記憶と鍵
長い時間、夜に身を寄せていた。
故に、まばゆい光すら眩しすぎて目を閉じる。
空気の流れで、人数を確認は出来る。
独特な空気の揺れからは、誰かを特定することも出来る。
シュイロークのフェイ。
ファイロークのサラ。
ふたつの大きな「神」のご加護を感じる。
ライロークのカガリ。
これはそう、泣きそうな顔をしていた青年の姿。
ヴァルキリー。
それは、この「ローク族」たちを束ねる人間種族。
残りの顔は、レジスタンス「アース」のもの。
(そう、それだけだ)
私は、胸中でひとり呟く。そこには、それ以上もそれ以下でもない情報しかない。
少しずつではあるが、私は落ち着きを取り戻していた。此処、「聖域」はもう、荒れ果てた土地ではない。あの、怒り狂っていた世界はもう、穏やかな日常を取り戻している。ただし、辺りは暗い。これは、星が地軸を傾けて自転し公転しているから。太陽が隠れ、月が現れ。自然の理を成しているに過ぎない。
それなのに私は、まだ、「何か」を取り戻せず、「違和感」を抱き、自分の中の「闇」へと消えてしまったものを、探し求めて思考を続ける。
「僕たちを、まだ解放してはくれないのかい? ルシエル。お前の横暴もいい加減にして欲しいものだ」
不平の声をあげたのは、両サイドの髪を少量とり、三つ編みにして飾りをつける、色素が非常に薄い水色の髪をしたフェイである。こうして、声と顔を一致させることが、割とすんなり出来るようになったのは、時間の経過の為だろう。
私は長時間、ご神木の中に居た……らしい。
記憶がないのだ。
解放していいと、判断しようにも私には、判断材料がなかった。何故、「レイローク」意外のローク族が集結しているのか。それも、分からないのだから、仕方がないといえば、それまでのこと。それを口にしたら、この「フェイ」という者は、明らかに怒りを露わとするはずだ。それは、避けなければならないと本能が警告する。
「帰りたければ、帰ればいいでしょう?」
私の代わりに声を発したのは、この、ローク族を束ねる「ヴァルキリー」一族の「ソウシ」であった。ソウシは、まだ統領ではない。ソウシには父親が居る。その父親は、ソウシ以上に表舞台には出てこない為、遭遇率は少ないが、確かに存在している。彼の「死」を通達されてはいない。つまりは、生きていると私は捉えている。
「夜目は効くでしょう? サラ。あなたも、帰りたければ森へ帰ってもいいんですよ」
「……」
サラという少女のロークは、やはり色素は薄い。けれども、確かに「赤」だと分かる髪色のボブスタイルで、黄金の瞳を光らせていた。ただし、歯切れはいつものようにいい訳ではなく、むしろ、悪い。
「あのさぁ」
異質。
私にとって、それは聞き入れがたい声。
高くて、でも、女性ではない。
そんな不思議な声を持つ「少年」は、私の目の前に屈んでいる。
「ルシ? ルシはさ、俺を避けてるんだろ?」
この少年の名前は、ようやく思い出せていた。「ラナン」だ。レジスタンス「アース」のリーダーで、元ラバースDクラスの傭兵だった男。ありとあらゆる武器を扱い、カガリから師事を受けた少年。
(それだけか……?)
私は、何度も、何度も、この言葉を繰り返す。
(本当に、この少年はその言葉だけでの説明で事足りるのか?)
少年自身、分かっていないように見える。いや、ここに居るすべての者が本当の「理解」などしていないのだ。
それがどうしてなのか。誰かの力が働いているのか。何も、私は思い出せない。引っかかっているタガを外そうと、どれだけ試みたところで、それが外れることはなかった。
それを繰り返しているうちに、緑に包まれた聖域にも「夜」が訪れ、今に至る。
(荒れていたんだ……そう、ここへ来たときには、聖域は荒れ果てていた)
その事実は思い出せる。全員一致の記憶だ。しかし、その後のことが、あまりにも曖昧なのだ。誰かが記憶の一端を持っているのではないかと疑ったが、今、ここに集結している者の中では、それは求められなかった。
だからこそ、ソウシはローク族にそれぞれの「森」へと帰るよう、促しはじめたのだ。
きっともう、事は足りているのだ。
何かは思い出せないが、災難は去っている。
「ルシエル様」
カガリが再び、声を発した。しばらく、長い沈黙を続けていたのは、私が時間を求め、この青年を遠ざけていたからだ。
「忘れて……いるのですか」
「?」
ひとには、役割がある。
生まれながらにしてもった、宿命。
生まれた後に、背負うこととなる運命。
しかし私は、そのどちらをも……役割すら、忘れていたようだ。
カガリは「鍵」。
そう、「鍵」なのだ。
「覚えているのかい? カガリは……」
「……」
カガリは、何も答えなかった。それがきっと、答えなのだということは、誰にだって読み取ることが出来るほど、明らかであった。
それでも、ここで続きを追求しようとはしなかった。なんとなくだが、今、私はカガリが握っている「事実」を、知ってはいけないように感じたのだ。
いや、もしかすると勘違いという可能性もある。私が忘れていることと、カガリが覚えていることが、イコールだとは断定できない。それでも、危険な賭けをするつもりには、なれなかった。
「ルシ?」
「ラナン。今は、ルシエル様に触れてはいけない」
「うぃ?」
師の言葉に、ラナンは不思議そうな顔をして見せた。しかし、抗議するつもりはないらしい。従順というわけでもないのだろうが、カガリの言葉を聞いてから、確かにこの「ラナン」という少年は、私から一歩、また一歩と距離を取った。
(私は、怯えているのか? ラナンという少年を前に……)
それはある意味、外れすぎていない見解であり、記憶なのかもしれないと思えた。
「ラナ。事情はよく分からないのですが……世界を揺るがしていた地震は、いつの間にか消えています」
「そうだな」
地震。
(そうか。確かに、このところ地震が頻発していた。私はそれで、此処……聖域へと来たのだ)
ゆっくりだが、私にとって必要だと思われる記憶は蘇ってくる。聖域に居る、カガリ以外の者は、記憶の一部を共有している。カガリも、きっと完璧な記憶は持ってはいない。だが、他の誰よりも記憶を維持したことには、きっと意味がある。
「僕はもう帰るよ。これ以上ここに居ても、確かに意味はないようだ」
「……そうね」
フェイとサラ。ふたりのロークはそう呟くと、闇の中へと姿を溶かした。ふたりは半獣とも呼べる存在。夜目が効くし、聖域は本来、ローク族の住む「森」の近くに存在していた。彼らが帰ることは、難を成さない。
しかし、レジスタンスの者たちは、此処がどの大陸の、どこに位置する場所にあるのかを知ることが出来ていないはず。ソウシは別として、私が魔術でここまで連れて来たと考えるのが、普通である。
「転移……使えそうか?」
先ほど、カガリに咎められた少年とそっくりな容姿の少年。青い双眸で、私の姿を覗き見ている彼は、「レナン」である。彼の顔を見ても、やはり何か、ひっかかるものを感じる。ただし、「ラナン」ほどの違和感ではない。それでも、気分が良いワケでもない。
「……レナン」
なんとなく、私は彼の名前を口にした。すると、名を呼ばれて少年は顔を上げ、私の目を見た。
「なんだよ」
『ルシエル』
「!」
レナンの声にまじって、私の名を呼ぶ声が聞こえた。しかし、此処にはもう女性は居ない。それなのに、その声は明らかに女性のものだった。そして、その声には聞き覚えがあった。
(アリシア……)
アリシアの声が、どうして今、聞こえてくるのか。それを考えなければならないのかもしれない。それとも、アリシアはけん制しているのだろうか。これ以上、聖域に留まるなと。記憶を詮索するな……と。
「……どうした? 俺の顔に、何かついてるか?」
「いや」
私は短く答えると、重々しい息を吐いた。そして、天を仰ぐように上を見つめる。何が見たかった訳でもない。単に、首を上げただけ。
「……役割」
「は?」
私は、静かな聖域の中で昔を思い出していた。その中で、ひとつの単語が思い出される。
先導者。
どうして、忘れていたのか。どうして、そんな大事な役割すら、見えなくなっていたのか。私は、困惑すると共に嘆息まじりに息を吐くことしか出来なかった。
人間とは不思議なもので、意識するとその機能が復活するものである。「先導者」としての役割を受けた私の今の頭には、再び年表が現れていた。これからの、この世界に名を連ねる者たちの運命。そこには、ここに居るレジスタンスのメンバーの名前も、確かに刻まれている。
「カガリ」
「はい」
私の呼びかけに、素直に答えるカガリ。この、ライロークの青年もまた、世界の名を刻むものである。だからこそ、「鍵」なのだと、その意味が少しずつ見えてくる。
「帰るよ」
「今、ですか?」
「そう、今」
私は、もう躊躇しない。
記憶がすべて戻った訳ではない。
それでも、再び「時」が刻まれはじめたことを自覚した今。
これ以上、此処に留まる必要はなかった。
「レジスタンス」
「うぃ?」
「キミたちを、城へ招く訳にはいかない」
私は、レジスタンスのメンバー全員の顔を順に確かめてから、右手を広げた。彼らを、彼らが居るべき場所へ送り戻す為に、転移魔術の構成を固める。それを見て、黒髪黒目の神子魔術士であるサノイ皇子は、術の種類を察した。
「飛ばすのだな」
「安全なところを選んだつもりだよ」
それが詠唱だと気づいたのは、魔術士であるサノイ皇子だけであろう。この場にはもう、レジスタンスの姿はない。残ったのは、ローク族を束ねるソウシと、弟子であるカガリ。そして、私自身。
「ルシエル様。私は馬で帰ります」
「分かった。あまり、無理はしないようにね」
「えぇ」
それだけ残して、ソウシもまた闇へと消えて行った。
「ルシエル様……」
残されたカガリは、不安げに私の顔を見ている。その顔を見て、私は力なく笑みを浮かべた。身体が疲れていることもあって、これが精一杯のやせ我慢とも呼べる。
「力が足りない。今は、転移できない」
「はい」
カガリは、それが何を意味しているのかを察した。そして、私の隣に腰を下ろして、辺りを見渡す。「敵」の気配がないかを、探ったのだろう。静まり返った聖域は、不気味なものではなく、むしろその逆。穏やかな時間を与えてくれた。
「私は、此処で生まれたんだ」
なんとなしに、私は言葉を紡いでいた。




