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B:第六話 開花した者

 フェインと現場に向かうこと数回、俺はSさんと話をしていた。

「どう、あの子?」

 浮かんだのは椎名のにやっとした表情。全く、もうちょっと可愛く笑えるというのに、俺の中では悪戯手前の表情しか認知されていないらしい。

「椎名ですか? 最近は安定していますよ。ふざけるのはふざけますが、ご飯のときだけになりました。偉大な進歩です」

 あいつのことを自慢できる日が来るとは思いもしなかったぜ。でも、ものすごく、嬉しい。

「……いや、夢川さん毒されてる。そもそも、椎名じゃなくてフェインのほう」

「え、あ……そうなんですね」

 あの子、そういわれて思いついたのは椎名のほう。何だか椎名のことを特別意識していたような気分になってしまった。

 平静を装ってニヒルに笑ってみせる。

「顔、引きつってるわよ」

「失礼……こほん、あー、フェインですか。頑張ってますよ」

 Sさんはこれまた微妙な顔になった。

「あのね、頑張っていますよじゃ評価をする側は駄目。椎名のときと大違いよ」

「うっ、申し訳ない」

「お茶を濁したいのか、駄目だけれど頑張っているのか、本当に頑張っているのか全然分からない」

 そういわれたらちゃんと考えなくてはならない。フェインのこれまで……短いながらもその軌跡を振り返る。

「……問題ないですよ。ただ、少し個人の判断で動くところがありますからね。助手というよりは相棒って感じでしょうか」

 見た目だけ言うのなら、椎名のほうが言うことを聞きそうに無い。大人しい感じのフェインもあっさり言うことを聞いてくれそうである。実態としては椎名のほうが言うことを聞いてくれる。フェインのほうはこっちのほうが……といってスタンドプレーに走る蛍光が強いのだ。

「なるほどね」

「どっちかというと俺がサポートに回ることもあります」

「……誰かをサポートできないと上に立つときは苦労するわ。特に、フェインみたいな独断先行の子はね」

「分かっていたのなら教えてくれればいいのに」

「あまり教えられない類の子なの……我侭だって言ったら受け入れないでしょ」

 Sさんの言うことももっともである。結構自分勝手に行動するので俺とフェインでチームというよりも二つのチームが動いているような感じなのだ。

「ああいうなりで、俺のところに助手に来るとは思えませんけどね。どうせ、問題のある人物でしょ」

「そういう決め付けは良くないわ……認めるけどさ」

「やっぱり」

 毎度、押し付けられるのは面倒ごとばかりである。

「どのくらいの厄介さですかね。椎名程度で済みますか」

「ううん、椎名なんて可愛いほうでしょ」

「そうですね」

「ん? てっきり否定するかと思ったけれど」

 即座に返答してしまった俺も首を傾げそうになった。

「こほん、まぁ、椎名はともかくそんなに面倒な相手ですか」

「気をつけなさい、としか言えない」

 そういわれてもフェインは助手である。助手を信用できなければ仕事なんて出来ないだろう。

 これ以上現場に残っていてもいい事は無さそうだ。

「じゃ、お先に」

「……フェインには気をつけてね」

 一体、何に気をつけるというのだろうか。

 俺は首を捻りながら事務所に戻ることにした。

 時刻は午前十時。昨晩からかかった龍もどきの始末に結構な時間をとられたものだ。遅くなると一応メールしておいたが、見てくれているだろうか。

「ただいま」

 事務所に戻っても鍵は開いておらず、つまり誰も居ないことを意味しているわけで。

「椎名? フェイン?」

 一人のときは全く気にならなかったのについつい探してしまうのは俺が影響を受けているからだろう。

 誰だって一人は寂しいもんだ。

「居ないのか?」

 最後に控え室と呼ばれている部屋を覗き込む。

 この部屋はお客がやってきたときに椎名が待機する場所である。助手として近くに居ないのはどうかと思える。しかし、事務員だからと譲らないので仕方のないことかもしれない。

 控え室は暗かった。

「ん?」

 何かが居るのは間違いなかった。

 人型で、体のいたるところに赤く発光する目のようなものがついている。俺はそいつを知っている。二度ほど見たことがあり、悪魔と呼ばれているやつらだ。

「椎名?」

「旦那、ごめん……こうなっちゃった」

 問題は、右半身が悪魔になりながらも左半身が椎名であるということだろうか。

 もし、椎名の全身が悪魔の姿をしていたら……俺の中で何かが壊れていたかもしれない。恐らく、先手必勝で撃ち込んでいただろう。

 椎名が悪魔になりつつある。そのことに対して知り合いだからか、助手だからかわからないが、自分がショックを受けたのは確かだった。

「旦那?」

「大丈夫だ、ちょっと驚いちまっただけだから」

「もしかして、心配してくれてる?」

「当然だろ」

「やった」

 一体何がやった、なのだろうか。こっちの気も知らないで……。ただ、椎名がいつもの調子で居てくれたのが救いだった。



―――――



 話は二時間ほど前にさかのぼる。

「椎名さん、アルケミストを探しているのでは?」

「ん? 探してないよ。探しているのは旦那だから」

 フェインと椎名は二人でソファーに座りだべっていた。冬治が居ればおい、仕事しろよと間違いなく文句を言っていただろう。

「……椎名さんは探偵の、助手ですよね」

「いや、妻枠だから。普段、私が旦那のことを何て呼んでるのか知らないんだね?」

 椎名を見るフェインの目は冷たかった。

「今、自分で旦那といいましたけど?」

「そう、それ。私は旦那って呼んでる。つまり私は旦那の嫁枠」

 聞き方がまずかったかもしれない。フェインは一度心の中でため息をついた。

「……冬治さんはアルケミストを探していますか」

「えぇ、探してますよ。というかその話は本人から聞かなかった?」

「聞いていますよ。資料が置いてある場所だって知っています。ですが、余りにも情報が少なくありませんか」

 この時点で冬治が知りえている情報は何か溶かす液体を所有しているらしいと、そういう人物が羽津市に潜んでいるということぐらいだ。

「ああ、それね、何でだろうね。真面目に旦那は探しているのに」

 その時、電話が鳴った。

「はい、もしもし夢川探偵事務所。何? また研究施設で生物が逃げ出した? おたくのところは何やってんの。わかった、分かったから数日以内に旦那を派遣します……ふぅ」

 受話器を元に戻し、椎名はフェインを見た。

「何か原因があって調査が遅れてるんじゃないの? いざ探そうとしたら横槍がはいるなんてね」

「……なるほど、そういうことですか」

 アルケミストの捜索が全く進んでいないのは椎名のせいであった。これはあくまで、アルケミストの件だけだ。

 夢川探偵事務所の引き受け件数は冬治が一人の頃よりも増えている。椎名によるスケジュール管理と、相手との連絡、事務処理などが冬治から減ったことが大きい。

 真面目に冬治がアルケミストを探していたとしても、それはあくまで一人だけ。冬治が仕事を探している間は椎名が別の作業をしているので二人で探すということは当然少ない。

「椎名さんはどうしてこの探偵事務所に?」

「旦那に憧れて、かな」

「憧れ?」

「そうそう、憧れ。年頃の女の子はそういうのに弱いんですよー」

 そういって適当に雑誌を見繕うとそれで顔を隠す。

 フェインは何かを考えるように顎に指をつけていった。

「どうして憧れているんですか」

「ちょっと昔、旦那を見かけたことがあってね。そのとき助けてもらったからかな。向こうは、忘れているみたいだけれど……それで、駄目なら駄目でいいからここにやってきた」

「一目ぼれしたと?」

「うー、まぁ、そう……とは言えない。それを確かめに来たら一緒に居るのが当然で、楽しくなった。ただ、それだけ」

 雑誌で顔を仰ぎ、虚空を眺めて呟いた。

「……旦那には言えないけどね。まだ私の事を特別だとは思ってないみたいだし」

 不安の色を出したところで、今度は少し強めに明るい声が飛んだ。

「でもさ、もう一押しだと思うんだよね。旦那、きっと私の魅力にめろめろ」

 フェインから見てそれはなさそうだった。フェインがこの事務所にやってきたとき、そういう関係かもしれないとちょっとだけ思ったものの、関係は助手のそれというよりは同居人という関係に見えた。

 妙にかっちりとはまった相性。しかし、それはおそらく、椎名の望んでいるそれとは違う関係だ。別の関係に変えるには何かを一度、壊す必要がある。

「試してみますか」

「何を?」

「椎名さんが……いいえ、冬治さんが姿の変わったあなたに対してどのような気持ちを抱くか。仮に、いつもと変わらず対応してくれるのであれば、脈がありますよ」

 そこでおやと椎名は首をかしげた。

「こういう時ってどきどきさせたら脈ありって奴なのでは?」

「……普通は、そうでしょうね」

「え? それってどういう……」

 雑誌から顔を上げた椎名に、フェインは迫っていた。

「これ、飲んでくださいよ。自信作ですから」

「もがっ」

 口に押し付けられたものは黒くてすべすべした卵のようなものだった。噛み砕かなければ窒息してしまうと頭で分かっていながらもその実、あっさりと喉を通過していく。

「うぐぐ……い、いきなり何するの。私、女の子には興味ないってば」

「安心してください。私もありません。ただ、アルケミストに楽して近づくにはこちらでも手駒が必要ですから」

 普段の清らかなイメージなんてどこにも無い、悪い微笑だった。

「私がここまで我慢したのも珍しいですね。大抵、一回で爆発するタイプなんですよ」

「うっ……」

 どういうことなのか説明を要求するっ……そんな言葉を吐くよりも先に、椎名はその場に崩れ落ちて胸を押さえていた。

 心臓が押しつぶされそうでいて、際限なく成長しているような矛盾した感じ。

「うううっ……」

 胸の高鳴りを押さえている間に、フェインの姿は消えていた。

 立ち上がろうとした際に、近くにあったソファーを掴もうとして引き裂いてしまった。

「何……これ」

 か細いはずの右腕は人のそれとは到底言えない代物だった。

 黒く、成人男性ほどの足の太さ、鋭利な爪が生えている。

「こんな姿で旦那に会える訳が……」

 その時、誰かが玄関前に立ったような気がしてフェインは隠れることが出来そうな場所へと逃げ出すのだった。



―――――――



「なるほどね、フェインに何か飲まされたと」

「うん、そう」

 椎名の入れてくれたコーヒーを口にして、ため息をついた。悪魔と呼ばれていた存在にフェインが関わっているのは間違いない。こうなることを予想できずにちょっかいを出したわけではないのだろう。

「私、戻るのかな……ちょっと不安になってきたかも」

「大丈夫だよ、戻してやるから」

 心配そうな椎名の頭を撫でて、笑ってみせる。顔の半分も何かの像みたいになっていて威圧感ありまくりだった。

 でも、半分……いまだ人の表情を浮かばせるほうは不安を隠せていない。所詮、俺の言葉で誰かを安心させるのは難しい。

「椎名、ごめん」

「え?」

 軽くハグして椎名の震えを身体で確かめた。

「だだだだだだ、旦那、一体何してるのっ」

「……絶対に戻してやる。約束する。駄目だったら、一生居てやる」

 数分、椎名を何も考えずに抱きしめた。

 沈黙を破ったのは俺ではなく、悪魔に変わりつつある少女だった。

「旦那がいいならそれでいいかな。どうせ事務作業担当だから外に出なくていいし」

「……いや、お前さんまだ学園に行く必要あるだろ」

「一身上の都合により、自宅待機。今ここに地上最強の自宅警備員が生まれたのだった」

 どうやら元気になったようだ。震えも止まっているしもう、大丈夫だろう。

「えーと」

「何だよ」

「えへへ、何も」

 いつもみたいな馬鹿そうな顔は良く似合う。ほかはともかく、俺はその表情が好きだと今知った。

「一流の自宅警備員になります!」

 ここ、椎名の自宅じゃないからな。

「しかし、どうしてフェインはこんなことをしたんだろう」

「え、えーと、さぁ?」

 椎名に被害が出た以上、放っておくわけには行かなくなった。これからSさんに連絡をとってフェインのことを聞いて、後は処罰だ。無論、俺が担当することだろう。

「旦那、顔が怖い」

「そりゃそうだよ。椎名がこんな目に遭ってるんだ。フェインから説明してもらわないと納得しかねるね」

 俺と話している間も右半身を覆っている黒い外郭は左半身を脅かしていた。

「私は大丈夫だって。旦那が私の事をちゃんと理解してくれてるもんね? ね?」

 なにやら下卑た表情。さっきのあれが椎名の支えになっているのなら嬉しいものである。

 だが、今は締めるところだ。俺がしっかりしないといけない。

「お前さん楽観的なのな。普通は泣き叫ぶところだろ」

「まぁね。でも悲しいことだけじゃないよ。何せ、凄い力持ちになったから」

 そういって近くにおいてあった電話帳を破いて見せた。

「ね?」

「シュールだ」

「壁ドンのほうがよかった?」

「穴開けたら弁償してもらうからな」

「そのときは体で払うから」

 人外の力を手に入れている状態ならそりゃすさまじい労働力だろうよ。

「じゃ、俺はフェインを探しに行く。椎名はここにいろよ」

「ううん、今回は旦那についていく」

「……目立つだろ」

「コートを着るから大丈夫。これで一般人に溶け込める」

 椎名、知ってるか? 今、六月だよ。

 押し問答を繰り広げている間に椎名の半身も黒い炭のような外郭に覆われてしまった。

「じゃ、行こうか」

「……おう」

「これなら何かのコスプレとして認定してくれるよね」

 トレンチコートの俺と黒い怪人の椎名。

 昼間ならともかく、夜の闇にこんな二人が居たらまず間違いなく、通報されると思うんだよね。


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