多大なる犠牲
思い出は、特別にない。
思い入れも、特別にない。
だが、ここで俺は生まれたのだから……。
俺はやはり、「守り神」としての宿命を、背負っているのかもしれない。
「村に……結界を」
村に張られていた結界は、確かに崩れていた。それを肌で強く感じていた。村の中心にある御神木。ここに、魔力の結晶を注ぎこみ、村は、そして世界は均衡に保たれていた。だからここに、鍵があることはすぐに分かった。
「……もう、遅いのかもしれない。だが、諦める訳にはいかない」
再び、地響きが鳴り轟いた。そして、緑の光が私にまとわりつき始めていた。その光によって、私の魔力が吸い取られているのが、感覚で分かる。
私は一度、大きく深呼吸をした。深く息を吐き続け、すっと息を吸う。覚悟を決めた……そのときだった。
「ルシエル!」
「!?」
村の外に待たせてきたはずのアリシアが、俺を追ってここまで来てしまっていた。こんな惨劇状況を、見せたくなどなかった。
「アリシア、そこで止まるんだ」
「待って……ルシエル、何をするつもりなの!?」
俺は、答えに困った。
「神が、お怒りになっているんだ」
「だから……だから、なんなの!? ルシエル、お願い! もう一度、逃げよう!?」
「……アリシア」
もう、逃げられない。
逃げられない、理由もできてしまった。
「すまない、アリシア」
私は、御神木に両手を当て、こころから祈った。
(頼む……俺の全魔力を捧げる。だから、聖域を……再び、此処へ)
すると、緑の光が再び……今度はより強い光が私の身体にまとわりついた。息が苦しくなる。俯くと、感覚がなくなりはじめた脚のつま先から、結晶化しているのが見えた。
「ルシエル……駄目っ!」
「!?」
バチバチ……ッ!
「くっ……!」
俺は、大きな静電気によって弾かれるような感覚で、そこから吹き飛ばされた。そして地面に叩きつけられる。結晶化していた脚も、元に戻っている。
何が起きたのかわからず、倒れ込んでいる俺の横を、通り過ぎる影があった。その影の持ち主の姿を見て、私は目を見開いた。
「アリシア!? 駄目だ、離れるんだ!」
「ルシエルは……人柱になるつもりなんでしょう? そんなの……駄目」
「俺はいいんだ! キミと暮らせて、幸せだった。もう何も、思い残すことはない!」
「……ルシエル」
アリシアが、こちらを振り返った。
優しくて、暖かな微笑みを浮かべて……。
「愛しているひとからそんな言葉をもらえる私は、誰よりも幸せものだよ、ルシエル」
「アリシア!? 何を……何をする気なんだ!」
「私にだって、魔力はあるもの」
俺は、ゾッとした。
アリシアは……俺に代わって、「人柱」になるつもりなんだと、ようやく悟った。
「私が、支えるから」
「ダメだ、下がるんだ!」
「あなたはダメ……あなたは、世界を救うの、その力で」
「俺には、そんな力はない!」
「お願い、みんなを守って……」
祈るようなそのアリシアの言葉に応えるように、御神木からは強い白光が放たれた。そして、アリシアの身体はみるみるうちに結晶化されていく。俺は必死にそれを止めようとするが、身体が何かに縛られている感覚で、その場から動けずにいた。
白い光は、村全体を包みこみ、やがてやわらかな緑の光となり、草木を生やし、倒れていたフロートの兵士や、亡骸となった村人たちの姿を弔っていった。
すべてが、消えていく。
「アリシア!」
アリシアを包み込んでいた結晶は、層を増していき、瞳を閉じ、安らかな表情で眠るアリシアの姿がぼやけて見えるほどだった。
俺が無理やり立ち上がると、尚も成長を続ける結晶から、一筋の緑の強い光が放たれた。それを心臓部に受けた俺は、息が一瞬止まり、数十メートルも再び吹き飛ばされた。燃えるような熱を感じ、身体が焼けそうだ。頭の中では、何かが弾けたかのように、幾つもの声がする。俺は気が狂いそうになりながらも、なんとか息をしようとした。そして、結晶化したアリシアの姿を見据えた。
「……アリシア」
結晶は、最大化するとクリアになり、森と一体化した。そして地鳴りは収まり、空気も俺のよく知る、「聖域」特有の澄んだものへと変わった。
アリシアによって、今のこの世界は姿を保っている。
そしてこのときから私は、「先導者」としての役割を課せられた。
「ルシエル様? 顔色が悪いようですが……」
私は、愛弟子であるカガリの顔をぼんやりと眺めていた。
「横になられた方が……」
「カガリ。運命は変わるのかもしれない」
「……?」
あのとき受けた、緑の光。それは、「神」の力だった。私はその光を受けてからというもの、この世界の行く末が、相手の人生の行く末が、見えるようになってしまったのだ。
だが、今はどうもぼやけて見える。
「魔力」を、父上よりも、私よりも持ち合わせて居なかったアリシアひとりで、この世界を守るには、アリシア自身の体を完全に「結晶」と化すしか道は無かったのだろう。崩壊しかけていた世界は、アリシアを呑み込むことによって、一時的に平穏を取り戻した。だが、今再び、人柱となったアリシアに……聖域に、何かあったのかかもしれない。
或いは、私の身体が限界に来ているのかもしれない。
どちらにせよ、良いことではない。
はっきりとさせるには、一度、「聖域」に行く必要があると考えた。
「運命……」
カガリは、私の言葉を反芻した。そして、私の服の裾を掴んだ。
「師匠。師匠は、運命とは自分で切り開くものだと、いつも仰っています。それなのに、運命が変わるかもしれないとは……どういう意味なのですか」
確かに、カガリの言うとおりだ。運命とは切り開くもの……宿命は変えられなくとも、運命は変えられる。
だが今回は、そういう意味合いではない。その次元を超えてしまっている。今は、この世界の崩壊を意味しているのだから……フロートの存立の危機とは訳が違う。
「師匠、何を隠しているのですか……」
「……聖域へ行く」
「?」
色素の薄い茶色の長い前髪から見えるものは、美しい青空をイメージさせる瞳。どこか、アリシアのものと近いものがあるが、アリシアの瞳の色は「空」というよりは「海」に近い瞳である。
私がカガリに声をかけたのは、カガリに「アリシア」を見たからではない。放っておけなかったというのが半分。興味本位というのもまた、事実。
「聖域?」
やや高めのテノール声のカガリの声は、夜更けの私の室内に響いた。
この城には、松明というものがない。放火を恐れたザレス国王が、すべての明かりを奪い去ったのだ。その為、夜間はとにかく暗がりだった。光は月明かりのみ。しかし、この部屋は常に明るい。それは、私が炎の魔術の応用編を使い、小さな光の球を浮かべているからだ。魔術とは、便利なものだ。
「限られたものにしか、入ることが許されていない場所……この世界のはじまり、そして」
私はじっと、空色の瞳を見つめた。
「終わりの場所」
「終わり……? この地震は、世界の終わりを意味しているというのですか? 師匠」
私は応えなかった。認めたくないからだ。そして、この鈍くてときに勘の良い愛弟子には、関与して欲しくないという想いもあった。
これ以上、大切なものを失いたくはない。
緑……「神」の光を受けた私の身体は、人間の「力」を凌駕してしまった。
しかし、私は「神」には成れない。
だからこそ、寿命縮めたこの身体で、守れるべきものを守り抜きたいと……。
今、切に願うのだ。