春の女王とドラゴン
本人たちより、ハーダウェイ卿と春の女王が軍勢を引き連れて、王都へやってくるという噂はあっという間に、王都の住民に広がりました。
長い冬より王都で戦が起こり大変なことになるかもしれません。
フォーシーズンズの王国法では王都の外壁の跳ね橋を渡る時に軍勢を解散させるか、武装解除して王都内に入らなければなりません。ましてや、内宮に武器を持ったまま参内することなど許されるはずもありません。
しかし、春の女王とクィーンズ・ガードたちは悠然と雪の積もった跳ね橋を渡っていきます。
王都を守るキングス・ガードの衛兵も春の女王の軍勢の堂々たる行進にあっけにとられて誰何や跳ね橋をあげ、阻止したりできませんでした。
「このまま、季節の塔へ直接行きます」
春の女王は春の女王の色である輝く黄色の甲冑を着けたまま、悠然と馬を進め重装騎兵を季節の塔まで進めました。
スプリゴンは久しぶりの遠出で楽しいのか春の女王の頭上をぐるぐる旋回しながら飛んでいます。
「私は、宮廷の陛下へ報告に」
ハーダウェイ卿とはそこで別れました。
「大儀です」
春の女王は、塔の前で下馬すると、ゆっくりと季節の塔を見上げました。
あそこに冬の女王が居座ったままになっているのです。
春の女王は、甲冑こそ着ているものの、大きな武器はなにも持ち合わせていません。持っているのは懐中の自決用の小刀ぐらいです。なにより春の女王はか弱き女性なのです。
「ここからは、お気をつけてください、陛下」クィーンズ・ガードの衛兵隊長であるサー・ライソングスが、声を掛けました。
「心配無用です、サー・ライソングス。なによりここからは、代りの者でなく私が参らねばならないのです。私の前には決して出ないように」
春の女王の立ち振舞は立派で誰も異議を唱えたりできません。
スプリゴンが漸く飛行を終え春の女王の肩にとまりました。
春の女王が季節の塔の扉に手を掛けると不思議な事に扉は閂がかかっておらず、簡単に開きました。
しかし、中は、木戸が全てしまっており、ほぼ真っ暗で、よく見えません。
一行は手に篝火を持って進むことにしました。何度も上ったことのある塔の内壁に沿って螺旋状に作られた階段に手で探りながら、進みます。
塔の中は、今まで感じたことのない陰気と時折聞こえるシューという正体不明のものが発する威嚇音。そして、小さなすすり泣きの声が響いてきます。そして建物の中だというのに、恐ろしく寒いのです。
春の女王のあとにクィーンズ・ガードが続いていますが、みな怯え一つの塊になって進みます。
春の女王とその騎士たちは、塔内の階段に掲げられた蝋燭に火を入れていきます。
少しづつあたりが見えてくることのほうが、余計に恐怖感を増していきます。
塔の中は、この一冬ほとんど掃除がなされていなかったようで、あちらこちらに蜘蛛の巣がそこには食べ物をこぼしたあとが、と荒れすさんでいます。
塔の階段を昇れば昇るほどシューという音は、どんどん大きくなっていきます。
春の女王もとても怖かったのですが、立場上、泣き言は言えません。
「みな、もう少し、私から離れるように」クィーンズ・ガードも怯え、寒いので知らず知らずのうちに春の女王にくっついていました。
「失礼しました、陛下」
「構いません、私も怖いのです」
昇れば昇るほどシューという音とすすり泣きは大きくなります。もうすぐそこから聞こえてきます。
季節の塔の最上階に達しました。ここには木の床が渡してあり、踊り場が広間のようになっていて、その奥に季節を司る女王が一つの季節を過ごす大きな部屋があります。
いやあるはずなのです。暗くてよくわかりません。この踊り場の広間に蝋燭台がある筈なのですが、篝火で照らしてもわかりません。誰かが蝋燭台ごとどっかにやってしまったようです。
「おかしいですね」
春の女王が言いました。
突然。
「うわぁああああああああ」
クィーンズ・ガードの一人が何かを見て悲鳴を上げました。
全員で、その悲鳴を上げた騎士の見た方を篝火で照らすと、そこには、たったまま氷漬けになった男が目と口を開けたまま氷柱になって立っていました。生きているのか死んでいるのかもわかりませんが、生きているはずがありません。
春の女王も恐怖と驚きのあまり声が出せませんでした。
そして、ぐるっと篝火を巡らすともう一本人が立ったまま凍らされた氷柱が立っていました。こちらの氷柱は先程の氷柱に向かって呼びかけるように手伸ばしたままの姿勢で氷漬けにされていました。そして手には、どうしたわけかお皿を持っています。
「食事を運んでいたのでしょうか?」
春の女王が言いました。春の女王は豪胆です。春の女王が覗き込んでも氷柱は全く動きません。
「その様ですね」
サー・ライソングスが答えました。
「ふうううううふううううう」という、
すすり泣きは、どうやらこの最上階の奥から聞こえてくるようです。
その時、シューという、大きな音が目の前でして、今まで感じたことのない、寒気と冷気が正面から春の女王とクィーンズ・ガードに浴びせかけられました。
全員が、寒さと恐怖で震え上がりました。これは寒さの震えでなく、恐怖の震えなのです。
そして、なにやら、ものすごく大きな生き物の気配がします。季節の塔の万年岩の内壁と掛けてあるタイガリアン偏屈王の武勇伝を描いたタペストリーが動いたと思ったら、それは、タペストリーでなく巨大な生物の鱗でした。
そう、巨大なドラゴンの。
「うわぁああああああああ」
毅然とし凛としてた、春の女王も含め一行全員が悲鳴を上げました。ドラゴンは大きさが人の背丈の三倍から四倍はありました。よくこの踊り場の広間に収まっていたものです。
「まさか、ウィンゴン!」
春の女王が叫んだのと、ウィンゴンが大きく息を吸い込み、絶対零度の冷気を吐き出したのは、同時でした。
ウィンゴンは雪と霙混じりの冷気を吐き出すや、踊り場の広間に足をかけ右端に居たサー・レッカーを氷柱にし、返す刀で、左端に居た、サー・ペニントンを次の氷柱にしました。
クィーンズ・ガードも騎士ですから負けてはいません。一斉に両刃の大刀を抜刀しましたが、どう攻撃して良いのか、全くわかりません。
正しく、名前通り左手に持つ盾を合わせ女王の盾となり春の女王を守るのが精一杯です。
ウィンゴンも自身の大きさの割に居座っている場所が狭いため、自由分に動けません。
しかし、ウィンゴンは今度は、大きく息を吸うや雪と霙混じり冷気でなく、信じられないくらいの吠え声を上げました。
「ぎゃーーーーーーおおおおおん」
耳をつんざくような吠え声です。一行全員が子供のように耳を手で防ぎました。あまりの音の大きさに気が狂いそうです。
これも、ウィンゴンの手の内でした。ウィンゴンは、首を少し伸ばすと、サー・バタスを咥えぽいっと、ゴミでもすてるように、塔の中央へ放り投げ捨てました。
下の方で嫌な音がしました。
勇猛なサー・ライソングスが大音声で
「スプリングスゥー!」
と鬨の声を上げ、ウィンゴンの顔に切りかかりましたが、ウィンゴンは恐ろしい速さでサー・ライソングスのほうに向き直り鼻先でサー・ライソングスを広間の壁へ弾き飛ばしました。そのころ、弩を持った複数のクィーンズ・ガードたちが最前列までやってきました。
「スプリングスゥ」と鬨の声を上げ、弩を放ちました。
しかし、春の女王の予想したとおり、ウィンゴンの鱗には刺さりません。
逆にウィンゴンの怒りを増長させただけでした。
春の女王の肩にとまったいるドラゴン、スプリゴンも何度も咆哮をあげ、口から春の雷を放ちましたが、なにせ大きさが違いすぎます。春の女王の肩で光がチラチラしただけです。
弩を持った複数のクィーンズ・ガード《女王の盾》たちは二度目の矢を|番えることなく数本の氷柱となりました。
ウィンゴンは居場所の狭さのため動かせるのは、首だけでしたが、|クィーンズ・ガード
《女王の盾》の騎士を千切っては塔の階下へ投げ、または、新たな氷柱にしと、暴虐の限りを尽くしていました。
春の女王はクィーンズ・ガードたちの死と氷柱によって奇跡的にドラゴンの蹂躙と虐殺から助かっているだけでした。
春の女王は手には、長剣も、盾すら持っていません。肩にスプリゴンがとまっているだけ。
「もう十分です!。ウィンテリアッ!!」
春の女王が叫びました。
春の女王が声を荒げる事など滅多にありません。
また、冬の女王を尊称なしに呼びつけたのです。冬の女王がウィンゴンに命じれば一瞬で瞬殺されていたでしょう。
「出てきなさい、ウィンテリア、こんなことをして、許されると思っているのですか」
春の女王の一喝で、どこかウィンゴンが少し小さくなった気がしました。そして少しおとなしく。
すすり泣きはいつしか、聞こえなくなっていました。