扉を開くもの
突如として現れたのは、ソウシ=ヴァルキリーという剣士。私がラバースに飛ばされていた際に、親しくしてくれた男だった。立ち振る舞いも顔立ちも、どこかの貴族のように見えるその男は、金髪に碧眼。外ハネの髪の毛は腰辺りにまで伸ばしていた。昔からのスタイル、そのままである。あまりにも昔のことで、私もこれまで記憶の外に封印していたが、言われてみるとソウシは、私が「鍵」であると告げた謎も持っていた。
「聖域の番人、それがサラ。そして、御神木の扉となるものがフェイ。最後に、その扉を開く鍵があなたです、カガリ」
「意味がわからないね。御神木の扉とは?」
フェイと呼ばれる男は、身体が金縛りにでもあっているのか……身動きを取れないでいるようだ。サラという女性もまた、動けないという訳ではなさそうだが、面白くなさそうな顔をしていた。
私にも、ソウシの言葉の意味は分からなかった。ただ、私に何か出来ることがあるならば……全力でその「力」を使いたいと思った。力があるのならば、大切なものを助けるために、使いたい。私は、土にまみれた手を見た。剣だこが出来ている、明らかにここに居る私と同族という「フェイ」や「サラ」というものたちよりも、ゴツゴツとした指先になっていた。もう、おなごと間違えられていた頃の私ではない。今の私は……ルシエル様の、唯一の弟子。その役目を果たさなければならない。
この世界にルシエル様は、必要なお方だ。
ラナンとレナンも姿を消してしまった。ふたりは、城に住む私にとっては「敵」となる存在。でも、ラナンは私の可愛い「愛弟子」であり、本当の「弟」だと今は思っている。レナンのこともまた然り。そんなふたりを、連れ戻さない理由は無い。たとえ、フロート国王に非難されようとも、私はふたりを助け出したかった。それは、人として当然のことだと思っていた。
「ソウシ、私は……何をしたらいいんだ。私は、ルシエル様を失いたくない。それに、ラナンも、レナンも……」
「えぇ、分かっています。だから、私もここへ来たのです。聖域に……。遅くなってしまい、すみませんでした」
ソウシが手をふわりとかざした。すると同時に、フェイが身体の硬直から逃れた。これまで、何か術でも掛けられていたようだ。
「私は魔術士ではありませんから。馬を走らせて此処まで来ました。私が生まれた村は、この聖域のすぐ傍にあったんですよ」
「そうなのか?」
聖域のすぐ側に故郷を持つ……それが、どんな意味を持っているのか。今の私には知る由もない。ただ、想像することは出来る。ソウシは何か特別な力と存在意義を持って、生まれてきたんだ。その力の為に、同い年だというのに、ソウシは私よりも大人びていて、先を知ったような口ぶりをしていたのだろう。それならば、諸々のことに納得がいく。
もしかしたら、十年ほど前。ソウシは自らの師匠について、言葉を濁していたが、その師匠とは「ルシエル様」だったのではないかと、思えてきた。
「ソウシさん、お久しぶりです。今はあなたを……味方だと思っていいんですね?」
ラナンの旅仲間、リオスだ。リオスもまた、ラバースで剣を振るっていた人間だ。ソウシとは顔見知りであることも、頷ける。ただ、今もソウシはフロート国側、リオスはレジスタンス側である。敵対している身であるため、すぐには警戒心を解くことは出来ないようであった。
「えぇ。私はあなた方の敵という立場ではありますが、本当の敵ではありませんよ」
「……そう、ですか」
「心配しなくても、大丈夫。私はルシエル様とラナン、レナン。三人ともを助けたいと思っていますから」
「それは何故だ。あなたは、ラバースの兵士なのだろう? ラバースを脱退し、レジスタンスを立ち上げたラナとレナは、敵であるはず」
サノイ皇子も言葉を続けた。サノイ皇子の指摘はもっともとであった。普通ならば、サノイ皇子の言うとおり、フロートの最大の武器である、ルシエル様を守ることは不思議ではないが、ソウシがわざわざラバースを裏切ったふたりを助ける必要は、どこにも無いように思える。ただのお人好しなのか、或いは他に理由があるのか……。
「私が仕えているのは、ラバースのクランツェ様ではありません。唯一の存在、ルシエル様です」
「……ルシエルさん直属の部下、なのですか?」
「そう捉えてもらっても、相違ないですよ」
「いい加減、その討論はやめてもらえるかな。僕はさっさと、此処から去りたいんだけどね」
フェイは色素の薄い水色の髪を手で弄りながら、飽きたように言葉を紡いだ。どうやら、フェイはソウシには歯向かえないらしい。
「そうですね。善は急げといいますし……では、フェイ。あなたが扉となっています。サラは、番人です。右手を御神木に……左手を、フェイの胸に当ててください」
「……分かった」
サラは言われるがまま、さっさとこれを終えたいとでも言うかのように、ソウシに従った。フェイも憎まれ口はたたくものの、従ったほうが早いと思うようになったのか。大人しくなった。
「カガリ、久しぶりですね。元気そうで安心しました。あなたは、鍵です。あなたが扉を開き、中に入るのです」
「中?」
ソウシはゆっくりと頷き、私の目をしっかりと見据えてきた。
「そうです。この御神木……クリスタルの中へ」
「そんなことが出来るのか? さっきだって、私は御神木に手を当てていた。でも、中には入れなかった」
先ほどの光景を思い出す。ルシエル様がこの御神木に呑み込まれそうになっていることを察し、ラナンとレナンに続いて私も手を当て、力を注ぎ込むように念を送っていた。でも、結果は私以外の三人は姿を消してしまったが、私はこの現実世界に留まることになったのだ。私は、この中に入る資格が無いのではないかと、心配になった。
「先ほどの光景を見ていなかったのですが、あなたはフェイと御神木を繋がなければ、中には行けません」
「だったら、ルシエル様たちは……何故」
「呑み込まれたという三人は、選ばれし者だからです。でも……」
「でも?」
「おそらくは、ルシエル様だけならば、何もせずとも元に戻ってくるはずです」
「えっ?」
その言葉に、私は疑問を抱いた。何故ルシエル様が元に戻るというのに、ソウシは知識と力を貸してまで、ラナンとレナンのふたりを、取り戻そうとしているのだろうか。ソウシの立場からしたら、ラナンとレナンは邪魔者であるはず。私には、ラナンを助け出す理由があっても、ソウシにはやはり無いのだ。
「何か、企んでいるのか?」
私は率直に、ソウシに考えをぶつけてみた。しかしソウシは、焦るそぶりも無く、ルシエル様の持つような寛大な笑みを浮かべて、私の手を静かに取った。
「企んでなんかいませんよ、カガリ。私は純粋に、ラナンとレナンも救いたいだけです」
「そんなに拘る理由があるのかい? ヴァルキリー」
「そのうち、キミたちにも分かるときが来ますよ」
意味深なその言葉を残してから、ソウシは私の右手をそのままフェイの胸へと当てた。左手は、御神木に繋ぐらしい。
「頼みましたよ、三人を。どうか、見つけてください」
「あぁ……やってみる」
その刹那。緑の強い光が再び現れ、それは私の身体を覆っていき……ついには呑み込んだ。
※
見渡す限りが「緑」の靄。こんなにも不自然に光が立ちこもっていることには、一体どんな意味があるのだろうか。私には何の知識も経験も無い。入るはいいが、どこへ行けばよいのか。何をすればよいのかが、分からない。ただ、焦燥感だけは確かに覚える。
「……どうしたらいいんだ」
『カガリくん』
「……!?」
不意に私を呼び止める声。その声を、私は以前にも聞いたことがあった。以前、ルシエル様と共に演劇を見に行ったことがあった。そこで出会ったのが「ジジ」というご老人。そのジジから去り際に渡された謎の小瓶を開けた後、夢の中である女性に出会った。ブロンドの巻き髪の女性。瞳は海のように深い青。まだ幼さの残る、女性というよりは「少女」だ。その少女が私の目の前に居た。
「あなたは……あのときの」
『覚えていてくれたの? ありがとう、カガリくん』
やはり少女は、私のことを知っている。「あのとき」も、そうだった。少女は私のすべてを見透かしていた。
『お願い、助けて』
何から、誰を助けたらいいんだろうか。私は少女に問いかけようとした。しかし、その瞬間少女の姿が揺らぐ。その瞬間、咄嗟に私は少女の手を掴もうと、自らの手を差し伸べた。しかし、少女は首を横に振る。
『私じゃない。あなたが助けなければいけないのは、私じゃない』
「……でも」
目の前に居る少女を、無視していいのか。それすらも、分からない。目の前に居るのだから、助けられるものなら助けたい。そう思うのはきっと、自然なことだ。
『せっかく中に入れても、このままでは誰も助けられなくなる!』
「……」
少女は、「犠牲」になろうとしているのだと、察した。きっと、すべてのものを助け出すことは、出来ないのだ。私はその事実に直面し、俯いた……そのときだ。
《愚かなロークが、やって来たようだな》
緑の風が吹く。一見とても穏やかそうで、一見とても……残酷に見える少年の姿は、私には見覚えがあった。ただし、その「少年」の姿は私のよく知る「彼」とはまた、色が違っていた。
「誰なんだ……お前は」
《愚かなるロークに名乗る名は無い。消えろ!》
同時に聞こえた少女の声は私に、「行け」と言った。懸命に声を発し、私を呪縛から解き放ってくれるようだった。
私は、少女に背を向けると何故かは分からないが、緑の濃い場所へ向かって足を動かした。少女は満足そうに微笑むと、そのまま姿を消してしまった。もしくは、緑に取り込まれてしまったのか……。
だが、きっとこれで良かったのだと思い込む。そうでもしないと、心が折れそうになるからだ。
私は、ずるい。
自分のことは、もとより好きではなかったが、またひとつ、罪が増える思いで走った。緑の靄に向かって、飛び込むように……。
今、背を向けた女性の名は……「アリシア」。
師匠の、ルシエル様の……奥さん、だったひと。
「ルシエル様!」
そのとき、微かに動いた人影に向かって、私は躊躇うことなく声を発した。今ここで、声を発しなければ、もう二度と、手には届かないところへ行ってしまうと感じるほど、その名の持ち主は疲れているようだった。




