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A:第五話 私は遊園地にやってきた

 休日の遊園地。そこは夢の生まれる場所。家族連れに、カップル、怪しいグラサンスーツ姿なんかが居る場所だ。

「うおおおおおっ、はねっぴーっ」

 どこにでもいるような遊園地のマスコットへと一人の男子生徒が突撃している。

「ひいっ」

「うわああっ」

 家族連れにカップル、夢が生まれることなく、消えていく。誰もが暴漢から逃げ惑っていた。

「はね?」

 はねっぴーの視界にそいつが映った。

「はねっぴやぁぁぁぁっ」

 鬼気迫るそいつ……四季幸雄は中の人が素人ならば、咄嗟に回避していたことだろう。それだけの必死さ、あふれ出る何か、今日キジ見た……狂気じみたオーラを出していたのだ。

「はねっ!」

 はねっぴーは目標を補足。両手を広げて受け止める姿勢へと入った。

「真っ向から受け止めるつもりか」

「馬鹿な……あいつ、散るぞ」

 ギャラリーは心配そうな目でその光景を眺めている。はねっぴーのことをよく知らない人たちはキャラクターの首が飛ぶことを恐れた。子供連れは夢を壊さないようにしっかりと子どもの目を隠している。

 接触の瞬間、はねっぴーは相手の胸辺りへ肩からぶつかるように抱きしめた。それでいてはねっぴーは前傾姿勢で重心を移動。

「うぼっ」

 幸雄が妙な声を出した瞬間、ぐるんっとでも聞こえてきそうな逆上がりをしてみせた。勢いは消えており、彼は眼を白黒させていた。

「はねっ」

 中身がベテランだったため、両手を広げた突撃に耐えて見せたのだ。一体何が起こったのか理解していない幸雄を振り回し、着地させる。

「すげぇ、あいつ幸雄をキャッチしたぞ」

「本当だ、すごい」

 中の人にしてみれば、この程度の襲撃、ローリングソバットや背後のチャックを狙うガキどもに比べればどうということはない。カップルや家族連れは、はねっぴーの周りに近づく。誰も一定のラインからはねっぴーに近づくことはない。何故ならはねっぴーは運気を吸い取るといわれている羽津の妖怪がモチーフなのだ。

 ひとしきりはねっぴーとの心温まるハグを堪能した幸雄は遠巻きにしている待ち人達へと近づいていく。

「やってきました遊園地っ」

 小汚いマスコットと抱き合って一人テンションの高い幸雄。その後ろで四人は彼を見ることなくそれぞれ違う事を考えていた。

「まぁ、たまには友達と遊びに行くのも悪くないかな」

 夢川冬治は周囲の光景に軽くため息をついた。友達に年齢なんて関係ない。まともな学生生活を送れなかった自分にとっては嘘でも何でも、楽しんでおきたい事の一つだ。

「楽しそうだ。誘ってもらえてよかった」

 近くを歩く焔はそれぞれが楽しそうな顔だ。あまり遊園地などに来たことのない、興味津々の表情である。まさしく、夢の生み出す場所に似合っている。

「ぶつぶつぶつ」

「ぶつぶつぶつ」

 しかし、残念なことに、夢の生まれる場所にあまりふさわしくない二人が居た。コルクと優奈である。一人は自分の心に秘めた欲望に忠実であり、もう一人は怪しい転校生が実はちゃら男なんじゃないか、それなら消えてしまえと念じているのだ。

 二人がそんな表情をしていても誰も突っ込まないのは単純に、さらに目立つ奴がいるからだ。

「観覧車に来たら、まずは遊園地からだよねっ」

 いつの間にか一人だけはねっぴーの帽子を被っていた。天へと向かう耳は不幸を受信する電波塔、そんな設定が存在する。二人でこの帽子をつけて、この場所へやってくると別れる。そのため、縁切り寺的な効果があるとのこと。

「一人テンションが上がりすぎてわけわかんないこと言ってるな。幸雄、絶対お前さんはショートケーキのイチゴを最初に食べちゃう人だろ」

「そりゃそうだよ。とんびに取られる恐れがあるもんね。ショートケーキのイチゴって数が少ないと思わないかな。僕は思うんだよね。数で言うと、あと一個ぐらい。うん、わかってるよ? あの完成されたケーキの一体どこに置くのか……その問題についてだね。結論から言うと、一個でいい。つまり、一つで二つほどの大きさを持つイチゴさ。それを置けば……」

 きっと、日々の学園生活で疲労がたまっているのだろう。一見、真面目で大人しそうな人物は心に色々と抱えているのだ。適度なガス抜きが必要。そんな事を冬治はこの前本で読んだ気がした。

 幸雄が落ち着くまで、冬治と焔は適当に話し、優奈とコルクは乗り物の話をするのであった。

「遊園地に来たら、観覧車に乗りましょう」

 ショートケーキのイチゴから数分を経て、ようやくゴールに行き着いた。

「えー、まずはメリーゴーランドじゃないの?」

 コルクの言葉に周りは黙り込む。まずどれに乗るか、悩むところだ。絶叫系、ホラー系、メルヘン系……待ち時間やどうしてもこれに乗りたいというものがなければ消去法になるだろうか。冬治たちも乗り物に関して考え始める。さっき優奈とコルクは乗り物の話をしていたのに順番は特に決めていなかった。

「ちょっとメリーゴーランドは子ども過ぎでしょ」

 優奈は眉をひそめてそういった。ちなみに彼女は初っ端からジェットーコースターでも大丈夫な部類である。

「そ、そっかな。焔先輩はどう思いますか?」

 あれ、俺一応彼氏だよね。彼氏だったらちょっとぐらいは意見を求められるんじゃね。

 冬治が口を挟もうとすると、とあることを思い出した。この前見た、コントだ。

 出会ったときはラブラブだけど、今じゃ一人でぶらぶらしてる。だってあなた、小うるさいんだもん。

 あまり意見するのはやめておこう。冬治は傍観することに決めたのであった。

 何せ今日は彼女と来ているわけではなく、友情を深め合うためにやってきているのだ。もっとも、嫌われている優奈と親睦を深めるのは難しい事だろう。奇跡とまでは言わないが、きっかけが必要だ。

「んー」

 コルク、冬治、優奈、幸雄の視線を受けて焔がうなる。

「最初にメリーゴーランドはないかな」

「が、がーん」

 ばっさり切り捨てられたコルクはそんな言葉を口にしながら膝を付く。

「いや、がーんって言うのもあり得ないから」

 コルクの言葉に優奈が突っ込む。そんなやりとりを見て他が軽く笑った。

 幸雄が改めて手をあげる。

「僕は再度、観覧車を押すね。プレゼンをする時間をもらえるかな?」

 鞄から幾多の資料を取り出した。よほど観覧車に乗りたいらしい。

「面倒くさいし、もう俺は観覧車でいいよ。ほかもいいだろ?」

 特に希望がないと優奈も焔も頷いた。コルクは沈んでメリーゴーランドに向かう子どもを眺めているので無視される。

「ま、この人数じゃあ一緒に乗れないから二人ずつでどうかな?」

「二人ずつ? ああ、いいんじゃね」

 大人四人は乗れそうなサイズだと聞いている。幸雄も何か思うところがあるのだろう。それに、資料を取り出してあーだこーだ行っているよりもさっさと次に向かったほうがいいように思えた。

「よし、彼氏彼女だからと言って、ふゆ君とコルクちゃんが一緒は無しね」

 ふゆ君とは俺のあだ名かよと突っ込んだがスル―された。既に幸雄は優奈、コルク、焔の了解を取り付けてくじを取り出している。

「さぁさ、引いちゃってくださいな。アルファベットが書いてあるから同じだと同席ね。赤を引いちゃった人はぼっち。僕個人の意見としてだけど、ふゆ君と一緒は嫌だなぁ」

「そうか? 俺は別にお前と二人きりでも構わないぜ」

 ざわっという周囲の反応に冬治は首をすくめる。

「何だか勘違いしているようだが……そう言う意味じゃないぞ」

「場をしらけさせた冬君は僕のひとつ前に引いて。じゃ、まずは優奈さんどうぞー」

 コルクの前に紙のくじを握った幸雄の手が差し出された。

「何故、優奈からなの?」

 絶望の淵から戻ってきたコルクが首を傾げる。

「んー、そりゃ、彼氏がいないから」

 優奈からぎろりと睨まれたが幸雄はどこ吹く風だった。

 後で絶対に仕返しをしてやる。静かそうな瞳にはうらみの炎が灯っていた。

「私、A」

「胸のサイズ、みたいな? 嘘嘘、冗談よ」

 悲しいかな、冬治は優奈の胸に視線を向ける。Aではなく、間違いなくB、いや、Cはあるだろう。充分だろうと心の中で呟いといた。

「次、ふざけた事を言ったらこの遊園地の事務所に突きだすから」

 おいたをすると出禁を喰らう夢の場所。事務所に詰めているのは二メートル近くのガードマン達だ。

 本気を感じ取ったのか、幸雄は大人しく頭を下げた。

「ごめん、昨日あまりに楽しみでテンションあがっちゃって寝てないんだ」

「子どもかよ……」

 冬治は幸雄に哀れみの眼を向ける。

「その、夢川君? 楽しみにしていたのなら、眠れなくなることってあると思うよ?」

 冬治はコルクの顔を見て、ため息をついた。

「コルクさんもか……」

 今日、途中でダウン者が出ないかどうか不安になってくる。

「無理しないでよ」

「うん、夢川君ありがとう。大丈夫、無理はしないよ」

 二人のやり取りに気遣いはあっても、愛はなさそうだった。

「じゃあ、次は焔先輩ね」

 幸雄は焔の前へと手を動かして引くように促す。

「あ、うん」

 焔も紙のくじを引いてアルファベットを確認した。

「Bだね」

「じゃ、次は金城さ……なんで、胸をなでおろしているの?」

「え? い、いや、さっき言った通り寝不足だから動悸がしちゃって」

「全然大丈夫じゃないじゃん」

 冬治の言葉にコルクは首を振った。

「ううん、大丈夫。じゃ、引くね」

 何かを祈るようにコルクはくじを引く。妙な緊張感を生み出すのは、コルクがあまり寝ていないからか、それとも別の願いの強さだからか。

 くじを引き、アルファベットを確認したコルクの眼はいつもよりも見開いた。驚愕、後に歓喜の色を湛えた。

「び、Bっ」

 安堵した顔のように見え、優奈の方も何やらほっとしているようだった。

 冬治も幸雄と一緒にならなくて良かったのかなとちょっと失礼なことを考えていたりする。

「ん、じゃあコルクさんと焔先輩がペアか。はい、じゃあ次はふゆ君ね」

「おうよ……」

 残っているのは当然二つ。片方はオヒトリ・サマーコース。もう一つはほとんど話したことのない優奈コースである。幸雄相手ならまた馬鹿な話でも出来ていたかもしれない。

「ぼっちぼっちぼっち……」

 幸雄は冬治に念を送っていた。余りにも強い念だったためか、口からつい漏れてしまっている。

「ねぇ、ぱぱ、あの人何かぶつぶついってるよー」

「しっ、見ちゃ駄目だ」

 幸雄の願いなんて知ったこっちゃないと、冬治は適当に引っ張りあげる。

「俺はAだ」

 あっさりとくじを引いた冬治は手元に残るAのくじに若干無表情となった。

「くそぅ、ふゆ君は矢崎さんとかぁ」

 幸雄の言葉に、冬治はゆっくりと優奈のほうを見る。

「きっかけに……なるのかねぇ」

 矢崎優奈はコルクと良く一緒にいる友達だ。必然的に、クラスからセットとして見られている冬治も一緒にいる事が多い。問題があるとしたら、微妙に嫌われているような感じがすることぐらいだろうか。今一つ、優奈と言う人物とは仲良くできていないのだ。コルクがいなければ、話すことはほとんどない。

 まぁ、ぼちぼち仲良くなれればいいだろう。

「異論がある人はいないね」

 そういう幸雄の右手は異論があるらしい。思いっきり右手を天へ突き上げた。しかし、それを左手が何とか押さえ込む。しずまれぇ、僕の右手ぇなんて涙声で押さえ込んでいる。

「……幸雄、お前さん、残念だったな」

「ふっ、僕はこれでいいんだ。うぐっ……僕のラッキースケベ計画がぁっ」

 全員がハンカチを取り出して、幸雄に差し出そうとした。しかし、最後の言葉を聞いてあっさりと手を止めるのであった。

「さーて、じゃあ観覧車に乗りますか」

「観覧車かぁ」

 冬治と焔を先頭にし、観覧車に向かう。他の乗り物に比べてそれらの利用客は少なく、すぐに冬治達の順番になった。

「じゃ、先に居る焔先輩と金城さんから乗るといいよ」

 優奈がそういうと、冬治も頷いた。

「だな、俺たちは後からでいいよ」

「じゃ、じゃあ、水主川先輩、乗りましょう」

「そうだね」

 心の高鳴りを抑えられないと言った調子で焔の手を引っ張り、二人きりの空間へと消えていった。

 意外と高いところまで行くんだなぁ……冬治は真上を見ながらのんびりと考える。

「彼氏として、複雑な心境じゃないの?」

「え?」

 気づけば優奈が隣に居て蒼空を見上げている。

「何、その態度。焔先輩にとられちゃうよ」

「うん?」

 ぼさっとしている冬治に、優奈は眉をひそめる。

「あなた、あの子の彼氏でしょ」

「あ、あぁ、彼氏。そう、彼氏だよ」

 そういえばそうだったな。冬治としてはコルクの事なんて友達程度しか見ていない。しかし、何だかそれは人としてどうかと思えた。そもそも、焔は……。

「順番が来たわ」

「え、ああ、本当だ。じゃあな、幸雄」

「違う女の子だからと言って、フラグを立てるんじゃないよ」

 優奈ルートは茨の道よ……などとぼっちがほざいたところで冬治の心が反応するわけもない。

「そもそもフラグを立てられるかっての」

 高さの低い円柱を横にした一般的なカーゴに乗り込んで、二人は真正面に向かいあう。景色を楽しむためのものなのに、どっちも外を見ようとしない。

「……」

「……」

 静かだ。

 何、こういうのは別に苦手ではない。会話とは、キャッチボール。ボールを投げてこない相手なら、こちらから投げればいい。別に妙なフラグを立てるつもりはない。しかし、誰が与えてくれたのか知らないがきっかけはもらえた。それならば友情イベントの一つぐらいは起こしたい。

 日々をすごすだけなら何もしなくてもいいが、前に進むなら歩くしかない。

「狭いね」

「そうね」

 まずは反応をもらえた。

「高いね」

「そうね」

 これこそ、まさしくキャッチボール。投げたら、投げた分だけ返ってくる。しかし、幅は広がりそうにない。例えるなら、そう、壁と同じ感触なのだ。

 何だかこれ以上、会話が続かない気がする。

 普段、どう言った事を話しているっけと頭の中の整理を始める。

 コミュニケーションを図ろうとした冬治に興味を持ったのか、相手から話しかけてきた。優奈としても別に冬治に興味がないわけではないのだ。

「あなた」

「ん?」

「コルクの事、本当に彼女だって思ってる? 何だか、私が想像していたような彼氏と彼女の関係じゃ、無い気がする」

「……そうかな」

「少なくとも私はそう思う」

 ぶっちゃけ、コルクの事を思うと冬治も微妙なのだ。あれだけ熱烈な告白をしてきた割にはお触りなんて存在しない。学生の恋愛なんてそんなもんだと考えているのか、それともただ単にコルクが奥手なのか……だからといって、こちらから率先して触るわけにもいかない。

「いやぁ、女の子ってどんな感じで接すればいいのかわからなくて……こうみえて、照れ屋さんなんだ」

 ここは適当にお茶を濁すのが吉だろう。余計なことを言ってコルクの耳に入ればまた面倒なことを引き起こしそうだ。

「本当に?」

 真意を確かめるように冬治の顔を覗きこんでくる。タイミングを見計らったように、カーゴが揺れた。

「きゃっ」

「おっと」

 不安定な中座だった為か、冬治の方に優奈が倒れ込んでくる。それを抱きとめ、冬治は揺れが収まるのを待った。

「っ!」

 反射的に優奈が離れようとするが、冬治はそれを許さない。

「待った、落ち着いて。こんな狭いところで暴れた拍子にドアが開いたら大変だよ。ないとはいえないからね。今は我慢して」

「う、うん」

 優奈はガラスに反射した冬治の顔を見た。普段見るようなどこかゆるそうな雰囲気は欠片もなく、有無を言わさない鋭い表情。

 揺れは数十秒だった。一人だったら不安になるほどの強い揺れだった。

「矢崎さん、大丈夫?」

 脇に優奈を座らせ、おでこをぶつけていないかすばやく確認する。

「だ、大丈夫。それより、女子にどんな風に接すればいいのかわからないって言った割には……手慣れてない?」

 ええ、実は慣れていますよ。そういうわけにもいかない。当然、そうなると嘘をつくしかない。

「気のせいだよ。さっきのだって凄く、どきどきした」

「それ、どきどきした人間の表情? 冷静な顔つきだった。その、別人に見えた」

 更に疑惑は深まったらしい。確証をもたれたわけではないので、ごまかすのは可能だ。

「はは、矢崎さん。それとこれとは話が別でしょ。緊急事態だった、そうだよね」

 人の良さそうな表情。柔和で、鋭さの欠片もない。お金を騙し取られてもいいよいいよと笑っていそうな笑顔を見せた。

「そう、かもね」

 優奈は冬治の表情を見てさっき自分が一瞬だけ見た表情に自信がなくなってきた。鋭い表情を直接見たわけではないからだ。

「凄く近い距離で見つめるのも、得意なくせに……」

「あ、あはは、そうだね」

 気づけば肩を引っ付けて、話している。その距離は充分近い。傍から見れば、恋人同士に見える距離だ。

 肩を引っ付けているためか、いい匂いが漂ってくる。それが優奈の匂いだということに気づいて冬治は感嘆する。

 女の子ってどうしていい匂いがするんだろうなぁ。

「コルクとはこんな距離になったことないんでしょ?」

「まぁね、ないけどさ。ああ、ほら、高くなってきたよ。矢崎さん、外、見ないの?」

「高所恐怖症だから」

 ぶっきらぼうにそういわれて、冬治は頬を掻く。

「そ、そうなんだ。無神経にごめんね」

「何で私が高いところ、怖いのか知りたい?」

 少し意地悪そうな表情で優奈は冬治を見ていた。

「う、うん。教えてくれるなら」

 そして、何かから変われるんじゃないかと、罵倒されるんじゃないかと冬治はあっさりとちょっとだけ警戒してしまう。

「……落ちたの」

「え?」

「ソファーから。夢を見ていてね、落ちた。そうしたら、何だか怖くなっちゃって。たったそれだけのこと。笑えるでしょ」

 友達だと思っている相手に話すとものすごく馬鹿にされることだ。妙にプライドの高い優奈はそれをよしとはしない。だから、人と距離を取ることが多い。

「そっか、それは……まぁ、しょうがないね」

 優奈は冬治の眼を見ていた。逸らすことはなく、全てを見通そうとする瞳だった。

「あのさ、あなた本当に十七歳? 落ち着きすぎているし、こういうときは茶化すんじゃないの?」

 やたら変なところに突っ込んでくる子だな。矢崎優奈は冬治の頭の中で面倒くさい子の所へ着々と移動しつつあった。

「人によると思うね。茶化す人は、茶化すけど、ちゃんと聴く人はいるんだよ」

「……」

「言っちゃなんだけれどさ、俺と矢崎さんはあまり話したりしない仲だよね。そもそも、あまり知らない相手の事を茶化すことはないよ」

「コルクとも、あまり距離、近いというわけじゃないでしょ?」

 鋭いじゃないか。この子、俺の事を訝しんでるぜ。

 面倒くさい子から更に先に進んで注意すべき相手へと変わりつつあった。

「まぁね、そうかも」

 ごまかし続けていても二人きりになったらどうなるか。またこうやって追い詰めようとするかもしれない。一か八か、冬治は適当なことをいってみることにした。

「何だかさ、コルクさんには悪いけど……俺の事より、誰かの事を想っている気がするんだよね。そうだね、たとえば焔先輩なんてどうかな。あり得ないだろうけど……」

「そう、わかってるじゃない」

「え?」

「コルクは、あの先輩の事が好きだから」

 冬治はショックを受けた。

「え、マジで?」

「何、その驚きよう? あなたが言った事でしょ」

「いや、そうなんだけどさ」

 だって、焔先輩は女なんだぜ?

 その言葉を冬治は呑み込んだ。

「あなたの言いたいことはわかる。焔先輩は今年受験生で、遠い大学を受けるつもりだからね。告白がたとえ成功したとしても一緒に居られる時間は短いってことでしょ?」

 仮にも彼氏なんだが……まぁ、それは置いておこう。

 冬治はある疑問をぶつけてみた。

「あのさ、気付いてないの?」

「何を?」

「あ、ううん。何でもない。そっか、遠い大学を受けるつもりなんだ」

 何だかものすごく、ややこしい状況になっている気がしてならない。

 アルケミストを探しに来たはずが、告白された。しかも、告白してきた相手は別に好きな人が居たのに、告白したことになる。相手は、男装しているものの、女子生徒だ。

 つまり、金城コルクは男よりも女の子が好きと言う事になるのだ。いや、語弊があるのだ。男装した、女の子が好きに違いない。女だということに気づいていないかもしれない。だからといって、それはそれで説明やら何やらすると面倒なことになりそうだ。

「何だか、ややこしいな」

「あなたの言いたいことはわかるわ」

 わからないと思う。冬治は言葉を飲み込んだ。

「私は、あなたがコルクに何かをしたのかと思った」

「何かを? どういうこと?」

「だって、好きな人が居るのにいきなり告白するんだもの。過去に、コルクと何かあって取引で付き合っているのかと思った」

 苦笑した優奈に、冬治もあわせる。

「それはちょっと妄想が強すぎだよ。ないない、そんなことはテレビじゃないとあり得ないね」

「かと思ったって言ったでしょ。今はそんなこと思ってない。でもね」

 既に冬治の学園での立場が奇妙なものになりつつあるのだ。これで過去に誰かと何かがあったなどと言われれば面倒である

「だから私は、コルクの事を考えるとあなたのこと、あまり好きになれない」

「やっぱり、友達想いなんだ」

「……こう見えてもね」

 どうしたものか。優奈の言葉を聞いた以上、冬治も焔の事を意識せざるを得なかった。

「もう、観覧車終わっちゃうね」

「そうね。あ、えっと……さっきは、あ……とう」

 再度、観覧車が揺れた。そのときの音で優奈の言葉が聞き取れなかった。

「ん? ごめん、聞こえなかった」

「さっきは……ううん、何でもない」

 優奈は何かを言おうとして辞める。冬治は優奈の事よりも焔の存在が気になって聞きだすことはなかった。

 こうして、優奈との観覧車は終わりを迎えた。五人いて、楽しそうにしていたのはコルクだけだったりする。

 コルクと優奈、幸雄が歩く後ろで冬治と焔は肩を並べていた。

「あれ、焔先輩何だか顔色が悪いですね」

 冬治の言葉に焔は力なく答える。

「はは、楽しい雰囲気を壊しちゃってごめんね」

「観覧車で何かあったんですか」

 疲労を見せて焔は笑う。

「コルクちゃんがあまりにはしゃぐからカーゴが揺れてね。正直、生きた心地がしなかったよ」

 そんなに揺れていたのか。はしゃいでいたということはさっき優奈から聞いたコルクが焔のことを好きという言葉もあながち嘘ではないようだ。

 観覧車を揺らすほどの喜びが彼女を襲ったのだろう。もしかして、優奈がよろけたあの揺れはコルクの歓喜だったのかもしれない。

「焔先輩、次のアトラクションでご一緒してもらっていいですか」

「ん、構わないけれど……コルクちゃんのことはいいのかい?」

「え? ああ、はい。今日はみんなで来ていますからね」

 わかったと焔から許可をもらってため息をする。

 次はホラー系であった。コルクはしきりに焔の方を見ており、仮にも彼氏である冬治は苦笑するしかない。これが男女の組み合わせなら幸雄も万々歳で思わず昇天するかもしれない。

「じゃあ恒例のくじタイムっ」

 まだ二度目だというのに誰も幸雄には突っ込まない。

「了解した」

 結果は冬治と焔、優奈とコルク……残念なことに幸雄一人だった。

「幸雄、いっきまーす」

 きらり風に涙を流し、四季幸雄は突貫した。

「哀れ、世情の夢うつつ」

 一人で行ってしまった幸雄に冬治は敬礼をした。きっと彼は、このアトラクションを楽しみにしていた。背中がそう、語っていた。

「順番、どうする?」

 そういって優奈が冬治に話しかけてくる。若干打ち解けることが出来たのだろう。きっかけがあってよかったと冬治はいってしまった友達に手を合わせておいた。

「女子二人が先でいいよ。俺たちは最後で」

「ん、わかった」

 コルク達を見送って五分ほど、冬治と焔は中へと入る。入口から気合いが入っており、どういう仕掛けなのか首だけの女性がにこにこと笑っている。

 そろそろ出るかな。冬治はそのタイミングで聞くことにした。

「焔先輩、ちょっと待ってもらえますか」

「ん?」

 顔色が悪いようだ。まだ先ほどの観覧車を引きずっているのかもしれない。

「直球で聞きますけど、焔先輩って女の子ですよね」

 回りくどく聞いてしまうと時間が長引く可能性があった。そして、それはおそらく得策ではない。速く歩いてしまえば前の二人に出会う可能性もあったからだ。

「……ううん、そんなことないよ?」

 焔のごまかしに冬治は流されない。

「嘘ですね。握手したとき、ウィンクしてたじゃないですか」

「ああ、したよ。あれは仲良くしてねって意味だった」

「他はともかく、俺はわかりました。あの、周りの人達って気付かないんですか」

 そっか、ばれたんだ。焔はたそがれた表情になった。

「そうだね、幸運なことに君以外は気付いて居ないね」

「体育とか身体測定とかはどうしているんですか」

 実にばれそうな事柄である。

「ちょっと身体の関係でって言ってね、僕は別の場所でやってもらうんだ。体育は免除。事情があれば学園は別の方法で単位をとらせてくれるんだよ……母さんが学園長と知り合いでやっかいなんだけどね」

「へぇ、そうなんですか」

 単位なんて興味のない冬治には関係のない話だ。ほかにも気になるワードが出たが、それは又今度でいいだろう。

「あと、コルクさんが先輩に……」

 想いを寄せています。

 そう言おうとして辞めた。これはこれで面倒なことだ。何故、彼氏の君がそんな事を言うのか教えてほしいねなんて切り返されたら答えられない。

「質問はそれで終わりかな?」

「え? ああ、はい。事情も教えてほしいんですけれど……それはさすがに辞めておきます」

「そっか、ありがとう。僕の方も変な理由があるからね」

 なんとなく、それは身内に起因した理由じゃないかと思えた。いつか教えてくれるかもしれない。

「君の方も、何かしら理由があってここにきたんじゃないのかな? 君、単なる学園生じゃないよね」

「……さぁ、どうでしょう」

 冬治がはぐらかすと同時に上から人が落ちてきた。激しい衝撃音もなく、そのまま床に当たると消えてしまった。

 ものすごく凝った作りだ。冬治は感心してしまう。

「焔先輩、ここの仕掛け凄いっすね……あれ?」

「こ、腰がぬけちゃった」

 これがスカートだったら良かった。しかしながら暗がりだ。尻もちをついて股を広げている焔は非常に情けない。憧れの先輩がこんな姿では、色々と幻滅である。

「ホラー系、苦手ですか」

 さっきまでは割かし余裕を見せていたのに(顔色は悪かったが)、本当に残念な表情だった。何せ、涙と鼻水を同時に出しているのだからコルクには見せられない。

「こ、後輩の前じゃホラーが駄目だなんて言っていられないからね」

 常人のそれと同じくらいのプライドは持ち合わせているようだ。ハンカチを取り出して顔の体液を冬治は拭ってやる。

「涙、残らないといいですね」

 ミネラルウォーターを開封し、ハンカチに含ませて頬を拭いた。

「……驚いた準備がいいんだね」

「たまたまですよ。ハンカチは二枚持ち歩いていますから」

 後ろから客が来る様子はない。

「正直、君と一緒で良かったよ」

 鼻をかんでどこかほっとしたように焔はため息をついた。

「俺と一緒でよかった?」

「ああ、冬治君はそんなことで僕を笑うこともなさそうだ。置いていかれることもないし、安心して腰を抜かせるよ」

 さすがに腰の抜けた人間を置き去りにするのは酷いだろう。だからと言って、おぶさるのは女性なので背中に柔らかいあれがくっつけるのもやらしい。

 肩を貸して歩くのも何だか違うように思えた。

「焔先輩、ちょっと失礼」

「え、えーと、これは?」

「傍から見たら男がお姫様だっこしているように見えるでしょう。ま、そこんところは我慢してくださいよ」

 お姫様だっこを敢行し、冬治は辺りを見渡す。

「ふむ、ここらの仕掛けの数は……そこそこありますね。焔先輩、どうしますか」

「どうって?」

「ホラー、楽しめますか」

「……出来れば、勘弁してもらいたいかな」

 瞳と唇が震えている。Sなら絶対に喜びそうな場面だ。中々ぐっとくる怯えっぷりだった。

「そうですか。んじゃ、目を瞑って俺に抱きついていてください。あの、絶対に目を開けないで下さいね」

「何かするつもりかな?」

「ええ、ちょっと魔法を使おうかと」

 茶化した感じで冬治がそう言うと、しばらく逡巡して頷いた。

「その魔法とやらをお願いするよ」

「了解しました」

 男装している女子って意外といいもんだ。

 だからといって、俺自身が女子の格好するのもあれだがね。

 魔法を使って切り抜ける。

「出口ですよ」

「ん、もう眼を開けていい?」

「大丈夫です」

 涙の痕は残っていない。目が少々赤いので冬治は芝居をうつことにした。

「焔先輩、股間を抑えて外に出てくださいね」

「え、何で?」

「……これもまた、魔法です。さすれば掬われんって奴です」

 首をかしげながら少々恥ずかしそうに焔は股間を手で押さえた。

「あー、その、恥らうんじゃなくて痛そうな顔で」

 冬治の注文どおりに外に出ると優奈とコルクが待っていた。焔の姿を見て二人とも驚いている。

「いたたた……」

「こりゃあ男にしか分からない痛みだから。二人とも、そっとしておいて」

「う、うん」

 コルクは焔のためにジュースを買いに行く。

「あれ、矢崎さん……幸雄は?」

「あそこ」

 優奈の指差す﨑には一人だけ膝をついて泣いているやつがいた。

「くそう、くそう……どうして僕だけ女子といっしょにいられないんだっ。不公平じゃないか?」

「お前さん、そんなキャラだったっけか」

 会った最初はもうちょっとまともな雰囲気を出していた気がするんだけどさ。

 冬治の呟きは絶望している人間に届くことはない。

「ホラー系で女子といちゃいちゃ、僕もしたい」

「夢川君と焔先輩は男同士だったでしょ」

 戻ってきたコルクの言葉に優奈もうなずくが、そんな言葉は彼に届いちゃいないのだ。

「やだやだやだやだ、いきたいのっ」

 駄々をこねる子どもだった。ちなみに、単騎での突入を行った幸雄氏は出てくるお化けや妖怪を全て睨みつけて引っ込ませている。はねっぴーと違い、中堅止まりのお化け屋敷メンバーに幸雄氏は荷が重かったのだ。

「オカルト、暗がり、不思議な空間っ。僕にくれよぉ」

 こいつも股間を殴打すれば静かになるんじゃないだろうか。優奈がそんな表情を見せたので冬治は助け舟を出してやることにした。

「……はぁ、わかったよ。ここ、ミラーハウスがあるからそこにいこうぜ」

「ミラーハウスって全然ホラーじゃ……」

「そう思うだろ? だがな、ここのホラーハウスには……出るんだよ」

「でるって、何が? 手鏡男ミラーマン?」

 冬治の渾身の演技に周りのみんなが……特に、焔が……恐怖の表情になる。

「あの、焔先輩……大丈夫ですか? あ、股間のことですよ」

 怖がらせて泣いたら大変だ。

「ちょ、ちょっと疼くだけさ。別に話を聞くぐらい、どうってことないよ? 聞かせて欲しいな」

 引きつった声を出しながら、冬治に先を促した。

「ここ、ホラーハウスで行方不明になった女の子がいるんだ」

「う、うん」

 コルクも冬治の話に耳を傾け、優奈はいつもの無表情だ。

「いまだにあっちの世界に居続けていることに疑問をもってないらしい。いまも、お父さんとお母さんを探して彷徨っていて……道行く人に声をかける」

「声を、かける?」

 コルクがつばを飲み込んだ。さして怖くない話なのに焔は顔を青ざめて冬治から少し離れている。

「そう。ねぇ、お父さんとお母さんを知らない? ってね。ただ、大抵の人間に声は届いても姿は見えない。別に霊感がある人が見えるわけじゃないんだ。その子どもと波長が合わないと、その子どもに連れて行かれたりはしない。でもな、もし、もしもだ。波長があったそのときは……」

 怖がらせるための冬治のほら話はそこで終わった。もっとも、この話は全てが嘘というわけでもない。

 以前、このミラーハウスの中にはどこの馬鹿が仕掛けたのか、数ヶ月前鏡の中に入れる不思議な鏡が存在していたのだ。たちが悪いことに一メートル三十以下の鏡として存在しており、子供しか入れないような大きさ。一メートル三十一以上には単なる一枚の鏡にしか見えない。

 冬治が少女を助け、鏡を壊すのにどれだけ苦労し、悩んだか。何せ、冬治にはいったいどれがその鏡なのかわからなかったのだ。子どもを連れてきていれば、それがその鏡面だと気づいていたかもしれない。

 最終的には、全部鏡を壊してしまった。まぁ、鏡の代金に関しては地藤グループが払ってくれたらしいが。

「その話、聞いたことあるかも」

 意外なことに食いついてきたのは優奈だった。冬治だけならともかく、もう一人が知っていると言ったことで信憑性が増したのか、一同驚いている。

「へぇ、あながち嘘って訳じゃないのか。面白いんじゃないの。僕、行ってみたいな」

「一人で行けばいいじゃない」

「お化け屋敷だって、一人で行ったよっ」

「そ、そうね」

 コルクの言葉に珍しく幸雄がかみつく。焔先輩はものすごく不安そうな表情をしていた。

「じゃあ、こうしよう。今回は二組に分ける。二人と、三人ね。そうすればあぶれないからさ」

 幸雄の提案に異を唱える者はいなかった。

 くじを引いて決まったペアは冬治と優奈だ。コルク、幸雄、焔になった。余談であるが、幸雄は一人で周らなくてほっと胸をなでおろしたらしい。

「悪くはないか……しかし、また矢崎さんと一緒だなんてね」

「コルクとじゃなくて不満?」

 二人の間に変な緊張はなかった。普通の友達になれたんじゃないかと冬治はほっと胸をなでおろす。

「友達と一緒に来たから……いや、このやり取りはやったよね」

 冬治と優奈が同時に中へと入り、歩き出す。ミラーハウスには噂がたっているためか、全く人影はなかった。まぁ、それも仕方がないかもしれない。

 夢の場所の園内入口からアトラクションまでの道のりは遠く、あまり人気があるわけでもない。建物自体古いし、人を寄せ付けない雰囲気があった。

 そのアトラクションに入れば自分が無尽蔵に増えていくような錯覚を覚える。鏡の中の自分はこちらを見ており、幾重にも続く鏡の世界の中に同じ事を良しとしない誰かがいたらどうなってしまうのか。違和感を覚えればかなりの恐怖が沸き立つはずだ。一人でも、鏡の中の自分が違う行動をとっていたり、表情をしていたらどうすればいいのかわからなくなる。

「ん」

 冬治が内部の雰囲気が変わったことに気づいたのはミラーハウスに入って数分後のことだった。鏡に映っているはずの優奈が、矢崎優奈ではない。どこがどう違うのか、うまく説明できないが間違いなく、中身は優奈ではなかったのた。

「ねぇ、何だかおかしくない?」

 どうやら優奈も妙だと気づいたらしい。

「何がおかしいと思う?」

「平面じゃなくて、立体と言うか……なんだろ、近い? 鏡の中の私が、鏡に近づいている気がする」

 進めば進む程、鏡の中の優奈は鏡の方へ、冬治たちのいる世界へと近づいて居た。

「それに、夢川君の姿が鏡に映ってない」

「え? あ、ああ、そうだね。写ってないね」

 不思議な話もあるもので、夢川冬治は特殊な鏡じゃないと身体が写らない。一体何でこんな体質になってしまったのか、それはまた別の話である。

「矢崎さん、鏡から離れて」

 優奈は徐々に、鏡へと近づいていた。鏡の中の優奈は、優奈がやってくるのを待っている。

「矢崎さん、それ以上は危ないよ」

「え」

 冬治は矢崎の腕を掴んで引き寄せる。

「ちっ」

 彼が引くと同時に、鏡の中から腕が伸びてきていた。一歩遅れていれば、そいつは優奈の腕をつかむ事が出来ていただろう。

「何、これ……」

 鏡から優奈に良く似た存在が四つん這いで出てくる。女子生徒が四つん這いで出てくるなんてやらしい表現だが、実際は爬虫類を思わせる動きで気色悪い。

「矢崎さんは下がってて」

 優奈を自身の後方へと下げ、冬治は不適に笑う。困ったときは笑っておく。それが彼のポリシーだ。

「まさかこんなのが出てくるなんてなぁ」

 敵意丸出しの偽優奈に冬治は懐から拳銃を取り出した。冬治の後方で何かが音をたてる。

「矢崎さん、大丈夫?」

 一瞥しようとして、がっつりみてしまった。優奈が御開帳……いや、尻もちをついていたからだ。

 冬治を見ることなく、偽優奈はそちらへと向かっていた。ワニやトカゲを連想させる動きだった。

「矢崎さん、立てる?」

 ここでの撃退よりも先に優奈を逃がしたほうがいい。その後で相手をすればいいだろう。そっちのほうが、恐らく安全だ。

 まだ偽夕菜との距離は充分あった。

「う、ううん、無理」

 尻もちをついてしまった優奈を抱き抱え、冬治は相手を無視して走り出す。

 以前、この場所にやってきた際、冬治は道順を暗記していたのだ。

「でもまぁ、そううまくは行かないか」

 何故だか出口最短コースに全て鏡が置いてあった。徐々にではあるが、偽優奈が冬治たちとの距離を詰めつつある。

「まさか遊園地にやってきてこんな面倒なことに巻き込まれるとは……日ごろの行いって大事だねぇ」

 しみじみとした口調で冬治はため息をついた。一日一善ぐらいやったほうがいいのかもしれない。

「何で……」

 緊張や恐怖の欠片もない冬治に、優奈は疑問を持たざるを得ない。心は恐怖で冷えて、身体が変に震えていた。

「何で、夢川君そんなに余裕なの? あいつが、怖くないの?」

 理解できぬものへの恐怖。それを浮かべる優奈に冬治は笑っていった。

「そらぁ、ね。知り合いが四つん這いで鏡の中から出てくるなんて笑うしかないじゃん。大丈夫、怖くないよ」

「だってあれ、禍々しいよ? 笑っている場合じゃないって」

 殺気だった偽優奈が二人へと近づいてきていた。気づけば冬治たちを取り囲むように鏡が見ていた。その全てに、偽優奈を映している。

 見るべき対象に、逆に見られるのはあまりいい気持ちになれない。自分が写らないならなおさらだ。

「あ、あのさ、あいつの狙いが私なら……夢川君、逃げられるんじゃないの?」

 その言葉に冬治は微笑んだ。

「ありがと、俺のことを友達だって思ってくれてるんだね」

「う、うん、まぁ、その、悪い人じゃないし……」

「だったら、友達にいいところを見せるため、頑張りますか」

 頑張るといっても、手っ取り早く終わらせるには手段は一つしかなかった。

「ふむ、鏡を壊すか……いや、この前のことを考えるとちょっとなぁ。弁償代が……」

「ああああああっ」

 偽優奈は口からうめき声を漏らして、冬治へと近づいてくる。それまでの倍のスピード。顎がはずれ、人を二人飲み込めるほどの口蓋を見せ付けた。優奈を置いて逃げたところで、冬治も食べるつもりなのだろう。

「矢崎さん、目を瞑っていて」

「え」

「耳も塞いで……早くっ」

「う、うんっ」

 縮こまって耳と目を瞑った優奈を確認すると、冬治は偽優奈の額を撃ち抜いた。

「うぇへへ」

 しかし、スピードは緩まない。嫌な笑みを浮かべて、尚、冬治たちに近づいてくる。

「やっぱり効かないってわけね」

 にやりと冬治は笑った。余裕をぶっこいているが、偽優奈との距離はもう五メートル以内だ。スピードはあがっていないものの、物の数秒で二人を飲み込むだろう。

「こういうときは鏡の方を狙うのがセオリーかね」

 偽優奈の映る鏡の中に、人の形をした得体のしれない何かが居た。冬治は銃口を向け、トリガーを引く。

「今回はあれだけで済むかも。ラッキー」

 一枚の鏡にひびが入ると同時に、シャンデリアが落下したような音が響き渡った。

 それはミラーハウスの鏡が全て、割れた音だ。優奈を庇うため、冬治は覆いかぶさる。

「っ!」

 別に優奈は気絶しているわけでもない。強く冬治に抱きしめられて、頭の中で何かがはじけたような気がした。

 数十分にも思えた抱擁は、実は数秒程度だった。

「……終わったかな」

 粉々に砕け散った鏡を眺めて、冬治はため息をついた。鏡一枚が一体どれだけの金額するか、冬治が知る由もない。請求書が事務所に流れ着かないよう、神様に祈っておいた。

「怪我はしてないよね」

 ぽけっとへたり込んでいる優奈の身体を確かめて、冬治は立ち上がる。

「ん?」

 そして、出口の方に誰かが居るのに気が付いた。音を聞きつけてやってきたのかと思ったが、その様子は違った。

「コルクさん?」

「……」

 鏡に映った偽矢崎と似た雰囲気の女性だった。人に似ているが、およそ人とは似つかない。

 コルクに良く似たそれは暗がりのため、冬治たちに気づくことなく出て行った。

「あ、ちょっと」

 冬治が声をかけるよりも、居なくなるほうが先立った。冬治もそちらへと向かおうと足を動かすと、優奈が足に抱きついていた。

「ごめん、ちょっと行かせて欲しいんだ」

 冬治は優奈の手を掴み、外そうとしてやめた。優奈の手が未だ微かに震えていたからだ。

 自分が今、仕事をするためにここにやってきたのではなく、友達と遊ぶためにやってきたことを思い出したのだ。それに地藤グループの遊園地だ。その気になれば監視カメラに何か写っているかもしれない。

 ともかく、今は優奈を最優先させることにした。

「怖かったよね。一応、確認したけれど……改めて聞くね。矢崎さん、怪我はしていないかな?」

 結局冬治がさっき見かけたコルクを追いかけることはなかった。座り込み、優奈に話しかける。

「う、うん、大丈夫」

「そっか、よかった」

 よしよしと頭を撫でているうちに入口から三人が登場した。辺りを見渡し、本能的に何かを察知したのだろう。すぐさま冬治と優奈の元へ走ってきた。

「だ、大丈夫?」

 コルクの言葉に、冬治はおどけた調子で頷いた。

「いやぁ、参っちゃったよ。いきなり鏡が割れちゃうんだもん。ものすごく、大変だったんだ。外にも音、聞こえたでしょ?」

「うん、聞こえたけどさ。一体何が起こったの?」

 コルクの言葉に冬治は嘘をつくことにした。正直に話したところで理解は得られない。それに、さっきのコルクとこのコルクが違うという証拠もない。服装は違っていたが、そんなの脱いだり着たりすれば何とかなる。

「いきなり鏡に亀裂が入ってね、それから割れたんだ。やっぱり、このミラーハウスは何かあるんだよ」

 おどけた調子で冬治は言って見せた。

「やっぱり、危険な場所なんだ」

 焔の顔は青かった。事前に話していたことが功を制したといえる。

「それで提案があるんだけどさ。ほら、見ての通り矢崎さんの気分がすぐれないじゃん? 出来ればどこかで介抱してあげたほうがいいと思う。ここじゃないどこかで」

 優奈の顔色は焔よりも悪かった。惨劇を見た人と、惨劇に遭った人……その違いだ。

「そ、そうね。優奈、歩ける?」

「駄目なら僕がおんぶしてあげるよ?」

「……大丈夫、歩ける」

 純粋に心配しているコルクと、半ば茶化すような幸雄に連れられて二人は出て行った。焔は顔を青ざめてぶつぶつお経のようなものを口にしていた。

「大丈夫ですよ、焔先輩。さっきの全部、作り話ですから」

「え? そうなの」

「はい。理由は分かりません。でも、鏡は割れていまので、焔先輩はここのスタッフを呼んできてもらってもいいですか」

「わかった。ちょっと待ってて」

 焔もいなくなり、元ミラーハウスには独り冬治が佇んだ。懐からガラケーを取り出し、スーツの男をコールする。

 後は彼に全部任せるつもりであった。

「あ、もしもし……お疲れ様です。ミラーハウスで、面倒ごとが……ええ、あとはお願いします」

 それからは特に変わったこともなかった。

 そしてそろそろ帰りの時間が近づく時間帯。テンションが高いというわけでもないが、低いというわけでもない。落ち着いた雰囲気に何とか戻っていた。

「いやぁ、今日は色々とあったねぇ」

「だな、幸雄のくじ運が悪いと言う事に気付いたよ」

「確率を考えると、僕は最先端を行っているんだ。ここまでおひとり様コースが続くなんて、神がかっているよ。今度、麻雀でもやろうかしらん」

「四季君、麻雀出来るの?」

「ううん、出来ない。やってりゃ覚えるでしょ」

 幸雄の言葉に誰もがため息をついた。

「で、さ。最後に観覧車乗って行かない? やっぱりさ、遊園地で夕焼けの観覧車は外せないでしょ」

 ここの夜景は三万円ぐらいの価値があるよと幸雄は言う。誰ひとりとして、今夕焼けだしと突っ込まない。そのままスル―してしまった。

「そうね、そうしましょうか」

 コルクは何かを考えているようであっさりと幸雄の意見に乗っかった。

「一番目に乗った気もするけど、まぁ、いいか」

 全員が幸雄のくじを引き、そして結果は朝のそれと一緒だった。

 カーゴの中、冬治と優奈は向かいあう。冬治としてはミラーハウスでの一件を聞きたいものの、変に刺激して恐怖を思いださせるのも悪い。

「うわぁ、窓の外が夕焼けで綺麗だよ、矢崎さん」

 冬治は裏声を出しながら誘ってみた。キャッチボールは投げないと始まらないのだ。慰めるのにも助走は必要だ。

「……」

 ボールを投げても、優奈は反応してくれなかった。じっと冬治の事を見ている。

「……何か聞きたい事があったりする?」

 さっきまでのふざけた雰囲気はなくなっていた。冬治も少しだけ真面目な表情を見せて目を合わせると、何故だかそらされてしまう。

「矢崎さん?」

「き、聞きたいことが、たくさんある」

 さて、どうやってごまかそうかと考えてみた。冬治が知っていることはあまりないのだ。鏡から出てきたあれを消滅させただけに過ぎないのだ。

 鏡の中から出てきたあなたは、生き別れのお兄さんです。お兄さんと言うところがみそで、鏡の中の世界では男の子がスカートを穿くのが普通……無駄に設定考えたが無理だと結論付ける。

 悩む冬治を見て夕菜のほうも少し悩んでいた。冬治が詳細を知らないように見えたからだ。

「でも、答えてくれないと思うからいい。代わりに、一つだけ教えてほしい事がある」

「なんだい?」

 スリーサイズかい? 男のスリーサイズが必要な時なんて制服作るときじゃないのか。

「あなた、もしかしなくてもコルクの事、好きじゃないでしょ?」

「……う、うーん? 何でそう思うのかな?」

 図星である。特別な感情なんて抱いちゃいない。

「接し方が普通だし、焔先輩と腕を組んでも気にしなかったでしょ」

「そうだったっけ?」

 そう言えば腕を組んで歩いていたっけなぁ。ああ、だから周りが一瞬だけ俺の事を見たのか。くそ、ソフトクリームがうますぎてそれどころじゃなかったんだよね。

 ぶつぶつ冬治が呟いたところで時間が戻ってくることはない。

「あのさ、あなたがコルクと付き合っている理由。それってミラーハウスの出来事と関係あるの?」

 関係ないと言おうとして口を止める。何せ、コルクのそっくりの人が出てきたのだ。ここは下手にごまかすよりも正直に告げたほうが賢いだろう。

「そのことなんだけど……」

「はい、降りてくださーい」

 係員の人から扉をあけられ、いつの間にか一周していた事に気付いた。

「いやー、間が悪いねぇ」

「もう一周だけ」

「みんながいるから待たせるのは悪いよ」

 ものすごくふてくされた表情、冬治は優奈を見て苦笑する。スーツ男の誰かが探り始めるかもしれないという言葉を思い出した。

「暇な時にでも連絡してよ。その時に教えるからさ」

「わかった、今日はそれでいい」

 調査をせずに遊園地にやってきたのは正解だったのか。しばらく冬治は考えてみたものの、答えは出ない。

「……ただ、俺はアルケミストを捕まえないとな。目の前の誰かに変な液体かけられたら大変だ」

 前を歩く友人たちの背中を見ながら冬治は夕焼けを見上げた。

「じゃあ、今日は解散。僕、あっちだから」

「焔先輩、優奈、帰りましょ」

「あ、ごめん。私この後用事があるから」

 分岐路で幸雄、焔、コルクに優奈と別れていく。集団は個人へと変わり、それぞれが散っていく。

「じゃ、僕らも行くよ。じゃあね、冬治君」

「うん、さよなら先輩」

「じゃあねー、冬治君」

「おうよ」

 右手を挙げて、冬治はそれぞれの道を眺める。どたばたとした休日だったが、不思議と疲れた気はしない。

 帰ろうとした矢先、優奈から電話がかかってきた。意外とアクティブなところもあるのだと冬治は通話ボタンを押す。

「はいはい?」

「さっきの続き、教えてよ」

「……ああ、うん。いいよ。関連性は良くわからないんだ。最初は無いかなと思ったんだけど、もしかしたらあるかもしれない」

 冬治の方も、少しだけ聴きたい事があった。そもそも、あの謎コルクが何者なのかわかっていない。

「やっぱり、友達が関係していると不安だから聞いたの?」

「まぁ、ね」

「なるほどね」

 合点が言ったと冬治は苦笑する。

「大丈夫、コルクさんや幸雄、焔先輩……矢崎さんは、俺が守って見せるよ」

「……友達が関係しているのなら夢川君だって……友達だから」

 その言葉に冬治は胸に来るものを受けた。まさか、優奈にそんな事を言われるとは思っていなかったからだ。

 ミラーハウス内でも似たようなことを言われた。さすがに極限状態の言葉は今一つ信用できていなかった。

「あー、うー……」

「矢崎さん?」

 なにやら悩んでいるらしい。まだ何かあるというのだろうか。

「あと、お礼を言いたくて」

「お礼?」

「うん、助けてくれたから」

「ああ、あれね。お互い、ただ巻き込まれちゃっただけだから気にしなくていいよ」

「ううん、それでも……ありがとう」

 一方的にお礼を言われて冬治は電話を切られてしまった。

「ま、今はこれでいいか」

 優奈から友達認定を受けたのだ。喜んでおいていいだろう。



――――――



「……何これ、胸がドキドキする」

 スマホを握りしめ、夕焼けを浴びた少女は唇を噛みしめた。



――――――



「それで、どうでした?」

「どう、とは?」

 探偵事務所、俺の目の前にスーツの男さんが座っている。

「とぼけないで下さいよ。アルケミストの邪魔が入ったとはいえ、デートしたんですから進展ぐらいあったでしょ?」

 あったのは俺と矢崎さんの友情アップイベントぐらいだ。

「……ん? アルケミストの邪魔が入ったって」

「ああ、知らないんですか? 舐められたものですね」

 小ばかにした表情ではない。どこか怒っているようだ、珍しい事もあるもんだ。

「以前解決したロリっ子鏡事件……あれを解決されたのが悔しかったんでしょうね。また同じミラーハウスに鏡を設置していたんですよ」

「あの鏡が何だかわかりましたか?」

 スーツの男さんは一度紅茶に手をつけて頷いた。

「ええ、あれはそれまで人生の中で積み重なった不安を具現化させる代物ですよ。人を襲う類の道具です」

 嫌になりますね。スーツの男さんは書類を指ではじいた。

「結果だけを見れば見事にTPさんが未然に事件を防いだ。ただ、相手はもしかしたら、TPさんのことを探しているかもしれません」

「私をですか?」

「ええ、何度かTPさんには不思議な事件を解決してもらっていますからね。これまでも誰かが解決したりしていたでしょうが、TPさんの解決スピードは早いのです。当日四十分仕上がり」

 まるでクリーニングみたいな言い回しだった。

「面倒だった不安の鏡にいたっては一日以内。鏡の被害を念頭に入れると惜しくもSランクは行きませんがAランク以上は固いでしょう」

「何ですか、そのSランクとかAランクって」

「査定の話です。それは置いておくとしても、鏡の件で、顔が相手にばれているかもしれません。気をつけてくださいよ」

 それはないだろう。俺を見つけていれば、顔ぐらい拝みに来ていたはずだから。

「俺の事、心配してくれるんですか」

「ええ、当然ですよ。二パーセントほど、心配しています」

 すげぇ、少ない値だな。どっかのはぎ取り確率っぽいぞ。

「ま、分かりました。どうせいつものように俺だけじゃなく、ほかの人もアルケミストを探しているんでしょ? 駒の一つとして、動きますよ」

「ええ、否定はしませんので頑張って下さい」

 他人が捕まえてくれるのはありえない。コルクさんに良く似た人がアルケミストなら、俺が一番犯人に近い場所にいるのは間違いない。


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