残り……04:21分
太陽の日差しが強く当たり、カサカサに乾ききった土の上。そこに、目を細めて微かな風に白い毛をなびかせていたのは他ならぬ犬神だった。体が熱くなったのを感じると、大きくあくびをした。愛らしい顔にしてギャップを感じる、狼のような鋭い牙が全て顕になった。
そして、寝返りをしようとした時である。微かだった風は、一瞬、強風となりイヴは片方の目を閉じた。
もう片方の目の先に、いつもと違う真剣な表情を浮かべ、足を浮かせたような足取りで駆け走る男がいた。
イヴは、この男がカゲンだと直ぐにみとめると、寝返りをすることを辞めて立ち上がった。
彼は、論なく、辺りの景色が薄汚く汚れている中を突っ走っていた。夢中に突っ走っていると、足が浮いたような感覚に襲われる。
ジュノが最後にいた、アラハバキの鉄の家へ向かう。何があったのか、彼女は話さなかった。
辺りは、他国からわざわざやって来た物作りの神や、修復の神の手により、工事が進んでいる様子だろうが、その姿に目を呉れる程の余裕は全くなかった。
忙しなく働く彼らの声は、様々な声が入り混じり全く聞き取ることが出来ない。
かなりの量の神がいるのか、結構な仕事の量に追われているのか。
足を止めず突き進めば、先ほどの、騒々しい声は全く届かなくなっていた。
目の先を見れば、厄介な鉄の塊で出来上がった廃墟が佇んでいる。直ぐに駆けて行き足を止めると、クレイジーな奴が作り上げたこの家を見た。
そして、一つ、気が付いた。
これ程の頑丈な鉄で家を作ったのには、変人ならではの頭脳で、考えがあったのだろう。絶対にどんなことが起ころうと、この鉄の家は壊すことが出来ない。
この、アラハバキの考えは、風変わりだ。平和なアムール国で、ここまで頑丈な家に住んでいたのは、アラハバキだけだろうから。
どうやら奴は、余程の臆病者らしい。
しかし、ジュノをここへ連れてきた者は、驚く程に勘が鋭いのか、それとも、わざわざ、このように頑丈に出来上がった廃墟を場所に選ぶとなると、闇の精霊達の封印を解いた犯人である可能性は大いに有りそうだ。
カゲンは、微かに開かれた鉄のドアを徐に開き、中へ入った。
薄暗い部屋の中、まず目に入るのは、空になった薬の瓶が投げやりに置かれてある凸凹の鉄テーブル、冷ややかな鉄の壁に付けられているのは、頭が打たれたように煩く一秒一秒響き続ける奇妙な鉄時計だ。
カゲンは、それを確認すると直ぐに、きょろきょろ目を動かし周囲を見渡した。
するとテーブルから真正面にある鉄壁に、怪しげなものが取り付けてあるのが見つかった。
それは、鉄製の手枷足枷胴枷だった。カゲンは、眉をひそめる。
「なんて残酷な……アラハバキは相当クレイジーな奴だな」
いや、まてよ――この残酷グッズの胴枷部分にウェーブのかけられた真っ黒な髪の毛を一本見つけた。カゲンは、その髪の毛を親指と人差し指でつかみとる。
「ジュノ……」
他には考えられない。きっと、彼女はコイツに嵌められていたんだ。
カゲンは髪の毛を床に落とすと、ふたたび周囲を見渡した。残酷グッズから右に振り向くと、その先には、何かの部屋があった。ドアは大人の指四本分のすき間が空いている。カゲンは直ぐに歩み寄り、ドアの壁に手をかけて限界まで開くと中へ入った。
ドアから入って、左手の壁際には細長い鉄の棚がある。その上には、凸凹としていてヘンテコな鉄の電話機が置かれてあった。部屋の中央の鉄テーブルの上には、意味のわからない鉄くずがいくつも散らかっている。その中に、誰かの似顔絵が描かれた《危険人物》や《罪人》と書いてある紙が何枚か置かれてあった。
「なんだこりゃ」
カゲンはそう言って、眉をひそめながら上部分に《危険人物》と書かれた紙を手にとった。そこに描かれている人物は、片耳にいくつものピアスをしたいかにも怖そうな雰囲気の黒坊男だった。その似顔絵のすぐしたには、《アガリア》という名前が書いてある。ほかの紙も一通り見ようと、アガリアの描かれた紙をテーブルに戻した。カゲンは、コピー機のように素早く紙を手で擦ってずらしていくと、《罪人》と上部分に書かれた紙を見るなりピタリと手を止めた。カゲンは、その紙に描かれている人物は、他ならぬジュノだと直ぐにみとめたのだ。ウェーブのかかった髪型や、ほりの深い目元、落ち着いた雰囲気は彼女そのものである。似顔絵の下には、やはり《ジュノ》と書かれてあった。
「罪人? まさか、そんな」
そう言って、ジュノの描かれた紙を手にとり、数秒見つめると、裏返してみた。すると、そこには真ん中の左側に小さい文字でメモが書いてあった。それには、こう書かれてある。
《あの方を無敵にするためには、この女を罪人にして処刑に》
カゲンの手は震えだした。誰がこんなことを考える? そもそも、あの方ってどの方だ? これは、アラハバキではないな。ジュノはアラハバキが生きていた頃、まだ産まれていない筈なのだ。これは、ジュノをここに連れこんだ奴の可能性が格段に上がった。他にも、何か手がかりになるものがないだろうか? 左を振り向き、ついで、右を振り向く。すると、右手に白いものがちらりと視界に入ったので、これは何かとくるりと体ごと右へ向けた。
そこには、犬神のごとく純白の毛を有した他ならぬイヴだった。カゲンは、目を丸くする。
「いつからいたんだ。気配もなかったし……お前は幽霊か!」
「よく言われるお決まりの言葉だな。言いたければ言えばいい。私は汝の力になりたいだけなのだ。汝、焦っているようだな。また、女王に特別な指令でも出されたのだろう」
「ああ、それも飛びっきりのな」いったん言葉を切り、「闇の精霊・封印の扉を開いた犯人の証拠を日が沈むまでに掴まなければならない。時間が過ぎれば、ジュノは死ぬ」
それを聞いたイヴは、目が鋭くなった。
「たぶん、ジュノをここに連れこんだ奴の可能性が高い。これを見ろ」
カゲンは、そう言って手に持っていたジュノの似顔絵が描かれた紙をイヴに見せた。
「これが、この部屋の中にあった。ここの住人だったアラハバキはジュノが生まれるずっと前に死んでいるんだ」
「つまり、誰かが持ち込んだものと言うわけだな」
イヴは、そう言い出すと持ち前のよく効く鼻で、周囲の匂いを嗅きだした。
「男だ。一人は酒の香りが、もう一人は独特な異臭がする。恐らく、居酒屋で働いている者か常連客、もう一人は邪神だろう。その邪神はひょっとすると、常に神が死ぬような場所や殺し屋の神と関わりを持っている、もしくは奴自身が殺し屋の可能性もありうるだろう。死体独特の香りも入り交じっているからな」
「なら、こいつらみんなグルか……?」
そう言って、カゲンは《アガリア》という名前の書かれた紙を見つめた。
「可能性としてはな。私には、心当たりのある男が一人いる。ナキアだ」
イヴの発言を聞いた途端に、カゲンは再びイヴの方に目線を戻した。
「あの邪神は、常に怪しかった。あの遺跡で封鎖されたはずのヴァイス帝国への通路を何らかの形で通り抜けた件に関してもな。ヴァイス帝国と裏でつながっていたのかも知れぬ」
「ああ! だが、証拠なるものがない」
「だから、見つけに行くのだろう!」
イヴは、大きく低い声を張り上げた。
その後、カゲンとイヴはアムール全土を手ばやい動きで情報を収集していった――それらの情報は全て人から得たものである――が、一向に解る気配の一片もなく、最終的にはここらでグズグズど焦るばかりではいかんとして、イヴはナキアの故郷であるユグドラシルへ向かい何か情報を得ようと考えた。そして、その為には最短の移動手段が不可欠となることも事実である。