介入
荒野にポツンと佇む別館が月夜に照らし出されていた。
周囲にはすでに塵や埃はなく、小野寺可憐の目にもはっきりとその建物が見えていた。
可憐は自陣を振り向くと、そこには第1特殊部隊のメンバーとクローンロボット001が命令を待っていた。
特殊ボディスーツ姿の可憐は、地上から2メートルほど浮かんだ場所で直立姿勢で口を開いた。
「これより反政府組織に対して攻撃を仕掛けます。花橘楓は第1特殊部隊が引き受ける。001は別館を攻撃して下さい」
『了解。真っ直ぐ別館に向かう』
001が満を持してしゃべるが、実は001のロボットには外部スピーカーが無く、通信機から001の意思データを変換した疑似音声で会話する仕組みになっていた。
「自衛隊の攻撃が再開したらこちらも行動を開始します」
可憐がそう言うと、大気が激しく振動し夜空が光に包まれた。自衛隊による先制攻撃だ。
別館に展開された防御壁によって、次々と上空に火花と黒煙の大輪が開くと、少し遅れて爆発音が聞こえてきた。
時間通りのタイミング……これしか能が無い自衛隊ではあったが、これをしっかりやることが今は求められているのだ。
「侵攻開始!」
可憐の号令の元、第1特殊部隊と001は前進を開始した。
001は可憐と共に空中を滑るように移動を開始する。
その姿はロボットと言うよりも『UFO』と呼ぶ方がしっくりするだろう。
鉛色の機体は砲弾を立てたような形で、地上をホバーリングして移動している。直径は1メートルほどで高さ1.2メートル、その側面には2つのお椀のようなものが設置されており、1基はそのお椀から機銃のような銃身が見え、反対側の側面にはお椀に小さな丸いレンズが見える。さらに砲弾型のボディを1周するするように、暗く赤い光が点滅していた。
作りそのものはこれまでのロボットに比べてシンプルに見えるが、だからこそ制御は容易なのかもしれない。土煙を巻き上げながら、3機のロボットは地形に影響することなく進んでいた。
第1特殊部隊の斎藤以下3名は、自衛隊の装甲車両に乗車して先行する小野寺可憐の後を追った。
そんな政府軍の動きは、実際に砲撃を受けている別館の反政府軍としては全て把握していた。
例によって山本真一率いる野良部隊が別館上空に防御壁を展開し、自衛隊の攻撃を完全に阻止している。
すぐに月光院尊人の声が館内に響き渡った。
『第1特殊部隊が動き始めました。花橘楓さん、出撃をお願いします』
「了解」
楓が黒の特殊ボディスーツ姿で正門跡から外に出る。
そこに白乳色のボディスーツ姿の麗子が現れた。
「今回、お兄様が作戦指示を出しますので、私が貴女のサポート役として出撃しますわ」
「そうか。ではクローンを頼む。私は第1特殊部隊を引き受ける」
ぶっきらぼうでざっくりとした作戦指示を出す楓。
「やって差し上げますわ!さあ、行きましょう!」
麗子が珍しく気合を入れる。
いや、そうしなければこの恐怖に飲み込まれそうになるのだ。
ここにはもう第3特殊部隊のメンバーはおらず、自分一人でクローン3体を相手にしなければならないのだ。話によるとクローンはランクS相当の能力と言う。もしも自分が敗れる事があれば、それは別館が落とされる事に直結するのだ。
──しかし、とも考える。
聞くところによれば、ランクBの山本さゆりがクローンを倒したらしい。であれば、同じランクである自分でもやれるはずであり、それだけが唯一、麗子の拠り所であった。
武者震いをして前を見つめる麗子。
そこに別の通信が入る。
「ちょっと花橘!あたしがいるのを忘れているんじゃないでしょうね!?」
「誰?」
楓が素で聞いてきたため、通信先からズサァとコケた音が聞こえてくる。
「ちょ、ちょっと!あ・た・し!山本さゆりだっての!あたしも一緒に戦うわ!」
これを聞いて楓は無表情で返答した。
「じゃあ、月光院麗子と妹同士、仲よくクローンの相手をお願い」
「花橘楓さん!けが人を私に押し付けないで頂戴!」
麗子が慌てて拒否するが、さゆりがそれに噛みつく。
「右肩を動かさなかったら問題ないっての!超能力を使う分には全く影響なし!ノープロブレム!」
「大きい声を出さないで頂戴……山本さゆりさん、貴女の支援には感謝しますが、恐らく貴女の事を守ってあげれるほどの余裕は私にはありません。ご自身の身は、ご自分で何とかして下さい」
「わーってるって!あんたよりあたしの方が強いんだから、むしろあんたには何の期待もしてないつーの!」
さゆりは憎まれ口をたたきながら走ってくる。
その姿は黒のボディスーツを着ていたが、右肩のギプスは入らなかったようで、ボディスーツの右肩から袖の部分がごっそり無くなっていた。
特殊ボディスーツはさすがに頑丈で、研究室の特殊機械を使って、右袖を取るだけで今まで時間がかかっていたらしい。
麗子はその姿を見て思わず笑ってしまった。
「くすくす。貴女のその恰好……まるで貴女のお兄様とそっくりね!」
「!!!」
さゆりは麗子の言葉に思わず立ち止まってしまった。
確かに兄貴は右腕にあえてごつい義手を装着するから、戦いの時は常に義手を露わにした姿だ。そして、今のあたしも……!!
そう考えると、今のあたしはめちゃくちゃ恥ずかしい姿ではないのだろうか!?
ヘルメットの中で顔を真っ赤にするさゆりに楓が話しかける。
「委員長はどうした?」
はっと我に返ったさゆりは再び走り始める。
「委員長……ああ、町田亜季なら月光院尊人のサポートをしてる」
「そうか。では先に行く」
楓は短く答えると、突然弾かれるように飛び出した。
あまりの衝撃に楓の後方に高々と『土柱』が上がると、瞬時に数百メートルに渡って土煙が立ち昇る。その先には……!
「!!!」
第1特殊部隊が乗っていた装甲車が爆発音と共に、3分の2くらいの長さまで車体が潰れ、そのまま後方に吹き飛ばされた。
土煙を上げながら地面を転がって逆さまの状態で止まる装甲車。巻き上げられた石や砂が装甲に当たる音が響く。
その土煙の中には黒いボディスーツを着た楓が、右手で掌底を繰り出した形で止まっていた。
「雑魚はそこで大人しくしていろ」
冷たく言い放った楓は、構えを解きゆっくりと振り返ると、そこには小野寺可憐が宙に浮いた状態で楓を見つめていた。
「すごい力……ランクAの私でもどうすることも出来なかった……」
可憐は戦慄と言って良い衝撃を受けていた。
──明らかに姫は超能力戦争の時よりも強くなっている……。あの時ですら神とも言える能力を見せ付けていたのに、今では神をも凌駕するほどの能力……。だが、どんなに強い相手であっても負けるわけにはいかないのだ。日本のため、いや、榊原のためにも……!
可憐は精神を集中する。
すると、可憐の頭上にみるみる内に巨大な火の玉が形成される。
「受けてみなさい!ランクAの力をっ!!」
可憐は5メートルにも及ぶ火球を楓に向かって高速で飛ばした。
楓はそれを逃げずに両手を突出し真正面から受けた。
楓を中心として数十メートルにも渡って大爆発が起こり、熱風があたりの台地を焼いた。
可憐はその火柱の中心に向かって、更に衝撃波を叩きこむ。
巨大な炎は一瞬で吹き飛ぶと、地面が陥没し土煙が舞う。
可憐はそこに超能力で増幅したレーザーガンを発射すると、七色に輝いた極太レーザーがクレーター状に陥没した地面を焼いた。
更に真上から重力攻撃を叩きこむと、陥没した地面が更に何本もの地割れが発生し、土煙が辺りを支配した。
陥没した地面は30メートル以上にも及び、普通の人間であれば周囲100メートルにいたらまず即死だろう。
土煙が立ち込める中、可憐はヘルメットの画像情報を確認するが、楓の姿を発見できない。
可憐は更に地上15メートルまで上昇し地上を見渡すが、楓の姿は感知できなかった。
──やった……の……?
可憐が一瞬そう思った時だった。
突然背後に人の気配を感じ慌てて振り向くと、そこには無傷で空中に浮かぶ楓の姿があった。
……そう視認した時にはすでに遅いのだ。
楓は落下しながら右手の指を鳴らした。実際にはグローブをしているので鳴らないのだが、そのような仕草をした途端、可憐は大きな力によって地上に叩きつけられた。
「ぐふっ!!」
背中から地面に激突した可憐であったが、それでも咄嗟にユニークスキル『浮遊』で抵抗を試みていた。
その甲斐あって、何とか一命を取り留めることができた。
口元から一筋の血を流し息が苦しいながらも、両目は上空へ向ける。
すると、花橘楓が自分の傍らに立ち、こちらを見下ろしていた。
可憐は反射的に『浮遊』を発動し、寝たままの体勢で地面を滑るように自分の足の方向に移動した。
だが、楓もそれに追従してダッシュすると、可憐のヘルメットに手をかざし、地面に向かて掌底を繰り出した。
爆発音と共に幼い少女のヘルメットは後頭部から地面にめり込んだが、自らの進む力によって地面から抜けると、ゴロゴロと人形のように地面を転がって止まった。
ヘルメットのバイザーにはヒビが入り、情報ウインドウが視認し難くなっていたが、何とか機能の全消失は免れたようだった。
可憐はとにかく上空に逃れようと『浮遊』を使って浮き上がる。
だが、楓はその足首を掴むと、すぐに地面に叩きつけた。
「ぐっ!!」
短い呻き声と共に地面に叩きつけられた体がバウンドして再び地面に落下した。
可憐はヘルメットの中で、血と涙で顔がぐしゃぐしゃになっていたが、そんな事は今はどうでもよかった。とにかく今は、この窮地をひっくり返す必要があるのだ。
可憐はすぐに001へ連絡を取った。
「こちら小野寺可憐……すぐにロボットを1体、救援に回して欲しい……」
『随分勝手な言い分だな?こっちもギリギリの戦力でやってるのだが?』
機械的な声で001が返答する。
「とにかく今はもう少しだけ時間を稼ぐ必要があります……何とかお願いします……」
『!?』
可憐の発言に反応する001。
『時間を稼ぐだと?……小野寺可憐、貴様、先ほども同じような事を言っていたが、一体何を隠しているのだ?』
「それは……今は言えません……ですが、絶対に悪いようにはしません!ですから……!!」
この可憐の言葉に、001は一拍おいてから返答する。
『わかった……小野寺可憐、お前を援護する』
001はそう言うと、麗子とさゆりの戦いを有利に進めていながら、1体を可憐の援護に差し向けた。
「ありがとうございます……」
『礼はいい。その代り見せてもらおう……貴様が命がけで時間を稼いでいる奥の手とやらをな』
001は機体の側面に設置してあるレーザーと機銃を同時に発射しながら楓に急接近して来る。
楓はそのレーザーを防御壁で受け流し、実弾を体を僅かに反らすだけで避けて見せた。
001は更に衝撃波を放つと、レーザーと機銃も休まず撃ち続けた。
楓はそれを大きくジャンプしてかわすと、上空で一気に加速して001に超高速で突っ込んだ。
しかし、001は上空に圧縮空気の壁を作り、自らは後方に滑るように下がる。
空気の壁に激突した楓は摩擦によって空中で大爆発した。
001は爆発に巻き込まれないよう円を描くようにホバーリングして回り込む。
楓の勢いは空気の壁では衰えることなく、そのまま火球となって地面に激突し爆発した。
『自らの巨大な力があだとなったようだな……』
001はそう言いながらホバーリングし、可憐と楓の射線上まで進んだ。
『小野寺可憐、動けるか?私はこのような機体なので、直接お前を助け起こす事は出来んぞ?』
ヘルメットに001の機械の声が届く。
「私は大丈夫です。二人で攻撃しましょう」
可憐はそう答えると空中に舞い上がり、上空から楓が地面に激突した黒煙に目を向ける。
地面はかなり抉られており、激突の衝撃が凄まじかった事が伺えたが、花橘楓がそんなことくらいでやられる訳は無いと確信していた。
001も戦闘態勢のまま黒煙を注視していた。
その黒煙の中から人影が現れると、何事も無かったように001に向かって歩いてくる。
『無傷……かよ……!』
001は機械の声で呟いたが、どこか感情がこもっているように聞こえた。
楓は歩きながら、真っ直ぐ上に向かって左手を上げた。
すると、一瞬の間だけ周囲は昼間のように明るくなり、爆音と共に雷が可憐に落ちると、そのまま可憐の体を貫き地面に落ちた。
「精神集中を……ほとんどせずに、これほどの威力を……出せるものなの……?」
雷に貫かれた可憐は、意識が途切れないように歯を食いしばって『浮遊』をコントロールし、墜落を回避する努力をしていた。
だが、001は楓に対してレーザーと機銃を発射していた。
001は実際にはその場所にはおらず、ロボットのカメラを通して常に客観的に状況を把握しており、楓が可憐に対して攻撃を加えたタイミングを読んでいたのだ。
001は更に楓の後方から念動力<サイコキネシス>によって、コンクリート片や石による雨を降らせた。
途端に楓の姿は土埃でその姿が見えなくなる。
001はこの隙に態勢を立て直せると考えたが、突然土煙にぽっかり穴が開いたと同時に、楓が凄まじいスピードで飛び出してきた。
楓は一気に001との距離を詰めると、至近距離で右手で掌底を突いた。
001はギリギリの所で機体を翻して直撃を避けたが、楓の掌底は超能力を上乗せしているので見た目以上に有効範囲が広く、001の左側面にあった機銃が根こそぎ吹き飛んだ。
この衝撃で001はバランスを崩し、砲弾状の機体は土煙を上げて地面に転がると、瓦礫にぶつかって止まった。その機体からは白い煙が上がっている。
可憐は何とか墜落せずに地上に降り立ったが、すでに立っているのがやっとの状態だった。
楓は無言で横倒しとなった001の元へ行くと、その機体を軽々と両手で持ち上げ、可憐の方へ放り投げた。
大きな音と共に001の機体は可憐の足元に落下し土煙を巻き上げる。
可憐はたったそれだけの衝撃にも耐えられずに、フラフラと2、3歩下がって尻餅をつく。
001の機体は削ぎ取られた側面から白煙を上げ、時折電気回路がショートしたようにバチバチと火花を散らしていた。
『……すまない……もう……その機体は……使えなくなった……』
可憐のヘルメットに001の通信が入ったが、そのヘルメット自体がかなり損傷していたため、001の通信を聞き取るのもギリギリだった。
ひび割れたバイザー越しに、目の前でスクラップ同然となった001の機体を見つめていた可憐だったが、その視界には近づいて来る楓の脚が見えた。
可憐は力なく見上げると、そこには月明かりと自衛隊の砲撃によってオレンジ色に輝く楓の姿があった。
「小野寺可憐。もう抵抗はよせ……」
楓はそう言いながら右手を開いたまま可憐に向けると更に言った。
「……お前の負けだ」
楓にそう宣告されたが、そんなことは最初からわかっていたことだった。
可憐は花橘楓の背後に目を向けると、001とランクBの二人はまだ戦っているようだったが、001はかなり押し気味に見えた。そして、自分の背後には部下が乗っていた装甲車が見る影も無く転がっていた。中のメンバーは全員重傷を負っていたが、命には別状がない事はわかっていた。
そして、自分はというと、やはりボロボロな姿で地面に座り込んでいる。
負けるとわかっていた。でも戦う必要があった。
時間を稼ぐ──。
ただそれだけの目的で戦っていた……だが、それさえも自分は成し遂げる事ができなかった……。
「……好きにするといい……」
そう答えると、可憐は力なくうなだれた。
だが、その時──可憐は確かに聞いた。
待ちに待った言葉を!
同時にひび割れたバイザーに新たな情報が表示された。
「……ふ……ふふ……ふふふっ……」
可憐は突然うなだれた姿のまま笑い始めた。
それを怪訝そうに見つめる楓。
可憐は笑いながら頭を上げると、楓に向かって口を開いた。
「……花橘……私はこの戦いには負けました……しかし……あなたは選択しなければならない……」
「………」
楓は無言で可憐の様子を見守っていた。
「……ふふふ……私は間に合った!……さあ、姫!……決断しなさい!」
可憐はそう言いながらフラフラと立ち上がると、夜空を見上げながら話を続けた。
その言葉は、さすがの楓であっても動揺を隠せなかった。
可憐はひび割れたバイザーを上げると、口から血を滴らせ、瞳からは大粒の涙を流しながらこう言った。
「……今から7分後……この東京に、核ミサイルが飛来します……さあ、姫!……どうしますか!?……この状況で、この事を知っているのは私とあなただけです……あなたはどうするつもりですか!?」
「まさか……この東京を……日本を滅ぼそうと言うのか!?」
「……そうです。あなたとはそれくらいの代償を掛けなければやり合えないのです……これで、私の手の内は全て見せました……そして今度はあなたが選択し行動する番です!」
可憐は楓を指さしながら叫んだ。
「一刻の猶予も無いこの状況で、あなたはどう乗り切りますか!?」
楓は唇を噛んでその言葉を受け止めていた──。
◆
合衆国大統領にホットラインが繋がったのは数時間前の事だった。
どうやってこの回線を使う事が出来たのかはわからないが、相手は日本の超能力者という事だった。
大統領は先の超能力戦争で太平洋艦隊を失い、先日は稼働可能な原潜の半数以上を失ったばかりか、連合軍の陸上部隊も大打撃を受け、アメリカとしてはこの先、日の目を見る事は無いだろうと考えていた所だった。
通信相手はよりによってジャパンからで、超能力部隊の実質的なナンバー1という事らしく、どうしてもこの合衆国に手を貸してほしいと願い出てきたのだ。
彼女からの連絡はこれで3度目だ。よほど切迫しているのだろう。
依頼内容は、合衆国に東京に向けて核ミサイルを発射して欲しいという内容だった。
その見返りに、ジャパンが世界を統一した暁には、合衆国に世界の3分の1を統治させるというものだった。
だが、大統領は顔をしかめた。
そもそも世界を統一するというジャパンが、どうしてその首都である東京に核ミサイルを撃って欲しいと願い出るのか?
彼女の話では、これは一種の賭けであると言った。
今のジャパンは超能力者同士で内乱が発生しており、それを一気に収束させるためのカードとして、核ミサイルを撃って欲しいと言うのだ。
だが、最終的に発射するかどうかの判断はぎりぎりまで待って欲しいらしく、合衆国としてはいつでも発射できる準備を整えて欲しいということだ。
大統領は補佐官を呼び意見を求めると、彼女はタブレットを片手に一言だけ言った。
「撃つべし」
確かに我々合衆国にはもう失うものは無いが、これ以上ジャパンと関わると、国が滅びる可能性がある。
大統領の立場上、さすがにそれだけは避ける必要があった。
だが補佐官は「撃てと言っているのはジャパンであるため、核ミサイルを発射したことによる報復は無い」と進言してきた。
それは確かにそうかもしれないが、この依頼をしてきた特殊部隊のカレン・オノデラという者は、本当に信用に値する者なのか……?
そんな大統領の疑問に、補佐官はジャパンに潜入していた今は亡き工作員から入手した資料を開示した。
それはジャパンの特殊部隊メンバーのリストであり、カレン・オノデラの名前はリストの一番上にあった。
彼女の言う事は本当だったが、人道的に問題がある熱核兵器を発射するのだ。「はい、そうですか」と気軽に請け負えるものではない。
大統領は更にカレン・オノデラと直接話をした。
すると彼女は、基本的は秘密裡に核ミサイルを排除するつもりだが、万一にも東京上空で核ミサイルが爆発したら………その時こそアメリカは全力で日本を取りに来たら良い、と言ってのけたのだった。
つまり合衆国としては、ノーリスクで日本へ核ミサイルを撃ち込む事が可能となるのだ。
大統領は遂に重い腰を上げ、核ミサイルの発射準備を命令した。
カレン・オノデラからは、レーダーに感知されにくい巡航ミサイルを使用するよう指示があった。
先日アメリカが発射した弾道ミサイルは、放物線を描いて高高度から落下するタイプだった。
一方、巡航ミサイルは目標に向かって低空で自立飛行するため、レーダーに察知されにくい特性がある。だが、デメリットとしては、飛行速度が航空機並みの速度しか出ないため、発見された時は撃墜される確率が高いのだった。
アメリカとしては、撃墜されようがされまいが構わない。一番の焦点は、発射したという事実をもってジャパンに恩を売る事が出来るという点なのだ。
大統領は、西海岸に向けて撤退行動中の1隻の原潜に対して、巡航ミサイル『トマホーク』を核弾頭に換装するよう命令すると、更に目標を東京にセットし発射指示を待つよう伝えた。
攻撃型原潜『ミシシッピ』の母港はハワイ州パールハーバーであったが、何故か帰港する事が許されず、行ったことも無いバージニア州ノーフォーク海軍基地へ行くよう指示を受けた。
基本的に原潜は常に海中にいるため、地上の様子はうかがい知ることができなかった。そのため、楓による核弾道ミサイルの爆発事件の詳細を知らされていなかったのだ。
米海軍司令部は電磁パルスの影響で通信回線の使用を制限していたため、『ミシシッピ』からの接続要求はことごとく拒否され、ようやく繋がったかと思えば、パールハーバーではなくノーフォークまで行けと一方的に言われる始末。
現在地は南鳥島の南東250キロ付近であるため、ノーフォークは完全に地球の真裏にあたる。何があったのかは知らないが、近くのグアムやハワイに寄港も出来ないのはどういう事なのか?乗組員らのモチベーションは最悪だった。
『ミシシッピ』はこのような状況であったため、現状の確認を行うため通信回線がぎりぎり届く水深を保ちつつ、ハワイへ向けて低速航行していた。
そこへ大統領から作戦命令が届いた。
どうやら米海軍はかなり混乱しているようで、この命令を受けることが出来たのは幸か不幸か自分達だけだったらしい。
モチベーションがダダ下がりの乗組員たちだったが、大統領命令とあらばそうも言ってられない。
……で、肝心の命令とは何だ?
『巡航ミサイルトマホーク1発を核弾頭に換装し命令を待て』
艦長は驚いたが、命令とあらば仕方ない。
全艦に戦闘準備を告げると、核弾頭の換装作業に入った。
そのまま数時間経過するとやっと追加命令が下った。
『ジャパンの首都東京に向けてトマホーク発射準備』
そしてしばらくすると遂に発射命令が下った。
『ミシシッピ』の乗組員にはこの攻撃にどんな意味があるのかまではわかるはずもないが、日本にとっては運命の1発となるのだった。
垂直に撃ち出されたトマホークミサイルは海面に出ると、ブースターが点火されオレンジに輝きながら上昇すると、そこから位置情報に従って高度を落とし速度約800キロで東京に向かって飛行を開始した。