真を問われた日
「な――」
何が起こった、と叫びだそうとした王女の口を塞ぐ。じたばたとされるが、落ち着いてもらわないと困るのだ。睨みつけられたが、俺はゆるゆると横に頭を振った。
すると彼女は俺の意図を汲みとってくれたのだろう、涙目になりながらも何度か頷く。それを確認した俺は手を離す。
「――ぷはっ! キミは全く不敬なことをしてくれるな」
ジロリと睨みつけられるようにされたが、構っている暇はない。その目つきはゾクゾクするものがあるが、俺の趣味を優先する状況でもないのだ。
怒鳴らず、静かに刺々しく言った彼女は状況を理解してくれているようだ。頭の回転が早いことは喜ばしい。
「害意も悪意もない行為であることは神にも誓えます故。非常時の振る舞い、お許し願います」
「許す。……癪であるが、キミの言い分は理解する。事実、私に対して害意があったならば魔法具が発動していたはずだ」
彼女は首元に下げる赤い宝石のペンダントに触れてそう言った。……あれ、そういう魔法具だったのか。冷や汗が首筋に伝った。
おそらく彼女は様々な手段や道具を駆使して、自分に対して害あるものを判別、排除してきたのだろう。その年季の入った人間不信については今後も考えていかねばならないな。
ともあれ。
先までの密談のことや、俺の不躾な振る舞いまで許したことを考えれば、俺はまだ一応信用されているらしい。王命故に、という最低限であっても良い。数日の付き合いでこそあるが、取り敢えず遠ざけられていないことにはホッとするしかない。
仮初でも信用がなければ、彼女を守ることもできないからだ。
「今の音について、キミの見解は?」
「どう考えても非常事態でしょう。事が大きくなるかどうかはわかりませんが、王城であんな音がする時点で普通ではありません」
「まぁ、そうだろうな。だが誰かが魔法の暴発を起こしただとか、騎士団連中が何かやらかしたとか、そういったことも考えられうるぞ」
動揺から立ち直り、頭のなかで思考を回していくカトレア王女。それに俺は安堵を覚えながらも、その仮説を検証していく。
「……あり得なくはないですね。カトレア様、可能であればで良いのですが使い魔を放てますか?」
「出来なくはないが、私が勝手な行動をとると不味いぞ」
私の行動は監視されているはずだ、とカトレア様は憮然とした表情で言った。それは事実だろう――しかし。
「最悪の場合を考えると、必要かと考えています」
何事もないならば良い。だが、あの嫌な会談の直後というタイミングが気にかかる。
「……キミの言う最悪とはなんだ」
「暗殺劇です」
ハッキリと言う。ここでぼかしても何にもならない。
「……それはつまり、父上や兄上が狙われるということか。この国の中枢たる王城で?」
あり得ない。どれだけの騎士たちが警戒をし、どれだけの魔法具に守られているというのか。王女はそのように続けながらも、不安そうに瞳を揺らした。
「そうです。ありえないことです。ですから最悪のケースです」
「その調査のために使い魔を放てというのか」
無闇にそのようなことをすれば自分の立場が悪くなる、と渋るカトレア様に俺は言い募る。
「お言葉ですが、カトレア様が信用できる側近をお持ちならば良いのです。その方々に情報収集を任せればよいのですから」
「むっ……」
「そういう方が居ないことはわかっています。成人される前であり、御役目もない。おそらくこのまま貴女様は平穏な生活を望むのでしょう」
「……幽閉されるならばそれで構わない、とは思っている」
そういうと、彼女は目を逸らした。何かを堪えているようなその横顔は、諦観に染まっているように思える。
俺は、彼女からそんな表情を拭い去りたいと思って従者たらんと決意したのだ。
……そうやって言い合っているうちに、また爆発音が響いた。心なしか、城が揺れているようにも思える。
「明らかにこれは非常事態です。それに、貴女様の立場は元々危ういものです。ならば、身を守るためにせめて情報を集めてください」
「キミはどうする」
「ここを離れるわけにはいきませんが、馴染みの使用人たちに連絡を取ってみようと思っています。彼らから得られる情報も軽視出来ないものがありますから。……そのためにも、使い魔が必要なのです」
俺の提案に対し、カトレア王女は暫く黙りこんだ。考え、悩み。目をつむってこれからについてと今のことを考え始めていた。
気まずい沈黙が漂うが、俺は主の言葉がない限り動かない。勝手をするのは従者らしくないし、主を軽んずる行為にしかならないからだ。
「……分かった。使い魔を放とう」
「有難うございます」
※ ※ ※
使い魔を放った結果、得られた情報を整理する。
「カトレア様の魔力が豊富で助かりました。まさか四匹も使い魔を扱えるとは」
「魔法の研究ばかりしてきたからな。……というより、私が快適に過ごし、身を守るにはそうあるしかなかったのだ」
信頼できる腹心を得られず、孤独な中で生き足掻いてきたカトレア王女は魔法の力によってその身を守り、生活してきたらしい。
人手がないと出来ないことも多くあったはずなのに生活水準を維持できたのはどうやらその辺りが関係していたようだ。
「宮廷魔術師顔負けですね」
「戯け。生きるために必死だっただけだ」
そう言いながらも褒められて悪い気はしないのだろう、カトレア様は目を細めて小さく微笑した。可愛い。
あぁ、撫でて差し上げたい!
彼女の使い魔が兎型なのも最高である。とても可愛い。寂しいと死んじゃうの? じゃあその寂しさを俺が埋めてやるぜヒャッホウ!
「……変な顔をしているぞ」
「これは失礼」
どうやら頬が緩んだ俺が気持ち悪く見えたらしい、引き気味にそう言われてしまった。キリッと表情を引き締めると、真面目な話に戻す。
「しかし、最悪が当たってしまったようで」
「……言うな。あまり考えたくない」
だが現実だ。それを直視しない訳にはいかない。
使い魔と視覚を共有した王女は、凄惨な光景を見た。あまりに残酷なそれを見た時、彼女は恐慌を起こしかけたほどだった。出来るならば俺が代わるべき場面だったのだが、魔法適性がないことをこれほど恨んだことはない。
惨劇であったという。王宮における神聖な玉座がある場所において、国運に関わる重大な会議をしていた者達が軒並み、酷い有様で殺されていた。
バラバラに。血塗れに。蒼白な顔で、ただあったことを淡々と告げようとしながらもそれが出来ずえずいて、涙を流し慟哭したカトレア様。震える華奢な肩を俺は、必死に抱きとめるほかなかった。
誰も信じられなくなった、と嘯く彼女だがそれは人としての情を捨て去ったことを意味しない。むしろ、心根が優しいからこそそう言って自分を誤魔化し、自衛しなければ心を保てないのだ。でなければ付き合いの浅い従者に興味を示し、模擬戦を観戦したりこちらを心配する素振りなど見せたりもしない。
家族の絆、というほどに兄や父王に対する感情を持っていたわけではなかろうが、その血の繋がりというものに何か思うものがあったのも間違いないはずだ。そしてだからこそ彼女は、それほどまでに取り乱した。無理もない。
――突然の家族の喪失、そして彼女自身の境遇。あまりにも、酷だ。
それから落ち着いて、軽口に対し無理にでも微笑むまでになったのは、彼女の強さといえるだろうし、同時にそれは、何が起こっても切り替えが出来るように成り果てたという、あまりにも悲しい王族の習性とさえ言える。
「国王陛下に第一王子殿下、加えて有力貴族が軒並み殺された――か」
「簡単に言ってくれるな」
キッと睨みつけられる。涙跡が頬に残り、服や髪が乱れた彼女の鬼気迫るその様子には思わずたじろいでしまう迫力があった。
「私にそのような敵意を向けないでくださいませ。従者から解任しますか?」
「…………私を殺してくれるなら、それも悪くないな」
疲れたように笑った彼女に、俺は頭を掻きむしる。あまり良い態度でないのは分かっているが、こうも簡単にそう言われてしまっては感情が抑えられない。
「そのように簡単に命を投げ出そうとしないでください」
「そうは言うがな」
首筋を軽く掻いて、カトレア王女は唇を震わせた。
それから何度も何事か口にしようとして止め、やがて彼女は首を振って深く息を吐いた。
諦念と自暴自棄になるような気持ちから想いと言葉の奔流が溢れでたであろうに、彼女は必死にそれを押し留めたのだ。
「――なぁキミ。生きる意味を問われて答えられるかね」
「それは、貴女様が、ですか。それとも私がですか」
「両方だ」
…………。
「私に関して言えば、然程難しい問いではありません」
「そうか。言って見たまえ」
正直に言うのは恥ずかしいというか、信じてもらえないだろうが。だが、一つ思いを伝えるぐらいは良いはずだ。
「カトレア・オルブライト第一王女。貴女様を助け、盛りたてる為に私の生はございます」
「建前を言って誤魔化すな。本音を言え」
私の従者になってから大した月日は経っていない。互いに信頼関係も何もなかろう、と彼女は冷たい目で見やってきた。
だが俺は胸を張って応える。
「嘘ではないですよ。何ならば、嘘判別の魔法を用いていただいても構いません」
神聖魔法の一種であるが、その使用には王や領主の認可が必要な特別な魔法。王族であるカトレア様ならば無断で使用してもそれほどお咎めは出ない。というより彼女は特にそれを濫用していると俺は知っていた。
何事にも嘘を許さぬ姿勢。信頼を理解できず、ひたすらに人を疑い続ける行動。それがあるからこそ、彼女の周りから人は居なくなったのだから。
――それでもなお、と俺は望んでいるからここにいる。
「真実と嘘の女神フェトゥーよ、この者の嘘を照らせ――センスライ」
躊躇なく、その魔法を行使したカトレア王女は光に包まれた俺を見て、目を見開いた。
「…………嘘がない、だと?」
仮に嘘があったならば、闇に包まれ罰を受けるその魔法。しかし、俺は何一つ嘘は言っていない。俺の生きる理由は彼女のために。
「信じていただけましたか?」
「ひとまずは、な」
何と言えばいいのかわからないのだろう、唖然としたままの彼女は取り繕うようにそう言うとコホンと咳払いした。
「だがな。一つ言っておくぞ」
「はい」
「人の心は移ろいやすい。私がキミを信用するとしても、それは仮初のものだ。覚えておきたまえ」
「わかっております。そしてそれが何より尊いことも」
「……ならば良い」
そして顔を真っ赤にして目を背けて続けてくれた。
「――すまないな、面倒くさい小娘で」
ボソリと呟いたその言葉は、俺に返事を求めていないのだろう。
だから俺は『それが良いのですよ』、とは口にせず微笑むだけに留めた。