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09

 エレティコは生まれ育った街、ミゴンへと帰ってきた。本当ならば、こんな状況でもなければゆっくり家に帰ることもできたが今は状況が状況だった。何よりも優先してやるべきことがある。

 彼女は街の駐屯兵団の宿舎へと赴き、魔族軍が攻めてくる事を進言した。勇者の仲間であるエレティコの言葉を駐屯兵団の兵士たちは真剣に受け止めた。かつては蔑まれ見向きもされなかった移民の子であるエレティコであろうとも兵士たちは態度を崩さない。それほどに勇者という肩書は大きかった。

「皆さんは街の人たちを避難させてあげてください」

 エレティコはそう言う。駐屯兵団の全ての兵士で住民を護衛しながら避難する。これが最も安全な策だった。

 無血開城。住民の血を流させるわけにはいかない。それに今のエレティコの仕事は魔族軍の戦力を分析する事。そして、可能ならば魔王の暗殺だ。

 駐屯兵団が護衛する住民の長い列が街から出ていく。列の中、自身と同じ年代の子供に自然と目がいってしまう。両親に守られるように歩く子供、不謹慎にも楽しそうな子供。そして、長蛇の列の中にエレティコを虐めていた子を見つけた。

 視線が重なる。その子は驚きとも恐怖とも取れる表情をしていた。しかし、その子が何を思うのかは分からなかった。虐めていた事への謝罪の念なのか、虐めていた相手に守ってもらう事への屈辱なのか。それとも、勇者の仲間への羨望なのか。

 エレティコはその子に気付かない振りをして列へと視線を送り、街の住民の声援に応えた。

 一時間もすればミゴンからはエレティコを除いて誰もいなくなった。魔族軍が到着するにはもう少し時間がかかるはずだ。彼女はある場所へと向かった。

生まれ育った家。レンガ造りが主流の街に建つ木造の家。優しい母が待つ暖かい家。

「……ただいま」

 しかし、そこには既にエレティコが慣れ親しんだ家は無く、空き地となっていた。

 エレティコは空き地を眺める。

 王都に着いてからしばらくして、家が無くなったことは聞かされていた。それと同時に母が死んだことも。

 母は大きな病を患っていたわけではない。死因は古傷が開いたことらしい。エレティコが生まれる前、母の故郷が魔族に襲われた時にできた傷。人間の身体に魔力の傷を作られると完治は難しく死に至る事がある。エレティコはそう聞いていた。

 母の身体に傷があったことを知らなかったエレティコには衝撃だった。母は自分を心配させまいと隠していたのかもしれない。礼服の女性はそう言っていた。

「お母さん。わたし、立派にやってみせるよ」

 エレティコは小さく呟いた。

 母を殺した魔族がもうすぐそこまで来ている。母を殺した魔族。その王がやってくる。

 ――ミゴンの街は知り尽くしてる

 エレティコは背中の弓を手に取る。

 ――お母さんの仇を取る

 腰の矢筒に触れる。

 ――この弓矢で貫いてみせる

 エレティコは家を後にして走り出した。


 ミゴンの街から西に行った場所に小高い丘がある。エレティコは丘から遠くを眺める。快晴の下、魔族の大群が街へと迫りつつある。距離は一キロほど。到着まであとわずかだ。

 右目をつぶり、意識を集中する。熱を帯びた左目が魔族軍を鮮明に捉える。魔族の一挙手一投足を隅から隅まで観察する。そして、見つけた。魔族軍の奥で優雅に馬車に揺られる存在。周囲には屈強な魔族が護衛として付いている。

 黒く美しい髪を揺らし、真紅のドレスを身に付け、妖艶な笑みを浮かべている女がエレティコの視界を埋める。

 魔王マレカ・ヘルシャーを見据え、エレティコは弓を構えた。左目から右手の弓矢へと意識を移していく。イメージするのは必殺必中の一射。

 弓を引き、狙いを定める。呼吸を止め、周囲の雑音を遮断する。意識が弓矢と混ざり合い、腕と弓矢の境目が消え去っていく。

 黄色の輝きがエレティコを包む。周囲の草木が騒めき立つ。弓矢の軌道が鮮明に描かれる。そして、魔王との距離は限りなくゼロに近付く。

 ――イケる!

 思考するよりも速く身体が動く。右手の指先から解き放たれた弓矢が一筋の光の尾を引きながら飛ぶ。

 一キロの距離を一瞬にして過ぎ去り、弓矢は魔王へと手を伸ばしかけた。しかし、その弓矢は突如現れた切っ先に弾き返されてしまった。

 ――うそ……

 魔王はこちらに気付いていなかった。遮蔽物も無い。必中の条件は整っていた。しかし、弓矢は無残にも折れ、地面に転がっている。

 エレティコは信じられないものを見たように、視界に収まる魔王。そして、その隣に立つ剣士を見た。

 茶色の髪をなびかせ、軽装の鎧を着込み、手には宝飾も何も無い直剣がある。男は地面の弓矢を拾い上げると、繁みの中に放り投げた。そして、魔王に何かを言うと、すぐに走り出した。

 ――来る!

 男が走り出した先、それは間違いなくエレティコの下だ。弓矢が放たれた丘を目指している。森の中を疾走する影が近付いてくる。

 この場所にはいられない。エレティコはそう判断し、ミゴンの街へと退いた。木の枝を蹴り、跳ぶ様に森を駆ける。常人ならばこれで撒ける。しかし、男の気配を一向に拭うことが出来ない。

 ――追いつかれる。

 男の気配が間近に迫る。姿は見えないが、男の視線が貫くようにエレティコに向けられている。そして、不意にゾクリとした感覚がエレティコを襲った。

 死の気配がエレティコを包む。本能に従い足を止め、身をかがめる。すると、一瞬前までエレティコの胸があった場所を銀色の刃が空気を切り裂いて通過していった。

 直剣は木の幹に深く刺さり若葉を散らした。そして、揺れる枝の上に着地する者がいた。

 男は静かにエレティコを見据えている。直剣を抜き取り、ゆっくりと構えた。木の枝という不安定な足場にも拘らず、男は体勢を崩すことなく踏み込んだ。瞬間、エレティコは男の一閃を回避するために跳んだ。

 エレティコの足場だった木が大きな音を立てて倒れていく。鳥たちが飛び立ち獣たちも逃げ出していく。

 接近戦では勝ち目がない。エレティコはそう結論付ける。中距離以上での戦闘と援護を本分とするエレティコでは男には勝てない。彼女自身一番分かっている事実だ。しかし、それでも諦めるわけにはいかない。魔族と戦う勇者の仲間として勇敢に戦う。手の内を知られていない一撃目が勝負だ。

 空の手で弦を引く。空中を漂う鮮やかな黄色が形を帯びてゆき、無数の弓矢となりエレティコの右手に集まる。男に照準を定め、放つ。

 扇状に広がる弓矢たちが男に吸い込まれるような軌跡を描く。一振りの直剣では到底払いきれない角度だ。飛び退く男に追い打ちをかけるべくエレティコは体勢を低くして、跳躍に備える。

 しかし、男は慌てることなく迫りくる弓矢を見切り、直剣を地面に突き立て振り上げた。風圧と土砂に弓矢が巻き込まれる。実体がなく威力の低い弓矢では二つの壁を突破できなかった。

 あまりの出来事にエレティコの脚から自然と力が抜けていた。信じられなかった。普通ならば弓矢を恐れて飛び退くはずの場面だ。ワザと作られた退路に敵は飛び込み、エレティコ自身が攻撃を加える。しかし、男はそれを見抜いていたというのか。

 男は一瞬の油断を見逃さなかった。エレティコのいる枝に直剣を投げると、すぐさま間合いを詰めてくる。エレティコは不意に無くなった足場に体勢を崩しながら落下していた。仰向けで眺めた緑の天井に男の影が映る。光を浴びて輝く刃がエレティコの胸に狙いを定める。避けなければ訪れるのは死のみだ。

 しかし、助かった。エレティコはそう思った。男の狙いが落下の直後だったのが幸いだった。体勢を変えて、地面を向く。

 そして、落下と同時に地面を叩き、反動を利用してその場から離脱する。

「あうっ!」

 右腕を痛めたが、死ぬよりかは遥かに良い。

 男は地面に深く突き刺さった直剣を抜くと、再び構えた。

 ――やっぱりここで戦っても勝てない

 接近戦では勝てない。それは、この僅かな間で痛感している。しかし、勝機が潰えたわけではない。条件さえ揃えばエレティコでも一矢報いることはできる。魔王を討伐するのは出来なくても、この男を倒せば十分勝利と言えるだろう。

 場所を変える必要がある。そう思ったエレティコは迅速に行動を開始した。男が動くその前に。

 腰のポーチから小さな筒を取り出し、火をつけた。筒は勢いよく燃え上がり、それと同時に大量の煙を吐き出し始めた。逃走用の発煙筒だ。

 男の目をくらまし、ミゴンまで撤退する。男は奇襲に備えて警戒するが、エレティコの気配が遠ざかるのを感じると、すぐさま後を追った。

 ――掛かった!

 背後の男を確認してエレティコは思った。あとは逃げる様に男を誘導するだけだ。

 森を抜け、ミゴンの街へと足を踏み入れる。魔族軍はまだ来ていない。しかし、すぐにミゴンを侵略するだろう。もう時間はあまり無い。

 エレティコは戦闘に最適な場所を探す。密閉された屋内。それも逃げ場のないほどの小さな部屋。攻撃が遮られない様に家具は無い方が良い。

 家屋の屋根を移動しながら、物色をする。そして、街を逃げ回りながらエレティコは見つけた。主のいない空き家。レンガ造りの一階に位置し、例え男であろうとも、そう簡単に建物ごと斬り倒すことはできない。

 窓を破り、室内に飛び込む。日光に照らされた室内は埃が舞っていた。むき出しのレンガ壁以外には何もない。大きさはちょうどいい。条件は整った。

 男はエレティコの後を追って室内に足を踏み入れる。そして、逃げ回っていたはずのエレティコが纏う気配の違いに気付き、警戒心を顕わにした。

「あなたもここまでです」

 エレティコは男に向かって話しかける。窓を背にしている男に攻撃しても、逃げられるのは目に見えている。もっと部屋の中央に誘導する必要があった。

 空の手で弦を引くエレティコに男がゆっくりと近付く。直剣を絶え間なく構え、どんな攻撃が来ようとも即座に反応してみせる気だ。

「あなたは私、勇者ライード・インシオンに仕える遊撃士エレティコ・リウランジャが倒します!」

 漆黒の瞳が男を射抜く。その時、それまで何の反応もしなかった男の表情が僅かに変わった。

「……勇者」

 男は僅かだが確かに動揺していた。その一瞬を見逃さずにエレティコは仕掛ける。

 ――今度こそ、倒す!

 空の右手が輝きを纏う。そして、弓は扇状に無数の矢を放つ。男は先ほどと同じように直剣を突き立てようとした。しかし、エレティコの動きは止まらない。

 ――逃がさない!

 エレティコは跳躍し、天井へと着地する。上下が逆さになり、重さを感じさせない身のこなし。そして、落下が始める前に再び輝く矢を放ち、跳躍する。

 縦横無尽に室内を跳び回る。そして、無数の矢を放ち幾重もの矢の結界を作り出す。

 男に前後左右そして、頭上から矢が襲い掛かる。今度こそ直剣一本では対応しきれない圧倒的な物量。男のシルエットが黄色に輝く矢で覆われる。一本一本の威力は低いが無数の矢が突き刺さればただでは済まない。

 輝く矢が霧散していき、徐々に男が姿を現す。その姿は身体の至る所から血が出ている。もう動けない。エレティコはそう思った。しかし、それは誤りだった。

 男は身体を弱らせながらもエレティコを睨んでいた。そして、獣の様な咆哮を上げる。

「邪魔を、するなぁぁぁぁ!!」

 男の気迫に身体が強張っていた。今まで戦闘の前線に立つことがなかったエレティコは、むき出しの敵意がこんなにも恐ろしいものだと初めて知った。

 男はエレティコの隙を見逃さず、一瞬で間合いを詰めた。そして、彼女の右腕に直剣を突き刺した。

「――ぐぅっ!」

 感じたことのない痛みがエレティコを襲う。刃を身体に突き立てられるのは人生において初めてだった。刺された場所が冷たい様な熱い様な感覚に包まれる。血管が脈打つのを大きく感じる。

 瞳には涙が滲み、今すぐにでも泣き出しそうだった。それでも、エレティコは泣き叫ぶことはしなかった。

 ――逃げないと!

 男を倒すことは出来ない。そう判断し、エレティコは逃走を開始する。

 ――発煙筒はさっき使ったせいで隙を作れない。だったら……

 痛みに耐え、左手でポーチから球体の物体を取り出す。そして、それを地面に叩きつける。それと同時に周囲が激しい炸裂音と光に包まれた。

 ――今のうちに!

 発光球で生まれた男の隙を突いてエレティコは右腕を直剣から抜き取った。身体の中から異物が消えていく。しかし、残るのは激痛だった。

「……はぁ……はぁ……」

 エレティコは男の視力が回復する前に空き家から飛び出し、ミゴンの街に紛れた。

 ――あの人、強い……

 エレティコは直感していた。あの茶髪の剣士を倒さない限り魔王には近づけない。そして、あの男を倒せないのでは魔王とは戦いにすらならないと。

 右腕を止血し、振り返る。魔族軍がすぐそこまで来ている。もうすぐミゴンは蹂躙される。住民はいないとはいえ、人々の、エレティコの故郷が破壊される。

「ごめんなさい、お母さん……」

 エレティコは涙を堪え、王都への道を辿った。

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