愛しの我が子
《話は済んだな。お前は消えろ》
ライエスは、私に向かってそう告げた。だが、疑念が残る。次なる人柱は誰になるというのだろうか。
「ライエス。人柱は……」
『……レナン』
「レナン!?」
私は心臓が止まるのではないかというほど、アリシアの言葉を聞いて動揺した。ラナンもレナンも、失ってはいけない存在であるからだ。
いや、失っていい存在などないと、今、知らしめられた。
《レナンの身体なら確保済みだ。お前は此処を去り、先導者としての命を全うしろ》
先ほどのノイズが再び蘇る。そして、そのノイズは私に「行くな」と訴えかけてくる。ここでレナン、そして今ここに倒れているラナンを置いて、立ち去る訳にはいかないとも……。
「レナン、どこに居る!」
『ルシエル……』
「アリシア……! アリシアならば、知っているのではないのか。レナンの居場所を!」
『……』
「アリシア! キミは、どちらの味方なんだ。私か……ライエスか!」
自分でも、愚かな問いかけをしていると思う。不甲斐ない「夫」と、全能なる「神」を比べろというのだ。無理な話といったものである。それでも、私には問わねばならない理由ができてしまった。私はまずは、俯せに倒れているラナンの意識を戻そうと図った。頭を打って倒れているということは、まずないであろう。ラナンの身体を揺さぶり、意識を呼び起こすように声をかける。
「ラナン、ラナン……しっかりするんだ」
「……」
「ラナン……ラナン! ダメか」
《無駄だ、ルシエル。ここは聖域。俺の力がどこよりも働く場所なのだからな!》
それが呪文だとは、思いもしなかった。
「く……っ!」
激しい突風が私を襲った。鋭く速いそれは、私の身体を切り刻んでいく。こんなにも気性の荒いものが「神」とは、世も末だと思えてしまう。
ひとは苦しいとき、何かにすがるように「神」というものに祈りを捧げるものだが、その「神」がこのようなものだと突きつけられたときには、どうしたらよいのであろう。
《天命を全う出来ないというのであれば、此処で消えてしまえ》
「消える訳にはいかない」
私は、神を相手に応戦することにした。しかし、魔術を放とうと右手を突き出してみても、相手の力を遮る壁も何も現れはしなかった。
(魔術が使えない……!?)
魔術とは、私が生まれたときからずっと傍にあったものである。発動しないことなど、これまでに一度たりとも無かった。そのため、私は魔術に頼りきっている面があった。
魔術が使えないという、非常事態に驚きを隠せないでいる間にも、ライエスからの攻撃は続いた。私はアリシアを巻き込んではいけないと、距離を取ると、緑の光の中を駆け出した。どこかに、レナンが眠らされているかもしれない。見つかれば、運が良いというものである。
《愚かな人間だな》
その刹那。私に向かって刃が放たれた。まったくもって、なんという速さだ。あまりにも鋭い光の刃は、私の身体を無残にも切り刻んでいく。流石は全能なる「神」だと思ってしまうほど、力の差は歴然であった。
(この世界では無敵だと思っていたのだが……おごりだったかな)
神を除けば、人間界だけで考えれば……私はそれなりの位置につけるくらいの力はあると自負していた。いや、今でもそれは変わらない。私も大層な大人になったものだと、お思わず苦笑いを浮かべる。
《何が可笑しい》
神からしては、人間のおごりなど、想像もつかないのであろう。神の考えることを、私が想像することが出来ないことと、同じように……。
《気でもフレたか?》
魔術が再び私を襲う。鋭い光が走ると同時に、私はイチかバチかで左に飛び退いた。そしてすぐさま半身の態勢をとり、緑の靄の中に向かって走り込んだ。自分の姿さえ見えないほどの深い靄だ。この靄のどこかにレナンが居ると、私の第六感が訴えかけてくる。昔から、勘は冴える方である。外すことはまずない。
《逃げられんぞ》
私の勘を裏付けるかの如く、不思議とライエスはこちらへ攻撃をしてこなくなった。要するに、魔術をここに向かって放ちたくない理由があるはずなのだ。
それは、ここに次の人柱候補である、「レナン」が居るという可能性を示していた。私は必死に声をあげた。
「レナン! どこに居る! 返事をしろ!」
クリスタルの中など、見たこともなければ聞いたこともない。どのような構造になっているのかが分からない為、闇雲に動いてみたところで、失策に陥る可能性も否めない。ただ、ここで動かなければ、ライエスに消されて終わってしまうだろう。
不安が押し寄せてくる。不安なんて、「先導者」になってからは感じ取ったことなど無かった。私も神の前では単なる「人間」であり、魔術も何も無いのだということを、知らしめられた……そのときである。背中に目があるかのように、私は後ろから気配を感じ取った。そこはまた、一段と靄がかかっている。
「レナン!」
私はそうであると確信した。そこに向かって再び走り出した……が、急に酷い目眩が襲い掛かり、胸に痛みが走った。
(こんな時に……こんな時に!)
脆い身体になったものだと、苦虫を噛み締める。私は立っていることも辛くなり、遂にはその場に膝をつき、次いで両手も下についた。
呼吸を整えようと、必死に自らを律する。ライエスの姿はまだ見えていない。おそらくは、ライエスに私の居場所は知られているだろうが、まだ、次なる手を出されてはいない。早く回復を待ち、レナンを奪還したならば、ラナンを連れてここを離れる術を探さなければならない。
ただし、ラナンの身体のもとにはライエスが居る。
ライエス、「神」とは……ラナンの「真」の姿だったのだから。
私はそれを知っていたはずであった。
何故ならば、私は見ていたからだ。
ラナンがこの世に生まれてきた瞬間を……。
「ラナン……レナン。まさか、お前たちが神と人柱だったとは……」
ふたりは、私の「実の子」であった。
ラナンとレナンが生まれたときの記憶は、ラナン……もといい、ライエスによって記憶操作されていたのだ。何故、そのようなことをしたのかは、やはり「神」のみぞ知るというものである。
「もう、失う訳にはいかないんだ……私は」
大切なものを、これ以上失いたくはない。
「ルシエル様!」
そのとき、聞こえるとは思わなかった声がした。




