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A:第六話 彼は紳士的な挨拶をした

 夢川冬治と金城コルクは彼氏と彼女である。超級イチャラブを期待していたクラスとしては、二人の付き合い方は腹の探り愛にも見えていた。

「そういう愛しかたもあるんじゃないんでしょうか。愛とは無償のもの……何せ、僕の彼女は別の次元で生きていますからね。近くて遠い、超距離恋愛ってやつですから」

 このようにクラスメートの中には二人をそっとして置いてあげようという者もいる。

 今日も冬治とコルクは一見すると仲睦まじく話をしているようにも見える。しかし、良く見てみれば全く違う。

 コルクのほうは誰かの事を考えているのかぼーっとしているし、冬治は連日遅くまで資料に目を通していたためこっちも同じ状況だ。頭の中に入れ込んだ資料の言葉をぶつぶつと時折繰り返している。どちらかが相手のことを本当に愛しているのなら、張り手の一つでもお見舞いしそうなものだ。

「何ぼーっとしてるの?」

「優奈?」

 あきれた表情で二人に近づき、ため息をついていた。

「ああ、矢崎さん。おはよう」

 優奈の介入にて、冬治も遠い資料の世界から戻ってきた。

「おはよ」

 遊園地を経て、友情力があがったのか、矢崎優奈は冬治に話しかけるようになったのだ。それだけではなく、一緒にお昼を食べたり(冬治のおかずをくすねたり)、宿題を見せたり(冬治が優奈に見せる)等々、結構仲良くなっている。

「コルク、焔先輩のことでも考えてたの?」

「え? う、ううん。そんなわけないじゃん。ね、夢川君」

「え? ああ、うん」

 何で焔先輩の名前が出てくるのだろうかと冬治は首をかしげた。

「心が広いのか、コルクに興味が無いのか」

「優奈、何か言った?」

「何も言ってないよ。ね、冬治君」

「え、ああ、うん」

 また俺か。俺、人気者だな……と、一体何のことなのかわかっちゃいない日和見の人間だったりする。

「そういえばさ、コルク。何か失くしたって言ってなかったっけ?」

 場が沈黙するよりも先に優奈はコルクに話題を振った。遊園地での一件以来、冬治の近くに立つ事が多くなっていた。仲がいいので、お金の貸し借り(冬治が優奈にお金を貸したり)、漫画の貸し借り(冬治から夕菜へ借りっぱなし)は当たり前だ。

 優奈にとってコルクも大切で、冬治のことも大切なのだ。

「……まぁ、あるけど。別に、大丈夫。そんなに大切なものじゃないから」

「へぇ、そうなんだ? あれだけ必死に探していてねぇ……」

 その言葉にコルクが黙り込んだ。

「ん? 失くし物? 探すの手伝おうか? 俺、そういうの得意なほうだよ」

 化け物と戦うよりも猫なんかを探したほうが平和だ。それは間違いない。

「そっか、冬治君が助けてくれるのならすぐに見つかるかも。ね、コルク」

「……う、うん。そうだね」

「それとさ、冬治君。なんだかんだで学園の中、誰からも案内してもらってないでしょ? 放課後、私が案内してあげる」

 優奈にこんな風に微笑まれるなんて……友達になれてよかったと冬治は感無量であった。

「そう? 何だか悪いね」

 だからといって、表立って喜ぶわけにも行かない。近くにはコルクもいるし、クラスメートもいるからだ。

 案内自体もしてもらう必要はなかったりする。コルクが案内してくれるとか何とか言っていた次の日に、冬治は学園のマップを頭の中に作りこんでいたのだ。そして、遊園地の一件以来、窓から窓へと移れる場所とちょっと危険な場所、飛び降りても問題なさそうな場所を既に見つけていた。もし、学園内で二人目のコルクを見つけたら追いかけられるようにしている。

「じゃ、放課後よろしく」

「うん、任せて」

 覚えたからと言って、せっかく仲良くなれた相手の厚意を無駄にするわけにもいかない。冬治は素直に受けておくことにした。矢崎優奈という人間を詳しく知るのにいい機会かもしれない。

 ただ、冬治と違ってクラスメート達は優奈の事を良く知っている。一体どういう心境の変化か……興味深そうに優奈と冬治、そしてコルクを遠巻きに見ているのであった。

 優奈が自分の席へと向かい、冬治は優奈のことを良く知るコルクに彼女の聞いてみることにした。

「ねぇ、矢崎さんってどんな人?」

「どんな人って……うーん、難しいなぁ。孤高って言ったら違うけどさ、あまりほかの人と仲良くしようとはしないね。でも、気にかけるようなタイプっぽいよ。困ったことがあったら助けてあげるし、一度友達だと思ったら結構尽くすタイプだねぇ」

「ふーん、仲良くなるまでは冷静な傍観者って感じか」

 冬治の言葉にコルクは苦笑する。

「そうでもないよ。意外と直情型。ちょっとした事で爆発することもあるからね」

 冬治からしてみれば優奈が怒っている姿なんて想像できなかった。

「約束を破ったりしたときに怒るわけじゃないんだけれど、筋が通っていないと爆発するタイプ。夢川君も気をつけておいたほうがいいよ」

「だ、だね。気をつけておくよ。」

 そんな風には見えないんだけどなぁ。パンダが実は凶暴だということぐらい、意外な事実だったりする。

 三時間目の休み時間。男子トイレで一息ついていると冬治の隣に幸雄が立った。

「やぁ、マグナムさん」

「トイレで下ネタはやめてくれよ」

「いやいや、むしろ適所でしょ。女子生徒が居る前で下のネタなんて僕には出来ないよ」

「そうか」

 個室に焔先輩が入っているんだがな。冬治が言ってもだからどうしたと返されるだろう。

「全てを捨てて、挑戦したい気持ちもあるんだけどね。冬治君もそうでしょ」

「ねぇよ」

「最近知ったことがあるんだ。コートって、素肌に着用すべきものなんだね。ロングコートってどうみてもももから下の部分、要らないだろうって気持ちも失せたよ」

「何だよ、露出趣味にでも目覚めたのか」

 相手をするのも疲れるものだ。しかし、友達の話に付き合ってあげるのもまた、必要なことだと割り切ることにした。

「まぁね。見せたいけれど、え、その程度で見せたがり? ちっさすぎがっかりんぐなんて言われたら希望も含めて色々としぼむと思うんだよね」

「……そうか。俺にお前さんの将来を縛る権利なんてないから自由にしてくれ」

「で、以上のことを踏まえると……遊園地で矢崎さんと何かあった?」

 ものすごく近い距離まで顔を近づけられ、冬治は少しだけ驚いた。

「まぁ、ね。あったよ」

 観覧車で二人きり、ミラーハウスで奇怪なことに襲われて、また観覧車で二人きりで、帰りには友達認定までしてもらった。

 遊園地に行った面子なら詳細はともかく一緒に居た時間があったことは知っている。へんにごまかすとこじれそうだ。

「へぇ、はぐらかさないんだ?」

「そりゃあ、はぐらかしても意味無いだろ」

 話せないことはあっても、はぐらかす必要は無い。冬治は首をすくめて幸雄を見据える。

「ふーん、矢崎さんがああやって誰かに世話を焼くの、珍しいんだよ。ちなみに、僕は初めてみたね」

 初体験だよと無駄に叫んだ。こいつ、こんなに面倒な子だったかと冬治は首をひねる。

「ふーん、そうなのか。ま、俺は良かったよ。友達が増えてさ」

「てっきりトライアングルが形成されてインファイト発生するかと思ったんだけどねぇ」

 幸雄の言う事は別に間違ってはいない。優奈は冬治に無駄に身体をくっつけたり、コルクに見せつけるように顔を近づける事が多いのだ。指摘すると何だかあれだし、コルクが何か言ってくれるだろうと待ってみても何も変わらないので今のところ冬治としては放置状態だ。

「金城さんが無反応すぎって言うか、心が広いのかな」

 そして、これまた幸雄の言葉も正しい。見せつけられても、ふーんといった調子で首をかしげている。え、いいのと周りに言われてようやくああ、そうだったと言わんばかりに眉根をひそめて近すぎだの何だのと注意するのだ。

「俺に聞かれてもわからないよ。コルクさんじゃないんだから」

「彼氏彼女ってそんなに淡白な関係なのかねぇ」

 あーやだやだと幸雄はため息をついている。実際、淡白だ。挨拶して、昼飯を食べて、放課後はばいばい。友達に毛が生えた程度のお付き合いである。ちょっと違うところは優奈と共に冬治のおかずをくすねるぐらいか。

「まぁ、確かに俺も淡白だなって思ってるけどよ」

「行動した? デートに誘った?」

「ああ、一応誘ったけど……まぁ、その、何だ。ほかの人と約束があるから休日は無理って言われたよ」

 これは嘘ではない。優奈からも似たようなことを言われたので、怪しまれないように行動を起こしている。

「ははぁ、他の人って焔先輩だな。金城さんがそんなことを言っていた。冬治君は焔先輩のこと、どう思ってるのさ」

 本人が個室にいることを知っているため、非常に答えづらいことである。そして相手が女の子と来ればまともな返答を出来そうもない。

「え、ええと、そうだな、いい先輩だと思ってるよ」

 かなり苦しい言葉だった。それ以外にも後輩の前では見栄を張ってみたり、怖がらせると可愛いところを見せるのだ。

 そういう言葉を言うわけにもいかない。

「いい先輩? そんだけ?」

「あとは……」

 再度、頭の中にお化け屋敷での一件が浮かび上がる。焔と行動を共にしたことはあまりないのだ。必然的に長い時間を過ごした行事から出すしかない。

「可愛いところもあるし」

 もしかしたら、普通に通るかもしれない。そんな淡い期待を胸に冬治はその言葉を口にしてみた。

「かわうぃうぃ? 男に向かって何言ってんだか」

 想像していた通り、幸雄の言葉が現実のつらさを物語っていた。

「男に可愛いって……」

 ところがどっこい、女の子だ。それを言うのは憚られる。

「なるほどね、つまり金城夢川カップルはまさかの焔先輩にほの字で、彼女の親友が彼氏を狙ってそうなふいんき……何だか凄いトライアングルを形成していると」

「いや、待て、何でそうなるんだ。あと、ふいんきじゃない、雰囲気だ」

「本当、恋愛の形って自由なのね。淡白で、優男の尻を狙っているんじゃ駄目だよ」

 そういって幸雄は去っていった。

「あいつ、焔先輩には厳しいな」

 恐らく、もてる男の先輩が憎たらしいのだろう。

「……冬治君、ごめんよ」

 個室からそんな声が聞こえてくる。冬治は笑って答えた。

「気にしないで下さい。別に、誰が悪いって訳でもないんですから」

「君の気持ちなんて考えずにコルクちゃんと遊んでいたのが間違いだった」

「ああ、本当に気にしていないので……お先に失礼します」

 それ以後の授業はやたらとにやにやしている幸雄の表情を見つつ、奇妙な気分ですごすことになった。

「さ、案内してあげる」

「ああ、うん」

 放課後に入ってすぐ、冬治のところに優奈がやってくる。荷物をまとめ、机の中に何も入っていないことを確認すると冬治は立ち上がった。

「じゃ、行こうか」

「待って」

 コルクが待ったをかけた事でクラスは軽くざわつく。また、優奈が仕掛けるのではないかと冷や冷やしている生徒、今日こそ修羅場になるんじゃないかとどこか期待している生徒もいる。

「私も行く」

「そう? わかった」

「じゃ、二人とも案内を頼むよ」

 クラスが期待していたようなことは起こらなかった。再度いつものような放課後に入ろうとして、変化が訪れる。

「コルクちゃん、いるかな」

 冬治たちのクラスに焔がやってきたのだ。再びざわつき始めたクラスを気にすることなく、コルクへと近づいていく。

「ほ、焔先輩? ど、どうしたんですか」

 想像以上の近い距離。コルクはあこがれの先輩に近づかれて、顔を赤く染めている。

「ごめん、大切な話があるんだ。ちょっと、いいかな」

「え、あ、はいっ。ごめん、夢川君」

「ああ、いいよ」

 躊躇無く焔のほうへと向かうコルクを見送ろうとした冬治のわき腹を、優奈はつつく。

「ねぇ、いいの? さっき、ついてくるって言ったばかりよ。彼女はともかくとして、おかしいでしょ」

「ん? そうだねぇ。ま、大切な話なら仕方が無いんじゃないかな」

 そういう冬治の言葉にあきれたのか、一度ため息をついた。

「いいわ。私が言ってあげる……冬治君があまりにも可哀想だもん」

「え?」

 冬治には優奈のことが爆弾に見えた。後数秒で爆発するんじゃないか、そんな気がしてならない。

「コルク。ちょっと待ちなさい」

「何?」

 お預けを喰らったような犬の表情になったコルクに、優奈は告げる。

「それはあまりにも冬治君に失礼じゃないの? 来るとか言っていたわりにはあっさりと焔先輩に尻尾を振っちゃうなんて」

 それまでの頬の赤さとはまた違った赤さに変化させ、コルクは大きな声を出す。

「べ、別に尻尾なんて振ってない」

 優奈はコルクのことは無視して次に焔のほうを見た。

「先輩も先輩です。今度にしてもらえますか」

「ごめん、それはちょっと出来そうにない。なけなしの勇気を集めてコルクちゃんに伝えるつもりだから」

 もしかして焔先輩は実は女ということを伝えるのではないか。事情を知っている冬治にはそう思えてならなかった。しかし、周りの生徒達は彼氏持ちの女子生徒に告白するつもりの台詞にしか聞こえなかった。

「何それ、先輩って意外と悪い人なんですね」

 そして、優奈とて誤解するのも例外ではない。

「優奈のほうこそ、どうしたの。あまり夢川君には良い印象持ってなかったくせに」

 いつの間にか呼び方も冬治君だし。周りの生徒はそれが気になっていた。

「冬治君は、いい人だもの」

 クラスの中からおい、これは一体どういうことだと混乱した様子が伺える。どう見ても、親密さはコルクよりも夕菜のほうが上だ。

「冬治君がいい人だって言うことは……多分、彼女のコルクよりも、分かってる」

 え、何この修羅場とクラスの誰かが呟いた。とうとう来たのかと一部のクラスメートは目を輝かせて身を乗り出していた。

 何だか非常に空気が悪くなってきている。誰もがそれを理解した。

「コルクさ、本当は冬治君と付き合っている理由って何か裏があるんじゃないの?」

 例え周りに見られようとも優奈の矛は納まらない。

「そ、それは……そんなこと、あるはず無い」

 目が泳いだことをクラス全員が確認してしまい、コルクにとって更に都合が悪くなった。

 何だかこれ以上話させてしまうと友情崩壊を起こしてしまいそうだ。冬治は沈静化を図るため、手を叩く。

「はいはい、ちょっとストップ。俺の学園案内は焔先輩にお願いします。あと、焔先輩、俺からも話したいことがあります。何よりも、優先でとてつもなく、大切な話です。優先してもらっていいですよね?」

 もし嫌だというのならお化け屋敷での失態を皆の前で暴露しますよ。そんな視線を投げかけた。

 冬治がめったに見せない怖い表情。普段は抜けた表情しているのに、あの人って怒ると怖いんだとクラスメートたちが意外な顔をしている。その表情にきゅんきゅんしちゃうと数名の男子生徒が堕ちた。

「焔先輩、いいですよね?」

「え、あ、うん」

「んじゃ、コルクさんと矢崎さんは二人でちゃんと仲直りをしておいてください」

「え」

「そんな……」

 二人の表情を見て、冬治は焔の腕を取る。

「さ、行きますよ」

 案内してくれと言っている割には率先して教室を後にする。え、お前が先に出ていくのと誰も突っ込めないほどの雰囲気があった。

「……わかった。案内するよ」

 静まり返ったクラスを後にして、冬治と焔は廊下に出るのであった。

「隠している事、話すつもりだったんですか」

 冬治は早速本題に入った。

「うん、その通りだよ。コルクちゃんなら口も堅いしいいかなって」

「良くないと思いますよ。何故女ということを隠しているのか知りませんがね、そういうのは自分から言うものじゃありません」

「冬治君にも心苦しいし」

「俺のことなんて、気にしなくていいですよ。俺も皆にいっていないことたくさんありますから」

 例えば、探偵であるということ。実際は年上、お風呂にアヒル少佐を浮かべて楽しむこと等々……人間誰しも隠し事はあるものだ。

「そもそも、何で俺に対して心苦しいんですか」

「だって、コルクちゃんは君の彼女だろう? 僕に間違いなく好意を寄せてくれている」

「……あ、ああ、なるほど。焔先輩のこと、男だと思っているからその考えも成り立ちますね」

 あまり興味のないことには頭が回らなかった。冬治の中で、コルクは焔にあこがれているだけという式が成り立っているのだ。

「目の前でああも近づこうとするならさすがの冬治君もやきもきだってするよね?」

 今一つコルクに対して好きという感情が無い。元から好きで付き合っていないのと、コルクという人間に興味があまりなかったためでもある。昨日手に入った資料は金城コルクのものだ。生い立ちから今に至るまでの経緯をあらかたまとめてもらっている。赤ん坊の頃、親戚に預けられて中学以降は一人暮らしをしている。その程度しか今のところ情報はない。

「冬治君?」

 焔に顔を覗き込まれ、冬治は慌てて脳みそを動かし始めた。

「やきもき、ですかぁ」

 非常に答えづらい問いかけだった。後々、ごまかしがばれると面倒なので嘘は言わないようにした。

「俺はあまり、そういうの感じていませんよ」

「そっか、凄いんだね。僕だったら独占欲が少し強いから怒っていたと思う。さっきの優奈さんみたいにね」

「人それぞれでしょう」

 結局二人で屋上近くまでやってきてしまった。放課後になると屋上にあまり人はやってこない。告白に敗れた人物が青春を叫ぶ場所、そんなイメージの定着が成されていると噂されている。

「まぁ、その。コルクさんのことですけどね。今のまま接してください。男として。それで、もし告白されたなら……」

「女ということをばらせばいいんだね?」

「違います。その場合は、焔先輩の心に従ってください」

「僕の心に従う?」

 どういうことか。焔は首をかしげて冬治を見ている。

 冬治は俺のことは考えないとしてと前置きをする。

「付き合いたいのなら、付き合えばいいんです。女であるということをばらさずに、答えるんですよ。自分は実は女だから付き合えない……そういうことでコルクさんの告白をかわすと、彼女、絶対に混乱しますからね」

「自分の秘密を守りつつ、相手のことも変に傷つけないようにする、か。何だかちょっとずるくないかな」

 ためらう焔に冬治は言った。

「決めるのは焔先輩です。アドバイスは出来ますけど、それ以上は出来ませんよ。ただ、俺は別にずるいだなんて思いません。他の人間はこのことを知りませんから負い目を感じる必要もありませんよ」

 およそ彼女が関係している人間が口にするような言葉じゃなかった。その目に何のためらいがないことに焔は疑問を覚えつつ、うなずく。

「……そうだね、悪かった。ちゃんと決めてみせる。でもさ、なんだか冬治君がコルクちゃんより僕のことを優先してくれているようで悪い気がするんだよ」

 しばらく冬治は考えて、言った。ここでミスをすると疑惑を持たれるだろう。

「確かにコルクさんは俺の彼女です。だからといって、焔先輩と俺は二人だけの秘密を共有しています。コルクさんのことも大切ですが、焔先輩も俺は大切なんです」

「そっか、ありがとう」

 何かの迷いは吹っ切れたようで、いつもの爽やかな笑みに変わっていた。物腰の柔らかそうな表情だ。

「じゃあ、屋上の風でも当たって帰ろうか」

「ですね」

 屋上へと続く踊り場の扉を開けると、一人の人間がすぐ目の前に立っていた。

「あ」

「あ」

 てっきり、驚かせるための不意打ちかと思えば違うらしい。素早く冬治たちから離れるとフードを目深に被った。

「コルクちゃん?」

 しかし、そのフードの下を冬治と焔は確認していたりする。

「……焔先輩、ちょっと下がってもらっていていいですか」

 紫色のパーカーに、ピンクのカーゴパンツだった。フードで顔を隠しているが、金城コルクにそっくりだ。

「焔先輩」

「う、うん?」

「教室に戻ってコルクさんがいるかどうか、確認してもらっていいですか」

「冬治君はどうするつもり?」

「俺はあの人にコルクさんかどうか、尋ねます」

「わかった」

 焔が階段を下りていったことを確認し、冬治は一歩だけ謎コルクへと近づいた。ミラーハウスで出会った人じゃない何かのそれに近い感じだ。

「あんた、コルクさんか」

「ええ、それがどうかした?」

 フードを外すと確かにコルクだった。一応、彼氏だ。彼女の顔を忘れることは無い。

「挨拶に来ようと思って」

「挨拶? さっきのはばったり出くわしたって感じだろ」

「……そう見えるようにしかけただけだから」

 余裕の笑みを浮かべ、謎コルクは続ける。

「挨拶って大事よね。あの時は挨拶できなくてごめんね」

「あの時だって?」

 どのときだよ。

「ミラーハウスのとき、あの場所の近くに居たでしょう?」

 普段のコルクが笑わないような微笑。淡い笑い方で、可愛かった。

「私ね、アルケミストなの」

 謎コルクの言葉に、冬治の腑抜けた気持ちは吹き飛んでいた。

 こっちの反応をうかがっているに違いない。冬治はそう考えたまま、黙って相手を見ていた。

「あら、意外と驚かない?」

「そりゃあ、驚けないよ……そもそも、君がアルケミストだという証拠は? 証拠を見せろよ、証拠を」

 懐の拳銃に手を伸ばし、犯人が口にするような言葉を投げかけた。

「証拠はこれ」

 取り出したのはフラスコに入った液体だった。緑色の液体がフラスコに入っていると液体っぽく見える。

「それ、もしかして……」

「そう、ご明察」

 優雅な微笑はどこへ行ったのか。途端に唇を歪めて笑みを作る。

「……いや、まだ何も言ってないから」

「何それ。今の流れなら私が何をしたのかわかるでしょう?」

「さてね、わからんよ」

 冬治の言葉にアルケミストは眉をひそめた。先制はもらったと冬治は心の中でほくそ笑む。

「で、その液体は一体なんだ?」

「つまらない小説を書いた小説家を本質に変えた液体」

 再度口元を歪めたアルケミストはコルクとは同じ顔なのに全然印象が違う。

「なるほどね、あんたが噂のアルケミストさんか……それで、本質に変える液体ってどういうことだ。つーか、聞いたところで、教えてもらえるのか」

「ちょっとだけなら。無機物でも、有機物でもどちらに掛けても何かに変化する代物。まぁ、石にかけても変化はしていないように見えて同じものに換わっているんだけどね」

「小説家がタイプライターに変化したのは何故だ?」

「本質がそれだったから」

 本質とは何か。色々と聞きたいことはあったものの、まず聞かないといけないのはそこじゃない。

「……小説家を元に戻せるのか?」

「さぁ? 知らない」

 こいつは悪い奴だ。冬治はアルケミストに悪のレッテルを貼っておいた。

「人に使用すると危険な液体だって分かって、使用したんだよな?」

「全然知らなかったわ」

 いけしゃあしゃあと言ってのけたアルケミストに今度は冬治が眉をひそめる番だった。

「私もね、金城コルクがこの液体を自分に使用して生まれたのよ」

「液体の効果を教えてくれた上に自分の正体をばらすだなんて、やけに大盤振る舞いじゃないか」

 冬治はさりげなく懐に手を忍び込ませる。無論、撃つ為だ。

「お礼なんていわなくてもいいわよ。だって、あなたはここで消えるんだから」

 フラスコの液体を冬治に向けてぶちまける。あえて冬治はそのまま突っ込んだ。液体がかかる瞬間、何かにはじかれるようにして液体は消滅した。

「な、なんで……がっ」

 驚くアルケミストの懐に入り込み、首根っこを押さえ込む。冬治は言った。

「あなたはここで消えるんだから……か。月並みの言葉だな。これまで人型の相手とも何度か相対したが、五人ぐらいは似たような言葉を吐いたぜ」

 そういった連中はきっちりと埋めてやったがね。どこか冷たい視線を冬治はアルケミストへ向ける。

「液体をはじくなんて……あなた、もしかして人間ではない?」

 つかまっているのに小ばかにした表情。まだ策を残しているのが手に取れる。

「いいや、恐らく人間だ……ちょっとの間、眠ってもらうからな」

 押し付けた拳銃のトリガーを引いた。

「喋る前に、撃てばいいのに」

 針が刺さることは無く、そのまま貫通。無駄弾は青空に飛んでいった。

「え」

 水分を含んだ袋を握ったような感触の後、目の前の人間が粘性の高い感じで溶けた。捕まえることは難しく、うなぎ相手に格闘している人間が冬治の頭の中に現れた。

 排水溝の近くへと液体が移動する。首から上だけが作り出される。

「そっちのほうがただの人間じゃないじゃないかっ」

「誰がただの人間っていったかしら。言ったでしょ、私は金城コルクの本質だって」

 駄文を生み出すタイプライターならまだなんとなく理解できた。しかし、液体で人の形をしているなんて理解しがたい本質だ。

「あなたに興味がわいたわ。是非、溶かして本質を見てみたい」

 冬治としては苦笑するしかない。自身の彼女と瓜二つの存在から本人よりも熱烈なアピールを受けているのだ。

「そりゃ光栄だね」

 首から上の相手に躊躇無くトリガーを引く。残念ながら、排水溝に逃げ込むほうが早かった。当たっても貫通するだけだろう。

「ちっ、なんだありゃ」

 以前、くらげっぽい化け物と相対したときは爆破した。さっきのスライムに同じものが通用するか微妙である。

「試してみないことにはわからないか」

 頬を掻いて屋上から校舎内へと戻る。

「……アルケミストの事について、コルクさんに聞かないとな」

 いい加減、なんちゃって彼氏も必要ないはずだ。そもそも、彼氏らしいことはほとんどしていないのだから。

 精一杯のシリアス顔で教室へと戻るとそこには微妙な空気が漂っていた。

 ああ、そういえば矢崎さんとコルクさんが険悪になってたっけか。そんな気持ちで自分の席へと座る。件の二人も一応、それぞれの席についている。焔はいなくなっていた。

「ねぇ、夢川君」

「ん」

「今度、夢川君の部屋に行ってもいいかな」

 何か決意したらしい。冬治のほうもコルクに用事があったのでちょうど良かった。

「うん、いいよ。いつぐらいに来る?」

「……そうだね、えっと、林間学校が終わった後、かな」

 何故だかクラスはおおっと盛り上がりを見せている。優奈は少しため息をついて冬治の事を見ているだけだった。


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