19
視界は保っている。しかし、身体が動かない。黒煙が立ち込める空が広がっている。遠くの戦火の音が雨の様に降り注いでくる。阿鼻叫喚の渦中。地獄の様な光景だった。
ライードはふと思った。
魔王は復活し、戦っているのは王都軍の一部の兵力だけとはいえ、王都を壊滅させられた。この戦いは人類の負けだ。
――だったら、もう戦わなくていいのか?――
戦いを放棄すればどれだけ楽になれるんだろう。そんな思いが脳裏を過ぎる。しかし、
――いや、そんなことはない――
それは出来ない。自分は戦わなければならない。
――なんで戦うんだ?――
なぜ自分は戦うのか。ライードは再び自問する。しかし、その答えは魔族と戦う旅の中ですでに見つかっている。
直剣はまだ握っている。決して手放しはしない。ライードの闘志はまだ消えていない。
――俺は勇者なんだ!――
叫びが己の中で木霊する。己を鼓舞する為の叫び。己の存在意義を証明する為の叫び。人類の希望を背負った叫び。
――立て! 立ち上がって、魔王を討つんだっ!!――
身体が動く。震える脚で大地を踏み締め、悲鳴を上げる両腕が直剣を構える。全ての人間の希望を背負いライードは立ち上がる。決して敗れるわけにはいかない。ここで彼が倒れれば、人類は完全に敗北する。
「俺は……負けるわけには、いかないんだ!」
誰かに必要とされる。それだけがライードを突き動かす。自身を否定されるスラム街で生まれ育った彼だからこそ、誰よりもその感情に飢えている。酷くちっぽけで個人的な意志。それこそが、ライードが勇者として存在する理由だ。
目の前で魔王が不敵な笑みを浮かべる。自然と恐怖心はなかった。
「立ち上がるか……」
呼吸を整え、ライードは心を落ち着かせた。激情に身を任せれば返り討ちに合うだけだ。冷静に力を使いこなせばいい。
想いは力となり全身を駆け巡る。周囲に発生した赤黒いモヤがライードの身体へと流れ込んでいく。両腕両脚が禍々しいオーラを放っていく。
――速く。もっと速く――
身体を低く低く構える。地面に触れる瞬間、ライードは大地を蹴る。
爆発音に似た轟音を響かせライードはレイナへと肉薄する。
「ハッ!?」
その速さはレイナすら反応が遅れるほどだった。
レイナの腕を斬りつける。血飛沫が舞い、地面を濡らす。それでも、ライードは動きを止めなかった。
四肢を斬り、レイナを追い詰めていく。ライードは全てを支配していた。絶大な腕力はいらない、速く正確に敵の急所に狙いを定める。
しかし、そんなライードに迫る影があった。レイナをも上回る高速の世界に一人だけ追いついてきた。
「アース・グラーヴォノエ!」
ライードと互角の速さをもってアースが立ち塞がる。
「お前を見ていると、二年前の自分を見ている様だよ」
アースは二年前の自分と今のライードを重ねていた。目的は違えど、勇者として魔王と戦うということ。
だからこそ、二年前と同じ結末にしてはならないと思った。
レイナが倒される心配はしていないが、今のライードはレイナの高みに辿り着きつつあった。何か小さな切っ掛けがあればライードはレイナに追い付いてしまう。それだけは絶対に阻止しなければならない。アースは二年前に救えなかったレイナを守ると誓ったのだ。
「俺はアンタとは違うんだ! 俺は人類の勇者なんだッ!」
ライードの斬撃が一層鋭さを増す。素手のアースでは到底太刀打ちできないが、退くわけにはいかなかった。
直剣を避け、拳撃を繰り出すが、すでにライードの姿はそこに無い。
アースの背後を取ったライードが刃を振り下ろす。斬撃を浴びたアースの背中に血が滲むが、彼は気にも留めない。振り向きざまに蹴りを放つ。
「ぐっ!」
――なんて強さだ――
内蔵を直接攻撃されている様に重い打撃が繰り出される。一撃もらうごとに脚が重くなり、気が遠くなる。しかし、それはアースも同じだった。
互いに連戦を続け、大きく消耗している。足元はふらつき、肩で息をしている。
「邪魔を……するな!」
「負けられ……ないんだ!」
最後の力を振り絞り、両者がぶつかる。
ライードの振り下ろしをアースが弾く。しかし、ライードは既に直剣から手を放していた。がら空きの胴体へと渾身の拳撃を叩き込む。
――決まった!――
痛みを逃がそうとアースの身体がくの字に折れる。しかし、闘志はいまだ折れていない。譲れない意思を宿した眼光は鋭く、ライードを射抜いていた。
「ああああああっ!!」
ライードの顎をアースの拳が打ち抜く。脳を揺さぶる一撃だったが、寸前の所で意識を繋ぎとめる。
互いに避けることも防御することもしない。交互に全力の一撃を放ち続ける。そしてついに、
「「うおおおおぉぉぉぉッ!!」」
二人の拳は互いの顔面に直撃する。同時に動きが止まる。ライードは意識を失った。天を仰ぐように倒れる。すでに焦点は合っていない。一方でアースは意識を留めてはいた。しかし、もう自分一人では指一本動かすことが出来ないほどに消耗していた。両膝を着き、ただライードを見つめていた。
「……ふざけた奴だ」
アースは小さく呟いた。昔の自分を重ねた男に向かって。この男がこれからどうなっていくか、アースはそれが少しだけ楽しみだった。しかし、アースにとってライードは脅威となる存在だ。今ここで殺さなければならない。
「……アース」
近くにレイナが来ていた。傷を負っているが人間を一人殺す程度なら問題ない。レイナもそれは分かっている。
「この戦いは私たちの、勝ちだね」
レイナがライードに近付く。のど元へ狙いを定める。そして、手刀を振り下ろそうとした時だった。
「――っ!」
レイナを襲う一撃。白銀の盾がレイナ目掛けて飛んできた。
白銀の盾を弾き、その人物へ視線を送る。
「その人を、殺させるわけには……いきません」
金髪の騎士がふらつきながらも自らの足で立ち、武器を構えていた。
「その人は人類の希望なんです。私の命と引き換えにしても守ります」
ユースティアは迷うことなく口にする。
一度は捨てた命。既にこの命は自分の物ではない。ライードを守るという唯一与えらた使命。その使命を遂行する為だけに存在する物だ。決意を帯びた眼が物語る。
「…………」
レイナの動きが止まる。ユースティアとの距離は数メートル。阻止される前にライードの命を奪うことは可能だ。しかし、彼女の決意がレイナの行動を鈍らせる。
二人が睨み合う。そして、レイナは手を引いた。ユースティアの後ろ。レベリオとエレティコまでもが立ち上がってきたからだ。
満身創痍の二人だったが、互いに決意を持った眼をしていた。
「――――ちっ」
レイナは圧倒されていた。一人一人は取るに足らない存在だ。しかし、今の三人はレイナにとって確かな脅威だった。
いま、この男は殺せない。そう直感した。
「レイナ、時間切れだ」
僅かに回復したアースが声を上げる。周囲を見れば城壁が限界を迎えていた。崩壊を始める城内。たとえレイナといえど、傷を負った状態で崩落に巻き込まれればただでは済まない。
「……わかった」
レイナは身を引き、アースの許に戻った。それと同時にユースティアがライードの許へ駆け寄った。
二つの陣営が互いを見つめる。それを遮る様に一際大きな落石があった。轟音と共に周囲は土煙に包まれる。
土煙が晴れる頃にはアースとレイナの姿はなかった。ユースティアは脅威が去ったことに安堵の息を漏らした。しかし、現状は芳しくなかった。
「ユースティア、さっさと逃げるぞっ!」
レベリオの怒声が響く。エレティコは脱出の糸口を探すべく周辺に目を配らせていた。
ユースティアはライードの肩を担ぎ、立ち上がる。ぐったりとした身体からは力を感じない。一人ではとても生きていけない小さな存在の様な気がした。
「ユースティア、そいつは任せたぞ。エレティコは援護に回れ、俺が道を造ってやる」
レベリオが右の拳を掲げて宣言する。
「はいっ」
エレティコが希望に満ちた顔で答える。
「えぇ。全員で生き残りましょう」
ユースティアは未来を信じて頷いた。




