騎士団長と約束、王女の申し出
「あの時のお嬢様は可愛かったなぁ」
脳内メモリーからその時の記憶を取り出して上機嫌に歩く。向かう先は王家の書庫だ。
夜が明け、朝となり。王女の着替えの手伝いをしようと申し出ていつも通り拒絶されると、俺は隠しておいた魔導書を彼女に返すため、そこに向かっていた。まぁ、もうここ最近の日課のようなものである。
俺はカトレア様が魔術師として腕を上げることには賛成だった。夜更かしまでして、というのは頂けないが彼女の向上心とその姿勢は好むべきものだ。
特に昨今の国際情勢は不穏の一言。少しでも姫の力があるには越したことがない。そのために俺も色々と手を回してきているのだが……。
そうして思案していると、すれ違いざまに声をかけられた。
「おや、ケヴィン殿」
「おぉ、これはメレディス様」
声の主はメレディス・アシュベリー騎士団長。白竜騎士団の長その人だった。王家のカトレア様の金髪とは対照的な、しかし美しい銀髪が揺れている。少女から大人になろうという年齢の王女様と違い、俺よりも少し年上のこの女性は大人びたところがありながらも、この国きっての武人というのだから侮れない。
何より、自分などと違い、元より貴族階級の人間だ。俺ができるかぎり仲良くしたいと思っている人間の一人である。
「貴殿にそのように呼ばれるのはくすぐったいな」
「慣れておられるでしょうに。それに私は単なる使用人です」
目をかけていただいているようだが、本来ならばこちらは黙礼をしてあちらは気にもとめない、そんな風にすれ違う関係のはずなのだ。
「王女殿下に仕えることになったのだろう? なれば単なる使用人とも呼べまい」
「所詮は従者です。それに平民上がりですよ」
格式のある従者、という存在も居るには居る。貴族の家に生まれた子女などでも、家督を継がないような娘は気位の高い姫たちの友人兼従者として仕える場合がある。元より教育を受けた人間であり、教養もあって且つ幼いころから一緒になるから、主にしてみても信じられるし有事の際の補佐役として生涯重宝するのだという。
残念ながら王女にとってのそういう人間は既に誰一人としてこの城に残っていないのだが。
「貴殿ほどの武人ならば、望めば貴族に上がることも出来ように」
「無意味な仮定です。私はカトレア様に仕える為に自分を磨いていますから」
アレはいつだったろうか。俺が幼いころ、カトレア様は庭園内の池に突き落とされたことがある。
彼女と俺の歳の差は俺のほうが三つ上。そんなものだから、本当に彼女が小さな頃だ。常人よりも言葉の発達が早く、早くに本に興味を示し、神童などと呼ばれ始めていた彼女が、乳母によって殺されかけたのだ。
誰かから金でも握らされていたのだろう。王位継承者、それももしかしたら賢しく成長するやもしれない者を排除しようとした人間が居たとしてもおかしくはない。幸い彼女は生き延びることが出来たと聞くが、同時に笑わなくなったとも聞いた。無理もない話だ。
その時、俺は決意したのだ。もし誰かを守れる人間になれたなら、誰かを助けられる人間になったなら、それはどれだけ価値のあることだろうか。だから。
「俺はカトレア様の従者でしかありませんよ」
「……そうか。ふむ」
少しだけそれに寂しそうな表情をチラと見せた彼女に、俺は何か言うべきか迷った。
だがしかし、彼女はその直後に何かふと思いついたように手を叩いた。
「せっかくだ。これから訓練なのだが、顔を出していかないか?」
「あー……」
度々、彼女の騎士団にはお世話になっている。従者としてのスキルアップもそうだったが、俺の目標はカトレア様を守り盛りたてる人間だ。武芸の心得は必要であったし、そのために彼女と関係を結んだ部分もある。
「ですが、書庫に所用が」
「ならばそれを済ませてからでも良い。久しぶりに手合わせを願いたい」
む。そこまで言われると断れないな。何より、彼女との試合は得られるものが沢山ある。
折角の誘いであるし、乗らないほうが失礼だろう。
「わかりました。是非ともお相手させて頂きます」
「うむ、ではまた後ほど」
彼女はそう言ってスタスタと立ち去っていった。その凛とした歩き姿を後ろから眺めて考える。見るものが見れば、その護国の騎士としての生き様と実力をひしひしと感じさせるだろう。
尊敬すべき女性であり、敵には回したくない方だった。
だが同時に――
「うん、久々に思い切り身体を動かしたいな」
武芸を嗜んだ今世の自分にとって、最高の試合相手だといえる。俺は魔法鞄にしまい込んでいた弓に思いを馳せると、武者震いした。
※ ※ ※
「というわけで、少し自由時間を頂いてもよろしいでしょうか」
カトレア様が朝食を食べ終え、その食器を片付ける。彼女の所望していた魔導書を返したので、お一人でも時間は潰せるだろう。というか寧ろ一人が良いに違いない。
「何か用事があるのか?」
「アシュベリー様から手合わせと訓練のお誘いを受けまして。折角ですので身体を動かしてこようかと」
「む。騎士団長と交流があるのかね」
片眉を上げ、不思議そうに彼女は言った。立場を考えれば無理も無いかもしれないが、俺とて普通とはいえない努力を重ねてこの立場にいる。
「何だかんだ、私は生まれた頃よりこの王城にて働いておりますし。そう不思議ではないでしょう?」
「いや、それはそうだが……ふうむ。ケヴィン、君はやはり変人だな。従者であるのに戦える必要はあまりなかろう」
「現実的に、お世話するスキルと同時に持ち合わせていれば便利でしょう。護衛と従者を区分けして、近づく人間を増やすのは貴人にとってはリスクのはずです」
「そうはいうがね。普通はそこまでしないよ」
「従者ですから」
俺は彼女に相応しい、彼女のための従者たらんとしている。であれば、彼女の世話を十全にこなしながらも守り通す。そういう人間であらなければならないのだ。
そのための訓練の相手として、メレディス団長はおあつらえ向きであった。
「それで、どうでしょう?」
「そういうことなら構わないが、ううん。折角であるし昨日の続きをしようと思っていたが……」
む。どうやら雲行きが怪しい。目の前の少女は端正な顔を僅かに歪めると、やがて思いもしなかった言葉を続けた。
「折角だ。私も観戦して良いかね。そうすれば、わざわざ別の人間を護衛に手配する必要もなく、君も気兼ねなく戦えるのではないかな」
「それはそうかもしれませんが、魔法の研究は宜しいので?」
「ガマンすればなんとか。本当は氷の生成について幾つか試行しておきたかったのだがね」
そう言いながらも手渡した魔道書の方をチラチラと見ている辺り、筋金入りとでもいうべきか。魔法実験大好き少女でもあるのだ、この姫様は。
「……無理はしないでも良いのですよ?」
「む、無理など言っていない! 元より試したいことはリスト化してあったし、後は実際に検証して見るだけだ。それに、父上が認め、騎士団長がわざわざ目をかける君の実力とやらを見てみたい」
あぁ、そういうことか。
「一応……君は私に仕えてくれるというのだからな。ま、まだ認めるわけじゃないがそれでも主として従者の力は知っておくべきだ」
心なしか白く綺麗な頬が上気して紅く染まったように見えた。可愛い。
「多分大して面白くはないですよ。得物からしてお互いに違いますし」
「そうなのか? だが気になる。連れて行きたまえ」
「……負けても笑わないでくださいよ?」
出来れば格好いいところを見せたいものなのだが。
格好いい、素敵、抱いて! ……男なら一度でも言われてみたいセリフである。
なお、その裏の女の打算などは一切考えたくない。ロマンだ。戦いと恋はロマンだ!