神、現る
『ルシエル』
「……」
『ルーシーエール!』
「……」
『もう、ルシエルってば。起きてよ』
「……ん」
目を開けるとそこは、緑の光に包まれた、見たこともない異空間であった。身体の感覚がない。私は、死んだのだろうか。これが、死後の世界というものなのだろうか。見たことがないのだから、そして、見てきたものも居ないのだから、知らなくて当たり前というものである。
『来ちゃったね』
「……アリシア?」
『うん』
紛れもない。あのときと同じ、白いワンピース姿の、年を取っていないアリシアが此処に居た……ということは、ここはクリスタルの中ということであろうか。成人前であったアリシアが此処にいるのだから、まず間違いないであろう。
『連れて来ちゃったね』
「連れて来た?」
『気づいていなかったの?』
「……?」
私は辺りをゆっくりと見渡した。するとそこには、意識を失くし眠っている、色素の薄いブロンドの髪の少年の姿があった。顔を伏せている為、パッと見た感じではそれが「ラナン」なのか「レナン」なのか、区別は付かないが、着ている服と彼らのしているピアスの色で、識別することが出来た。
「ラナン……」
彼を、人柱の巻き添えにしてしまったのだと認識すると、私はこころを痛めた。これでは、レジスタンス「アース」の行く末が、大きく変わってしまったことになる。
《愚かな人間よ》
「!?」
『……ルシエル』
私は、声のした方へと振り向く。その腕には、アリシアの姿を抱きとめながら……。
《どうやら、忘れたらしいなぁ? 俺がつけてやった、その傷のことも……》
「……傷?」
『お願い、やめて……争わないで』
《女は黙っていろ》
どこで、誰が声を発しているのかが掴めない。いや、この緑の霧すべてが、全貌のようにさえ、思えてくる。
だが、声は聞き覚えのあるものである。口調こそ違うが、この少女のような声は……間違いなく……。
「ラナン……?」
そう、「緑」の瞳を持つ、ラナンのものであった。
《愚かしい》
だが、ラナンは確かにここで俯せになり眠っている。だが、ふとここで不自然さに気づくこととなる。ラナンは、眠っているのだと思ったが、息をしている様子が無いのだ。
「ラナン!? 目を覚ましなさい!」
私は、ラナンに向かって走り出そうとした……その時である。
《動くな》
それは、唐突に現れた。
緑の長く伸びた髪に、緑のつぶらな瞳。
色白で華奢な、エルフの耳を持つ少年とも少女とも見える、存在。
「ライエス……」
『そう、だよ。ルシエル……この世界の創造主、ライエス様』
「……神話は、本当だったんだな」
『まだ、思い出せないの?』
「……何を?」
アリシアが何を言っているのか、私には分からなかった。何を思い出せていないというのだろうか。そういえば、ライエスも「傷」がどうのこうのと言っていた。
『私たち、結ばれたんだよ』
「それが……どうかしたのか?」
『……』
アリシアは俯いてしまった。そして、そのことに疑問を覚えると同時に、私の頭にはノイズが走った。何事かと、そのノイズに意識を集中させてみる。すると、そのノイズの中に子どもの声が混じっていることに気づいた。
「……!?」
そして、私の脳裏にはその声の主の正体がはっきりと浮かび上がった。
『思い出せた?』
「あ、あぁ……だが、どうして私は、こんなことを、こんなにも大切なことを忘れていたんだ」
《俺が忘れさせてやったんだよ。その傷と共にな》
私は額の刀傷が疼くのを感じ、左手でそっと触れた。まるで、生き物がそこに居るかのように、熱く、古傷のはずなのに今は、再び血が溢れ流れていることに気づいた。
《ルシエル。お前に柱の素質はない。だからこそ、お前には先導者という地位をくれてやったんだよ》
素質。
柱になるにも、そんなものが要るのかと初めて知った。
だがここへ来て、はじめて疑問に思うことがあった。
(アリシアの前に、人柱になっていた者は誰なんだ……?)
《知りたいか?》
「……心まで、読めるのだな」
『ライエス様は、神だもの……逃れることは出来ないよ』
アリシアは、争いをどこまでも好まない女性である。私の服の裾をきゅっと握ると、不安げな顔で私の瞳を見た。海のように慈悲深い青い瞳の中に、アリシアとは違い年を取った姿の私が映り込む。
《アリシアの母親だ》
『……』
「なんだって……?」
アリシアの母親は、私たちが幼き頃に亡くなったと知らされていた。だが、まさか「人柱」となっていたとは、誰が想像しただろうか。アリシア自身は、このことを知っていたのだろうか。もし、知っていたとしたら、いつからのことであろうか。
そこで私は、ひとつの仮説を立てた。代々統領となる家系であった私の家とは違い、アリシアの家系は、代々「人柱」になるのが宿命であるものだったのではないだろうか……と。だからこそ、それを知る私の父は、私がアリシアと仲良くすることを、こころの底から許さなかったのではないか……と。
そう考えると、実につじつまが合う。
『魔力が問題ではなかったの』
「血筋……なのか? アリシア」
『……うん』
私は、先ほどのラナンの言葉を思い出していた。
誰かの犠牲のもとに成り立つものに、価値はない……と。




