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A:第二話 彼は完璧な潜入を果たした

 転入生に必要なもの。それは一発目を滑らせない努力と、自分を際だたせるセンスである。気合とかガッツとかそんなものは必要ない。用意された文面を読み、頭を下げ、自分にあてがわれた席に座れば一応は終わる。一応は。

 転入してきて最初の出だし(自己紹介、投げかけられた質問等)を滑ると、それを挽回させるための努力が発生する。なかったことにするには滑らない努力の二乗必要だと卯三区歳大学のミシシッペ教授は語っている。失敗すると思わず転校をやり直したくなるほどらしい。

 夢川冬治の場合、滑ることよりも潜入に気をつけなくてはならない。普通である必要がある。普通、普通って何だと苦悩する必要性は無い。普通とは没個性なのだ。面白さは引っ込ませるのだ。

 そして今、冬治の潜入が始まった。

「夢川君、自己紹介をお願いします」

「はい。四季先生ありがとうございます。先ほどご紹介に預かりました夢川冬治です。得意な教科は特に無く、苦手な教科は家庭科です。彼女はいませんっ」

 可もなく不可もない自己紹介であった。冬治自身、何度か学園生の頃転校を経験しているのでこの程度の自己紹介、慣れたものだ。過度な緊張をしておらず、これが転校選手権なら順調な滑り出しと無難な評価を得ていた。

「じゃあ、夢川君はあそこで手を振っている四季幸雄君の隣ね」

「わかりました」

 指定された席につき、隣を見る。男子生徒はニコニコ笑っており、人当たりの良さそうな表情をしていた。話しかけづらい相手より、話しかけ易いほうがいいだろう。

「僕の名前は四季幸雄。あそこで先生やっている人の親戚だよ。間違えられることが多いから、下の名前で呼んでほしいな」

 草食系男子なのは間違いなさそうだ。一人称俺の女の子や、奇抜なアホでなければ基本的に隣は気にしない方である。普通の人間っぽい……それが一番危険な気もするが。

「ああ、こちらこそよろしく頼むよ。俺は夢川冬治っていう名前だ」

 比較的、柔らかい笑みで冬治は握手を求める。

「よろしくね」

 冬治の手を握り、幸雄はほほ笑んだ。頭で考えるのではなく、これにはこれ、それにはそれという聞き分け能力と反射神経が必要だ。ただ、ここで周囲の期待よりちょっと下辺りを狙うとより早くクラスに溶け込める。

 とりあえず机の中に教科書関連を突っ込もうとして何かが入っていることに気づいた。

「何だ、これ」

 取り出したそれは高そうな皮製の本だった。表紙をめくると○○○の書と書かれている。別に放送禁止用語ではない。○の部分の文字は消されていて、真っ白だった。

「……不思議な感じがする」

 持っていると頭がよくなったように感じるのだ。感じるだけで、恐らく実際に頭がよくなるわけではないだろう。そんな気にさせる、やはり不思議な本である。

 そんな不思議な本を誰かが間違えて入れたのだろうか。軽く本を開くが交換日記の類ではなさそうだ。

「誰かの入れ忘れは間違いないよな」

 冬治より前の席の生徒達は(冬治の席は後ろから二番目だ)静かに先生の話を聴いている。

「ん?」

 そのとき、誰かに見られた気がした。

 右と左を見て何も無かった。さすがに、教師が話している時に後ろを振り返るわけにはいかないだろう。ただでさえきょろきょろしていたのだ。充分に目立っている。

「ねぇ、そんなにこのクラスが珍しいのかい?」

「ん、いや、違う」

 そしてやはりというか、隣の幸雄が話しかけてきた。

「生徒数が少なかった?」

 何か上手い返しをしないとな。

 冬治は首をすくめてみせた。

「真面目なクラスだなぁって。俺の前にいた学園じゃこうも静かじゃなかったよ」

「なるほどね」

 一応は納得してもらえたらしい。不思議な本と視線に関しては一旦頭の隅に追いやった。後で確認すればいいだろう。

「じゃあ、ほかに何も無いかな?」

 担任教師である四季長閑のどかはクラスを右から左へと動かした。冬治はきょろきょろしていたために話の内容を聞き逃してしまっていた。

 ここでもう一度話してくださいなんていえるわけもないよなぁ。冬治が悩んでいると、声が聞こえてきた。

「せ、先生っ」

「金城さん?」

 一人の少女が手を挙げて、立ち上がった。

「私をっ、転校生の夢川君の隣に移動させてくださいっ」

 教室中がざわつき始める。立ち上がって宣言すれば目立つのは当然だ。

「それは何故?」

 そして当然、理由を尋ねられる。理由いかんによっては納得してもらえない。女性物の下着を何故、体育館の床一杯に並べられるほど盗んだのか。それに対し、儀式に必要だったからですでは到底納得してもらえない。体育館一杯に並べられるほどの下着で魔方陣でも作るつもりだったのかと問われたらおしまいだ。

 沈黙する女子生徒に長閑女史は一度ため息をついた。

「もう一度聞くけれど、何故、夢川君の隣に行きたいの?」

「え、な、何故って……」

 金城と呼ばれた女子生徒は顔に脂汗を浮かばせ、両目をせわしなく動かしている。何もしなければ可愛い部類だろうが、非常に残念な顔、いや、表情になっていた。

「そ、それは……」

「それは?」

 クラスの皆が金城に続く。

「す、好きだからですっ。一目ぼれしましたっ」

 教室に一つ、爆弾が投下された。

「えええええええっ」

 クラス中が蜂の巣をつついた騒動に陥る。あまりの衝撃っぷりに中にはママーママーと泣き叫ぶ男子生徒まで出始めたのだ。

「はぁ? なんじゃそりゃ」

「告白っ……まさかの一目ぼれ?」

 一番驚いていたのは当然、冬治だ。教師の長閑女史も結構驚いているらしく、こんなドラマチックなことが目の前で起きるなんてと呆然としていた。そんな理由じゃ駄目だろと冷静な人間が居たら突っ込んでいたに違いない。

「で、冬治君は?」

「はい?」

 騒がしい声が幸雄の言葉で止んだ。

 替わりに聞こえてくるのは息を飲む声、息遣いが聞こえてきそうなほどの濃密な空気。真剣での果し合い……それと良く似ている雰囲気だった。

「気持ちを伝えられたのだから、答えなきゃ駄目でしょ」

 確かにそうだ。相手に好きだといわれて返事をしないなんて男じゃない。普通だったら冬治もそう考える。今は、普通じゃない。

「ええっと」

 ここにやってきたのは告白されるためではない。潜入だ。

 告白されたから返答する。これは思いっきり、目立つ。夕方、嬉し恥ずかし校舎裏の告白ならともかく、衆人環視ただなかでの返答はやってみればわかるが、目立たないほうがおかしい。

 更に言うのであればアルケミストを捕まえるため、特定の女子や友人と仲良くなる必要だってあるかもしれない。目的は部室の鍵であったり、情報だ。また、情を優先して捕縛対象を逃がしてしまう恐れもある。もし、そのときに彼女がいるとなればふたまた疑惑をかけられるだろう。もっとも、部室の鍵ぐらいアレしてコレすれば他人と仲良くなる必要はなかったりするが。

 今ここで相手を振るとどうなるかは容易に想像が出来た。待っているのは身の破滅と、潜入の失敗に直結する恐れがある。たかが告白程度で大げさかもしれない。

「い、いや、ただ俺の事を好きだって言っただけであって別に告白したわけじゃ……」

 男子は女子に好きだと言われたら一発で舞い上がる。俺に告白してくれるなら何でもいいという猛者も存在するから注意が必要だ。

「だってよ、金城さんっ。これじゃ物足りないだろうから……彼女にならないと、席が隣にならないわよ」

 長閑女史が無駄にハードルをあげた。あがったハードルにクラスがおおおっと声をあげている。

「恋は障害があるほど燃え上がる」

「先生、わるーい」

 何だ、このクラスは。脈略なく無駄なことをしやがって……冬治は転校してきて早速疲労を覚える。現代は非常に疲れやすい時代なのだ。現代人は赤ちゃんから老人まで何かしらのストレスを背負って生きていかねばならない。

 ドラマチッキュー等と叫ぶクラスメートたちの中にはやいやい騒動に生じる馬鹿が出てくる。そんなクラスを長閑女子は手をたたいて静まらせた。

「はいはい、静かにっ。とりあえず、二人とも前に出てきて」

 非常に面倒くさい事になった。この場合、どうすりゃいいんだと冬治は顔を曇らせた。最初感じていた真面目な印象もあっさりとメッキが剥げてしまっている。

 助けを誰にも求められない以上、これまで培ってきた経験を元にするしかない。

「……そうだ、俺は多彩な転校生活を送ってきた。探せば、転校初日に告白されたことだってあるかもしれないぞ」

 脳内で検索を開始する。いくら転校回数が多いといえど、二桁、三桁というわけでもない。検索するのに時間はかからなかった。

「いや、無いな」

 検索結果ゼロの初めての体験って奴だった。

 転校してきてしょっぱなの告白。まだ三十分も経っちゃいないのだ。そんな刺激的な体験、あるわけなかった。

「はい、じゃあ二人とも向き合って」

 冬治と、金城は向かいあう。お互い照れている感じがしないのは、何故だろうか。それは二人の間に妙な緊張感が漂っているからだ。色恋とは無縁の、自身の今後を決める事柄だ。

「か、金城コルクです。そのー、一目ぼれしたので、付き合ってください」

 無理です。それが答えだ。ただ、はっきり告げると後がヤヴァイ。禍根を残す恐れがある。時間を延ばしすぎるのも、早々に断るのも駄目なのだ。ここぞというタイミングに撃たなくては、お互いに傷を残す。

「夢川君、彼女いなかったよね?」

「え、あ、はい」

 彼女がいれば彼女の写真を見せてくれと男子に言われる。そのため、彼女は居ないという設定にしたのが裏目に出たのだ。まぁ、実際にもいないわけだが。

 冷静に考え直し、冬治は一つせきをする。場の雰囲気に流されるのは駄目だと自分を戒めた。

「金城コルクさん。一度冷静になってみるといいよ。落ち着いて、その感情が本当に恋なのかどうか見極めたほうがいい……時間をかけて」

 こうしておけば大丈夫だ。実際に一目ぼれだったとしても冬治がドロンする間は大丈夫だろう。アルケミストをさっさと見つけてとんずらするずら……実にいい作戦に思えた。

 今必要なのは告白の勇気ではない。相手を傷つけることなく、上手く逃げきる口上だ。

「それもそうねぇ、席、離しておいたほうがいいかしら」

 そして、冬治の言葉は周囲にも効果があった。つい、心の中でよっしゃあとガッツポーズをしてしまう。

「む、無理ですっ」

 駄目ならともかく無理と来た。ぐいぐい来る金城コルクという人物を冬治は計りかねる。対応を見誤ったのかもしれない。

「今ここでっ、答えを聞かないとやってられません。答えてくれなきゃ私っ」

 天高く向けられた指先は、窓を指出した。

「……そこの窓から飛びますっ」

 両目を瞑って宣言した。

 一体、俺が何をしたというのか……いや、まぁ、確かに過去に色々とやらかしてきた人生だ。何も付き合わないとそこから飛び降りるなんてあんまりである。

 まさか潜入一日目、一時間以内に進退窮まることになるとは冬治も、地藤グループも誰も想像しちゃいなかった。もっと大胆でいて繊細な対応をすべきだったのだ。

「コルクさん、目が本気よ」

「ここで答えなきゃ、本当に男じゃないよな」

 クラスメートはあっという間にコルクの味方になってしまった。声も枯れよとコルクコールが始まる。

 しかし、冬治もおいそれとは答えを出せるわけも無い。コルクコールに押されないよう、気持ちを強く持つべきだと自分を奮い立たせる。ここまで気持ちを奮い立たせたのはたこの化け物とやりあった時ぐらいだ。

「待った。こういうと初対面のお前が何いっちゃっているんだと思うかもしれない。だがね、言わせてもらうよ。金城コルクさんは可愛いし、頭も良さそうだ。おまけに、明るいんだろう?」

 左から右へ、冬治はクラスを見渡した。

 うん、相違ないとクラスの男子生徒が冬治の言葉に頷きで応えた。

「そんなグッジョブな生徒がついさっきやってきた転入生の彼氏になる……君らはそれで満足か? せめて、告白したい奴もいるんだろ? 出てこいよ」

 それもそうだと男子生徒全員が立ち上がった。

「ほら、告白したい人は俺の前に並ぶんだ」

 こうして、出席番号一番から順番に金城コルクへの告白が始まった。

「ふぅ、これで何とかごまかせる……とは思えないな」

 ちょうど終わる頃には一時間目が始まる。どうにかやり過ごせそうだった。答えは出せなくても、時間稼ぎは出来るだろう。先延ばしする体質は日本人だからかもしれない。

「俺、金城さんのことが好きです。付き合ってくださいっ」

「ごめんなさい」

「ちきしょーっ」

「likeではなくloveです。つきあ……」

「無理です」

「じゃあ、俺は土下座で……交際してくださいっ」

「無謀です、ごめんなさい」

 あれだけ並んでいた男子生徒が涙に暮れ、どんどん教室を飛び出していった。クラスに残っている男子は冬治一人だけだ。

「思った以上に早く終わっちまった」

 ごめんなさいの一言作業だった。こう聞かれたらこう答えるの繰り返しだったのだ。

「ゆ、夢川君、今度は私が告白してもいいかな?」

 再度壇上には冬治とコルク、立会人の長閑女史が残った。そして、クラスは少し騒ぎつつも二人に注目している。みんなが、冬治の答えを待っているのだ。

「あぁ、いや、そのぉ……」

 全く男らしくなかった。いい加減、女子の中にもただ冬治が照れているだけではない、別の理由があるのではないか。そう勘ぐる者も現れ始める。

「もしかしてさ、コルクさんのことが嫌いなんじゃないの?」

 騒がしかったクラスが水を打ったように静かになる。

「好きも嫌いも、あまりなじみ無いんだし……あったばかりだしさ、一目ぼれってちょっと信じられないって言うかぁ……女子的にありえなくない?」

 ごまかすためのオネェ口調。冬治の言葉に長閑女史が声をあげる。

「一目ぼれ、ロマンチックな出会いに憧れる人手を挙げてっ」

 突如、多数決を取り始めた。そして、長閑クラスの女子はほとんど手をあげる。

「夢川君っ。この結果を見ても……ごまかすと?」

 いの一番に両手を挙げた長閑は冬治に意見を求める。

 男がいればまだ逃げられる道があったはずだ。残念なことに、このクラスに男子は一人しかいなかったのだ。皆今頃、屋上で慰めあっているに違いない。

「こーくはくっ」

「へーんっとう」

 シュプレヒコールが鳴り響く。四面楚歌。冬治は集団の暴力を心と聴覚で感じ取った。

 心が、もう無理だよと弱音を吐いた。八週目ソロゴイルに四時間苦心させられるぐらいの心の折れようだった。

「分かった、分かった、分かりました。ちょっと騙されているのかなぁなんて臆病になっていました」

 投げやりに、冬治はそういうとコルクのほうを見る。

「金城コルクさん、付き合ってくださいっ」

「は、はいっ」

 こうして、冬治に恋人が出来るのだった。


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