最強の弱音
いつから、私は裏切り者になったのだろう。
いつから、ひとは裏切ることを覚えたのだろう。
いつから、孤独を知ったのだろう。
裏切ることを覚えて、ひとは、孤独を知ったのだろうか。
「カガリ……カガリ!」
聖域に声を響かせる。しかし、気配で分かる。「聖域」には居ない。
殺気は、未だに後を追いかけてくるようで、消えたり消えなかったり、私に「気を抜くな」と言い放ってきているようである。私に「殺気」を向けてくるものが、この世界に存在しているとは、思わなかった。それだけ、私も愚者になっていたということ。そんなことが、あるはずがないのに、私はすべてが自分の「味方」をしてくれると、過信していたのだろう。
(これでは、誰の上にも立つことなど出来ない)
私は自らの愚行を恥じた。
ただ、今は恥じて悔いて止まっている場合ではない。後悔は、名のごとく後からすればよい。今、すべきは愛弟子を見つけ出すこと。何の知識もないカガリを、この「呪われた」地にひとり行かせるべきではなかった。早く見つけ出そうと、自然と駆け足になる……と、そこでふと。
(……呪われた地?)
自分で思い浮かべっておきながら、私は疑問の念を抱いた。何故、そう思ったのだろうかと不思議に思った。
(何の知識もない……それも、おかしい)
カガリは、記憶の一部が欠如している私より、確かなものを持っている。今、身に危険が及んでいるのは、カガリではなく、むしろ私なのではないかという気がしてきた。
(……カガリは、消えるべくして、消えたのか?)
おかしな思考が続く。カガリに枯枝をとりに行くよう命じたのは「私」だ。私が、仕向けている。それなのに、何だこの思考は……あまりにも、いい加減だ。自分に都合のよいよう、組み替えられていく黙考は、気分が悪い。
「どうかしている」
ついに立ち止まり、私は思考する。いや、思考しても詮無いことかもしれない。今の私に、思考することは無駄なことかもしれない。
「どうかしている、本当に」
自信がなくなっていく。こんなにも、心細く感じたことは、もう何年もないように思える。
「……」
立ち止まった足が、動かなくなる。動けなくなり、立ち尽くして天を仰ぐ。泣きたい衝動に駆られていると、自覚した。自制心を働かせ、それを何とか踏みとどまらせているだけで、もう、こころが挫けてしまいそうだった。
(確かなものが欲しい)
今、私を支えるものは、すべてが信じるにたりないものだと思わざるを得ない。私はいつ、どの時点でここまで脆くなったのだろう。
「ルシエル」
「……放っておいてくれないか」
いつの間に、後ろまで来ていたのか。
声の主は、振り返らずとも分かる。
そこまで、落ちてはいない。
「何故、ついてきた……ナスカ。ここは、私の聖域だ」
「聖域は、誰のものでもない」
「やけに大人びた考えだ」
「ナスカは、大人じゃない」
異質の「神」と、口論するほど無意味なことはない。分かっている。分かっているが、それを続けてしまうことは、あまりにも馬鹿げていると思いつつ、今、必要なことなのかもしれないと、錯覚する。今の私には、正しい判断が欠落している。
それゆえなのか。苛立ちもする。普段、ここまで感情をむき出しにしていただろうか。私はそこまで、「子ども」だっただろうか。
自制のできない精神は、「邪魔」なだけだった。苦々しいものを噛みくだくように、私は奥歯を食いしばっていた。
「頼むから……ひとりにしてくれ」
「ナスカを求めたのはルシエル」
「違う」
「違わない」
「違う……違う!」
それは、詠唱へと変わっていた。知らない間に攻撃魔術の構成を編み、魔力を解放していた。発動した魔術は、そこまでの規模ではなかったにせよ、自分が意図して出した訳ではなかったものであり、発動すると同時に目を見開いた。
その魔術の出来は、お世辞にも「良い」という判定は下せない。ありとあらゆる面からみて、それは「お粗末」なものであった。さらには、術者が意図せず発動したものである。私はすぐさま魔力の放出を取り消し、発動していた術を霧散させた。
不出来な攻撃魔術は、ナスカをとらえはしなかった。
それでも私は、自分を責めずにはいられなかった。
「……っ」
苛立ちは、ピークに達していた。どうしていいか、もう、本当に分からなかった。こんなところ、誰にも見られたくはない。これは、汚点だ。汚点でしかない。
完全な人間はいない。
「……それでも、私は」
完全でなければ、ならなかった。
「……」
固く目を瞑る。何も、見たくなかったからだ。目を開けた先には、紫の神の、見慣れない子どもの姿をした「神」がいる。それも、目には入れたくなかったが、この情けない自身の姿が視界に入ることも、私は拒んだ。
冷静さを取り戻す必要がある。このままでは、神にこころを乱され、自身を失う。せっかく、取り戻した日常を、再び失う。
(……取り戻した、日常? 何から、取り戻したんだ? なんなんだ、この思考回路は。私は、先ほどから何を考えている?)
自問自答が続く。それは、解決することなく、頭痛がしてきた。いっそ、このまま意識を手放してみてはどうかとすら、思えてしまった。楽だろう。考えることをやめたならば、もう、支配から逃れるということになる。それは、「ひと」としての使命を果たせなくなるのだろうが、それでもよいと思えるほど、私は追い込まれていた。
「ルシエル様?」
酷い混乱は、止まらない。まだ、私は解放されないのかと毒づきたくなる。
「ルシエル様、どうしたのですか?」
なぜ、名を呼ばれるのか。それを教えて欲しい。
「ルシエル様!」
「頼むから……黙っていてくれ」
「……」
目を開けた先に立っていたのは、紫の「神」ではなかった。眉を寄せ、怪訝な顔をした青年の姿。空色の瞳に影を入れ、私をまっすぐにみている。その手には、幾つもの枯れ枝があった。
「何か、あったのですか?」
「……こんなにも」
「?」
「こんなにも……心細いと思ったことは、なかったよ」
「えっ?」
声が震えていることに、私は気づいていない。何を口走っているのかも、実のところよく理解していない。ただ、安堵した。それだけが真実。目の前にいるものが「敵」ではないと、はっきりといえる。確証できる。
「ひとりに、しないでくれ」
「……」
あと、ほんの数秒でも遅かったならば、私の自制心は崩壊していた。泣き出す一歩手前で、涙をこぼすことを堪えた。ただ、弱音は止まらなかった。
「本当は、ひとりで居たくなかった」
「……」
「ずっと、待っていた。孤独な人生の中、闇の中で手を差し伸べてくれる存在を……絶対的な存在を、光を、待っていた」
「……」
「その光は、いつも、私の隣で笑っていた」
「……」
「私が、愚かだったんだ。それに甘んじて……結局、守れずに失った」
青年は、黙っていた。私のうわ言のような言葉を、静かに聞き続けた。ただし、その眼に影はもう、ない。
「私は、光にはなれません。でも」
その青年が、はじめて口を開いた。私の言葉を待たずに、言葉を先行させる。
「これからの人生を、ルシエル様に捧ぐ覚悟と自信はあります。ルシエル様がひとりだというのなら、私はその孤独から守って見せます」
「……」
口を開きかけた私の言葉を遮り、青年は続ける。
私より、幾分背丈が低い青年が、強い力で私の頭を引き寄せ、彼の胸へと抱きしめた。
「私は、あなたに育てられた……感謝しています。だから、たまにはいいじゃないですか。こうして、泣いても……いいと思います」
それを聞いても、私は自覚できなかった。
私は今、涙を流しているということを。
「嘆く生命だからこそ、寄り添いあえる。絶望した先に、光を見出す。それを教えてくださったのは、ルシエル様……あなたです」
「……そう、か」
私は、急速に眠気が襲ってくるの感じた。五感が鈍くなっていく。意識が薄れ、記憶のひとつ、ひとつがまた、曖昧になっていく。
そんな中で、私はこの青年の名を思い出していた。意識を手放す前に、口にする。
「カガリ」
「はい」
まっすぐに返事が来たことに満足し、私は眠りについた。




