのです」
「へっ!あたしは第4特殊部隊……つまり野良の超能力者から、いい人材を探し出して唾をつけておくのが仕事さ。もちろん花橘も例外じゃないって事。それに志郎とはいろいろと付き合いがあってね……そんな事よりも榊原さんよ、久しぶりだね」
千佳は可憐の話を適当に打ち切って榊原を見る。
「ああ、君も元気そうで何よりだ」
榊原が千佳の傍まで歩きながら答える。
千佳は金髪をかき上げながら立ち上がると、正面から榊原を睨み付ける。
「こんな時になんだけど、あんたにはどうしても聞きたいことがあんのよ」
「ん!?なんだ?」
「とぼけやがって……まあいい、あんた、どうしてあたしを第4特殊部隊の隊長に任命したのさ?実際部下もいない隊長なんざ、ただの肩書だけだろ!?」
「ランクAの君の能力を買って隊長に任命したのだ。部下はまだいないかもしれんが、野良の中から自由に選抜しても良いという特権を与えたはずだが?」
「はっ!ばからしい!」
榊原の言葉に千佳が吐き捨てる。
「単にあたしをあんたの監視下に置きたいだけだろ!?だから特殊部隊の隊長に任命した。だけど、あたしみたいなごろつきに戦力を与えるのは怖い。だからあたしには部下をつけずに隊長という肩書だけで縛っておくつもりなんだろ!?」
「妄想はお止めなさい、佐藤千佳。榊原さんに失礼です」
横から可憐が割って入る。
「妖怪は黙ってな!………それよりもどうなんだい?榊原さんよ?」
千佳は可憐を一言で切り捨てると、すぐに榊原を問い詰める。………ちなみに可憐は「私が……妖怪……?」とかぶつぶつ言っていた。
榊原はため息をつくと続けた。
「……佐藤千佳君。君の考えは基本的には正しい。だが、有事の際は君の力が必要なのも事実だ。先の超能力戦争において、ランクB以上の超能力者の数は激減した。そのような中でランクAである君には、自分の立場をわきまえた上で行動して欲しいものだ」
「ああ、そうかい」
千佳はそう言うと榊原の横をすり抜ける。
「じゃあ志郎、また会おう。花橘もな」
片手を上げて挨拶すると、可憐を横目で一瞥してから病室を出て行った。
「彼女、一体何だったのかしら!?」
可憐が幼い顔で頬を膨らます。
「ふっ、彼女も悩んでいるんだよ。ユニークスキル『予知』で未来が見える分、人よりも悩みも多くなるのだろう」
「そういうものでしょうか………?」
榊原の言葉に今一つ納得していない可憐であった。
「……さて、志郎君、恥ずかしい所を見せてしまったね」
「い、いいえ……そんな事は……」
視線を外してうつむく志郎。何と答えればいいのかわからないようだ。
「まぁ、我々もなかなか一枚岩とはいかないって事さ。君は気にしなくていい」
「あ、はい」
何となく返事をする志郎。
「それはそうと、昨晩、君は謎の工作員に襲われたわけだが、何か心当たりは無いか?怪しい者を目撃していたとか、最近見たことが無い車が家の周辺をうろついていたとか」
「それなんですが……俺は一般人ですよ?いわゆる普通の高校生です。工作員に狙われるような事は何もしていませんし、普段の生活で特に怪しい事もありませんでした。そもそも、普段の生活で何かあれば楓やさゆりが真っ先に気付いているはずです」
「うむ……確かに……」
志郎の話を聞いて納得する榊原。
その時、めずらしく楓から口を開いた。
「私は先の超能力戦争における内調の情報管理意識の欠如が原因だと思う」
「何!?どういう意味だ!?」
思わず強い口調で聞き返す榊原。
それもそのはず、内調とはあらゆる情報を取り扱う組織であり、その性質上、日ごろからセキュリティには神経をすり減らして対応しているのだ。それなのに、真っ向から管理不足と言われたらカチンとくるのも仕方ない。
だが、楓は表情一つ変えずに続けた。
「あの戦争は国内に留まらず、朝鮮半島から中国大陸などを巻き込んだ戦いだった。当時、朝鮮はシロを拉致して調査研究を行い、実際に超能力者のクローン開発にも成功している………そして今になってその事実を知った他国は、超能力に関する情報を得るためにシロを狙った……」
抑揚が無い口調で淡々と語る楓。
「つまり、シロの拉致事件の情報が外部に漏れた事が今回の根本的な原因……」
「花橘!………もういい、わかった」
榊原は楓の話を止めて、数秒ほど時間をおいて気持ちを整理すると再び口を開いた。
「君の懸念事項についてはこちらでもしっかり調査しよう。もしもそれが本当であれば、今後も主賓は命の危険に晒される可能性があるからな」
「シロに?危険が?……それはない」
そう言いながら楓は立ち上がると、繰り返し言った。
「私がいる限り、それはない」
楓は手が震えるほど強く拳を握っていた。楓は志郎に怪我をさせてしまった事を悔いていた。
もしもの為にと、志郎には花橘家で寝泊まりさせていたにも関わらずこのような事になってしまい、自分自身に腹が立っていたのだ。
その時───。
「ちょっと志郎!襲われたって本当なの!?」
そう叫びながら突然セーラー服姿のさゆりが病室に駆け込んできた。だが、榊原と可憐の姿に気が付くと、ゆっくりとベッドに近づきながら言った。
「何であんた達がいるの?」
「はぁ──」
榊原は苦笑しながら思いっきり息を吐くと、超能力戦争での出来事を思い出した。
あの時──クーデターが失敗に終わった成田空港での事だ。………志郎は意識不明の重体だったが、榊原は自分のヘリに志郎ではなく、クーデターの犯人を連行することを優先したのだった。
それ以来、志郎と関わりが深かった者は榊原へ不信感を抱くようになっていた。さゆりはその中でも顕著にそれが現れていた。
榊原は片手を軽く上げながら歩き出す。
「ちょっと事件について話を聞いていただけだが、そろそろ帰ろうと思っていたところだ……それでは主賓………じゃなかった、志郎君、また会おう」
榊原はそう言うと部屋を出て行った。可憐も軽く頭を下げるとその後を追った。
そんな二人の背中にあかんべーをするさゆり。
「……って、それよりも詳しく話を聞かせなさいよ!全く……監視役のあたしが何も知らないとか、ありえなくない?」
すぐに気を取り直してベッドの脇までやって来ると、興味津々の目で志郎を見つめる。
志郎はガクリと首を垂れて一言。
「あ──めんどくせ!」
カチ─ン!
志郎はさゆりからそんな擬音が聞こえた気がした。
榊原は病室を出ると直ぐにある場所に電話した。
「今回は主賓と姫は無視していいだろう。すぐに海上自衛隊を派遣して周辺海域の哨戒にあたってくれ。また、現時刻をもって我が国は中国大陸ならびに朝鮮半島の管理を放棄する」
隣で榊原の電話の話を聞いていた小野寺可憐は、この電話が終わったら次は自分への命令があるだろうと感じ、密かに覚悟を決めるのだった。