自分らしさ
夢を見た。
父上に、魔術を習っていた頃の自分。
父上の若さから、自分も相当に子どもだったと思う。
兄上の姿は、そこには無かった。
それが、当時の私にとっては「普通」の出来事だった。
「……」
「もう、お目覚めですか? まだ、夜更けです。もしかして、ずっと眠れていなかったのですか?」
やわらかい膝枕とはいかなかった。ただ、心地よい空気だった。まだ、眠っていたい気持ちもあった。眠気なら、ある。それでも、この青年の声を聞いていたいと思い、うっすらと片目だけを開けた。起きる意志を示したかった。
「……無理をしないでください。私なら、此処に居ます」
「……」
どれくらい、眠っていたのだろう。ただ、眠る前の自分の行動を思い出すと、恥ずかしくなってきた。弟子と師匠の位置関係が、これでは反転する。いや、すでにしているのかもしれない。
「……」
私は、うっすらと口元に笑みを浮かべた。
(私の負けだ)
それを認めた。
これまで、私は負けることを一度たりとも認められなかった。認めたら、その時点で「私」の価値がなくなると、考えていたこともある。そしてきっと、それは事実だったのだろう。今の私には、「超人」と呼べそうなものは、なかった。名乗れる自信も、喪失していた。
ただ、これでよかったのだと、今は思う。「超人」になど、なってはいけない。いや、そんなものになれる「人間」は、居ないのだと思える。
「ルシエル様が眠っている間、私は思い出していました」
何を……と、問うこともせず、ただ、目を再び閉じてこの青年の声を聴いていた。この青年の声は、こんなにも穏やかで、ぬくもりあるものだっただろうか。
「ルシエル様に、はじめて会った日のことを。ルシエル様は、覚えていらっしゃいますか? 傷ついた私は、いつものように城の中庭で、木に寄り縋りに行きました。そこで、ルシエル様は先客として、眠っていましたね」
なんていう、古いことを思い出していたのだろうかと、私は思った。それでも、そこに「意味」があったのだろう。少なくとも、この青年にとっては……きっと。
「ルシエル様のいたずらによって、私は導かれるように翌日もそこへ行きました」
覚えている……しっかりと。私は、カガリが大切にしているリボンを解いて、盗んでいた。それを取り返しに来ると思っていたから、翌日も同じように、中庭でこの青年……当時はまだ、少年だった彼を、待っていた。
それは、彼をこの星の「運命」に、名を刻むための序章に過ぎなかった。すべては、「先導者」として、仕組んだこと。しかし、今はそのお膳立ては「世界」の為ではなく、「自分」の為だったのではないかと、思えるほどの結果を結んでいた。
「最初は、腹が立ちました。でも、日を重ねるごとに、私はルシエル様の人柄に救われていると、感じるようになりました」
「それは」
はじめて、私は口を開いた。青年は、私が口をはさむとは思っていなかったようで、少し呼吸を乱した。
「それは、私の言葉だよ。私は、お前に救われていた。それに気づいたのは、確証を得たのは、つい先ほどのことだったけれども……間違いなく、私は救われていたんだ」
目を開け、青年の鍛え上げられた膝から頭を持ち上げると、私はゆっくりと座りなおした。目の前には焚火が煌々としている。
「枯枝を燃やしたのかい? 火元なんて、なかっただろう?」
「どれだけの野宿をこなしてきていると思っているのですか? 火おこしくらい、出来ますよ。火うち石も、火種も持っています」
「そうか」
辺りはとても暗い。そして、静かである。夜更けと言っていたが、確かにその通りであると感じる。
時計がない為、その正確な時間を知ることは出来ないが、知る必要もないかとも自覚する。
それより、問題にすべきことがあると、私は目の前……少し、奥の方で揺れた頭を見て、気付いた。
「カガリ……あれをどうしたんだ」
「あれ?」
「……ナスカだ」
炎に近づいてこない。獣耳をした「神」は、どこまでも「獣」に近いのだろう。私は、その「神」には近づきたくないと、警戒心を払った。
「あぁ、ナスカですか? どうしたも何も……別に、何もしていませんけど」
あっさり答えるカガリは、異色の「神」を見ても、何も感じなかったのだろうか。カガリの中では、ただの「ナスカ」という名の生命体であり、それ以上でも以下でもないのだ。
「ナスカを手玉に取ったのかい?」
「何を言っているんです? さっきから。ルシエル様らしくないです」
「らしくない?」
淡々と反芻する。ただし、次の瞬間にはそこに私は嫌悪感を抱いていた。言葉が思考より先行している。
「私らしいとは、どういう対応をすればいい? 私はどうすれば、私を全うできる?」
「ルシエル様?」
「私は、確かにらしくない。らしくないのだろう。もう、昔の私を思い出すことができない。完璧には、なれない」
「だから、何を仰ってるんですか? それこそ、らしくないです」
「……」
思わず、また口走りそうになり、口を開くもすぐにつぐむ。考えを先行させなければならないと、自制心を取り戻そうとする。
(何を取り乱しているんだ。私は……)
長い髪の中に、指を絡ませ、そのまま抑え込む。深く、深くため息を吐き捨て、しばし沈黙する。カガリも、後を続けない。いたって冷静な対応と見える。いや、冷静ではないのは、この場の中では私だけだと覚る。
「すまない」
「何を謝っているのか、理解していますか?」
「?」
「……今、ルシエル様が謝るべき点は、ありません。それなのに、何故、謝っているのですか? 変な話でしょう?」
「その場しのぎで、言葉を発しているとでも言いたげだな」
「その通りですよ。そこまでは、回復できましたか?」
「……カガリ」
「なんです?」
私は、知らないうちに半眼になって皮肉げにこたえていた。
「いつから、そういう性格になった? 遠まわしに嫌味を言う子だったかい?」
「別に、嫌味を言っているつもりはありませんよ。そんな風に受け取る、ルシエル様がどうかしているのだと、私は思います」
「……」
反論できなかった。要するに、私の見解が間違っていて、カガリが正しいということだ。
「ナスカが、怖いんでしょう?」
唐突に、カガリは話題を変えた。そこに、何の意味が含まれているのかは、読み取れない。そのため、すぐに返答をせず、詮索した。
「ナスカは、ラナンに助けられた、大地が生み出した存在だそうです」
聞いてもいない情報を、私に与えるそれは、まるで、私が指示を下していたかのように、それを報告するように、すらすらと続いていく。
「ナスカ=フィールド……それが、正式名。大地が生み出したという時点で、人間とは違う異質な存在なのでしょうね」
特に、私から同意を得たいという意思は伝わってこない。カガリは、情報を伝えることだけを、こなしているように見える。
「火を、恐れて近づいてこない訳じゃないんですよ」
「こころを、読んだのかい?」
「いいえ? 私には、そんな力ありません」
「……失望している?」
「は?」
あまりにも、想定外の言葉だったのだろう。カガリは、目をまるくして、間の抜けた声を出した。
「何を言い出すのかと思ったら……私が、ルシエル様に失望しているとでも、思ったのですか?」
「違うのかい?」
「違います」
躊躇なく返答するカガリの言葉を、今は素直に頷けない。ねじれ曲がっているのは、カガリではなく、私だということを自覚しなければならない。再び、大きなため息を吐く。同時に、この不快感を内から外へ出すよう、心がける。
きっと、「らしさ」を遠ざけているのは「私自身」なのだろう。こだわれば、こだわるほど、それは遠のいていくように思える。
「私はルシエル様を守ると誓いました。ルシエル様が、もし、間違った道へと誘われるのならそのときは……」
カガリは、決意を新たにするよう、言葉を切る。そして、息を吸ってからそれを確かなものとする。
「そのときは、正しき道へと連れ戻します」
「……お前は、いつでも正しき判断が出来るのかい?」
「ルシエル様が、信じてくださるうちは、そのつもりでいます」
「……大人になったね」
この弟子に、教えることはもうないのだろう。私は、苛立ちをこころの外へ追いやることができた。すると、素直に言葉を受け入れる頭を取り戻せたと感じた。
「ナスカ」
私は、紫の「神」に声をかける。ナスカは、獣耳をぴくんと立てて、こちらの方に目を合わせた。
「どうしてこの聖域に現れたのかは知らないけど。せっかく、カガリが火をおこしたんだ。火が怖い訳ではないのなら、こちらへ来たらどうだい? あったかいよ」
その言葉を聞いて、力を抜き笑みを浮かべたのは、隣に座っていたカガリだった。
「ルシエル様」
「なんだい?」
「いえ、なんでも」
カガリは、目を細めて火に視線を向けていた。どこか、嬉しそうな顔つきで、目を閉じた。
「……自分らしさなんてものは、探して見つけるものではないのかもしれないね」
私は、ぽつりと言葉を漏らした。その表情がやわらかくなったことを自覚し、私は刺々しかった己の言動を恥じると共に、実に人間らしくなったものだと、見つめなおした。
カガリは、返答してこない。それは、肯定を意味しているのだと受け取った。ナスカは、ゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。
日は昇る。
そうしたら、私もカガリも、また。「フロート」へと戻るのだろう。それまでは、「師」と「弟子」ではなく、「旧友」として、過ごそうと……そうしたいと、思えた。




