B:第四話 イエティによろしく
疲れているときは人間、イライラするものだ。
イライラしていると人間は他人を無視するようになったり、逆に攻撃的になったりとまぁ、十人十色でもあまり良くないほうへと転ぶものだ。
俺の場合、大体無視する方向性になる。
「これから私、女になるのね……旦那の、女に」
朝から馬鹿をやって俺を起こしてくれる椎名にため息しか出ない。ベッドにもぐりこんでくる椎名を跨いで床に降り立ち、服を脱ぐ。
「やだ、いきなり脱ぎ始めるなんて……だ・い・だ・い」
橙。オレンジ。
ひとしきり馬鹿をやっている間に俺は着替えを終えた。
「朝食、出来てるからね。今日は旦那の好きな女体盛り……お昼からは事務所で縛りプレイよ」
「……」
駄目だ、今こいつと話すと間違いなくぶちぎれる。思わずアチョーと言いながら窓ガラスを突き破って全裸で住宅街を駆け抜けてしまいそうだ。
さすがに完全無視も人として問題だ。部屋の外へ出て朝の挨拶は欠かさない。
「……おはよう」
「おはようございまぁす」
耳障りなきんきん声。○○エでございまぁすと同じ口調が限りなく俺をイライラさせる。
それに椎名は何故かスク水を着用している。侮ることなかれ、ゴーグルとキャップまで着用しているのでいつでも泳げる格好だ。自慢の銀髪もキャップに隠れているために誰だかわからない。
「あー、ここまでやったのに何か一言、一言欲しいなぁ」
こげたシシャモをかじりながら、椎名が視界に入らないように努力する。しかし、スクミズ(キャップとゴーグル装備)で朝食食べられる違和感半端ないな。一発で目が覚めるわ。
「ねぇ、なぁんで旦那はそんなに怒ってるの?」
「……」
よく言う。
「胸に手を当てて考えて見なさい」
「胸に?」
そういってふにっと自分の胸をつまんで見せた。
「はぁ、ったくやれやれ」
「思わぬおかずが増えましたね」
「それ以上言うと怒るぞ」
「すんませんでしたぁっ」
ったく、面倒な奴棚。
護身用に持たせていた拳銃を味方に向けて発砲。戦力を削った挙句、自身は発砲にびっくりしてこけて足を捻ったのだ。
椎名を背負い、隊員を引きずって一旦撤収。イエティに気づかれなくて本当に良かった。
その後は自分の頭に拳銃突きつけてヤマタノオロチィ(カッ)などと叫ぶあほに戦力外通告。イエティを捕まえるのに非常に時間をかけてしまった。
椎名を現場に連れてきたのは早計過ぎたんじゃないかとかなり俺が怒られた。怒られるのは別にいいのだが、あの子の将来が不安である。
「やっぱり、昨日のこと怒ってる? 怒ってるよね。だから、スクール水着っ」
そういって立ち上がり、きらんと歯を光らせた。
ああ、事務仕事は別として、現場は別の助手が欲しいな。
もっと大人しくて、下品なことを口走らない助手がいいな。
椎名に弁当を持たせて送り出した後、また面倒な日が始まるのだった。
「いってきまぁす」
「おばか、制服に着替えていきなさい」
「はーい」
アルケミスト……ではなく、イエティ捕獲の書類作成をしていると電話がなった。
「はい、夢川探偵事務所の夢川です」
「あ、夢川さん」
声の主はSさんだった。
「実は引き取ってもらいたい……いいえ、適任の助手がいます。もう一人、助手を追加しますね」
いつだって一方的なのは俺の立場の弱さから来るものである。
「いま、引き取ってもらいたいって言いましたよね」
「失言だったなぁ。あ、既に玄関前で待機していますから」
「……」
不安、十割。つまり、百パーセント。
かの有名なパンドラの箱でさえ……ちょっとばかり希望が残っていた。まぁ、その状況と俺の状況を重ねることに意味なんてないけどさ。結局、パンドラの箱ってどうなったのだろう。箱のそこに少しの希望が残っていただけで終わりだったな。
「じゃ、迎え入れてね」
そういって電話は切られた。何だか、厄介ごとを押し付けられたような気がするんだ。うん、いつだってSさんはそんな人だったし今もこれからも変わりはないのだろう。
「対応できるかと思ったら悪化しちゃった」
「はい、疲れてると思ってつめたーいおでんジュース、買ってきたよ」
「この道って近道なんだよね……あ、工事中? えっと、Uターンできる場所知ってます?」
Sさんもどこか椎名に似ているところがある。気をつけておくとしよう。
悩んだ末、俺は玄関へと向かった。Sさん好みのマッチョが居てくれればグッジョブである。何せ、あの人の下についている部隊は全員マッシヴだからな。マッチョのおすそ分けもいいもんだと俺は思う。
扉を開けるとそこには金髪の少女が立っていた。
「フェイン・ファウストです。よろしくお願いします」
「……せめて男が良かったな」
ぼそりと呟いた俺の言葉は目の前の少女に聞こえなかったらしい。
女の子って気を使うんだよなぁ。結構怪我をする仕事だし(俺、脱いだら傷が凄いんですよ)、重労働だし……やっぱり事務仕事にまわってもらうか? しかし、そうなると今度は椎名とかち合うだろうし。
「あの、TPさん?」
「あ、俺のことは夢川でお願いします」
「分かりました」
「ここで話すのもなんですから中へどうぞ」
部屋に案内して俺はお茶の準備をする。
「紅茶とコーヒー、どっちにしますか」
「紅茶で」
椎名が来てから紅茶を切らすようなことはなくなった。ただ、コーヒーはあまり好きではないのかこっちはほとんどの場合、無くなってからしか補充してくれない。俺が買おうとすると私の存在意義を取るなボケと蹴られるのだ。
「フェインさんですね。改めまして……私は夢川探偵事務所の夢川冬治です」
「聞いております」
優雅に微笑む姿は中々様になっていた。きっと成長したら綺麗な女性になることだろう。まだあどけなさが残っているので恐らく椎名と同い年ぐらいだ。
「では早速仕事の話をさせてもらいましょうか。フェインさん、ここに来る際に……誰かから説明を受けましたか」
「ええ、聞いております。探偵事務所とは名ばかりで、化け物をハントしている」
「……間違っちゃいませんけどね」
本当、探偵ってどんな仕事なんだろうな。憧れるわぁ……まぁ、それは脇に置いておこう。
「最近ではアルケミストを探している……そうですよね、夢川さん」
彼女の瞳が光ったように思えた。
「ええ、そうです。その話も聞いていたんですか」
「はい」
「最近は忙しくてアルケミストどころではないんですよ」
「大丈夫です。まだ入りたてですがお力になれると思います」
そういって優雅に紅茶をすすっていた。うーん、絵になるね。
その後は雇用形態に関して、仕事の説明なんかをしていると一時を過ぎた。
「たっだいまー」
「椎名?」
廊下を騒がしく駆け抜けてきた椎名は乱暴に扉を開ける。その手には据え置き型のゲーム機とソフトが握られていた。
「旦那旦那、約束どおり縛りプレイやろうぜぇ。レベル上げなし、炎無しの棍棒プレイな」
その時、フェインを椎名は見た。
「さ、早くやろうっ。旦那のキャラメイク見せてほしい。抜ける女顔作ってくれるんだろ」
「お前さんねぇ……」
「あ、Ⅱのほうがよかった?」
「そうじゃないよ。まず聞きたいことがあるから一旦座れ」
俺の居た場所に椎名を座らせ、紅茶を出してやる。
「んぐ、んぐ、ぷはぁ……紅茶は一気飲みに限るね」
同じものを出したのにな。フェインは唖然として椎名を見ているし……この場合、どっちを優先させるべきだろうか。
まぁ、ここは椎名に話をしたほうがいいだろう。
「椎名、この人はフェイン・ファウストさんだ。今日からここで働く」
「へぇ、セフレ?」
「こら、そういうことはふざけても言うもんじゃないぞ」
「いたっ」
軽く頭を小突いてやると大げさに痛がっていた。
「何するんだよぉ、旦那。これ以上馬鹿になったら責任とってもらうぞ」
「お前さん、才女ってふれこみだろ」
「そうだけどさぁ……責任とってもらうからな」
涙目で八重歯を見せている姿は可愛いもんだ……黙っていれば。
「分かった。仕事時間が終わったらみっちり勉強教え込んでやるよ」
「うわ、要らないお節介」
おっと、フェインさんがあきれたような表情をしているぞ。馬鹿な探偵事務所だと思われるのはごめんだからな。
「予定としては事務所内の作業後、彼女には現場に行ってもらう」
「へぇ、現場担当かぁ」
「そうだな、椎名には事務所内での仕事をメインにやってもらって、フェインさんには現場での仕事を予定してる」
「ふーん、役割分担ね。なるほどなぁ」
ちょっと騒ぐかなと思ったが椎名は案外大人しい。
てっきり私にも後輩が出来たんでこき使ってやるかというかと思ったんだけどな。
「さぁて、後輩も出来たし……私が旦那から受けた恥辱を受け継がせるかな」
案の定だった。舌なめずりをしてどこから取り出したのかアイマスクを手ににじり寄っている。
「こら」
「ちょ、もー、小突くなよ。脳みそ溢れちゃうだろ」
「そんなに詰まってるのか」
「ふふん、才女様だから頭蓋骨の中は脳みそ百パーセントだよ」
「違うの入ってたら逆に怖いわ」
才女って言うか他の人間基本的にそうだろ。
「じゃあ、才女様は日課の旦那の部屋の掃除に行ってきます」
そういって出て行った。
「……賑やかな人なんですね」
フェインさんの呟きに俺は曖昧に頷くしかない。
「まぁ、根は悪くない奴なんで……大目に見てやってください」
「はい、心得ました。ああ、それと私にさんづけなどふようですから」
「わかりました」
「敬語も不要です。あなたが、ここのボスですからね」
ええ子やぁ。どっかの才女様にも見習わせたい姿勢である。
「だだだだ旦那ぁっ、間違えて旦那の大切にしていたおかず、シュレッダーに突っ込んじまった!」
「……おかず?」
「椎名、お前さん後で説教な」
いっそのこと、椎名をリリースでもいいかもしれない。




