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本質の覚醒

 目の前に居る少年は、よく知っているようで知らない顔をしている。華奢で色白で、細くて折れてしまいそうなほどの腕に、耳は明らかに人とは異なる形をしている。そう、精霊と同じ通常エルフと呼ばれる、とんがったやや長めの耳をしていた。髪は色素の薄い緑のさらさら流れる細く長いやわらかなもので、肩を少し越すほどの長さ。普段の私が知る「彼」に、似た容姿ではある。

「ラナン」

私は、その緑の容貌の少年に声をかけた。しかし、私の声を聴いても、少年は怪訝そうな顔をするだけで、とても不快感を露わにする。大きな目を鋭く尖らせ、睨みを利かせると、それだけで「魔術」のような力が発せられた。そのことに驚くのは、「師」である私であった。


 ラナンは、魔術士ではない。


 要するに、この少年は「ラナン」ではないのだ。


 ただし、全くの無関係と位置付けるには、あまりにも容姿も声も似すぎていた。


《低俗な器の名で呼ぶな、ライローク》


 私は空色の瞳で、少年の姿を捉えながらも、剣を鞘から抜き、じっくりと相手の動きを観察していた。この少年のことを、師であるルシエル様は、「ライエス」だと呼ばれていた。


 ライエス。


 聞いたことのない、名前であった。


「教えて欲しい。お前は一体、誰なんだ。ラナンと何の関係がある」

ライエスは、目を細めて私に向かって手を突き出した。ゆったりとした仕草ではあったが、たったのそれだけの動作で、激しい突風が吹き荒れた。緑の靄がかかったこの空間に、カマイタチのような烈風が吹き起こる。それによって、私の服は切り裂かれた。一部、うっすらと肉をも引き裂き、血が滲み出ているところもある。だが、これくらいならば大した問題はない。ただのかすり傷に過ぎない。今の一撃は、ほんの挨拶代りであることくらいは、私にも察することが出来た。そして、この攻撃により、この少年が魔術や、その類の力を持ち合わせない「ラナン」ではないということの、裏付けにもなったのである。

「何の関係も、持ち合わせていないとでもいうのか?」

少年は、どうしても「ラナン」を気に入らないらしい。面白くないという表情で、私を見据えている。


《お前と器の関係性ならば、知っている》


「器とは、ラナンのことか?」


《器にもライロークにも、用はない。去れ》


 酷い耳鳴りがした。空気を振動させることによって、鼓膜を直に刺激してきたのだ。もとより耳のよい身体である私には、それは苦痛の他なかった。右手で握る剣は、片手で構えたまま。左手で左耳を塞いだ。片耳だけでも、この振動から逃れたいと思ったのだ。

 私は目を細めて、少年を観察した。どうも、この少年の姿は「本質」ではないと私は感じるのである。それはつまり、肉体がないということだ。

(精神体……?)

そんなものがあるのかどうか。肉体から切り離して、意図を持って意志を持って、術まで使えるものなのか。私には前例を見た記憶がないため、判断のしようがない。ルシエル様だって、このようなことをして見せたことなどなかった。だが、私の感はよく当たる。こういう時は、より当たるものである。この少年の言う、「器」というものがラナンの肉体であると推測することは、至極当然の流れとでも言えよう。

 それならば、この精神体を相手にしている場合ではない。精神体を切り離した状態で長く肉体はおそらくはもたないはずだからだ。それは、人間として存立し得ないことである。ラナンがいくら特殊能力を持った子であったと仮定しても、その定義から外れることは、まずないだろう。

 私は、この精神体ではなく、「ラナン」の本体を探すことに専念しはじめた。この緑の靄のどこかで、眠っているはずなのだ。

(ルシエル様は、レナンを救い出せたのだろうか……)

そのとき、私に背を向けこの中を走り去った師の姿が思い出された。私が案ずるなど、恐れ多いことだということは、分かっている。それに、ルシエル様に出来ないことならば、私に出来るはずがないことも、分かっていた。

 逆に、ルシエル様にそれが出来ていたとしたら……私にも、出来るのではないかという希望がわくというものだ。私はまだまだ未熟であり、ルシエル様の足元にも及ばないことは分かっている。でも、ルシエル様を長年近くで見て、弟子として仕え、教えを乞うてきたのだ。真似をすることによって、同じようなことが出来るのではないかという、自信くらいならば持てた。

「ラナン!」

私は少年に向けてではなく、この靄の中のどこかで眠っているであろう、愛弟子の姿を探した。そして、その名を強く呼ぶ。しかし、反応はない。靄が私の声で振動し、多少渦巻く程度である。それくらいに、この靄は濃度が高い。まるで、私の中に流れる「ライローク」の力を吸い取られるかのような、感覚がある。そう、長くこの空間……ご神木だとか、クリスタルだとか呼ばれていたが、此処に来て時間の経過はそれほどない。それでも、ここまで疲労しているということは、私よりもずっと前に吸い込まれてしまった、ルシエル様、ラナン、レナンの疲労度は、もっと酷いものであると想像が出来る。事を急ぐ必要があると、私は感じた。

「ラナン、何処に居るんだ! 返事をしてくれ!」

返事がないということは、意識はやはりないのか。それとも、声が届かないほど遠くに居るのか。


《散れ》


 私と同じく、此処に居る少年もまた、「風」を得意とするのであろうか。先ほどから放たれる術は、その属性であるものが殆どであった。それは、逆を言えば私にも分はあるということである。


 ライローク。


 風の民のことである。


 私には生まれつき、「風」の能力が備わっている。


 それは、「風の神」のご加護を受けているからだと、言い伝えられている。


 私は、生粋の人間ではない。


 風を操る「魔獣」である。


「ラナンを渡さないと言うのであれば、お前を攻撃する」

私は決心を固めた。剣を両手で握ると、そのまま青眼の位置で構えて、少年と対峙した。もっとも、精神体にこのような物理攻撃が当たるのかどうかは、不明である。


《無駄なことを》


 少年。


 神は、笑っていた。


「何も可笑しなことなど、ない。私は、私の大切なものを取り返しに来ただけだ」

地面と呼んでいいものか。土で固められている訳ではない、この空間の床を蹴りだすと、私は勢いよく少年、「神」に向かって駆け出した。それを見て、すぐさま神は応戦をしはじめる。距離を縮めようとしても、ふわりと宙に浮いている神は、静かに上昇し、緑の靄の中へと身体を隠し、そこからカマイタチを放ってきた。

「……っ」

風の動きならば、幾らか読むことは出来る。しかし、流石は「神」とでも言おうか。その速さは尋常ではなかった。肉が見事に裂かれていく。眉を寄せるほどの痛みが走り、足を止めそうになってしまうが、私は神の姿を見逃さなかった。

「風よ、力を貸してくれ!」

私は剣を振り上げると、そこに小さな竜巻を起こした。中心には私が居る。私を取り巻くように、風は舞い上がる。その先端には、神の姿が今はハッキリと見える。私の起こした風によって、靄がかき消されたのだ。


《精霊を、味方につけているのか》


 私には、何のことだか意味が分からない。ただ、此処で力を発揮することは、容易ではないことなのだろうと、想像した。

 ルシエル様を此処で見つけたとき。酷く疲労されていた。地面にひれ伏すかのような状況で、動けずに居たのだ。それはきっと、この神の力に圧倒されていたからではなく、自らの力が発動せず、逆に、吸い取られていたからの結果だということなのだろうと、推測する。

 ルシエル様ほどの術者で、能力がある者ですら、そのような状況に陥るのだ。私のような半端もの。ライロークの「本来」の姿を「魔石」によって隠し、力も抑えているような状況で、どうこう出来ることではないのかもしれないと、不安がよぎった。私は、力の出し惜しみをしているつもりはないが、「本性」を見せるほど強い精神力をまだ、身につけてはいない。


 それでも、負ける訳にはいかなかった。


 相手がたとえ、「神」だとしても。


 その器は、間違いなく大切な「ラナン」であるのだから。


 私は、ルシエル様にラナンを託されたのだ。その責任を全うしたい。そして、私に任せてくださったその信頼を、裏切りたくはない。

 言い訳も、何もしたくはない。何もしないで後悔することも、したくはない。そこで、私にはある、ひとつの答えが導き出された。

(逃げるな……カガリ)

私は、自分の名をこころの中で呟いた。言い聞かせる為だ。自分自身を、奮い立たせ、納得させるための行動である。

(後悔するために、此処へ来たのではない)

私は、黒の紐によって結ばれたチョーカーに手を掛けた。ペンダント部分には、青い「魔石」が付いている。「風魔石」と呼ばれるものだ。これを付けているから、私は「人間」と相違ない姿で居られた。ただ、その代償として、「風の神」からのご加護を揺らがせ、力を抑えこむということをしてきた。

 だが、今それをしていては、到底「神」には勝てそうにない。つまりは、ラナンを救い出せそうにないのだ。それならば、私に残された道はただ、ひとつであった。

「力を、解放する」


 ブチ……。


 黒い皮で出来た紐を、力いっぱい引っ張り、ちぎり捨てた。青い魔石が左手の中で光を帯びている。私はそれを、無造作に捨てた。すると、茶系であった髪の色は、空のような青い色と変化し、瞳の色は、聖域に集まってきた別のローク族と同じ。フェイやサラと同様、黄金と化した。

 声などは変化しない。ただ、見た目が大きく変わり、黄金の目の中にある瞳は、爪のように鋭いものである。人間のような、円形のものではない。


《……》


 神は、何も言葉を発しなかった。


 動揺しているとは、思えない。


 何故ならば、少年は全てを知るべく「神」なのだから。


「ラナンの中で眠れ。神よ」


 私は低く、呻くように声を発した。その声に対して、神はやはり、うっすらと笑みを浮かべるだけであった。それでも、今の私には先ほど以上の「力」がある。目でしか追えなかった神の姿を、身体中で感じ取ることが出来ていた。


 更には、風。


 空気の流れを察知し、今、ルシエル様がどこに居るのか。


 レナンは生きているのか。


 アリシアという女性の居場所はどこか。


 そして……。


 ラナン、本体の居場所を突き止めることも出来ていた。


「右か」


 私は、神に相対するのではなく、ラナンの本質を守るために動き出した。



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