ケダモノと謎の美女
コーディ殿下との面会は気味が悪い雰囲気で始まった。
「久方ぶりであるな、カトレア」
「はい。お会いできて嬉しく思います、兄上」
ニヤニヤと品定めするような、同姓の俺から見ても厭らしい笑みを浮かべた男。ぽっちゃりとした体型で、王族だとはとても思えない雰囲気を漂わせる彼に不快感を示さぬよう、俺もカトレア様も必死だった。
コーディ・オルブライト第二王子。未だに王子としていられることが不思議なほど、色に狂ったと噂のこの男が今更何用だろうか。
そも、カトレア王女は出来る限り彼を避けていたと聞いている。それが渋々とはいえ会う意思を示したのは、何か応じざるを得ない材料があるということだ。
俺もそれには心当たりがあるし、出来るならば情報を引き出して頂きたいと思っている。
――だが。
「まぁ、久しぶりの兄妹の語らいだ。ゆっくりしてくれたまえ。この日の為に旨い酒も用意したのだぞ」
「折角ですが酒類は遠慮願いたく思います。私はあまり得意ではありません故」
そして用意するのが茶ではなく酒であるところがまたおかしい。常識の欠如をうかがわせるが、彼は王子であるから、それがまかり通ってきたのだろうか。
晩餐会であればまだしも、陽も天上に届いていない午前に酒を勧める城詰め貴族は中々居ないと思う。
「それよりも不躾ではありますがお願いがございます」
「うん?」
「そちらのご婦人をご紹介頂きたいのです。失礼ながら、初対面になりましょう?」
そう、この場にはもう一人貴族として席を囲んでいる者が居た。だが、俺の記憶にはない顔で困惑していたのだ。
そして一向に紹介しようとしないコーディ殿下と、切り出すべきか悩んで眼を伏せたカトレア王女。そして優美に笑む謎の女性。なんともいえない気まずい雰囲気が漂っていたのだった。
どうやらカトレア様の反応からしても、彼女が知らない貴族であるらしい。俺は従者であり、彼女は社交性に問題を抱える王族。その弱点が露呈された、というべきなのだろうか。
「あぁ、これは悪かった。いや、見覚えがないのは当然だったな」
コーディ殿下はそう得意気に笑って、ようやく彼女を紹介するらしい。だが、そのニヤニヤとしたまま貴婦人の髪を手で梳くのはいかがなものだろうか。
だが謎の女性は、不快そうな表情どころか、目を閉じて彼の手にその身を委ねた。男女の空間特有の空気が場に流れた気がした。
「シャルナと申します。此度は、コーディ様の妻になることが決まりましたの」
「…………はい?」
固まった。ピシと、その場が凍った感覚がした。それは間違いじゃないはずだ。カトレア様が取り繕うような無表情で固まっているが、その口が半開きになっている。可愛い。
いや、いやいやいやいや。え。
シャルナと名乗った女性を観察する。コーディ殿下の太い指が、彼女の豊かな紫髪を梳いている。この気持ち悪い男には不釣り合いなほど、その美貌は対照的だ。長いまつげに、ふっくらとして艶やかな唇。キュッと絞られたタイトなドレスの中には豊満なバストが隠されていて、女性の色気というものがこれ以上ないほど主張されている。……それを厭らしい眼で盗み見して、ぐふふと笑うコーディ殿下に不快感を示さない精神力も含め、全く不釣り合いだと思う。
……いや、デブ専? キモオタ大好き?
違うよなぁ。違うと言ってほしいなぁ。前世の要らない知識から寒気のするような連想が浮かび、俺は頭を振る。人の愛のカタチはそれそれとは言え、これは酷い。
というか王族という権力目当てだとしてもコーディ殿下は事故物件だろうに。どういう意図や後ろ盾があるのか、探りたい。
「ど、どういった馴れ初めで?」
失礼すぎる問いだがあちらも同じぐらい、いやもっと失礼を重ねているし問題あるまい。カトレア様の動揺が手に取るように分かるような状態だった。可愛いがもう少し世渡り上手になってほしいようにも思う。
……いや、腹黒姫に成長しても困るか。それはそれで面白そうだが。
「うむ。我輩が良くパーティを開催しているのは知っておるだろう?」
我輩! 我輩っ!?
俺は吹き出さず良き従者であるために表情筋を総動員した。いやいやいやいや、ここが異世界なのは知ってるけど初めてリアルで聞いたよそんな一人称!?
「えぇ、まぁ」
にこやかに笑おうとしているカトレア様の努力が眩しい。
「そこにな、ある時一輪の華として咲いていたのが彼女なのだ。摘み取るような行為も罪深いと思えるような美しさでなぁ……」
「嫌ですわ、旦那様ったら」
うふふ、と笑うシャルナの表情は恋する女の照れ笑いにしか見えない。あまりに巧妙に作られたその笑顔に、騙されそうになる。
だが、おかしいのだ。あまりにも完成されすぎていて違和感しかない。その美貌も仕草も態度も、コーディ王子に不釣り合いな変な女として演じていることそのものも。
こめかみを数回叩く。カトレア様と事前に取り決めていた合図だ。手早く切り上げるべし。
「本題はそれだけでしょうか。それでしたら、わたくしお二方の縁を祝福して席を辞そうかと思っております。失礼ながら、この後も用事がありますの」
「まあ待て」
「なんでしょう」
立ち上がったカトレア様を、コーディ殿下が呼び止めた。
「端的に述べるから、そなたも簡潔に答えて構わん。それだけ済んだら残念だが席を辞しても良い」
「はぁ」
困ったように頬に手をあてるカトレア様お美しいです。しかし、なんだろうか。どうしても言いたいことなのだろう、ともすれば今回面会した本題なのかもしれない。
「そなた、臣籍降嫁する気はないか」
……。
「今のところ考えておりません。失礼致しますね」
それで気味の悪い会談は終わった。
※ ※ ※
王女の私室にまで戻る。もう安全だ。扉を閉めた後、カトレア様が封鎖魔法と防音の魔法を用いる。色々と話し合いたいのは俺だけじゃなく、彼女の方も同じようだった。
「ぷはぁ」
やっと呼吸が出来た、などと冗談めいた感じにやってみせる。すると、カトレア王女は眼を細め、笑ってくださった。可愛い。
「一緒に居てくれて助かったぞ。正直一人で居たい場ではなかった」
はぁとため息をつく。俺やカトレア様でも取り繕うことが出来るのに、あのコーディ殿下は失礼と常識外の行動のオンパレードであった。
切り上げるのはちょっと強引だったかもしれないが、あのまま話していても実になっていたとは思いがたい。最後の質問が全てを表している。
「王位継承権を破棄しろ、ということですよね」
「まあな。それ自体は別に構わぬが私の場合、婚約相手に困る」
それはそうだろう。従者でさえまともに扱えないぐらいの人嫌いで人間不信だ。俺だって王命があるから仕方なく入れているだけで、おそらく彼女はどこかに引きこもっていたいに違いない。
だが、その王女であるということが彼女の生活を保証してもいる。養い手となり、夫となるような貴族が見当たらないというのはとても大きな問題なのだ。
「対策はとっているんですか」
「私はバーナード第一王子への支持を公言しているということになっているはずなのだ。影響力のある人間どころか、派閥さえない私であるから、その意だってどこまで浸透しているか怪しいが」
難しいところだ。彼女を担ごうとする人間が居ないのと同時に、彼女が政治に関わる気を持っていないと宣言することもままならない。
「それより問題はこのタイミングでそれを言い出したことと、あの女だ」
「状況を整理しましょう。あれは、『何かするからさっさと俺の下につけ』って言ってるのと同義ですよね」
「臣籍降嫁発言はな。彼の派閥の誰かに私を嫁がせることで、私という王女を手にして無力化。バーナード王子を何らかの強硬手で排除……というところだろう」
「婚約と絡めて言ってきたのは、そういうことを匂わせるためですかね?」
「どうだろうか。あの女の素性の情報がないからなぁ……。場合によってはもっと政治的なメッセージが含まれていたか、それとも何も考えてないか」
あのぽっちゃり男はどっちもありえるから困るんだとカトレア様は頭を抱えた。
「身を守るためならば申し出を受ける手もあったかと思いますが」
「ないな。未来がない」
「失脚の恐れ?」
カトレア様は難しい顔で頷いた。
「やらかすとして、もし仮にうまく彼が権力を握ったとしよう」
無意識だろうか。彼女の片手は握りこぶしになっていて、力が入っている。白い肌が赤く染まっていく。
「だが、それが長続きするとは思えない。どうにも、長く王として君臨するビジョンが見えぬのだ」
「同感ですね」
バーナード第一王子殿下ならば今直ぐにでも国王になれる、と言われるほどであるし問題も感じないが、コーディ第二王子殿下は……。
噂だけでなく、直にあった印象からもどうにも信頼できる相手ではない。庇護を求める相手ではない。
「ならばどうしますか」
「気は進まぬが長兄殿に面会を申し込もう。第二王子が何やら企んでいる、とそれとなく伝えておけば対応してくださるはずだ」
まぁ、それが無難か。
「ならば私が――」
行ってきますという前に。
低い爆発音が、響いた。