序章
銀髪をオールバックにした一見するとジェントルマンに見える中年の男が、大きな木製のデスクに片肘をつき、受話器を耳に当てながら右手で赤いネクタイを緩めていた。
「鍵となるのは東南アジア各国の同調だが、その辺はどうなっているのですかな?」
斜め後ろに飾られている星条旗に視線をやりながら、電話の相手に質問する。
『……難航してます、が、何とかやっているところです……』
どうも、先ほどから先方の発言は歯切れが悪く、イライラが募る。
「我々には『神の鉄槌』の影響がほとんど無かった東南アジアの力が、どうしても必要なのだぞ!?」
銀髪の男は、つい口調が強くなってしまう。
『わかっています……わかっていますが、東南アジアは昔から親日国が多いので、根回しはかなり大変なのです。とにかくやってますのでもう少し待って下さい!』
相手の言葉からは本当に必死にやっている事が伝わってくる。だが、それを結果として出してもらわなければ、すべての計画が台無しとなるのだ。
───銀髪の男も必死だった。
先の戦いで虎の子である太平洋艦隊を失い、合衆国としては、すでに過去の威厳を保つことは困難となっているのが現状だ。
そこで今回の作戦は、再び世界のリーダーに返り咲くために起死回生を狙ったものであり、国の存亡をかけた重大なプロジェクトなのだ。そのため、絶対に失敗は許されない。
「本当に頼りにしているよ。オーストラリア首相……」
そう言うと、男はホットラインを切った。そして、引き出しから金属製のシガーケースを取り出すと、パチンと蓋を開ける。
綺麗に並んでいる葉巻を一本取り出すと、ハサミを使って丁寧に葉巻の先端を切り落とす。
その葉巻を鼻に持って行き、息を吸い込みながら葉巻全体を動かしてひとしきり香を楽しむと、机上にあった大きなオイルライターを持ち上げながら葉巻を咥え、おもむろに火をつける。
男はライターを机上の元の場所に戻して椅子の背もたれに体を預けると、軽く葉巻をふかす。
途端に部屋中に甘い匂いが立ち込める。
今度は深く葉巻の煙を吸い込むと、ゆっくりと口から吐き出した。
今の時代、葉巻は貴重な嗜好品であり、贅沢で、健康にも悪いと後ろ指をさされるものだ。だが、イライラした時は、この一服で気持ちが晴れるのだからやめられない。
誰かに迷惑をかけている訳ではないので、誰が何と言おうとこれだけは止めるつもりはなかった。
男はつかの間の幸せを貪っていたのだが、それは唐突に鳴ったノックの音で終了を迎えた。
ため息と共に煙を吐き出すと、持っていた葉巻をガラス製の大きな灰皿に押し付けて、椅子に座り直しながら「入れ」と言った。
すると正面のドアが開かれ、黒色のスーツ姿に赤いフレームのメガネをかけたインテリ風の女性が、タブレットを小脇に抱えて部屋に入ってきた
だが、入るなり室内に充満している葉巻の煙を手にしたタブレットで扇ぎながら、もう片方の手で鼻と口を軽く塞ぎながら口を開いた。
「本当にこの煙は臭いので止めてもらえませんか?廊下まで臭っていますよ?」
女性はいかにも迷惑そうに顔をしかめながら、デスクの前まで歩いて来る。
それを見て男は首を軽く振りながら答える。
「この甘い香りを嗅ぐと気分が落ち着くのだ………まぁ、キミにはわからないだろうがな?」
「わかりたくもありません」
女性は即答すると、タブレットの画面を数回タップする。
すると、空調が強運転となり室内の空気が浄化していく。同時に室内の照明が薄暗くなり、壁に真っ白いスクリーンが降りてくる。
女性は更にタブレットを操作すると、壁のスクリーンに日本を中心とした世界地図が表示された。
その地図の日本の周囲にはいろいろなアイコンが表示されており、全てが日本へ矢印が向いていた。
「……せいぜい今の内に極東の島国で威張っていればいい。だが………」
男はスクリーンの中央を睨み付けながら続けた。
「……次に勝つのは我が合衆国である事を思い知らせてやる……例の特殊工作員の手配はどうなっている?」
「連絡がついていますが、ターゲットとの接触には数日かかると思われます」
男の問いに持っていたタブレットを操作しながら答える女性。
「そうか………一刻も早く合衆国としても例の力を実用化する必要がある。頼んだぞ!?」
「私に言われましても………実行するのは工作員ですが?」
「………」
男は息を吐きながら背もたれに体を預けて目を閉じた。
◆
佐藤志郎<さとうしろう>自身は『普通が服を着て歩いている』と言っても良いほど、ありふれた名前に、普通の成績で、目立つようなスポーツマンでもない、ただの帰宅部の高校3年生だった。
しかし、そんな彼の傍らには、どういう訳か常にクラスメートである2人の女子が寄り添っていた。
一人は高校1年生の頃から、全ての運動種目において校内記録を塗り替えるほどの運動神経を持ち、試験では1度も学年トップの座を明け渡したことが無く、しかも、校内一の美人として名をはせている花橘楓<はなたちばなかえで>だ。黒髪のストレートヘアは背中近くまであり、スタイルも高校生離れしているほどグラマラスで、ブレザーの上からでも胸の大きさがはっきりとわかるほどだった。
もう一人は高3の春に転入したばかりの山本さゆり。こちらは転入日に学校指定の制服が間に合わなかったという理由で、一人だけセーラー服を着ており、スカートの丈は膝ほどで白のハイソックスという、一見すると清純な少女という出で立ちだ。黒色の髪はショートカットにしており、花橘楓に負けずとも劣らないほどの美貌の持ち主で、学力も学年で2位と負けていない。ただし、運動は若干苦手(と言っても普通の女子に比べれば圧倒するが)なのか、花橘楓には少し及ばないが、胸の大きさは雲泥の差があり、山本さゆり本人は胸が小さい事をコンプレックスと感じているようだが、『逆にそれがイイ!』という男子も多く存在し、早くも花橘楓と校内の人気を二分する勢いだった。
こんな美女二人をいつも連れ歩いている志郎は、基本的には男子からは嫌われ、女子からも見向きもされない(むしろ普通過ぎて眼中に無い)日常を過ごしていた。
キーンコーンカーンコーン……。
チャイムが鳴り担任のホームルームが終わると、各自が自分の机を教室の後ろに運んでから帰宅し、その後、掃除当番が掃除を開始するのだが──。
「志郎くん、掃除お願い──」
と言いながら、掃除当番を志郎一人に押し付けて、男子達が教室から走って出て行った。
志郎はそれを怒るでもなく、一人、掃除用具入れからほうきを取り出して床を掃きはじめる。
それを見て楓は無表情でほうきを持ち、床の掃除を手伝い始めると、さゆりも黒板を綺麗に消し始める。
すると、楓とさゆりの親衛隊がドカドカと勝手に教室に入って来て、大人数で勝手に掃除を開始してあっと言う間に終わらせる。
親衛隊はそれぞれのマドンナにデレデレしながら手を振ると、今度は志郎を睨み付けてからガヤガヤと教室を出て行った。
「はぁ……疲れた……」
志郎はそう言いながら、綺麗に並べられた机の自分の席に座って突っ伏す。
「あんた、ほとんど何もしてないじゃない……」
さゆりは志郎の前の席に横向きに座りながら続ける。
「……あたしの親衛隊に……っていうか、掃除を手伝ったあたしにちゃんとお礼を言って欲しいものだわ」
そう言いながら志郎の髪の毛を掴んで、無理矢理自分の方に顔を向ける。
「ありがとうごぜぇまする」
志郎は目を閉じ、脱力した状態のまま礼を言った。
「うむ。よろしい!」
さゆりが掴んだ手を離すと、志郎は顔面を机にぶつける。
「いてぇ……」
志郎が顔を押さえていると、隣に楓がやって来て襟首を掴んで強引に志郎を立たせる。
「シロ、帰ろう」
楓は無感情で棒読みのセリフのように言いながら志郎の顔を覗きこむと、サラサラの黒髪が肩から胸の方へ滑り落ちる。
ドキッとして慌てて楓の手を振りほどく志郎。
「わかったから、人を猫みたいに扱うな」
志郎はそう言うと自分のカバンを持って一人歩き出した。
それを見た楓は、突然後ろから志郎に向かってジャンピングニードロップを放った。
膝がモロに後頭部にヒットし、教室のドアに顔面から激突する志郎。
「いたたた………突然何をすんだよ!?」
鼻血を垂らしながら上半身を起こす志郎。
「誰がこんなヒドイ事を……」
楓はそう言いながらサッと志郎の体を支える。
「お前がやったんだろ!!」
「勝手に一人で帰ろうとするから……」
「だったら暴力じゃなくて口で言ってくれ!こんな俺でも日本語だったらギリギリわかるはずだから!」
そのやり取りを見て「また始まった」とばかりに、さゆりが首を横に振ると、生暖かい眼差しで二人を眺めていた。
───はっきり言おう。
楓とさゆり<こいつら>は見た目、めちゃくちゃ可愛いかも知れない………だが、中身は本当に恐ろしい奴らなのだ。
数ヶ月前に発生した『超能力戦争』と呼ばれる戦いで、中心的存在だったのがこの二人なのだ。
つまり、簡単に表現するなら、こいつらは正真正銘の超能力者なのだ。
超能力戦争以前は、超能力者の能力はS、A、B、C、Dにランク分けされており、超能力者は全てコードネームで内調のデータバンクで管理されていた。
しかし、あまりにも横暴で強引な超能力研究は、一般社会とは完全に切り離された場所での生活を強要し、戸籍さえも無い状態に疑問を感じた超能力者たちは、反政府同盟を結成して政府に対抗したのだ。
これにより、超能力者にも人権が認められ、コードネームの廃止と日本国籍が与えられ、一般人と同じ生活も出来るようになった。
だが、それまで一般人との交流が無かった超能力者は、社会に適合できずに研究施設に戻ってくる者がほとんどだった。その者達は、一般社会に反感を持っているため、内調の為に働くことこそが正義だと思い込んでおり、例えそれが軍事的に利用されることになろうが、自分たちの存在意義が見つかるのであれば一向に構わないのであった。
こいつらのように一般社会に適合している超能力者はめずらしいため、今後の超能力者のモデルケースにもなるという事で、内調としても注目しているらしい。
ただし、俺から言わせれば、まだまだ適合しているとは言い難く、こいつらは人に対する気遣いというか、配慮がかなり欠如している。
志郎は外靴に履き替えると、そのまま玄関の扉を開けようとする。
「シロ。私は靴を履くのに少し時間がかかる。もう少し待って」
相変わらず抑揚が無いしゃべり方の楓は、真っ白い革のロングブーツの紐を急ぐ素振りも無く編み上げている。
「何でいつもそんなもん履いて通学してんだよ!?」
志郎は呆れ顔で振り向く。
「これは仕方ない。私のお気に入り」
棒読みのセリフのように言い返す楓。
実は楓が履いているブーツは、所謂『リングシューズ』ってやつなのだ。そう、女子プロレスラーが履いている、まさにそれなのだ。
楓は昔から白のリングシューズを愛用していて、しかも志郎にだけ唐突にプロレス技を掛けて来るのだ。
紺のブレザーに、赤のタータンチェック柄のプリーツスカート、黒のニーハイソックス、そこに膝下まである白いリングシューズを組み合わせるという、謎のコーディネートだ。
そもそもリングシューズを屋外で履くと、めちゃくちゃ滑りそうなもんだが、そこは長年このスタイルを貫いてきただけあり、そのような素振りは今まで見たことは無かった。一体、どこで売ってるんだろう?今後聞いてみよう。
そこへ先に靴を履き終えたさゆりがやって来る。
「もう花橘は置いて先に帰ろう?」
そう言いながら外に出ようとするさゆりの足元は、ちゃんと手入れされている黒のローファーが光っていた。
美少女、セーラー服、白のハイソックス、ローファー。外見だけはほんと清純っぽいんだけどな……。
志郎はふとそんな事を考えていると、すかさず遠くから楓が口を挟む。
「シロ。今、山本さゆりの事を考えていた」
「はぁ!?マジキモイんだけど!?」
そう言いながら飛び退くさゆり。
全く、どこでそんな言葉を覚えたんだか……。ついこの前までは一般社会から隔離された生活をしていたはずなんだが。
ちなみに、楓はテレパシーを使って俺の心を読むことが出来る。
テレパシーも超能力の一種なのだが、心が通じ合うほどの親しい仲じゃなければテレパシーは使えない。俺と楓は小さい時から常に一緒にいる幼馴染なのだが、楓は一方的に俺の心が読める。けど、俺は超能力者じゃないので楓の心は読めないという、何とも受け入れ難い理不尽な状況なのだ。
「キモイんだったら、俺の事は放っておいてくれてもいいんだがな?」
「ふん。あたしもそうしたいのは山々なんだけど、任務だからそうも行かないのよ」
さゆりはそう言いながら、プイと横を向く。
「あたしの任務は、花橘楓と佐藤志郎の監視だって知ってるでしょう?……まぁ、この任務のおかげで一般人の生活ってやつを経験させてもらっているんだから、文句は言わないどけね」
「けど、まだ俺たちの監視って必要なのか?もうそろそろいいんじゃないか?」
「それをあたしに言われても困るのよね。ただ、あんたの超能力過敏症の経過と失われた力の発現状況、それと花橘の強大な超能力については、しばらくは監視が続くと思っていいんじゃない?」
「あ、そ」
志郎は適当に返事をする。
今でこそ単なる『THE・一般人』の志郎だが、幼い頃はこれまで3人しかいないランクSの超能力者を超えるほどの力をもっていた。だが、研究中の事故で記憶を完全喪失した影響なのか、あれほど強大だった力も失ってしまい、超能力研究の対象外となって一般人に引きとられて今に至っていた。
志郎はつい最近まで知らなかったのだが、もしも記憶が蘇ったら再び強大な力を得る可能性も捨てきれないとして、内調から密かに監視されていた。
時には拉致して強引に研究しようとする動きもあったのだが、その度に影で楓が志郎を守っていたのだ。
しかし、超能力戦争に巻き込まれた志郎は全ての事実を知り、改めて詳しく検査をしたが、現状では再び能力が発現する可能性はほとんど無いと診断されていた。
16年前、『神の鉄槌』と呼ばれる災厄によって大陸の国々は壊滅的な被害を受け、世界の人口は5分の1まで減少したが、これは日本が密かに研究していた超能力者の暴走が原因であった。日本はこれを隠蔽しつつ、超能力研究を継続していたが、超能力者による暴動に端を発した超能力戦争によって、日本は朝鮮と中国を手中に収めたため、世界の軍事・経済の両バランスが大きく日本に傾き、事実上、世界の盟主は日本となっていた。
だが、同時に超能力者の軍事利用が危険であることも世界が知る事になり、唯一超能力者を兵器として実用化した日本に対して、世界各国は国際的な規制と、強大になりすぎた日本の弱体化を推し進めようとしていた。
一方、日本は内閣情報調査室、通称『内調』が主体となって更なる超能力開発を進めており、現在はゲノム編集と遺伝子ドライブによる超能力者のクローン研究が進められていた。
その中で、人間の記憶と超能力の因果関係の研究も進められており、再び志郎を研究対象にしようとする動きもあるのだが、そもそも志郎が力を失う原因となった事故を引き起こした楓も、その時を境にして超能力が発現し、今ではランクSの能力を超えているとも言われており、内調からは再三に渡って研究調査要望を打診しているが、楓は頑としてそれには応じないため、内調の最重要監視対象となっていた。
「お待たせ」
全然悪びれた感じも出さずに、楓がリングシューズを履き終えて志郎の右隣にやって来る。
「そんじゃ行くか」
志郎はそう言うと、学校の正面玄関を出る。
すると、目の前には例の親衛隊がずらりと並んでいた。
向かって左側にさゆりの親衛隊、右側には楓の親衛隊が整然と並んでいる。
これは、常に楓は志郎の右側にいるためで、さゆりは自然と左側に並んで歩くようになった。そこで親衛隊も左右に分かれて出待ちするようになったのだ。
さゆりは親衛隊に対して愛想よく手を振りながら歩くが、楓は全く親衛隊には関心を示さず、むしろ冷ややかな目で見ていた。
この状況は毎日行われているのだが、志郎は全く慣れずに、ため息をついて目を伏せながら前方の校門だけを見て早足で歩いた。
どうして学校という場所は、正面玄関から校門までをこんなに遠くする必要があるんだろう?と、いつもそんな事を考える志郎であった。
逃げるように校門を出ると、楓は志郎に自分の腕を絡めて体を密着させてくる。大きな胸が志郎の右腕にぐいぐいと当たって来る。
それを見てさゆりが抗議の声をあげる。
「ちょ、ちょっと花橘!志郎にくっつき過ぎじゃないの!?」
そう言いながら、志郎の左腕を掴んで自分の方に引っ張る。
「邪魔するな、山本さゆり。お前も腕を組みたいのならそうすればいい」
抑揚のない言葉で返す楓。
それを聞いて、さゆりは自分の胸を見てから楓の胸を見ると、思わず口に出る。
「だって、あたしの方が不利………って、何を言わすのよ!?」
「………」
楓は無表情だったがおそらく、さゆりが何を意図して言ったのかわかならい様子だった。
さゆりはコホンと軽く咳払いをしてから続けて言った。
「……とにかく、あたしはこれから内調の人と会う予定だから、今日はここで別れるわ」
「あれ?昨日も内調に行かなかったか?」
志郎が首を傾げながら言う。
「別の用事があんのよ!全く、面倒臭い男ね!?それじゃあ、また明日!」
さゆりは一方的に話すと、反対側に向かって歩き始めた。
「ああ、またな!」
慌てて返事をする志郎。
楓は無言で一瞥すると、すぐに志郎に向き直り「行こう」と声を掛けながら右腕を引っ張る。
「わかったから、引っ張るなって………」
志郎はそう言いながら、楓に腕を引かれて家路についた。
さゆりは後ろを振り返ると、二人の姿はもう無かった。
「はあ」
ため息をつきながら立ち止まると、自分の髪の毛に指を巻きつけながら独り言をつぶやく。
「あたし、何やってるんだろ………」
すると、上の方から男の声が聞こえてきた。
「お前も青春してるな!?さゆり」
「!!」
さゆりは慌てて振り返ると、塀の上から一人のガタイがいい男が飛び降りて華麗に着地を決めた所だった。
「ちっ」
さゆりは舌打ちをして男から視線を外す。
「兄貴……見てたの?」
「ああ、一部始終な。恋敵が花橘とは分が悪いな」
「ほっといてよ!」
さゆりの兄……山本真一は自他ともに認める筋肉バカだったが、その姿は無駄な筋肉は無い理想的なものであった。だが、先の超能力戦争の時に、一時的に楓と敵対していたことがあり、その時に楓の超能力攻撃を受けて右腕を肩口から損失したため、今は義手を装着していた。
「そうもいかないんだよ………榊原さんのおかげでな?」
「!………何か進展があったの?」
榊原という名を聞いて、さゆりの表情に緊張が走ったのが見て取れた。
「さあな。これからその事で佐藤千佳<さとうちか>と会う事になっているんだが……お前も一緒に来ないか?」
「せっかく二人きりで会うのに、あたしがお邪魔してもいいの?」
「くだらん事を言うな」
「怒んなよ、兄貴ぃ」
そう言いながらさゆりは真一と一緒に歩き始める。
佐藤千佳………全超能力者の中で今ではたった3人しかいないランクAの一人だ。しかも千佳はユニークスキル『予知』を持っている。
ユニークスキルはランクに関係なく、個人に対して発現するレアスキルの事で、現在確認されている中では『予知』能力を持っているのは、佐藤千佳ただ一人であった。
ユニークスキルが発現する人は、超能力者の中でも極限られた者だけであるため、真一とさゆりはもちろん持っていなかった。
そのような状況で、唯一、楓だけは一人で複数のユニークスキルを持っていた。創傷治癒<ワウンドヒーリング>と瞬間移動<テレポート>がそれだ。
どちらも志郎が危機に直面した時に発現しており、ユニークスキルが発現するトリガーの研究に一石を投じた出来事であった。
「乗れよ」
真一はそう言いながら、路上に停めてある一台の小さい車の運転席に回る。
「乗れって……このミニカーみたいな車に?」
フィアット500。
その小さくて丸くて愛らしい車………ぶっちゃけて言えば、小さくて狭くて兄貴には似合わない車………が、まさか兄貴が新しく買った車……なの?
兄貴にはもっと大きくてごつい車……しいて言えば「ハマー」なんてイメージにピッタリだ。日本の道路事情にはマッチしないけど……。
言われた通り助手席に座ったさゆりだったが、真一が運転席に座ると、やはり圧迫感が半端ない。
「こ、この車どうしたの?」
恐る恐る聞いてみる。
「どうだ?かわいいだろ?」
うげぇ!このバカ兄貴から『かわいいだろ?』キリッ!とか、気持ち悪いにも程があるっ!
少しニヤケながらエンジンを掛け、ゆっくりと走り始める。
いや、ちょっと待てよ……まさか……。
「……佐藤千佳と会うから……この車を買った訳ではない……よね……?」
ビクッ!ダラダラ……
「え!?」
今──間違いなく兄貴ビクってたんですけど!? 冷や汗がダラダラ流れてるんですけど!? 顔だけはニヤついてるんですけどぉ!?
そこまでして佐藤千佳に気に入られたいとは……ある意味すごい事なんだけど、車のチョイス!!
あたしだったら絶対引くわ。
「ここを左に曲がった所にあるファミレスで待ち合わせしてるんだ」
「そう」
ファミレスって事は駐車場に車を置くってことじゃない。だったら、全然車に乗る機会が無いんじゃ………いや、このバカ兄貴。もしや、話が終わったらこの車で送ろうって魂胆なの?そうなのか!?そうなんだな!!
さゆりはそんな事を考えていると、すぐに目的地のファミレスに到着した。
──郊外型のファミレス………って事は、兄貴の作戦は空振りに終わる可能性がある………けど、それはそれで見てみたいかも!
駐車場に入ると、車高を下げ紫色の車体にラメが入った、今では絶滅危惧種とも言えるヤンキー仕様の軽自動車の隣に車を置き、一目散で店内に向かう真一。
「ちょ……完全にあたしの事を忘れてない!?」
慌ててさゆりも店内に入る。
ざっと店内の客を眺めて………って、ああ、あれだ。金髪に色黒でつけ睫毛、ドクロがプリントされたTシャツにシルバーのアクセサリーを身につけ、デニムのショートパンツ姿に厚底サンダル………間違いない。佐藤千佳だ。
正直、一般的な『お洒落』はさゆりにはまだわからない。だが、千佳のあれは本当にお洒落と言えるのだろうか?
そんな事を考えながら、真一と共に千佳の席に近づく。
千佳も山本兄妹に気が付いたらしく、右手をあげながら挨拶した。
「山本兄、久しぶり………って、山本妹はもっと久しぶりじゃん!まあ、座んなよ」
そう言いながら、千佳は自分の対面に座るよう二人を促す。
「今日は見ての通り妹を連れてきた。今後の事を考えると一緒に話を聞いた方が良いと思ってな」
真一はそう言いながら席に着く。
「まぁね……それにしても、二人とも仲が良さそうで何よりだわ。超ウケる!」
千佳がケタケタ笑うが、さゆりは何がウケるのかさっぱりわからなかった。
「俺たち超能力者は、物心がついた時には戸籍を抹消された上で、親から引き離されて研究所で暮らしている。だから誰も本当の親の事なんて知らないし、他の奴らは血の繋がりなんて信じていないんだ。でも、俺たち二人は確かに血の繋がりを感じているし、何よりも強い絆で結ばれていると信じている。そう言った意味では、他の超能力者よりも恵まれているのかもな」
真一が真面目な顔で答える。
千佳は「はぁ」とため息をついてから続けた。
「……ちょっとからかっただけなのに、真面目に答えてどうすんのさぁ………萎えるわぁ……」
片肘をついてそこに顎を乗せる千佳。明らかにつまらなそうだ。
「早速ですが、本題に入ってくれませんか?」
さゆりが場の雰囲気に耐えられずに切り出した。
「あー、それもそうだね。そうしよう……」
そう言いながら千佳は体を起こして姿勢を正す。
「……先ずは、内調の動向だけど、今必死にやっているクローン研究の事は知ってる?」
「え!?あ、はい………確か、極秘裏に最新の遺伝子操作技術で超能力者を作り出そうとするプロジェクトですよね?」
突然質問されて戸惑いながらも答えるさゆり。
「その通り。内調は巨額の研究費を注ぎ込んで研究に没頭してる。逆に言えば、その間は主賓や姫は、内調の監視体制が今以上に強化されることは無いし、直接的に危害を加える事も無いはずだ……」
ここで千佳が言った『主賓』とは内調の中での呼び名で志郎の事をさす。同じく『姫』とは楓の事だ。コードネームが廃止された今であっても、個人レベルでは呼び慣れた言い方は簡単には変わらないようだ。
「研究の成果が出るのはまだまだ先のはずだから、当分の間は現状維持って事になる。山本妹はこのまま内調の指示通り、二人の監視を続けて頂戴」
「了解」
さゆりが短く返答すると千佳も頷いた。
超能力者は大きく二つの種類に分けることができる。
一つは内調直属の特殊部隊に籍を置く者だ。特殊部隊は第一から第四特殊部隊まであり、内調の命令一つで何でもやってのける超能力部隊である。
そしてもう一つは、通称『野良』と呼ばれる超能力者で、特殊部隊には所属せず個人の信念や理念、或いは単純に自由を求めて行動する者達だ。
楓や山本兄妹はこの野良と呼ばれる者達で、野良は特殊部隊からは『落ちこぼれ』の烙印を押されているが、楓と山本兄妹だけは同じ野良でも別格の扱いをされていて、特にさゆりは、内調から直接志郎と楓の監視をするよう指示が出ているのだ。
千佳は数ヶ月前の部隊再編で第四特殊部隊の隊長となったが、この部隊は有事の時に野良から志願した者を受け入れるための部隊で、今は部隊としての機能は有していなかった。
しかし、その部隊の特徴から、常に野良の超能力者とコンタクトを取る事も仕事の一環とされているので、平和である現在においては、山本兄妹を『雇う』という形で千佳は協力してもらっていた。
「あと、榊原内閣情報官だけど、自分の地盤を固めるため、月光院家との癒着を進めているみたい」
千佳の言葉に真一が「ふん」と鼻を鳴らす。
「月光院といえば、手広く商売をやってる日本有数の資産家で、その力は日本をも動かすと言われている。抱き込みたいのは当然だけど、同時に第三特殊部隊をも自分の手足として組み込むことが可能となる……か」
「そういう事。事実上、第一と第二特殊部隊はすでに榊原の私設部隊のようなものになってるけど、これに第三特殊部隊まで加われば、榊原に対抗できるものは無くなる」
千佳がお手上げのように軽くバンザイをする。というのも、第三特殊部隊は月光院家の長男である月光院尊人が隊長で、副隊長は妹の月光院花子であった。
第三特殊部隊は完全に月光院家の利益のために動く部隊で、尊人もそれを堂々と公言している。つまり、それほど月光院家の力は強大とも言えるのだ。
「千佳さんの第四部隊があるじゃない?」
さゆりが何気なく言うが、すぐに千佳が否定する。
「駄目だね。あたしの部隊は有事の時に初めて編成される部隊で、現状では誰も隊員がいないんだ………もしも、榊原が超能力者を使って何かを企んでいたら、それを止めることができる組織は無い」
千佳はそういうとコーヒーを啜る。
「最後の手段は花橘に協力を得るしかない……か……」
さゆりがつぶやくが、それに千佳が反応する。
「そう……そして、そのためにはもう一度主賓を巻き込む事になるかも……」
「それは駄目!志郎は一般人なんだから!」
さゆりが前のめりで言う。
「落ち着けさゆり……」
隣に座る真一がさゆりの肩に手を置く。
「まだ主賓をどうこう言う段階ではない。だが、万一の時に備え、今は二人の監視だけはしておかなきゃな?」
「……うん」
さゆりは返事をすると、椅子に座り直した。
「まぁ、アレだ。まだ榊原も目立った動きは無いし、他国の動きもこれと言ったものは無い。当分は差し迫った状況にはならないはずだ」
千佳がそう言いながら立ち上がる。
「……だけど、そういう時ほど、気が緩みがちだから気をつけろよ?山本妹?」
「わかってる」
「イヒヒ。そうか、そうか。でも今日は久しぶりに直接話が出来て良かったよ。じゃあ、あたしはそろそろ帰るわ。この後、ちょっと用事があんのよ」
そう言うと伝票を持ってレジに向かう千佳。
「ああ……俺も帰るぞ!」
真一はそう言いながら、さゆりをグイグイ押してどくように促す。
さゆりは仕方なく席を立って兄が通れるように道を空ける。
真一は急いで千佳の後を追ってレジに向かう。
そんなに急がなくても、まだ千佳さんは会計中だっての……さゆりは心の中でつぶやく。
「そう言えばあんた達、ファミレスに来て何も注文してなかったけど、そのまま帰んの?超ウケるんだけど!」
千佳はケタケタと笑いながら会計を済ませる。
一緒に店を出ると、突然真一が切り出した。
「千佳さん……俺、今日、車だから、良かったら、送ろうか?」
筋肉馬鹿がガチガチに緊張しながら言い放った。
さゆりは意外と勇気がある兄貴を少し見直していた。
一瞬、驚いた表情だった千佳は、すぐに笑みを取り戻すと頭を掻きながら言った。
「いやぁ、あたしも今日は車で来てんだよね」
そう言いながら一緒に駐車場へ向かう。
そりゃそうだ、とさゆりは一人納得する。だって、ここは郊外型のファミレスだ。この場所を千佳が選んだという事は、車で来ることが前提だったはずなのだ。むしろ、どうして兄貴はその事に気が付かない!?
そして、千佳がスタスタと歩いて向かった先にあった車は───そう、あの車高を落としたラメ入りの軽自動車だった。
「それじゃあお疲れ──。また連絡すっから!」
千佳はそう言って運転席に乗り込みエンジンを掛けると、車外まで聞こえるほどのカーステレオの爆音と、それに負けないほどやかましいマフラーの音と共に車を走らせると、あっという間に見えなくなっていた。
後には、無心で佇む真一と、そんな兄に声を掛けられずに佇むさゆりの姿があった。