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処刑場

「......ジュノ。あそこで何があった?」


「............私は」


......彼女の口が途絶える。言いにくそうだ。


しかし、言わなければ。言わなければならない。あそこであった事を......。


そうして、彼女は言葉を発そうと、彼女の口は、おもむろに開く。


「......っ」


............しかし、突然の事、城に仕える家来の者達二人は、こちらを見るなり、近づいて来る。


綺麗な身のこなしから、それに、間違いない。


内、一人はジュノの前に立ち、こう言った。


「ゔうん! これより、この闇の女神は処刑とする」


全身が氷ついた様に、ひんやりと感じたのは、私だけだろうか......?


こんなにも、目の前の現実が夢である事を心から願ったことがあったろうか。


彼女の前に立ちはだかった城の家来達の向こう側......カゲンはようやく、二体の闇の精霊を焼き殺した頃である。耳を疑ったカゲンは、こう言った。


「何かの間違えだろう?」


髭の生やした小太りの方の家来は、彼に振り向き、言った。


「これで、間違えだと思うかい? よく見てみなさい。この有り様を。ヴィーナス女王様からのご命令を受けたのだ」


やせ形の平凡な顔付きの方の家来は、ジュノに向かって、言った。


「さあ、着いてくるのだよ」


そして、この家来は、ジュノの華奢な腕にしっかりと茨の手錠をはめた。


ようやく、鉄の家から解放されて、またこれか。何の為にエンデュに救ってもらったのかを考えて、彼には申し訳なく思う。


エンデュは、プルプルと眉を震わせ、イヴは、敵を見やるかの様に、目を細めた。





 ヴィーナスと言えど、これには許しがたい。


彼女の顔を見ていれば、よく分かる。


彼女は何もしていない。何も悪くないのだ。


犬の私でも、それくらいの事なら、見れば、分かるぞ。




 ジュノと、ジュノの周りにしっかりと付きまといながら何処かへと進んで行く、彼らは、カゲンの前を横切る。この時、彼の赤い髪は、この衝撃の風で微かに揺れ動いた。


カゲンは、しかめっ面で、見えなくなるまで、家来達を睨み付けた。



 無心に、彼女は歩き続けた。ただ、ぼんやりと見つめていたのは、地面である。


少し、湿った土の地面。この上に、小さな石ころは大量に転がっている。真緑色の美しい草は、この時、単なる、緑色に色付けされた細い紙切れのようにしか、見えなかった。


すると、突然、家来達は止まる。


ジュノは、それに合わせ、足を止めた。


ぼんやりと無気力な目を、真っ正面に向ける。そこにあったのは、奇妙な扉。この扉には、見覚えがある。


 木々が生い茂る、この場所に立てられたその扉は......とても頑丈な貴金属で出来ており、良く見れば細かくネジが一万と埋め込まれているのがわかる。


そうだ......この扉は......


《闇の精霊・封印の扉》



 なぜそれを、私は、忘れているのか?


自分で自分を疑問にぶつける。




しかし、この門、微かに扉が開かれている。ストーンが溶けていた影響で、薬の魔力が弱まったのだろう。


まさに、恐れていた自体である。


「さて、ジュノ。そろそろ、闇の精霊達をこの扉に戻してやりなさい」


やせ形の方の家来は、そう言った。


しかし、彼女は、眉間にしわをよせ、鋭く彼を睨み付けると、ムキになった口調で、言った。


「薬が必要だわ!」


「まあまあ、ムキにならんでも、ここにあるわい」


小太りの方の家来はそう言って、高価そうな毛皮のコートから小さな瓶を、小指を立てて、取り出した。


色は、深い緑色。確かにこの薬で間違えはない。


すると、もう一人の家来は、茨の手錠をするすると解いた。彼女の両手は軽くなる。


ジュノは睨みつけて、小太りの家来のゴツゴツした手から、瓶を乱暴に取り上げた。


まだ、この瓶は温かい。作り立てである事が良く分かる。


ジュノは、心が剥がれ落ちそうな気持ちを胸に閉じ込めて、目を固く瞑った。





 もう、失敗はしない。


ストーンが溶けてから一ヶ月と数週間が過ぎた。


私は、ストーンを元に戻す為に、人間界へ向かい、松雪総合病院の病室で会った横山 翔と言う少年に、力を借り、無事にストーンは元に戻った。


彼の力なくて、今の私は居ないだろう。


彼の心は、ここに宿されている。


だから、彼の命を無駄には、しない。


だから、私が、失敗する事は許されない。




少なくとも、ジュノの本心の中では、そう思っていた。



 瓶に入っていた液体は、独りでに瓶から逃げ出すと、ふんわりキラキラと、それは舞い、星の粒の様に煌めきを放っていた。


あまりの美しい輝きに、家来の二人は、思わず、目を奪われた。


星の輝きの様な、薬の粒は、微かに開かれた門の中へ、磁石の様に、すうっと吸い込まれて行った。


直後、辺りから、ざわめく物音が鼓膜を突き抜けるほど、よく聞こえた。


闇の精霊達は、こちらへ押し寄せて来る。しかし、表情は、朦朧としていた。薬の魔力で、彼らは操られているのである。


この薬を使いこなせる神は、彼女の他、いない。


ざわめく彼らの物音は、先程より増して、激しくなった。その数、百、二百と見る見る内に、溢れかえっていた。


彼らは、門へと、一目散にドタバタと羽をうるさく鳴らしながら、入り込んで行く……。


あまりの数の多さに、小太りの家来は、太陽の光を見ている様な感覚に襲われた。目がチカチカとし、彼は、きつく、目を細める。


しかし、ジュノはびくともしない。ただ、彼らが門の中へ一目散に入って行く衝撃、ウェーブのかかった黒髪が、波のように揺れ動いていた。


ザワザワと耳に届く物音が、たちまち止むと、彼女は、おもむろに片方の目を少し、開いた。


奇妙な程、ネジが大量に打ち込まれた門は、一つの音も立てず、静まり返っている。



 ……大丈夫。たった今、彼らは封印された。


もう、心配事はいらない。大丈夫……大丈夫。



そう、自分自身に言い聞かせると、彼女は、ぱっと目を開いた。



 彼女は、ただ、目の前の門を重たく見詰める。


この時、手首がチクチクとした感覚が走った。見やれば、茨の手錠に再び、取り付けられていた。


「進め」


痩せた家来は、お固い口調で、言った。


もう、黙って従う他、ない。


ジュノは、操り人形の様に無心、無言、無表情に、足を進めだした。


目の先は、相変わらず綺麗な真緑色の草と土と小さく真っ白な花ばかり。


前に顔を上げる力すら、無かった。


ひたすら歩いて行くと、足元の景色は、触れればヒンヤリとしそうな頑丈なタイルの床に、変わっていた。


家来達が足を止め、彼女は足を止めた。


おもむろに、顔を上げ、虚ろな瞳を目の前に向けた。


 背筋が凍り付いた。砕けた心は、更に砕け、涙と言うものを無くした。


ヴィーナスを通り越した、真っ直ぐ先の向こうに見えるのは、死刑囚に使われる、頑丈に作り込まれた特別な処刑台だった。


「……何をボケっとつっ立っているのだ。ジュノを、あの、処刑台へ」


ヴィーナスは、眉を上げ、きつい口調で言った。


「はっ」


そして、再び、家来に連れられるがまま、華奢な足を前に進めた。


この時、カチリとした物音が響き渡った気がする。


台の上は、寂れている。サビの臭いはプンプンと漂っていた。いや、これは、独特な鉄の臭いだった。良く見れば、深々とした赤い水滴が所々に、こびり付いている。これが、異臭の正体だ。


彼女は、家来により、手足胴体をしっかりと処刑台に取り付けられた、頑丈な手枷足枷、胴枷に嵌められた。


まさか、今日この日、二度に渡り、体を奇妙な道具によって嵌められる事になるとは。変な意味で、吹き出してしまいそうになる。



 ……処刑台とは、こういうものなのか?



愛もなく、ただ、冷酷な目線を送られて……今まで、何十人もの神の命がここで絶ったことだろう。



私も、同じ様に……恐らくは。



 その時だった。


彼らは、ようやく、追いついたようだ。


二人の顔は、険しく成り変わっており、汗が滴っているのが、ここからでも良く分かる。


「反対、反対! ありえないっつーの」


カゲンは、気さくな口調で言う。


そのお陰で、この場の空気は一気に、それでも僅かだが、彼女には、軽くなった様な気がした。


「何もしてないじゃないか。彼女は、よく、頑張ってたよ! なのに……どうして!」


カゲンの声は、処刑場中に鳴り響く。


そう、ストーンが溶けた影響で力が弱まっていただけの事。別に、彼女に罪はない。


だが、


「よく聞くのだ。カゲンよ。神の世界のしきたり、規則。まさか、忘れた訳ではあるまい。ゼウスが作り上げたこの世界、この決まり事。逆らう事は、決して許されない。この者は、仕事を成し遂げられ無き神を罪とする値に、値している事には言うまでもない。……ただ、闇の精霊・封印の扉を開いた人物がいたと考えられる事も出来ない訳ではなかった。……だが、ゼウスからお告げを受けたのだ。この者を処刑するに値するとな」


 ……すまない。


とは、言えなかった。


ヴィーナスの表情は、不自然だった。歪んでいる。


ヴィーナス自身、心が裂けたかと思った。この様な感覚は、あの者を殺そうとした時の感覚とよく似ている。あの者は、本来、いい神だった。だからなのか? ジュノに対しても似たような感覚に襲われる。


「そんなの……嘘だよ。嘘って言えよ」


カゲンの、頭の中の色は真っ赤だった。同時に、悲しみも込上がっている事は、口調でよく分かる。


「ええい! 喧しい!」


痩せた方の家来の声が、鳴り響いた。


家来二人組は、カゲンの腕をそれぞれ一方、一方に持つと、勢い良く、カゲンを外に連れ出して行く。


カゲンは、足を連れ出されまいと、必死に力強く床に押し付けていたものの、ただ、ズリズリとした音が鳴り響くだけだった。


……やがて、処刑場は、先程の重苦しい空気に、再び、成り変わった。


今まで、冷静だったエンデュは、思わず頭を抱える。



一体、どうしたら……。




ジュノは、無感情な瞳で、足元の景色のみを見詰めた。


一人の、背の小さい、しょうゆ顔をした家来は、ヴィーナスの耳元で呟いた。


「……そろそろ、時間では」


ヴィーナスは、冷静な表情で、ただ、頷くと、右手側に座り込む大勢の神々の方を見やり、言った。


「アグライア」


ヴィーナスに呼ばれた声に、一人の女神は立ち上がる。


爆発した様な天然パーマのボサボサ頭は、丸で、雷に撃たれたようだった。それに、服装はかなり露出が多い。短パンに、奇妙な柄のキャミソール、真っ黒なレザー生地のロングブーツを着飾っていた。


彼女は、無言で、ヴィーナスの近くへと歩いて行く。筋肉質の足が、ドシドシと音が鳴り響いていた。


彼女は、短パンのポケットに片手を突っ込みながら、ヴィーナスの光が消えた様な目を見た。


心底、笑っている様な表情を浮かべているのが、処刑台からでもはっきりと分かる。


ジュノは、下唇を噛み締めた。


「光栄だわ。アタシが、あの闇の女神を殺せる事にね」


そう言って、アグライアは、品の欠片もない不潔な笑顔を浮かべた。


エンデュは、眉をひそめる。彼女の笑顔には、熱が入るように憎いものを感じた。


今も尚、アグライア。短パンのポケットに手を突っ込みながら、ヴィーナスの光を失った様な瞳をどうとも思わず、見下ろす。


ヴィーナスは、心を抜き取られた人の様に、無感情な表情を浮かべている。顔は、仮面の様に、ピクリとも動かさない。目の前に居る、アグライアが目に見えている筈が、見えている様に感じる事がない。辺りが、暗闇に包まれる様なそんな感覚を彼女は覚えた。


しかし、おもむろに口を開いた。


「心構えはできているか」


この、冷静な口調のみ、しっかりした感情を感じ取れた。


アグライアは、片方の口角を上げると、鼻で笑った。


「女王様、アタシを誰だと思ってるの? 心配しないで頂戴。直ぐに終わらせるわ」


彼女は、そう言うと、虚ろな表情を浮かべているジュノを見やり、くるりと処刑台の方へ体の向きを変えた。両手を胸の前に構え、ジュノを鋭く釣り上がった目で、睨みつける。


エンデュの額から、冷や汗がたらりと流れた。


ふと、ジュノとアグライアの丁度真ん中に、瓶が落ちているのが見える。それは、鏡粉だった。きっと、彼女はこれを想定して、ライト・ノーノ先生に……。


不潔に微笑みながら、彼女は呟いた。


「……黄泉の国へ、さようなら」


アグライアの両手から気は溢れ出した。その眩い光は、見る見る大きく広がっていく……。見ている事が出来なくなる光の強さだった。


 咄嗟に、エンデュは全力で駆け出した。光から、鋭い痛みが眼球に走る。彼は、片方の腕を目の上に被せながら、駆け走っていた。光に埋もれる様に落ちている瓶が見付かると、無我夢中で、彼は、瓶を蹴り飛ばした。瓶は、宙に浮き、一秒も立たずに、熱く化した床に落ちてゆく。床に付いた衝撃で、瓶にひびが入り、大きく割れ、砕け散った。この大きな物音は処刑場中に鳴り響いた。


 中に入っていた鏡粉が溢れんばかりに流れ出る。鏡粉は、丸で、意志を持つ様に、反射的にミラーのバリアを張り出した。大きな鏡と化した鏡粉が、アグライアの光の気を弾き返す。光は、アグライアに向けて一直線に眩い光を放った。


アグライアは、ぎくりとする。


一瞬にして、光は彼女を取り巻き始めた。体中、溶けるように熱い光がまとわりついた。アグライアは、聞き苦しい叫び声を上げる。


 瓶を蹴り上げた衝撃に、足を滑らせたエンデュ。彼は、叫び声を上げるアグライアを険しい表情を浮かべながら見詰めると、片手を床に付け、背中を起き上がらせた。


「ガー! ……ガー」


叫び声は、丸で、野獣の様だった。


激しい痛みに、体中が叫ぶ。彼女は、手を慌ただしく体中、撫で回していた。やがて、光の力は弱まっていった。彼女を取り巻く光は、瞬く間に萎んでいく。アグライアの、激しく鳴り響いていた鼓動の音は、だんだん、緩やかになっていった。


「……お前、何を」


エンデュが見やれば、アグライアはこちらを強く、睨み付け、微かな呟き声を漏らしていた。この声、憎しみが入り混じっている。


 しかし、冷静な表情を浮かべ、エンデュは立ち上がると、ただ、哀れなアグライアを見詰めた。ふと、床を見れば、大きく割れ、砕け散った鏡粉の瓶がある。


鏡粉……ここまでの威力を秘めているとは。彼は、知らなかった。咄嗟に、体が動き、とった行動は不幸中の幸いを呼んだようだ。


 ジュノは、一瞬の出来事に、声を失った。険しい表情を浮かべ、ぜーはー、と吐き息を付くアグライア。彼女は、見開いた目を瞬き一つせず、アグライアを見詰め、細やかな息の音を漏らした。



 ルーン少年は、口笛を軽快に鳴らしながら、補助輪付き自転車を漕いでいた。ハンドル部分には、緑色の風船が付いている。そこには、下手に目と口と鼻が黒のマジックペンで描かれていた。風に吹かれる度、風船はプカプカと踊っている。口笛のテンポとぴったりだ。


 こうして、いつも、目的も決めず自転車は走っている。理由は、単純。ルーン少年は、この自転車を気に入っているからだ。


 並木道抜けて、草原抜けた。


 ルーン少年は、焦げ臭い香りを感じると、口笛を軽快に鳴らしながら、その先を見る。目に見えたのは、炎の塊に包まれ、出られなくなった二人の王家に仕える家来の姿だった。


 思わず、ルーン少年。自転車を止めた。


 痩せた方の家来。パニックに陥り、小太り家来の腕を痛いほど締め付けていた。腕についた、脂肪のブヨブヨは運動不足を物語っている。


「どうするんだよお!」


それは、甲高い声で、震えた口調。


さらに、小太り家来の腕を引きちぎる程強く、締め付ける。


小太り家来。暑苦しさと焦りの入り混じった汗をだらだら垂らして、言った。


「その前に、お前、その手離せ!!」


 その間にも、見る見ると自分達を取り巻く炎は、メラメラと強さを増してゆく。二人のパニック状態は、極限に達した。顔が大きく歪む。


 ルーン少年は、炎のすぐ外に、あの男の姿が有るのを見つけた。


 あの男とは……カゲンのこと。


 彼は、余裕の表情を浮かべている。彼は、右手を大きく上げると、指パッチンした。同時に、炎は焜炉の様に、一瞬にして消える。


 開放された二人の家来は、ふらついている。服はボロボロ、頭はチリチリに。真っ黒焦げになった二人の顔からは、目を見開き、口を閉じる事を忘れてるのが良く分かる。ヘロヘロになった二人は、一秒も立つ前に、倒れ込んでしまった。二人の、ガクガク震えた足は、持ち堪えられなかったようだ。この衝撃、真緑色の草達が、のわっと揺れ動く。


 カゲンは、何事も無かった様に、ここから直ぐ先、処刑場へと向かい、颯爽と歩いて行った。


 ルーン少年は、目と口を大きく開いた。口を閉じる事も忘れている。



 ツンッと鋭い嘴の先を持つ、キツツキは、微風に流されるがまま、空を優雅に飛び回っていた。


 その時、偶然、美しい緑色の球体を目にしたキツツキは顔つきが変わった。

この球体に、一目惚れしたのだ。


 一目散に、キツツキは、方向転換をして、緑色の球体を目指した。


 たどり着き、球体に止まったキツツキ。

プカプカと踊る様に浮かんだ緑色の球体に、悪戯しようと、自慢の鋭い嘴で、一つ、突っ突いた。


 この瞬間に、パン!! と言う轟音が辺りに鳴り響いた。


 驚いたキツツキは、一目散に、何処かへ飛び立って行った。




 同時に、ルーン少年。


緑色の風船が割れた轟音で、思わず――「はっ!!!!」と、驚きの声を漏らす。


 この瞬間。ルーン少年は、我に返った。




 この、処刑場の空間、風は微かに入り込んだ。彼らの髪は風のまま、揺れ動く。


 徐ろに、ヴィーナスは口を開いた。


「……やはりか」


しっかりとした、冷静な口調だ。


「分かっていた。……初めから……分かっていた」


ヴィーナスのよく通った声は、処刑場の中、響き渡った。


「彼女のストーンには……人間の心が宿されている。彼女を殺せるのは……お前ではない」 


ヴィーナスは、アグライアに、真っ直ぐな瞳を向けた。


アグライアは、眉間にしわを寄せる。不機嫌そうだ。


この時。エンデュは、これまでに無い、肌寒い予感が――頭を過った。


まさか、であって欲しい。


ヴィーナスは、エンデュに視線を向けた。


「……エンデュ。お前も、分かっているはずだ。仕方が無いのだ……彼女を殺せるのは……エンデュ。お前の様な、神だけだと……」


冷静な口調だ。しかし、瞳は違う。

冷静な感情の瞳とは、言い難かった。

この瞳には、微かに、水が滴っていたのだから。



 やはり、もう、手立てはないのか?


俺が……ジュノを……。まさか、こんな事って……。



微かだが、体中が震えたような感覚に襲われた。


 しかし、ヴィーナスの言う事は正しかった。人間の心が宿されたストーンは強力な力を持っている。その神を、殺せる神は……同じく、人間の心が宿されたストーンの持ち主だけ……という事。


 この空間の、重苦しさは増した。

冷えた空気は、さらに冷え、全身が凍りついた様に、体はびくともしなくなる。


 その時、だ。


「もう少し、時間をくれ! 頼むよ……」


カゲンだった。大きな彼の声は、この冷えた空気も燃え盛る様に熱するものを感じた。


アグライアは、鼻で笑う。   


「あのねえ、カゲン君。もう、この女は」


…………しかし、ヴィーナスがアグライアの言葉を遮る。


「良かろう」


ヴィーナスの言葉に、アグライアは片方の眉を大きく上げた。


「カゲン。お前に託そう……」


ヴィーナスの重たいこの口調は、心に深く傷が付いていた事を物語っている。


「女王……様」


カゲンは、呟き声を漏らすと、眉を下げた。


「ゼウスの決め事など……下らん。カゲン、闇の精霊・封印の扉を開いた犯人の証拠を掴め。ただし、日が沈むまでに掴めなければ、ジュノの処刑を決定する。急げ、時間はない」


ヴィーナスは、芯の通った表情を浮かべ、命令を下した。


「分かりました」


重い命令だ。カゲンは、目力が入る。


彼は、素早く踵を返し、処刑場の外へ駆け出して行った。



 アグライアは、彼の駆け出して行った後ろ姿を冷たい視線で見送った。そして、フンッと鼻で笑う。

 別に、カゲン如きに期待など、していない。馬鹿みたいに友達思いの、ただの男神ではないか。

 そうして、アグライアは、ポケットに両手を突っ込んだ。


 エンデュは、流れた冷や汗を拭き取ることを忘れていた。

 ジュノは、不安げに、こちらを見詰めている。エンデュは、大丈夫だ、と言わんばかりに上下に首を振り、優しい笑みを浮かばせた。

すると……ジュノは、ようやく、おもむろに口角を僅かに上げてくれた。

 同時に、これくらいの事しか出来ない自分に、腹が立つ。


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