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皮肉の対価

 星がいつもより、多く見える。


 気のせいではないだろう。


 よく晴れた、雲もない。


 月明かりも少なく、瞬く星は輝いている。


 落ち着き払ったこの大地は、やけに優しく見える。


 これまで、大地の恩恵を授かってきただろうか。


 大地に逆らい、人間に逆らい、自らに逆らい。


 運命に、逆らって生きてきた記憶しかない。


「師匠」


 空色の瞳は、煌々としたオレンジ色の光に灯されて、若干赤みを怯えている。魔術で光源をつくりだしたのだ。この青年は、地面に腰を下ろして、足を抱え込み、俗にいう体操座りというもので、私の姿を確認している。服装は、彼がいつも好んで着ている白いコートに、黒のインナー。茶色のズボンに黒のブーツである。

 茶系の髪は長めに整えられていて、首の後ろでひとつ結びにしている。結んでいるものは、緑のリボンである。


「此処で、生まれたんですか? こんな、何もない森で?」


 青年、カガリは不思議そうな面持ちで私を見ている。その瞳をちらりと視界に入れてから、私は再び、自らが生み出した魔術の光源に目を向けた。


「昔は、ちゃんとした集落だったよ。あの辺りに、私の家があった」


 私は森の奥を指差した。どう見ても、そこにはその欠片もない。そこに「家」があったと言われても、うなずける者は居ないだろう。しかし、確かな記憶だった。


「寒くないかい? もうじき、冬だからね。この辺も、雪は降るんだ。雪国であるオズノ大陸ほどではないし、フロートのあるセリアス大陸ほどでもないけれども。毎年、ある程度は降るよ」

「懐かしんでいるのですか?」

「……私は、戸惑っているんだよ」


 正直に答えた。それが、今の私の本当の姿。ただ戸惑い、疲れている。「転移」という高度魔術を立て続けに使ったことで、底辺にまで魔力が落ちていると錯覚するほど、今の私は弱っていた。認めなければならない事実だ。

 さらには、抜け落ちた記憶。大地の揺れが収まり、神々の怒りは、鎮まったと解釈は出来る。しかし、それはこの結果を見ての考察に過ぎない。私が思考し、動いた確たる証拠がない。

 記憶を握る「カガリ」つまりは、私の唯一の「弟子」は、この「記憶」に関しては口を閉ざしている。誰かから、圧力を受けているのか。それとも、自分の判断なのか。それすらも、教えてはくれない。


「形勢逆転だな」

「何を言っているんです?」


 私は、特に深い意味をそこに持たせた訳ではなかった。しかし、カガリにとっては不思議な音に聞こえたようだ。


「ルシエル様は、記憶がないことをそんなにも不安に思うのですか? 後ろめたいことだと、弱いことだと思うのですか?」

「何を言っているんだい?」


 そう言いかけて、私は次の言葉を発するのを一瞬ためらった。このカガリの言い草を、上手く使えないかと反射的に思考した。


「教える気になってくれたのかい? それとも、私を弱者のままにしておき、退けたいのかな?」

「そんなこと、言っていません!」


 カガリは、私の下手な挑発に乗ってきた。もともと、この子は単純な思考回路しか持っていないのだ。カガリの練る作戦なんて、いつだって大雑把で、正統派。真正面すぎて、逆に相手の虚をつく。そんなところだ。この子で遊ぶことは、思考回路がうまく機能せず、物事がはかどらないときには、もってこいである。当人であるカガリには、迷惑なこと、この上ないとは思うが……そこは、師匠の権限でもあると思っている。


「私はただ……」

「ただ?」

「……言えません」

「口封じでもされているのかな」

「……」


 これ以上、苛めても無駄かな……とも、思えた。カガリは、義理堅い男だ。誰かを庇っているとしたら。誰かから、「言うな」と命令されているのなら、それがたとえ要求者が「師」である私だったとしても、頑なに拒み続けるだろう。

 私のは自らの根負けを認め、腰を下ろした態勢のまま、空を見た。美しい。フロート城の自室から見る空より、幾分美しく見えるのは、空気がよどんでいないこともあるだろう。此処が「聖域」である所以もある。


「……怒っていますか」

「……」


 私は、単純に聞き逃した。懐かしい星の輝きに、完全にこころを奪われていた。今、命を狙われようともしたら、難なく敵の手に渡していただろう。


「ルシエル様……?」

「あぁ、なんだい? まだ、何か?」

「……」


 今度は、カガリが押し黙った。私はそれほど酷い対応をしているだろうかと、少し首を傾げた。確かに、優しくはないかもしれない。だが、邪険にしているわけでもないし、何故カガリが落ち込んでいるのかが、見えてこない。


(いつもなら、これくらい読んでいるのだろうか……)


 それすらも、思い出せない。


 一分、一秒と時は過ぎていく。


 過去はもう、あやふやな存在でしかない。


 未来はもっと、不確定。


 現実なんて、ほんの一瞬。


 儚い。


 実に、儚いと思う。


「私のこと、分からないんじゃないですか?」

「? どういう意味を含んでいるんだい? そこには……」

「そういうところです!」


 カガリはまた、急に声を荒げた。何をそう怒っているのかと、私はなだめようとした。しかし、逆撫でしてもよくないと思って、たまには黙ることも必要かと、口を閉ざした。カガリは、私が言葉を続けないことを見て、さらに続ける。


「いつもだったら、私が何を考えているのかなんて、軽くお見通しじゃないですか! それなのに、今のルシエル様は……何を考えているのか、わかりません!」

「カガリ。私は万能じゃないよ。それに、今はこのところの記憶が抜け落ちている。それは、お前の方が分かっているだろう? ただでさえ、完璧な人間じゃない私が、今は記憶喪失と来ている。どうすれば、今まで以上の私になれるというのだい?」

「そ、それは……」


 もっともな訴えを突き付けられると、カガリは押し黙る他なかった。自分がどれだけ身勝手な訴えをしているのか、ようやく気付いたようだ。次は私の番かと、言葉を探す。


「私に役割があることは、思い出せた。その役割を、お前には告げられない。もしかしたら、お前は知っているのかもしれないが……だからと言って、それを確認するつもりはない」


 カガリは体操座りの状態から、更に背を丸めて顔を両腕の中に埋めていた。あまり、私の言葉なんて聞きたくないのかと思ったが、そういう訳でもないようだ。注意はこちらにあると察して、後を続ける。


「記憶がないのは、私だけではないようだった。ソウシはどうか知らんが、レジスタンスのものからも、ふたりのローク族からも、重要な記憶は消えているようだった」


 カガリが目を伏せているのを知っていて、私は敢えてカガリの方を向き、カガリに訴えかけた。


「正直に言おう。私は、無くした記憶が欲しい。今の状態では、私は頭の中に靄がかかっていて、気分が悪いんだ」

「……すみません」

「謝るくらいならば、せめて、誰から口止めされているのかくらい、聞かせて欲しいところだけどね」

「……」


 結局のところは、言えないのだろうということは分かっている。


 それを理解した上で、私はこの言葉を使った。


 カガリを困らせたいからではない。


 自分が、少しでも落ち着きたいからであった。


(身勝手になったものだ)


 私は自分を恥じた。それでも、自制出来ない魔術士は、魔術をうまく使えない。このままでは、いつまで経っても私は消耗した魔力を、休息によって回復させたとしても、「転移」の術の制御には失敗してしまうだろう。それは、避けなければならないことだった。

 他の魔術……たとえば、攻撃魔術の「炎」や、「風」なんかは、うまく制御出来なかったとしても、暴発などで事は済む。術者が反作用だけを受けて吹っ飛ぶことはあるだろうが、そこまでの全力で魔術を放つものは、そうそう居ないし、私も本気で魔術を放ったことなどないので、それなりの火傷や、それなりの擦り傷、切り傷で済むだろう。

 しかし、「転移」は訳が違う。次元に穴を空け、そこを潜り抜けると考えると楽かもしれない。その制御に失敗すると、どうなるのか。それは、色々考えられるのだが、最悪の場合は命を落とす。いや、死ねればマシかもしれない。死ねない精神状態のまま、空間の狭間。次元の狭間に取り残され、永久にもとには戻れまい。

 そんな賭けをしてまで、「転移」にこだわるつもりはないし、命は惜しむべきだと私は考えている。負ける戦はしないと、決めていた。


「カガリ。気に病まなくていい。今言ったことは、全て忘れなさい」

「できませんよ……そんな、都合のいいこと」

「忘却草でも使うかい?」

「やめてください。私は自分の記憶は自分で処理します」

「……私は、否応なしに記憶を奪われているけれどもね」

「……」


 結局は、皮肉にしかならない。


 記憶が薄れ、魔力が薄れ。


 自信と力がなくなると、ひとはここまで脆くなるのか……と。


 私はひとり、物思いに耽ろうとしていた。




 カガリは、そんな私の邪魔をしようとはしてこなかった。





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